八重の桜 第21話 「敗戦の責任」

鳥羽伏見の戦い
開戦1日目は徳川方の惨憺たる敗退で終わった



開戦2日目

佐川官兵衛率いる一隊が薩摩と激突していた

その中に山本三郎もいた

恐怖に身震いをさせていたが
その思いを必死にこらえて三郎は敵に向かって銃を撃った


だが薩摩の砲撃は凄まじく
会津の大砲隊はやられて応戦できずにいた


そこに山川大蔵率いる後詰の大砲隊が現れた


これによって一時戦局を盛り返した会津であったが
薩摩の軍事力は圧倒的で会津は押されていた


更にそこにあの旗が掲げられた


錦の御旗である


この旗によって薩摩は官軍となった


その報せを聞いた慶喜と容保は驚いた

錦の御旗なぞ聞いた事がなかった

おそらく薩摩方が勝手にこしらえたのだろう


しかし効果は覿面であった
この御旗に薩摩に寝返る者が続出していき
会津は戦線を離脱するほかなかった


徳川譜代の大名が支配する淀藩へ
幕府軍は撤退したがその淀藩が幕府軍の入城を拒んだ

淀藩もまた朝敵になるのを恐れて薩摩方に屈したようであった


この戦況を受けて
会津藩家老・神保修理が慶喜に進言する


「我が軍勢
兵の数こそ敵に上回っておりまするが軍略が乏しく
このまま戦を続けては兵を失うばかりと推察つかまつりまする

ここは兵を率いて一旦江戸に戻り戦略を立て直すべきかと存じまする」


「江戸に戻る?
なるほどのう」


慶喜には何か浮かんだらしい





この頃
会津の地にて神保修理の妻・雪は神社でお参りするのが日課となっていた

「神様を試してはなんねぇな」

ふと雪は呟いた


「バチが当たるなら私に
旦那様には当てて欲しくなんえぇだ

会津の皆様をお守り下さい」



その夜
神保家の役宅にて
内蔵助が雪に語りかけた

「いつ戦になっかわかんねぇ時だ
文を書く暇もないほど
一心に勤めているんだべ

恨むなよ
雪」

「はい」

「殿のお側に修理がお仕えしている限り
会津が道を誤ることはない

わしはそう思っている
親馬鹿と思うか?」

「いえ
仰せのとおりと」



開戦三日目
会津は薩摩方と激戦を繰り広げた

鉄砲を撃つ三郎に
山川大蔵は後方に回るよう促した


だが三郎はその申し出を断った

「兄の目の事
聞きやした
山本家の男として兄に代わって働きとうごぜえやす
姉上も力を貸してくれます」


「八重さんが?」


「これをこさえでくれやした」

そう言って三郎は腕にある刺繍を大蔵に見せた


「南天・・・難を転じるか
わがった
よく狙って撃て」



そこに薩摩とは違う方角から会津は砲撃を受けた

味方であるはずの藤堂藩が
会津に向かって砲撃してきたのだ


会津の戦局は更に不利なものとなっていった


三郎は刺繍を握りしめ息を整えると
銃を持って敵軍の方へ走った


無数の銃弾が三郎を貫く


引き金を引く前に三郎は倒れた


その後
大蔵は三郎を背負って戦場から撤退した

「三郎!
しっかりせぇ
誰か!医者はいねぇか?!」


「よぐ狙って・・・
あんつぁまか?」

三郎の意識は混濁しているようだった

「ああ
こごにいんぞ
よぐ戦ったなぁ」

「あんつぁま・・・
姉様・・・」


三郎は息を引き取った


大蔵は三郎の骸を強く抱きしめた



それから間もなく佐川官兵衛が神保修理に詰め寄った

幕府軍は大坂で戦い抜く覚悟であったのに
神保修理の進言によって撤退に変わったのだと言うのだ

「戦を続けては無駄に兵が失われるだけだと申し上げたのでごぜえやす」

「んだら先に死んだ者の命は無駄んなってもいいっつうのか?!」

「官兵衛殿!」

「総大将が出陣すれば兵達の士気が上がる
形勢は一気に逆転する
神保の進言がその好機を無駄にしたんだぞ!」


そのような対立がある中

慶喜は容保にある決断を打ち明けていた


「江戸に戻る
ついてまいれ」

「兵達が引き揚げている途中にござりまする」

「兵は置いていく
我らが城を出る事
家臣達にも口外無用」

「なんと!」

「榎本の軍艦が停泊している
今宵の内に乗り込み江戸に向かうのだ」

「それはなりませぬ!」

合戦の最中
慶喜は諸侯の前で堂々と
最後の一騎まで戦い抜くと宣言していたのである


「あれは皆の動揺を鎮める方便だ
一旦江戸に戻り再起を図る」

「では尚の事全軍を率いて戻るべきでござりまする」

「馬鹿を申すな!
それでは江戸に着くまでまた戦となる
そなた一人で余と共に来るのじゃ」

「いいえ!
それがしは藩士と共に残りまする」

「ならぬ!
そなたがここにいては会津兵がいつまでたっても戦を止めぬ!
偽物とはいえ錦の御旗が挙がった上は兵を引かねば徳川は朝敵となるのだぞ!
会津の家訓に「徳川を朝敵にせよ」との一条があるのか?

