ドラマ化して欲しい戦国武将 「浅野長政」

今回は浅井長政と間違えられやすい浅野長政にございます。


浅井長政は1547年に安井重継の子として生まれます。

豊臣秀吉が1537年生まれなので秀吉とは10歳
徳川家康が1542年生まれなので家康とは 5歳の差があります。


当初は安井弥兵衛を名乗り
後に浅野長勝の娘を娶り婿養子となって浅野長吉を名乗ります。

浅野長政は晩年の名だそうです。



           浅
           野
           長
           詮
           │
       ┌───┤
       │   │
       │   │
   安   │   │
   井   │   │
   重━┯━娘   長
   継 │     勝
     │     │
     浅     │
     野     │
     長━━━━━娘
     吉






浅野家は土岐家の庶流だそうです。
ここに桓武平氏の流れを汲む杉原家が関わってきます。


           浅     杉
           野     原
           長     家
           詮     利
           │     │
       ┌───┤  ┌──┼───┐
       │   │  │  │   │
       │   │  家  │   │     杉
   安   │   │  次  │   │     原
   井   │   │     │   │     家
   重━┯━娘   長━━━━━娘   朝━━┯━━定
   継 │     勝         日  │
     │     │            │ 
     │     │            │ 
     浅     │         ┌──┴──┐
     野     │         │     │
     長━━━━━娘         寧     木
     吉               々     下
                           家
                           定



杉原家定の娘・寧々が後の豊臣秀吉の妻・高台院です。

この秀吉と寧々は恋愛結婚だと言われ
二人の結婚を母・朝日が反対したため
寧々は家を出て浅野長勝の養女となって秀吉と結婚したそうです。



           浅     杉
           野     原
           長     家
           詮     利
           │     │
       ┌───┤  ┌──┼───┐
       │   │  │  │   │
       │   │  家  │   │     杉
   安   │   │  次  │   │     原
   井   │   │     │   │     家
   重━┯━娘   長━━━━━娘   娘━━┯━━定
   継 │     勝            │
     │     │            │ 
     │  ┌──┘            │ 
     │  │  ┌────────────┴──┐
     │  │  │               │
     浅  │  │   木           木
     野  │  │   下           下
     長━━娘  寧━━━秀           家
     吉     々   吉           定



この系譜からいくと浅野長吉と木下秀吉は入り婿の義兄弟ってやつですね。



この浅野長吉の浅野家は弓衆として織田信長に仕えており

秀吉が出世していくと
1573年頃、長吉は信長の命により秀吉の与力(配下)になります。



その後、長吉は秀吉の配下として近江浅井攻めなどで活躍し
信長の死後も秀吉に仕え、賤ケ岳、四国・九州・小田原・奥羽征伐
そして、朝鮮出兵では武功を挙げている事から
長吉は結構、武勇に優れていたと思われます。


また、長吉は武勇だけでなく内政・外交も優れていたようで
京都の奉行や秀吉の直轄領土の代官に任命されたりしていますし


徳川家康と秀吉の妹・朝日姫との婚姻には長吉も浜松に同行しています。

奥羽平定では石田三成らと共に奉行として検地を行ったり

伊達、南部、宇都宮、那須、成田らを与力とし
奥羽・北関東の支配を秀吉から一任されるほど
秀吉から重用されたようです。




そして浅野長政は
石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以と
政務を取り仕切る五奉行の筆頭ですからね。


