八重の桜 第28話 「自慢の娘」

山川大蔵の入城に城内は沸き立っていた

早速軍議が開かれ
山川大蔵はこれより本丸にて軍事総督を務めることになった

大蔵はこの場に西郷頼母がいないのに気付いた

梶原平馬や佐川官兵衛らは
「あの御方がいては足並みが揃わぬ」

「恭順など馬鹿馬鹿しい
弱腰の家老がいて兵達が命がけで戦えるか」


そう吐き捨てるように語った






頼母は息子・吉十郎と共に城を去ろうとしていた


秋月よりその話を知った八重は秋月と共に頼母の下へ向かった


殿の御下命を萱野殿に伝えに行くと言う

吉十郎を伴うのは城に戻らぬためであった


「お逃げになんのがし?
御家老様はお城を捨てんおがし?」


「出すぎた事を申すな!」


頼母の一喝に八重は平伏した

「人にはそれぞれ道があんだ

なじょしても譲れぬ道があんだ

臆病者とそしられようとまっすぐにしか進めぬ
わしの道があんだ

この西郷頼母にもたわまぬ節がある」



そう言ってお城を後にした頼母を見送る八重と秋月



八重は秋月より
頼母が一日も早く降伏すべしと恭順を説いていた事を知った


この期に及んで降伏なんて賛同する者はねぇ
弱腰だと言われても仕方ないと八重は考えた


だが秋月は違った

恭順を唱える事の方が今はむしろ勇気がいるのだと


更に秋月は言葉を続けた

「たわまぬ節」とは
頼母の妻・千恵の辞世であると


知らなかった

八重は驚いた

そして頼母がどんな思いを抱いていたのか

八重は頼母が向かった方角をひたすらに見つめていた





城内ではおなご達が炊いたばかりの玄米で
手の皮がはげそうになりながらも城内の者達のために
おにぎりをこさえていた


そこにおこう様ら一行が城に戻られたとの報せが届いた


その報せに喜んだ八重であったが
竹子は戦死したという事であった

その悲しみに浸る間もなく
小田山の方から新政府軍の砲撃が始まった


おそらく上野の戦争で使われたアームストロング砲であろう


反撃しようにも
城内にある四斤砲では小田山まで届くかどうかと
尚之助は考えていた

そこで八重は砲撃に用いる火薬の量をギリギリまで増やして
距離をあげてみてはと提案して

何もしないではやられるだけだとして
尚之助と八重は早速作業にとりかかった


そして尚之助らが放った砲弾は小田山を直撃した

尚之助はすぐさま
破損箇所がないか部下に調べさせた



そこに権八がやってきた



「一発打ち込んだら
今度はここが的にされる

後は我らに任せ持ち場にもどれ」


「私も大砲のお手伝いを致しやす」

「いや
八重は北出丸で鉄砲隊を指揮したそうだな
山本家の名に恥じぬ働きであったと聞く
よぐやった
小田山からの砲撃で城内はうろたえている
皆が恐れおびえる事のねぇように
にしが鎮めて回れ
それも砲術の家の者の役目だ」