会津殿
この策は神保修理が戦況の報告の折に進言したものぞ」


「まさか?!」

「皆を救うための策じゃ
これしかない
家臣達が朝敵の汚名を着て死んでもよいのか?」


容保は返す言葉がなかった

そうして容保はまたしても慶喜の言葉に誑かされた





それから数刻後
大坂城には慶喜の姿も容保の姿もなかった


神保修理は配下の者に
容保公がどなたかにせかされていたかのようであったと伝えた


即座に神保修理は事の次第に気付いた


たしかに江戸に撤退するように修理は進言した

だが「兵を率いて」と進言した

「兵を見捨てて」とは進言していなかった


修理は即座に気付いた


慶喜公は江戸で戦局を立て直すつもりはさらさらない

総大将がいなければ戦は続けようがない

そこで大坂に停泊している開陽丸に乗って江戸下向をするのだ

慶喜公は幕府存続を懸けて戦うつもりはない

彼の目的はいち早い合戦の終結なのだと



神保修理は容保公の江戸下向を止めるために
急ぎ開陽丸に向かった


だが一足遅く開陽丸は
慶喜と容保ら主要の藩主を乗せて江戸を目指して
大坂の港を出た後であった


神保修理が容保を追って城から出た後からまもなく
田中土佐らの面々にも
慶喜・容保らの面々が城からいなくなったとの報せが入った


「総大将が兵を捨てて逃げた?!」

「修理もおらぬがどこに行ったのであろう?」

「さては修理めが殿を釣れ出したな」


そこに開陽丸の艦長である榎本武揚が大層な剣幕でやってきた


上様が会津候・桑名候と共に開陽丸に乗り込み
勝手に江戸に出航してしまったと言う


榎本の報せに
田中土佐ら会津の面々は愕然としていた


誰も聞かされてなかったのである


呆然とする会津の面々の顔を見て榎本は笑った


「徳川家も最早これまでよ」


「我らも江戸に行く
支度せよ」

こう伝令を下すのが精一杯だった





総大将を失った軍は江戸に引き上げるしかなかった


会津が江戸に向かうとまもなく
容保は官位を剥奪され

慶喜公に追討令が出され
会津・桑名の両藩は第二等の朝敵と呼ばれるようになった

こうして
薩摩・長州の者達は新政府を名乗り
天下に号令を下し始めたのである


間もなく会津にも追討令が出るであろう


その報せは会津の地にも届いた


こうして状況下で西郷頼母は家老に復職した
だが
新政府への恭順か
新政府への徹底抗戦か
藩は二分していた


それは山本家でも同様であった


尚之助は言う

「これから戦う相手は錦の御旗を掲げて
朝廷を味方につけた新政府軍
官軍です」

その相手に対して賊軍にならぬために一旦恭順すべきではないか


この状況下で恭順も致し方ないと考える尚之助に対して
権八は激高した

「にしゃ腰抜けか!
ならぬことはならぬ!」


権八の中では徹底抗戦あるのみであった
一度であっても恭順は会津の誇りを汚すものだとして
権八の中ではならぬ事であった


八重は言う

「私も父様の言う事が正しいと思いやす
何年も都をお守りしてきた会津が朝敵のはずはねぇ!
敗れたままでは殿が
お城から逃げたままでは会津の誇りは・・・

江戸にはあんつぁまも三郎もいる
大蔵様も佐川様も
皆で戦えば負けたままでは終わんねぇ
ならぬのことはならぬのです!」


「やり直すための恭順なんです!
まずは会津の無実を訴える!
その一方で戦に備えて軍略を立てます
私は洋式調練の具体策をもって城にあがります

あなたは密かに領内の鉄砲・火薬・鉛などを集めて下さい
今度こそ軍政改革を断行して頂く」




覚馬はその頃
薩摩の京屋敷にある牢にて幽閉されていた


「会津に手を出すな!」

ただただそれだけを叫んでいた




江戸に下った田中土佐らの面々は
容保公に事の次第を聞いた

神保修理は潔白だった

しかしながら状況的に誰もが神保修理が容保公を誑かして
江戸に下向させたようにしか見えなかった


それがために神保修理は幽閉された


それに対して神保修理は一言も弁明しなかった


全ては容保の名誉を守るため


もし容保が修理を許し幽閉を解いたとしても
