八重の桜 第38話 「西南戦争」

同志社英学校の新しい校舎ができた

新しい木の匂いがする

ここに若者達が集い
ここから研鑽を重ねて
やがて世界をよりよく変えていく


そんな未来にわくわくする襄と八重


そこに猪一郎が息を切らしてやってきた




鹿児島で西郷が兵を挙げると




八重は愕然とした


新政府をつくるために
西郷は会津を滅ぼしたというのに

今また新たな戦を西郷は起こした


何故だ?


この事を兄・覚馬が知ったならば・・・

急ぎ山本宅に帰ると
案の定
兄・覚馬はすぐさま府庁に向かおうとしていた


兄・覚馬が八重を伴って向かったのは
槇村正直の下であった



「槇村さん
鹿児島で何が起きているのですか?」



「まぁいずれ新聞にも書かれるじゃろ
内務卿の大久保さんが鹿児島に密偵を送り込んで様子を探らせちょった
その密偵を西郷暗殺を企んどると西郷の私学校の生徒らが騒ぎ出したんじゃ

私学校は不平士族の吹き溜まりよ
決起の口実を探しちょったんじゃろ」


それを聞いた覚馬は
木戸さんに会うために御所に向かうと言い出した


その覚馬を槇村は必死に止めた


「御所は・・・あんたが入れるとこじゃない!」



それは未だ
会津が逆賊であるという事を意味していた




西郷が鹿児島で1万5千の兵を率いて熊本県に乱入したとの報せは
新政府のトップである木戸と大久保は協議を行った


木戸は自ら鹿児島に乗り込んで
西郷の真意を確かめる覚悟であったが

大久保はそれを制止した

その前に西郷の取り巻きによって殺される


なんにしろ兵は動き出した

早々に討ち取らなければならない


そのために・・・大久保は苦渋の決断をした


西郷軍追討令である


これによって西郷とその率いる兵は賊徒となった





この合戦を一番に喜んだのは山川浩や佐川官兵衛ら
政府側の公務員となった会津の者達であった

この戦争で新政府の隊について
賊徒と戦い勝つ事で



会津は逆賊の汚名を晴らすことができる唯一の機会




薩摩人 見よや 東の丈夫が提げ佩く太刀の 鋭きか 鈍きか


佐川官兵衛はこう歌を詠んだ




京にいる覚馬と八重は新聞を通じて
九州で起きた戦の現状を把握しようとしていた


国境より繰り出したる鹿児島の暴徒は1万5,000
熊本士族で賊に呼応する者数百人あり
西郷軍は九州に新政府を立てるとの風聞


「やはり呼応する者が現れたか・・・
このまま戦が続けば奥羽越列藩同盟の二の舞になんぞ」


「日本人同士がまた銃を撃ぢ合うなんて・・・」


「使い捨てにされた士族たちの怒りが行き場を求めて暴れだした」


「西郷様はその怒りを集めて力ずくで国を変えるおつもりだべか」


「いや
そんなはずはねえ」


「なじょして戦になんのです?
あの時も西郷様には答えて頂けなかった」


「あの人も探していたはずだ
その答えを」


そこに襄が慌てて帰ってきた


「八重さん
よい報せがあります
女学校設立の許可がおりました」


その知らせに八重も笑った


そして思う


何故
会津を滅ぼしてまで新しい国をつくったのに
また戦が始まった

戦をしなければならぬ訳があるのか


そして八重はその思いを襄にぶつけた


「その答えを探すには学問がいると思うのです
だからおなごも学ばねばなんねぇ」


その言葉を待っていたかのように襄は微笑んだ


「私も同じ思いです」

襄は女学校の授業は
同志社英学校とほぼ同じ時間割にしていた


「私はね
八重さんのように治世と品格を磨いた女性には
男性以上にこの世の中を変える力があると信じてるんですよ」



会津の名誉をこの戦で取り戻す



その頃
西郷率いる一隊は籠城をした熊本城を包囲したまま
新政府軍の南下を阻止するため

一軍を豊前街道に進めた


そして3月4日
西南戦争最大の激戦となる田原坂での戦争が始まった



合戦から数日過ぎたが
なかなか田原坂を突破できない政府軍


そんな中
指揮をとらせてほしいと
総指揮を行っていた山県有朋に願い出た者がいた


大山巌である


山県は大山と西郷は兄弟も同様の仲である事を知っており
戦で敵味方となるのは情において忍びないと考えていた


「既に薩摩の者同士
親子兄弟敵味方に分かれ戦っちょいもす
おいだけが逃れる訳にはいきもはん」


その言葉に山県は大山の申し出を受け入れた



新政府軍を指揮する事となった大山は
配下の者達に命を捨てて敵軍の土塁に切り込む者がいるかを尋ねた


そうでもしなければ
あの西郷らを倒す事ができないと考えたからだ



そこに我先に手を挙げた者がいた

それに呼応するように次々と配下の者達が志願していった


大山はこの志願者達を
抜刀隊と命名した



その後
大山はその一番最初に志願した者に話しかけた

そなたのおかげで兵の士気が上がったと


「薩摩軍砲兵隊長・大山弥助
・・・いや
大山巌閣下

元会津藩士・佐川官兵衛
先陣を切ってお目にかける」


そう言ってその男はその場を後にした



「まさか会津と手をば組んで
兄さぁと戦するこつになっとは・・・」



なんと皮肉なめぐり合わせであろうか

大山は眉をひそめた



3月20日
抜刀隊の奮戦もあり
政府軍は遂に西郷ら一隊を圧倒
田原坂を制した


しかしこの合戦で佐川官兵衛は敵の銃弾を受けて命を落とした


その死に際
官兵衛は傍らにいた藤田五郎に呟いた


「おかしなもんだ
10年前賊軍として追われた俺達が
今は官軍だ
官だの
賊だの
時の勢い
武士はただ・・・死に物狂いに戦うばかり
・・・望みはかなった
戦場で斬死できる
・・・ありがてぇ」



