八重の桜 第24話 「二本松少年隊の悲劇」

京のとある牢で

覚馬は自分が述べる言葉を
共に捕らわれて牢に幽閉されている
生徒・野沢鶏一に書き記させた

覚馬はもう視力を失っていたからだ

「また新政府の悪口をば書いちょっとか!」


その書を見とがめた牢番が破り捨てた


「まただ!書く度に破られる!」

「構わねぇ
もう一遍書き直しすんべ
言葉はみんなここにある!
ここにあるもんは誰にも奪えねぇ
また初めからだ」


そうして覚馬が述べる言葉を
野沢は書き記した

覚馬が諦めていないからこそ
野沢も諦めないで根気よく書き記した

これが会津の士風でもあった


そうして書き上がったのが『管見』であった

「ちっぽけな一人の男の狭い見識だ
んだげんじょ
十年後
百年後のために考えに考え抜いた新しい国の見取り図だ」

覚馬はその出来上がったものを時枝に手渡した






会津・山本家では
伊東悌次郎と時尾の弟・高木盛之輔が訪れていた

そこでは八重は弾薬の作り方
火薬の調合などを指導していた

伊東悌次郎は本来ならば年齢制限で白虎隊に入隊出来ないのだが
鉄砲の腕を認められて特別に入隊を認められたらしい

盛之輔は大殿の護衛兵に加わる事になったらしい

山本家の角場で火薬の調合をしていた
山川健次郎は親友の活躍を羨ましがっていた

親友二人は健次郎に対して
兄・大蔵のように武芸の腕を磨くように言った

健次郎はひ弱だったため
「青瓢箪」とアダ名されていた


そこで八重は三人に体力づくりの秘訣を授けると言って
米俵を担いでみせた

それを見て男三人が八重に負けじと
米俵を担ごうとしたが持ち上げる事もままならなかった


その光景を見た八重の母・佐久

「子供の頃から俵担ぎは男の子に引けを取らねぇがら
三郎は負けてばっかりで・・・」

ふと三郎の事を口にして

その瞬間に涙を流し慌てて涙を拭い
いつもの家事仕事に戻った




そんな中でも刻一刻と合戦が行われている


白河は新政府軍の手に落ちてから数ヶ月

奥羽諸侯で白河を攻めてはいるものの
未だ奪還したという報せはきていない


銃や大砲の性能の差が大きい
銃の刷新も反射炉も間に合わないまま
合戦は始まってしまった



八重は白虎隊の面々も戦場に出るのかが不安だったが
尚之助は白虎隊は予備の部隊であるので戦場に出る事はないと聞いて
安堵していた


しかし一方で思う

「その白河が取り戻せないのであれば時はもうないのでは・・・」



その白虎隊の面々は猪苗代に常駐し
会津にやってきた新選組が活躍していた時代の話を
土方歳三らから聞いて目を輝かせていた

「んだら御所から長州を追い出した時も皆様が護衛につかれていたのですね?」


「その時の働きで『新選組』の名を賜った」


「『新選組』というのは会津に古くからある隊名の一つと聞いておりやす」


「そうか」


「都の話いっぱい聞かせてくなんしょ」


「今夜はもう遅い
また日を改めて」


そうして白虎隊の面々がさり
土方と斎藤の二人が残った



「子どもといえど会津武士は違うもんだな
俺があの年の頃は石投げのけんかばかりしていた」

「私も似たようなものです」

「会津の古い隊名だったのか新選組は」

「俺はな・・・
会津の飼い犬になるなんざ真っ平だと思ってた
出し抜いてやる気もあった
だが会津の殿様は存外俺たちを信用していたのかもしれねえな」






その頃
白河小峰城に
日光口を任されていたものの
攻略出来ずに白河へ進路を変更してきた板垣退助ら一隊が合流していた

白河口攻略を担当していた大山弥助が言うには
奥羽の兵は粗末な大砲や鉄砲ばかりで負ける気はしないと

板垣は言う