その言葉に従い
八重は城内へ走った


その八重の後ろ姿を見て権八は呟いた

「ここは危なすぎんだ・・・」



新政府軍の砲弾が城内に次々と降り注いだ


そこに一発の砲弾が女達の前に落ちた


そこに八重は近くにあった布団を濡らして
その砲弾にかぶせた


砲弾は爆発しなかった


「もう大丈夫
この弾は爆発しねぇから」


「よがった
八重さすけねぇか?」


「さすけねぇ」


「今何をしたんだし?」


「火消しだ」


新政府軍が用いる砲弾は
信管から火薬に火が移った瞬間に爆発する仕掛けである

この弾の形式は信管が露わになっているので
その信管を濡らす事で火薬に火がつく前に消し止める事ができる


というものであった


砲弾は上から来るものであれば
しっかり目を開けていれば落ちる先の見当がつく

もし近くに落ちたら
先程八重がしたように布団を濡らして
しっかりと押さえこんで消し止める


ただし常にこの形式の砲弾がくるとは限らない

それに弾はいつ爆発するかもわからない

これは命がけの仕事である






やりやす
私もやります

濡れ布団をかぶせるくらい
私にもできやす


そのやり方を知ったおなご達は
その命がけの仕事を行う決心を固めていた


その八重の下に
容保公からお呼びがかかった


先程の八重の行動に感服し
話が聞きたいという事であった


八重は容保公に
砲弾の仕組みを説明して
先程自分がやった行動を解説した



「覚馬の妹か
よく似ている」

八重はそこで
追鳥狩で一度容保公に拝見した事を語った

あの時から自分は若殿様のために
会津のために働きたいと願っていた


「女も子供も皆我が家臣
ともに力を尽くせよ」


「恐れながら申し上げます
皆で出来る事がごせえやす」


それは城内に打ち込まれた新政府軍の砲弾や銃弾を
拾い集める事であった

銃弾や砲弾の原料は主に鉛

これらを溶かして
新たにゲベール銃の銃弾として再利用する事であった

八重の提案に
おなご達は皆従った

これで皆が戦う事ができる、と


八重の周りにいる者達は希望を感じていた



そのような光景を見ていた
父・権八と母・佐久


そして父は思う

「おなごが鉄砲の腕を磨いても
何一ついいことはねぇ
いつか身を滅ぼすもとになんべ

そう思っていた

だげんじょ
八重が鉄砲を学んだ事は間違いでもなかったかもしんねぇ
闇の中でも小さな穴がひとつ開けば光が差し込んでくる」


「その穴をあけんのが八重の鉄砲かもしんねぇな」




だが新政府軍は小田山を中心に続々と部隊を集結させ
更に砲撃を強めていた


会津では小田山奪還に向けて
会津は明朝強襲を行う事を計画

小田山を奪還することで
城内への弾薬・食料の補給路を確保する必要があった

それが確保できれば米沢より援軍も来る事ができると




その総大将として佐川官兵衛が抜擢された


官兵衛は容保公より
酒と太刀を賜った


佐川は感激していた


「一度死んだ命でございます故
江戸で人を斬り殺し切腹申し付けられるところを
殿のお情けにて一命を救われました
それなのに情けねぇ
力及ばず殿を
会津をお守りできませず申し訳ごぜえません」