政府軍の一隊を率いていた山川浩は
田原坂にあった西郷ら一隊が構えていたとされる
屋敷にはいった


だがもぬけの殻であった


山川が部隊を率いて屋敷の捜索をする最中

山川は一人の男に出会った



西郷だ


会津の山川だと聞いて西郷は即座に彼の者がわかった


「包囲網を破り鶴ヶ城に入った男か」


「抜け!」

西郷は笑った

「おいは
匕首一本持っちゃおらん」


「西郷
聞く事がある
戊辰の折会津は幾度も恭順を示した
それでもにしらは会津を朝敵に落とした
女・子どもも籠もる城に大軍をもって襲いかかった!
何でそこまで会津を追い詰めた!?」


「旧勢力が会津に結集してはいつまでたっても
戦は終わらん」


「会津は人柱か!」


「今のこの国は会津人が・・・
会津人が流した血の上に出来上がっている!」


「そいを忘れたこつはなか
じゃっどんもう収めんなならん
内乱は二度とは起こさん
おいが皆抱いてゆく」


山川は言葉を失った


その場を去ろうとする西郷に山川は
何かしら言葉を発しようとしたが


「斬り合いは戦場でしもんそ」


そう西郷は笑ってその場を立ち去った



西郷は死ぬつもりだ
そのつもりでこの戦をしている



その西郷の覚悟を知ってしまった今
何も言い返せなかった山川は自分自身が腹立たしかった




その後新聞では

山川浩率いる隊は賊の囲みを突き破り遂に入城を果たした
会津の人にて勇武古今にまれなる者というべし

会津の抜刀隊も大層強かったと書き記されていた


八重と佐久はこの戦によって
会津の汚名も直に晴れると喜んだ



覚馬と襄は木戸宅を訪れていた


この戦の停戦の勧告を出してほしい
戦が続けば両軍に多くの戦死者が出る
内乱は田畑を荒らし人々を困窮させる


だが木戸は覚馬と襄らの申し出を断った

「行き着くとこまで行かなければならん
これは維新の総仕上げだ
膿は出し尽くす


それにしても不思議な縁じゃ

かつて薩摩藩邸があった場所に
君等の学校をつくった

西郷がまいた種は
君等の学校で芽吹くのかもしれんな」


突然木戸は倒れた

長年患っていた病が悪化したのである


「西郷・・・大概にしちょけ・・・」


木戸孝允は西南戦争の終結を待たずにこの世を去った


享年45



その後
転戦を続けた西郷軍は9月に故郷・鹿児島に戻り
山中に篭った


9月24日
新政府軍の総攻撃を受けて西郷は被弾

配下の者に命じて
配下の者の手によって亡くなった


享年51



西南戦争は両軍合わせて1万3千人の戦死者を出して幕を閉じた

この翌年
大久保利通は暗殺の凶刃に倒れた

享年49


維新を牽引した男達は相次いでこの世を去っていった



そして今を生きる者が新たな時代を作ろうとしている


襄や八重らが開設するこの女学校でも



だが開設早々
生徒が三人いなくなっていた


その生徒は襄が教鞭をとる英学校に行き
女学校は簡単すぎて面白くない
自分達はこの英学校で授業を受けたいと言い出していた


男子学生顔負けの意気盛んな娘たち

その中の一人はあの猪一郎の姉で
その中の一人は八重の姪・みねであった―――――






今回はこの新政府設立を牽引してきた
維新三傑の最期を描くと共に

彼らがまいた種が新たな世代に受け継がれ芽吹いていく


というのが主体になっていた感じでしょうか


そしてこの西南戦争が
会津の逆賊の汚名をそそぐ唯一の機会であり

西郷に会津戦争で受けた会津の恨みをぶつける


だが山川は西郷に会って
その大きさとその覚悟に負けてしまっていました


藩による俸禄制度は
明治政府には不要な制度であった


その制度を廃止すれば武士
特に下級藩士であった者達の不満を買うのは必定


だが幕府に不満を持つ下級藩士達の力によって
今の明治政府が出来たという側面もある


そういう矛盾

負の面を西郷は全て一人で背負って死んでいった


それがこの時代を作った自分の責任であると


そんな西郷の心構えを知ってしまった山川は

会津を滅ぼした西郷への恨み

そして

西郷という人物の大きさへの畏敬の念


その板挟みによる歯がゆさが感じられていました



それから
征韓論では西郷は韓国に乗り込み
死ぬつもりであった


その覚悟を知った大久保は西郷を死なせたくなくて
彼を裏切る形でも彼を止めようとした


だが西郷の挙兵を知り
西郷追討令という苦渋の決断を行った


最後まで大久保は西郷を死なせたくなかったのでしょうね


だが政治家として
この国を担う者として


大久保さんに関してはこう決断するしかなかった


こうして維新三傑の最期が描かれ

そして次回からは

彼らの願いを託された次の世代が築きあげる時代が描かれる

といったとこでしょうかね



ちなみに官兵衛に斬られた薩摩の士族を演じてた方
今作品で殺陣・武術を指導されている林邦史朗先生

大河の定番になってますな ̄∇ ̄



今週のイラスト





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