八重の桜 第34話 「帰ってきた男」

月日は流れ
明治7年11月

新島襄は10年ぶりに日本に帰国した


襄が会いに行ったには木戸孝允の下である


国禁を破った襄が
再び祖国の地を踏む事ができたのは
木戸の力添えがあったからである


「やはり政府で働くつもりはないか?」

「申し訳ありません
私が日本に戻ってきたのは
日本に学校をつくるためですから」


「国が形を変えようと
人間が昔のままじゃ新しい世は出来はせん
欧米に追いつくには教育だ」

「木戸さん
もう一度お力をお借りしたいのです

聖書を教える学校はいかんと
大阪には断られてしまいました

何か手立てはないものでしょうか?」


「その学校
京都に作ってはどうじゃ?」

「仏教の聖地に?
それは大阪よりもっと難しいのでは?」


「あの地には君の力になりそうな者がおる」







京都で八重は覚馬から新約聖書を学ぶように言われた



耶蘇教と呼ばれたキリスト教が
日本で許されるようになったのは2年前のことであった


そうして早速
女紅場にいるゴードン先生から
英語を学びがてらキリスト教を学んだのだが
八重は当惑していた



「「耶蘇の教えはどうにも分がんねえ
私には正しい事を言ってるとは思えねえだし

「馬太傳」には
「悪い者に手向がったらなんねえ」と書いである

喧嘩するなという事か?
それどころでねえ
「右の頬を殴られだら左の頬も出せ」というんだし
こんな教え会津なら子どもにも通用しねえ

やられっ放しでいんのは卑怯者か
臆病者だけだ

武士のすっ事ではねえ。んだなし
もっとおかしな事も書いてあんだ
「敵を憎むな」と
「敵のために祈れ」というげんじょ
殴ってきた相手を憎まねえ人間がこの世にいんべか?

兄様
なじょして私にこれを学べと言うんだべ?」


その頃
兄・覚馬の下には客が訪れていた


新島襄である


彼は覚馬にキリスト教の教えを説く学校をこの地に設立したいと

それはとても困難な事である

「しかし困難な地だからこそ神は
私を京都に導いたのかもしれません

主の名の下に受ける苦しみは喜びです」


「「我に従う者は十字架を背負え」か」

覚馬は懐より取り出した書籍は
中国で書かれた伝道の書「天道溯原」であった


そんな襄の熱意に
覚馬も学校設立に助力する事とした


まず彼らが向かったのは槇村正直の下であった



槇村は
学校設立に関して費用は賄えるほど
襄がアメリカより寄付を募っていたので
お金の面で政府がもつ必要はなかった

また大阪が既に襄の申し出を断った事もあり
それならばと槇村は大乗り気であった


ふと槇村は襄に尋ねた

「あんたの細君はアメリカのおなごかえ?」


「いやまだ独り身ですが」


「いけんいけん!
そりゃいけん!
耶蘇教の上に独り者じゃ人から信用されん
事業は信用第一
嫁を取って身を固めれ

そうじゃわしが見繕っちゃろ
好み言うてみい
細面がええか?丸顔が好きか?」



「いや顔にはこだわりません
ただ・・・東を向いていろと言われたら
3年でも東を向いているようなそんな婦人は御免なんです
学問があって自分の考えをはっきりと述べる人がいい

宣教師はいつどこで命を落とすか分かりませんから
一人で生きていけなければ困ります
私の仕事を理解し
もし私に過ちがある時は教え導いてくれるような人
私はそういう人と温かいホームを築きたい」


