八重の桜 第22話 「弟のかたき」

松平容保は江戸から僅かな供回りを連れて会津に向かった

その中には江戸にて洋式調練を学びに来ていた尚之助もいた



京にいた会津藩の面々が帰国するとして
国許の者達は迎えに出ていた


八重はうらと共に
夫と兄と弟の姿を楽しみにしていた


二葉も無事帰郷した




八重は二葉に兄と弟の安否を尋ねた

二葉は何も言えなかった


「八重さん」


江戸から戻ってきた尚之助が八重に言葉をかけた

八重は尚之助を見て喜んだ


八重は尚之助に兄と弟の安否を尋ねた


尚之助は押し黙ったままだった



山本家は重い空気に包まれていた

尚之助は山川大蔵から託された物を携えていた



それは三郎が着ていた軍服である


三郎は鳥羽伏見の戦いで
果敢に敵陣に向かい銃弾を浴びて
命を落とされたと


三郎の最期は
山川大蔵が看取った


八重は三郎は江戸で修行の身だし
仮に志願して参戦したとしてもこの軍服が
三郎のものではないと反論した


だが、その服の腕に縫い付けてある刺繍を見て言葉を失った

それは間違いなく
八重が弟の無事を祈って縫い上げた南天の刺繍であった


覚馬はもれ聞くところによると
御所の戦で負傷され目を患い参戦できなかった

そして京で薩摩兵に囚われ四条河原で処刑されたと言う



「嘘だし!
あんつぁまが死ぬはずがねぇ!
尚之助様はなしてそった嘘を言うんだべ!」


「八重!
・・・討ち死には武士の本懐
未熟者なれどもお役に立ったのなら
三郎は本望だべ

覚馬は無念であったべ
目を痛めたのが戦なればやむをえね


両名とも
山本家の男として恥ずる事はねぇと存ずる」


そこに外で遊んでいたみねが帰ってきた

「おとっつぁまとは会えたか?」


みねの問いかけに誰も答える事は出来なかった



話が終わった後
うらは死んだ夫を思い
廊下の奥の麩の前で泣き崩れた

そんなうらの背中を佐久がさすった





権八は竈の火を見てくると言った


そうして竈の前で
涙が枯れるまで息子たちのために涙を流した

彼の背中をさする者は誰もいなかった




八重は決して兄の死を信じなかった

「あんつぁまは死んでねぇ!
遺髪も何もねぇんだから」


そしてもうひとつ
八重の心に浮かんだのは三郎を討った敵に対する憎しみであった


八重は尚之助に訴えた

「三郎のかたきを討つにはなじょしたらよがんべ?!
江戸で洋式調練を見できたんだべ!
私に教えてくなんしょ!」





一方、日本を巡る状況は

官軍となった事
ならびに鳥羽伏見の合戦にて幕府に大勝したことで
西国諸藩はことごとく新政府に忠誠を誓っていた

後は東国である

早々に江戸城を落とし
幕府の残党を狩りだすのが新政府の予定である

江戸城侵攻に向けて
北陸道(加賀・越前・越中・越後方面)
東海道(尾張・三河・遠江・駿府方面)
東山道(美濃・信州・甲斐・上野方面)を編成した


東山道の参謀を務めるのは土佐藩家老・乾退助であった

岩倉具視は退助の先祖が
武田家の重臣・板垣駿河守信方であると伝え聞いていた

その上で岩倉は退助に
その先祖の姓である板垣の姓を名乗るように命じた


参謀が武田信玄公ゆかりの者と知ったら
土地の者がひれ伏すであろうと

ご先祖の威光が届いているのは
この信州・甲州の地でも同様であった


岩倉の読みは当たったか
新政府軍は激しい戦をすることなく
江戸を眼前まで見渡せる場所にまで来ていた


そうして江戸城総攻めを明日に迎えたその日

幕府の陸軍総裁となった勝海舟が総督府参謀・西郷吉之助の下を訪ねた




「勝先生陸軍総裁ともあろうお方が兵も連れずにおいでにないもしたか」

「単身乗り込むぐらいの胆がなけりゃ
総督府参謀とは渡り合えぬと思いましてね
危ないのはむしろ城に帰る道です
勝は徳川を薩長に売る気だと私の命を狙う者が大勢いる」

「物騒にごわすな」

「そりゃああんた方が明日にも江戸城を攻め落とそうというのだからね」

「こいは朝廷よりの大号令にごわす」

「その戦この条件で止めてもらいたい
慶喜公は隠居の上水戸で謹慎する
幕府に味方した諸侯に寛典を願う
武器軍艦は一部を残して引き渡す」


「そげな甘かこつは通りもはん
総督府には慶喜公の首をば討つべしちゅう者が大勢おっとごわす」


「西郷さんくどくは言わぬ
もし薩摩が敗れていたらあんたはご主君の首を討って差し出せるか?
万国公法では恭順した敗者に死罪を申しつける道理はありませんぞ!
嘆願お聞き届け頂けるなら一身に代えて江戸城は無事に引き渡す
だが攻められればこちらも応戦するほかはない
その時は・・・
この江戸市中は火の海になる!
考えてみてくれ