「わしらが参謀になったがは白河を奪うためやないき
本丸の会津を落とすためじゃき
どうじゃろう?
先にこの辺りを崩す

奥州街道を断ったら兵は戻れんき
補給路も断てる

越後口も程なく政府軍が手中に納めれば会津への武器の流れも断てもす
棚倉・守山・三春・二本松まで進んだら会津は目の前じゃき」

板倉は会津以南にある街道がある諸藩を潰すことで
会津の補給路を断つと共に会津侵攻に向けて後方への憂いを
なくす作戦である


「板垣さぁほどの御方がおって
日光口が破れんかったとはないごてでごわすか?」


板垣は苦笑した
「会津から山川大蔵いう者が来ちょった」


日光口では山川大蔵が敵の進軍を完璧なまでに封じていたと言う

しかしながら
白河に新政府の援軍がやってきた

これは大きかった


それから幾度と無く奥羽諸藩による白河攻めが行われなかったが
白河の奪還は果たせないどころか逆に棚倉までも敵に奪われた


白河攻めの任を任されていた西郷頼母は驚いた

「奥州街道を抑えられたら会津が日干しになっつまう
会津は日干しになっつまう!」


西郷頼母は急ぎ
鶴ケ城に向かい容保公の前で停戦の提案を申し出た



「殿
何とぞ停戦のお申し出なされて下さりませ」


「何を言う!?
謝罪恭順の道はとうに断たれているではねえか!」


「そんじも戦は止めねばなりません!」


「奥羽諸藩のご加勢を得ても帰順は
かなわなかったのです!
何と引き換えに和睦に持ち込むのですか!?」


「それがし西郷頼母は無論の事ここにいる家老一同
腹切って首を差し出す!
棚倉が落ちました
奥州街道を塞がれては
会津への武器・援軍・糧食の流れが断たれます」


「それを防ぐのが白河軍総督のお役目!
何でのこのこ戻ってきたのです!」


「敗戦の失策は幾重にもお詫び申し上げる
んだげんじょ鉄砲・大砲の力の差は明らか」

「奥羽諸藩が一丸となっているのでござるぞ!
恭順などと言いだすのは列藩同盟への信義にもとりまする!」


「いぐら心を一つにしても武器
また戦い方も違う諸藩の兵が戦場にて
一丸となんのはこれは・・・これは難しゅうござる!」

「頼母殿!泣き言にしか聞こえませぬぞ!
会津の誇りに懸けても戦うほかに道はねえ!」

「なれば!
なればその鉄砲・大砲の補強を何としても
すぐに・・・!」

「銃には限りがあり
日光や越後にも分配せねばならぬのです!」


「なれば梶原!
反射炉を!
反射炉今すぐ造りに行こう!
寺の鐘鋳潰して大砲を造ればいい!」

「できるならやってる!
今はその金も時もねえ!」


「土佐!
だからあん時一刻も早く都を出てれば!」


「にしゃに何が分がる
我ら都で戦った
血も流した
筆舌に尽くし難い屈辱も共に味わった
何も知らないにしゃが出過ぎた口をきくな」


京での辛酸を経験した
神保内蔵助の言葉に
西郷頼母は反論する事ができなかった




そうして
西郷頼母は容保公によって白河総督の任を解かれた




京では内国事務総督に就任していた松平春嶽が
岩倉具視・木戸孝允両名の前に現れた


「国事に関わるご相談は一向に耳に入りませぬ
そればかりか会津討伐取りやめの建白書を
幾度願い出てもお取り上げがないのは何故にござりましょう」


「会津は朝敵や
討伐は主上のご意向にあらしゃいます」

「会津殿が朝敵とは誰やらの
でっちあげではござりませぬか?」

「錦旗に向こうて発砲したのやぞ」

「太政官の中にはかつて
御所に向かって発砲したお方もおられる」

春嶽は木戸の方を見据えた

「会津からは謝罪恭順の願い書が幾度も届いたはず
それを握り潰した結果奥羽一円は戦乱の地となっております
罪なき者を罰し内乱を起こす事が王政復古にござりまするか?」