「はあ~そげな恐ろしげな
おなごわしは大の苦手じゃがの

・・・待てよ
わしの苦手なおなごといえば・・・」


槇村の脳裏に浮かんだ顔がいた





八重が英語を教わっているゴードン先生の下に襄は訪れていた


八重がゴードン先生の下を訪ねた時
襄は皆の靴を磨いていた

そんな襄を見て
八重は襄をこの家の使用人だと思った


それで彼が宣教師だと聞いて八重は驚いた


この日本ではそのような事は
そのような身分の方がする事ではないと思っていたので


私も江戸の藩邸にいた頃は自分の襦袢一枚洗いませんでした
武士のする事ではないと思っていたので
しかしアメリカに渡って考えが変わりました

体を動かして働く事は楽しい事です
しかも成果が目に見える


八重は襄のそんな考え方にあっけにとられていた






東京では健次郎が5年ぶりに日本に帰国した
健次郎はエール大学で学位を得ていた


山川家は東京に移住していた

昨年
江藤新平が乱を起こした

新政府は西郷らが下野した事で
西郷を心酔する多くの者達が彼と共に下野していった


更にそうして下野していった者達は
新政府に不満をもち反乱を起こしていた


その取り締まりを新政府はしなければならないのだが
下野していった者達が多く
新政府は人材不足に喘いでいた

その人材補填として
新政府が目をつけたのが会津であった

新政府は会津の士族達を警察隊として雇い入れる事にしたのだ

それは会津にしてみれば願ってもない事であった

ひとつに
俸禄がもらえる職種につけるという事

もうひとつは
反乱を起こしている士族のほとんどが
かつて会津を賊として攻撃してきた者であったからである


山川浩もまた江藤新平の乱の鎮圧に参戦し
負傷をしたものの手柄を立て陸軍中佐に進級していた


佐川官兵衛も警察隊となり生計を立てていた


そして健次郎も日本で何か生計を立てる必要があるのだが

兄曰く
新政府では健次郎が学んできた知識を生かす場所はない

佐川曰く
軍人は
特に会津出身では出世できない


健次郎の答えは
官吏でも軍人でもなく学問を究めていく

というものであった


まもなく健次郎は東京開成学校
後の東京帝国大学に採用され明治の教育界をリードする存在となっていくのである





襄は覚馬の妹に会いにやってきた

そこに八重がいて驚いた

八重は襄に川崎八重だと紹介していたからだ



八重は庭にある井戸の上に座って
襄が生徒達に教えていた賛美歌をくちずさびながら
本を読んでいた


「落ちたらどうするんです?」


「京都の夏は暑くてかないません
こうして井戸の上に座ってんのが一番涼しいのです」


「いや・・・」


「大丈夫
ほら平気です」


「いやいや!
およしなさい!」


「新島様は男のくせに恐がりだなし」


「わあ~危ない!」


「あの・・・」


「お・・・落ちるかと思った」


「大丈夫だと言ったのに」


「すいません
ぶしつけでした
ご婦人は守るべしと教えられてきたので」


「守る?
私を?はあ
私は守られたいなどと思った事はありません
人に守ってもらうようなおなごではねえ
私は会津の戦で鉄砲を撃って戦った
男と同じように敵を倒し大砲を撃ち込んだのです
7年過ぎた

んだげんじょ
私には敵のために祈れという耶蘇の教えは分がんねえ」



覚馬が八重の心の傷を襄に語った

「妹は城で戦い国が踏みにじられるのを目の当たりにした
胸に刻まれた深い傷は癒やされる事はありません
「天道溯原」を知った時
私は耶蘇の言葉の中に恨みや憎しみを越えでいく
新しい道が見つかる気がした

妹にも「聖書」を学ばせた
八重が背負った重荷は誰にも肩代わりできねえ
乗り越えでいく道は八重が自分で探すしかねえ」


「「全ての重荷を負う者我に来れ」か」


「学校設立の書類はそろったのですか?」


「今手続きをしています
その間一度実家に顔を出してきます
両親には長い間心配ばかりかけてしまった」


「お国はどちらでしたか?」


「安中です
もっとも江戸の藩邸で育ったので国元の事は知らないのですが」


「・・・新島さん
子どもの時分佐久間象山先生の蘭学所に行った事は?」


「ありますあります
いや不思議な所でした
西洋のものがこう
たくさん並んでいて大勢の大人が目を輝かせていた」



「安中藩士
新島・・・
あなたの額には傷があるのでは?」


「はい
子どもの時に木から落ちて・・・
どうして分かったのです?」


かつて覚馬が初めて佐久間象山の塾に来た時
出会った少年がいた

それが今目の前にいる新島襄であった


「そうかあの時の・・・
あなたが京都に来たのは確かに何かの導きかもしんねえ
昔薩摩藩邸があった土地を今私が預かっています
いずれ そこにあなたの学校を建てやしょう
これは間違いなく世のためになる使い方だ」



それからしばらくして
襄は覚馬らの屋敷に住み込みする事となった



八重はこれから襄が住む部屋の掃除をしていた

「あ~掃除は自分でやります」


「部屋を片づけておけと兄から言いつかりましたから」


「学校の話が まとまるまで
しばらくご厄介になる事にしたのですが本当に
お世話になってよいのでしょうか?」


「なぜですか?」


「キリスト教を嫌う人たちが押しかけてくるかもしれません
ご迷惑がかからなければよいのですが
それぐらいの事うちでは誰も驚きません
兄も私も人が反対する事ばっかりやってきましたから」


「いやしかし・・・」


「耶蘇が
キリスト教を始めた時も周りの人たちは
そんな考えは間違っているとこぞって反対したのですよね

でも耶蘇は
ひるむ事なく教えを広めたと「聖書」に書いてありました


ええ
だったら同じようにすれば よいのです。
「Yes, Jesus loves me!」
「The Bible tells me so.」」


八重の言葉に
襄は唖然としていた

そしてこの人だと思った


「これでよしと
ほかに何か御用はありますか?」


「あ
一つだけ
八重さん私の妻になって頂けませんか?」


襄の言葉に八重は唖然としていた―――――





月日は流れ
会津の立場も大分変わっていました


当初
覚馬は府庁の方々から会津風情だと蔑まれていましたが

今では覚馬に敬意を示す者が大半になっていました


また会津に対する風向きもちょっとですが変わってきました

西郷が下野した事で
多くの官吏が西郷と帯同するように下野

それによって人出が減った新政府は
人材確保のために会津出身といった

かつて賊軍扱いされた東北の藩出身の方を多く採用したと言われてます


それによって山川や佐川らは東京も移住してきたようです



それから木戸はちと頭痛がするようですが
まもなく病気に倒れるという暗示でしょうな



さてはて
今回帰国した襄はアメリカナイズされて

その嬢の価値観のギャップに
当惑している八重さん

一方で
日本の女性は
旦那さんの言う事に黙って従う方が多い

そこに
八重みたいに自分の価値観をしっかりともって
自分で決断するという

そういう女性に初めて出会えた


これだと思ったら即行動

即プロポーズ


これには見てるこちらも呆気にとられました


ただ八重としては
まだ川崎という姓を名乗っているのも
尚之助が帰ってくるのを待っているから

それに尽きるのでしょうね


ちなみに川崎尚之助が明治8年に亡くなり
その翌年に八重は新島襄と再婚します


この辺もしっかりドラマに盛り込んでくるのでしょうね



ちなみに女性の髪型が変わってきたのもポイントですね



今週のイラスト


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