あの屋根の一つ一つ下には人間が住んでいるんだぜ
戦とは関わりのない 無辜の民だ!
あんたが つくろうとしている新国家はそんな人たちから家や命を奪うのか!?
それがあんたの目指す国づくりか!?」


西郷は思案した後
征討総督達に明日の江戸城総攻めを取り止めるよう伝令に通達した


勝は感謝した


西郷はその後言葉を続けた

さてそげんなれば・・・
振り上げた拳をばどけ下ろすかじゃな


江戸城を戦火に晒すことを避けた事に成功したと感じた勝は
それ以上西郷に意見することは出来なかった



その後
西郷は大久保と共に
江戸城攻城戦回避に向けて奔走した

交渉に苦労したのは
これまで徳川に抑えこまれ鬱憤を爆発させ
慶喜殺害を強硬に主張してきた公家達である


だが幕府は徹底抗戦派を江戸から追い出し
江戸に残ったものは新政府に徹底的な恭順を貫いていた


そしてこの合戦はイギリスやフランスなども注視している



恭順した敵を討つことは
国際的な国家を目指す日本としては
万国公法を順守する事は不可欠でもあった


そしてその徹底抗戦を主張する幕府の残党は
東国で再起を図ろうとしていた

それにより陸奥諸藩による反政府連合が形勢されようとしていた


このまま行くと
いずれ東北征伐もやむを得ない

そのためには江戸城攻めにより
まだ江戸に十分な余力を保持している幕府軍との合戦になれば
甚大な被害は免れない


そうした様々な思惑と打算もあっての事だった


それから西郷は執務室に置かれた書類の束に手を伸ばした

そこに「拙見」書かれた嘆願書を見止めた


その書に西郷は感じるところがあった


その書を書いた者の名が記されてあった


その名前に西郷は聞き覚えがあった



その書を記した男・山本覚馬は
京・薩摩藩邸の牢にいた

明後日には斬首になると言う


「おはんの書いた嘆願書をば読んだ
万国公法を知っちょっとか・・・
この者、医者に診せてやいやんせ
処刑は取りやめじゃ」


覚馬は既に視力を失っていた

その声の男が西郷だと気付いた


「西郷か・・・
会津を助けてくれ
討つな!
会津を滅ぼすな!」


その問いかけに西郷は答えることなくその場を後にした








国許に戻った容保は家督を養子に譲り謹慎の日々を送っていた

当初
家老達は皆思い違いをしていたが
鳥羽伏見の敗戦は全くもって神保修理の罪ではなかった

修理は何もかも飲み込んで腹を切った

その罪を容保は一人で耐えていた


その事は萱野ら家老のみならず
義姉・照姫にも伝わっていた



会津に戦雲が迫る中
容保は家老らに意見を求めた

家老・西郷頼母は
新政府に弓引けば賊軍と決めつけられる
ここは徹底して恭順して合戦を避けるべきと


帰国して間もなく
若年寄となった佐川官兵衛は

恭順は無意味
勝てば官軍となるとして
徹底抗戦を主張した


神保内蔵助は
戦に敗れたままでは武士の一分が立たない
謂れ無き朝敵の汚名をかぶり恭順したままで
会津の面目が立たない

彼もまた徹底抗戦である

しかしながら
それには少なからず息子への敵討ちへの思いがあったやもしれぬ




「皆の考えよくわかった
わしの存念を述べる」

容保の発言に家臣は身なりを律して
藩主の発言を待った


「会津はあくまで恭順を貫く
もとより朝廷に刃向かう心はない」

ただし!

「攻めてくるならば全藩をもってこれを戦う!」

これより軍制改革を行う
逃げる場所はもうどこにもない
戦はこの会津で起こるのだ



会津は天明以来の長沼流軍学を捨て
西洋式の軍術・調練を取り入れた


そして
50歳~56歳までの武士で構成される「玄武隊」
36歳~49歳までの武士で構成される「青龍隊」
18歳~35歳までの武士で構成される「朱雀隊」
15歳~17歳までの武士で構成される「白虎隊」
で部隊を分けられた