修理は修理が諸悪の原因だと誤解する藩士達に命を狙われるであろう

それに容保が修理を庇えば庇うほど
修理に対する怒りは強まるばかりとなる事は必定であった


修理は既に覚悟していた


そこに慶喜より命が下った


今後登城することはまかりならん
会津は江戸から立ち退け


それは慶喜が新政権に対する全面的な降伏・恭順であった

慶喜の立場として
戦の終結にはそれは不可避な事であった


だが会津にしてみれば
これまで何度も苦渋の決断をして忠義を尽くしてきた自分たちを
無下に切り捨てられるに等しかった





あまりの慶喜の会津に対するなさりように
会津の面々はただただ泣くしかできなかった



大君の義一心大切に忠勤を存ずべし
二心を懐かば我が子孫にあらず


容保は会津家訓を呟いて
己のこれまでの決断が水泡に帰したものではないと
言い聞かせていた




その夜
容保は修理の下を訪ねた


「そなたをこのような境遇に落とし詫びる言葉が見つからぬ」


「殿・・・」


「会津は都を追われ今また江戸を追われる
その憤りがそなたの身ひとつに向かってしまった
どうやってもそなたの名誉を取り戻す事ができぬ
修理・・・切腹を申し付ける」


「ありがたく承ります」


「さらばじゃ」


容保と入れ替わるようにして秋月悌次郎がやってきた


「明日の朝まで張番はおりませぬ
殿の命により屋敷の警固を緩めておきまする
殿の思い
何卒お汲み取り下され
生きて下され」



部屋の中で一人となった修理は呟く


「殿は全てをわかっていて下さる
それで十分ではないか」


朝を迎えた


容保の下を秋月悌次郎が現れた

秋月は容保の前に脇差を差し出した


「お一人で作法通り腹を切られました
少しの乱れもなく見事な御最期をお遂げにございました」


「わしの代わりに負け戦の責めを負うたか・・・修理・・・
逃がしてやりたかった・・・」


神保修理
享年31
最期の句が残されていた


帰り来ん時よと親の思ふ頃
はかなき便り聞くべかりけり








神保内蔵助が息子・修理の帰りを今か今かと思いふける中
はかなき便りを聞く事であろう

その便りとは息子の死


演出として最期に浮かんだ妻の姿

修理が腹を刺した瞬間

会津の地にて夫の無事を祈る雪のシーン


たまりませんな


一切の弁明なく己で罪を背負う

それでいて自分の思いがわかってくれている人が
一人いればそれでよい


それがわかっているから
あの佐川もあれ以上神保を責める事はなかったのでしょう


それ以上に己を恥じていたのかもしれませんがね


一方
会津には「結果」だけが伝わり
その「結果」の過程まではわかりません


それがために

お上=容保の汚名を晴らすため

一時的にも恭順を行い
力を蓄えるべきか

徹底抗戦を行うべきか

家中は二分してますね


理性的に考えれば
頼母や尚之助が言うように今は幕府のように
恭順の意を徹底的に示してその間に力を蓄える
余地もあったのかもしれません

まぁごっそり力は殺がれたかもしれませんが
会津を戦火に晒すことは避けられたかもしれません





ですが一時でも会津が恭順することは

これまで忠義を尽くしてきた会津を汚す事として
許せなかった


それは「ならぬこと」であったという事でしょうかな


そう考えるのが会津の人々にとって当たり前であり
頼母のように考える方々が逆に少数派だったのでしょうな

そういう点でいくと修理も恭順を考えていた少数派

それだけに家中で集中的に非難を浴びてしまったのでしょうな


歴史に「もし」という言葉を言えばきりがありませんが
「もし」修理がここで死ななかったら

修理によってもしかすれば会津戦争は回避できたかもしれませんな

その時には神保修理が己が命を賭けたかもしれませんが


父・内蔵助が語ったように
修理が容保の側にさえいれば
会津は
容保は道を誤ることはなかった


この言葉がその後の会津を象徴しているかのようです



今週のイラスト







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