「大政を一新すべき時に甘い処断はしちょられん
会津の帰順を受け入れるなんぞもっての外」

「何を恐れておいでなのか?は?
会津討伐はかつての長州征伐の裏返し
官軍と賊軍とはいつ入れ代わるか分からぬと」

「じゃから二度とそげな事が起きんよう災いの種は断たんにゃならん!
そのために僕の仲間たちは血を流してきたんじゃ!」

「だからといって政権を利してよいという事にはならぬ!」


「何!?」


「越前殿
全てはご叡慮や」



岩倉は全ては帝の判断だと責任転嫁して
春嶽が反論できないように仕向けた


「ゆがんでおる
あなた方のつくる新しい国は踏み出した
その一歩から既にゆがんでおる

誰のための国づくりぞ
とくとお考えあれ」

そう言って春嶽はその場を後にした






会津・日新館では火薬の調合の調査を
八重と権八・尚之助が主導して行なっていた

藩によって銃に用いる火薬の調合が違う

しかも藩によっては関が原の頃の調合をしてるとこもあるらしい


家老・萱野が権八らに意見を聞いている最中
お城よりの使者が萱野の下にやってきた



秋田藩が新政府軍に寝返ったと言う


背景はこうだ

その地理的状況から
秋田藩はどちらにもつかず日和見的な立場だった

秋田藩は新政府軍より
庄内藩征討の命が密かに降っていたのだが
秋田藩は沈黙を決め込んだ

しかし庄内藩との戦闘に敗れた
新政府軍が秋田藩領内に撤退してきた

それを咎めた仙台藩の使者を
秋田藩藩士が殺害したことにより
秋田藩は新政府に与する事を明確にしたのであった



そうした事で会津は背後にも敵を抱えることになった


これにより秋田にも兵を回さずを得ず
白河・奥州口も益々手薄となってしまう

そうなれば二本松まで北上を敵に許してしまう



不安は的中した



新政府軍は越後長岡・二本松に侵攻

そうして7月29日頃
両藩は敗れ新政府軍に制圧された


それから間もなく会津を頼って
越後長岡藩・二本松藩より負傷兵が訪れていた


その中には会津少年隊もいた

少年たちは八重を見つけると喜んだ


「みんな無事か?」


「若先生も二階堂先生も・・・篤治郎が・・・」


少年たちの傍らに篤治郎と呼ばれる少年がいた


瀕死の状態だった


篤治郎は八重に赤いものを差し出した

それは八重が二本松に訪れた折
才次郎にあげたあのだるまだった

この達磨に大きな目を描いて
これを見て願掛けすれば
銃を撃つ時も達磨さんみたく目を開けていられるようにと


「しっかりしっせぇ
しっかりしっせぇ」


だが篤治郎はもう目を開ける事はなかった



「こんな子供を
こんな子供まで・・・」



その夜
角場で八重は銃を撃った


そして膝が尽き崩れるのを銃を杖のようにして
身体を支えた

八重の目には
新政府に対する憎悪に満ち満ちていた―――――






二本松藩は
敵に降伏して生き延びる道よりも
敵と最後まで戦い抜く道を選んだ

だが兵力の不足のため
仕方なく13歳の少年隊をも戦場に駆り出す事となった


一方で新政府軍もいわば諸藩の連合

少年兵よりも先に
自分たちに敵意を向ける者に対して
撃たずにはいられなかった


少年兵達もまた
自分達の大事な人を奪った相手を
傷つけずにはいられなかった


お互いの戦に対する経験不足が
こうした悲劇を生み

その悲劇を起こした相手に対して
憎しみが連鎖していく

それは会津に仲間を討たれた長州しかり
新政府軍に仲間を討たれた会津しかり


一方で八重が銃を教えた教え子たちが
銃の腕を見込まれて
白虎隊などの部隊に配属されて喜ぶ姿を見て
これで本当に良かったのか思い悩む八重


そして二本松少年兵の死傷した光景に
彼らに銃を教えた自分がやらねばならぬという思いと共に
自分が撃たねば仲間は守れない

という思いを強くしてるような感じがします


それから西郷は思わず
自分の本音を出しましたが

西郷の言葉は痛い程わかっていて
自分達だって愚痴りたいと思ったりもしている

けれどもそれは女々しくもあり
弱音でもあり

何より容保公がこれまでやってきた事を否定するもの


なにより国許にいた者にはわからないと
更に徹底抗戦を強める結果となってしまった

ということでしょうかね


まぁ予想以上の早さに
今できることを

という思いが上層部には強かったのでしょう


今更誰の失策がどうのこうのと
言ってる場合じゃないとでも
西郷に言いたいのかもしれませんが

何がよかったのか

今の段階では誰にも言えないという事なのでしょうな




今週のイラスト




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