15歳以下の者達は「年少隊」に編成された

砲撃隊・遊撃隊を加えると三千の正規軍である


西洋調練を指揮していたのが
江戸で西洋調練を学んでいた川崎尚之助である


八重もまた
白虎隊や年少隊の者達に銃の撃ち方を教えた

八重はいつになく声を荒げながら指導した

ふと伊東悌次郎に対して八重は

「三郎」と呼んだ


「俺は三郎様ではねぇだし」


悌次郎に指摘されると
八重は目を大きく見開き、そして角場にある銃を手に表に駆け出した

そこに山本家へ尚之助を訪ねた山川大蔵が
八重を見とめて彼女を制した


「なじょした?
八重さん!銃をもってどこに?!」


「三郎のかたきを討つんだし!」


八重を追いかけた尚之助は
八重を抱きしめた

「行ってはダメだ!
どこへ行くんです?!
誰を撃つ気ですか?!
しっかりしなさい!」


「私が行けばよかったんだし
三郎より私の方がずっと強ぇんだから!」

そこから先は言葉にならず
泣き叫ぶように八重は泣き

尚之助の肩で涙をぬぐった



その後
会津には幕臣の残党が集まってきていた
その中には新撰組の面々もいた

それから長崎に留学していた
古川春英も会津に帰国していた

彼は医療所を開設していた

これからくるかもしれない合戦で
傷ついた兵士を治療するためである

今は東国よりやってきた幕臣の残党の方々の治療に当たっていた

八重もその兵士の治療に当たっていた


そこでふと八重が覚馬の妹だと聞いて
覚馬の名を呟いた者がいた


その男は新選組副長助勤 斎藤と名乗った

八重はその男に兄の安否を尋ねた

彼もまた兄の安否は知らないと答えた

「兄上は都で洋学所を開いておられた
他藩の者も受け入れていたからその中にも薩摩もいたかもしれぬ」

そうであれば
薩摩で覚馬を存じおる者が
覚馬を助けたやもしれぬ可能性があった


だが斎藤は言葉を続けた


「戦の最中だ

大勢が殺しあった
捕らえられた敵を生かしておくとは思えぬ」


その言葉に血走る八重を見止めた斎藤は
言葉を続けた



「生死の事は知れぬが
余計な望みは持たぬ方がよい」


「わたづは諦めねぇ
死んだと決まっている訳ではねぇのに
望みをしてる事はねぇなし!

生きてっから
あんつぁまはきっと生きてる!」


八重はまっすぐに斎藤を見据えてそう言い切った―――――






覚馬と三郎の訃報に涙する山本家

佐久を気遣ううらに
八重を気遣う尚之助

誰にも気遣われたくない権八


この辺に男と女の違いがある、みたいな
この時代の男女のあり方が描かれてますな


それから
亡くなった者への無念を晴らしたい

そう考えるのは普遍的な身内の心情ですね


恨みを晴らしたい


それは人とかいうのではなく
新政府という組織に向けられる



内蔵助ら

鳥羽伏見の合戦で戦死した者の身内は皆そう思ったのでしょう

このまま恭順しては武士の一分が立たぬ

なにより亡くなった者達が犬死となってしまう


そういう思いが強かったのでしょう


それに「勝てば官軍」


その文字通り
長州藩は負けて賊軍になったけれど
その後勝って官軍の仲間入り

そういうところもあったのでしょう


またこれまでの合戦の流れで
鳥羽伏見の合戦は他藩の裏切りによって敗れた

それに軍備の準備は会津は出遅れていた

しかし此度は軍備を整える時間はわずかながらある


それに地の利もある


そう考えたのでしょうね


井の中の蛙なんとやらというところでしょう



それから新政府軍の戦い方

この時代は古来よりの信仰・威光を大事にしていた


乾退助が武田家の遺臣の血筋ということで
その遺臣の姓を名乗らせたりと画策してましたねぇ


一方で新政府軍は
日光東照宮を燃やそうとしましたが
東照宮の陽明門に後水尾天皇のご真筆とされる額が掲載されており
後水尾天皇は幕府に抗った天皇として知られていて

それを理由に乾退助(板垣退助)は焼き討ちを反対し
結果、焼失せずにしなかったと言われております


面白いものですねぇ


それから西郷さんと大久保さんのやり取り

勝の申し出に関しては渡りに船と言ったところがありますかね


新政府にとって幕府を破ることで
日本の主導権を新政府が握っていると
諸外国に知らしめたかった

その目的の大半は果たした


そのために無理に幕府を潰す必要はなかった


だが反政府勢力は何らかの形で対処したい


一刻も早い国際化
強い日本を作るために

てっとり早いのは
反政府勢力を力によって排除する

というところでしょうかね


その生贄に会津はされた

新政府にとっては
どうしてもそうしなければならなかった



次回はそんなところが描かれそうです


ちなみに江戸近くまで来てた西郷さん

覚馬が書いた嘆願書を読んで
あっという間に京都にワープ

これも大河のなせる技ですな ̄∇ ̄


今週のイラスト


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