「佐川官兵衛
そなたの力頼みに思う」


「必ず囲みを破り米沢への道を開きまする」


容保公は自ら官兵衛に酌を行った


「ありがてぇ・・・ありがたき幸せ・・・」


「うむ」



だが官兵衛は喜びのあまり酩酊

刻限である時刻に遅れてしまい
小田山奪還を果たす事は出来なかった

それどころか
会津は新政府軍の銃撃により多くの将兵を失った



後に長命寺の戦いと言われたこの合戦以降
佐川官兵衛ら一隊は入城することなく
城外にて合戦を続けることになる






その頃
京で大垣屋が覚馬が書き記した「管見」を
ある男に手渡した

それを見た男は大いに驚き
その男と話がしたいとして

覚馬の下に足を運んだ


この男
ほんまに会津の一藩士か?
三権分立・殖産興業・学校制度
新しい国の形がここに全部書いてある
会津にも人物がいてはるのやな


覚馬はその人物が新政府軍の方とわかると
彼の者の足らしきものにしがみついた


「会津から兵を引いて下され
会津を助けて下され」



「仙台も米沢も降伏や

残るのは会津一藩だけ

奥羽全土を従えた時に
初めて堂々たる新国家が生まれるのや
死んだらいかん
いずれまた会いまひょ」



そうして男はその場を後にした




長命寺の戦いから二十日の時が流れた


会津城内では
もう弾薬も食料も尽きかけていた


八重はまだ城内は活気づいている事を示すために
皆で凧をあげていた


このような状況下でも
前向きでいる八重の姿に城内の者達に笑顔が宿っていた



だが
新政府軍の砲弾がやまない日はなかった


そんな中
大蔵の妻・登勢は八重に教わった砲弾の火消しを試みた

火消しに成功した

そう思った瞬間
砲弾は爆発し登勢は爆発に巻き込まれた


その砲弾は屋根を大きく突き破り
その穴から鶴ヶ城の天守が見えていた―――――




今回の一番のポイントは
娘の存在が城内に希望をもたらしている

それを親として喜ばしく思う


権八が初めて八重の砲術をほめてくれた

ここなんでしょうな


八重も初めての事だからちょっと驚いていたようでした





それから
仙台藩も米沢藩も降伏し
後は会津一藩を残すのみ


という岩倉さんの話がありましたが

実際はもう一藩
降伏せずに戦い続けてる藩がおりました


庄内藩です


庄内藩には本間家という日本でも屈指の豪商がいて
その豪商が庄内藩に西洋の最新式の武器を調達したそうで

その武器を使って
庄内藩は新政府軍と互角の戦いを繰り広げ
庄内藩内へ新政府軍の侵入をさせなかったと言われてます


その庄内藩は会津が降伏したことで降伏したそうです



両藩でのこの大きな差はやはりお金でしょうね


イギリスの医師であるウィリアム・ウィリスの見聞録があるそうで

そこでの会津の風評について


残念ながら
会津藩政の苛酷さとその腐敗ぶりはどこでも一様に聞かれた

今後十年二十年に返済するという契約で
会津の藩当局が人民に強制した借款についての話がたくさんあった
会津の国の貧しさは極端なものである

家並は私が日本のどこで見たものよりもみすぼらしく
農民も身なりが悪く小柄で虚弱な種族であった

この国で生産される米はみな年貢として収められねばならなかった

戦争で破壊されるまえの若松とその近郊には三万の戸数があり
そのうち二万戸には武士が住んでいてあらゆるものが
この特権階級の生活を維持するために充当されたり税金をかけられたりしたということだ

私が会津の国で見聞し受けた印象では会津藩の武士階級は
正当な禄扶持の程度を逸脱し権力をふりかざして領民を抑えつける
背徳的な振る舞いが多かったようである


武士階級はこのような領民隷属状態にあぐらをかいていた
会津藩の藩政は冷酷な武士階級による過酷な搾取が行われた
抑圧的政治であった



私は会津の国で高地民族のたくましい体格をした
農民に会えるものと思っていたのだが
現地で実際に目にしたのは領主・会津侯(松平容保)を
冷酷で搾取的な抑圧政治と同一視している半ば飢餓状態の
ひ弱な農民ばかりであった

会津の武士階級について考えてみても
彼らはほめられたものとはいえない

彼らは自分の国や土地をはなれた事柄には
まったく無関心であるようにみえた

私が知りあった他の地方の同じ階級の人たちに比べて
偏狭な範囲でしかものを言わなかった


引用URL:http://www7b.biglobe.ne.jp/~eigonou/0401Willis.html



こういう資料を見ると
会津も会津で第三者から見れば

非道な事をしていた、という風に見られても仕方ないですな


会津戦争の際には
長期戦に備えて農村を焼き払ったと言われてます

それがために農民は会津藩を恨み
新政府軍に手を貸したと言われています


こういう部分を見るに
会津藩が一方的な被害者である、というのは
うがった見方ではないか

もしくはあまりにもそういう農民とか
下々の人々の暮らしに無関心であったのではないか


そういうところも感じずにはおれないところですかね



後は佐川官兵衛が飲み過ぎて参戦に遅刻したとか

登勢が砲弾の爆破を防ぐために
濡れた布団をかぶせてその爆発を受けて亡くなったとか

史実通りなんだそうですが

その登勢が何故そのような事をしたのか


それは砲術に詳しい誰かが教えたから


となると考えられる候補としては
川崎尚之助か八重だった、というところですかね



冬まで合戦を持ち込めば
勝機がある、と徹底抗戦派は考えていたようですが


合戦はただ敵兵を倒す事


にしか考えが至らず

合戦をするための食料・弾薬の確保
ならびに補給路・輸送路の確保が疎かになっていた


と言わざるを得ないところがありますかな




今週のイラスト


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