ですが、五奉行内では色々と問題があったみたいで。


まず、五奉行の一人・前田玄以は
朝廷・公家・寺社といったものを担当していて

一般政務に関しては
残りの4人である浅野、石田、増田、長束が担当していたようなんですが


浅野は尾張出身で武功を挙げて出世してきた所謂、武断派で

石田、増田、長束は近江出身で
武功というよりも内政・政策で出世してきた文治派です。

また、浅野長政の領地が甲斐甲府なのに対して

石田三成は近江佐和山
増田長盛は大和郡山
長束正家は近江水口

前田玄以は丹波亀岡と
浅野以外の4人の領地は皆、京・大坂との距離が近いです。


まぁこのような領地の配分になった理由としては
浅野長政が東国の諸将との対応を一任されていたというのもありますし


また、浅野長政の子・幸長は諸大名に一目置かれるほど
武勇に優れていた武断派の中心人物の一人であり

大の石田三成嫌いだったというのもあります。


1595年の関白・豊臣秀次失脚の際には
幸長は連座されて能登国に流罪になっています。

これが三成の画策と思えば
それは幸長の恨みも人一倍だった事でしょう。


ただ、浅野長政と三成との仲に関して
そんなに悪くはなかったらしいという説もあり

そうなると長政は三成と幸長との仲の悪さに
親として色々と苦労していたのかもしれません。


それから秀吉が死去した翌年に
浅野長政は前田利長らと共に家康暗殺の嫌疑をかけられ
甲斐国に謹慎を命じられます。


これには石田三成の陰謀とも
徳川家康が石田三成との関係を引き裂くための謀略とも言われています。

この後の三成襲撃計画では
浅野長政の子・幸長が加わっております。

その後の関ヶ原の戦いでは
長政・幸長親子ともに東軍につき

長政は徳川秀忠に
幸長は徳川家康に従軍します。

関ヶ原の戦い後、幸長は
紀伊37万6千石の加増となります。


また、浅野長政の娘が杉原長房の妻になっていまして
この杉原長房は系譜を見てもらえれば分かるように
豊臣家の縁者になります。



            浅     杉
            野     原
            長     家
            詮     利
            │     │
        ┌───┤  ┌──┼───┐
        │   │  │  │   │
        │   │  家  │   │     杉
   安    │   │  次  │   │     原
   井    │   │  │  │   │     定
   重━┯━━娘   長━━━━━娘   娘━━┯━━利
   継 │      勝  │         │
     │      │  └────┐    │ 
     │   ┌──┘       │    │ 
     │   │  ┌────────────┴──┐
     │   │  │       │       │
     浅   │  │   木   ├───┐   木
     野   │  │   下   │   │   下
     長━┯━娘  寧━━━秀   │   娘━━━家
     吉 │    々   吉   │       定
       │            │
       娘━━━━━━━━━━━━長
                    房



で、杉原長房は関ヶ原の合戦では西軍についていたので
普通であれば確実に改易されるはずなんですが

杉原長房が高台院の縁者であった事と
彼の妻の父親が浅野長政だった事から所領を安堵されてます。


身内バンザイです ̄▽ ̄



その後、長政は家督を幸長に譲って隠居していましたが
家康から隠居領として常陸真壁5万石を与えられると共に

家康に乞われて江戸に住み
家康の相談相手として囲碁や茶会をして過ごしていたそうです。

長政は囲碁に長じていたらしく
豊臣政権時代では黒田如水とも囲碁をしていたそうです。

そうして1611年に
長政は65歳で亡くなったそうで

長政が亡くなってから家康は囲碁をしなくなったと言われています。


それから長政の子供達の関係はこんな感じ


              浅
              野
              長
              政
              │
    ┌───┬───┬─┴─┬───┬───┐
    │   │   │   │   │   │
    │   │   │   │ 松 │   │ 杉
    長   長   幸   │ 平 │ 堀 │ 原
    重   晟   長   娘━定 娘━秀 娘━長
                  綱   家   房


堀秀家は堀秀政の次男で堀家で身内の争いがあった時に
秀家は身の上相談を浅野長政にしてるようで

結構頼りになる存在だったみたいです。


長政の直系は幸長・長晟に継承され
三男の長重は大坂の陣で活躍し、新たに藩を与えられます。

この長重の系統から誕生するのが「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭です ̄▽ ̄ゞ



こうして見ると浅野長政は
頼れる重鎮のような存在だったと思われます。



家康の相談相手として囲碁をやってた。

なかなか面白い光景です。

秀吉は家康から石川数正を奪い取り
家康は秀吉から浅野長政を奪い取り

これであいこって感じもしますが

浅野長政は豊臣政権下では重要な人材だったのではないかと思います。





さて、キャスティングとしては


花はあるけど実がないと称された石田三成とは違って

花はないけど実がある
浅野長政ってそういう人物だと思います。


そういう浅野長政の雰囲気に合ってると思うのは
香川照之さん、尾美としのりさん、高嶋政伸さん辺りかなと思います。


ちょっとした子煩悩な色が見える役者さんがよかったので ̄▽ ̄ゞ



さて、こうして結構続けた「ドラマ化したい武将」も
11月より本格的に年賀状作業に入り

その構図集めに奔走しないといけないので
次回で一旦休止させていただきます。



ちなみに次回、ドラマ化して欲しい武将は
大坂の陣で真田幸村が後世に名を残す程の活躍が出来た影の立役者
毛利勝永でございます。

この毛利勝永を大坂の陣での活躍を中心に
真田幸村と比べたりしながら、書いてみる予定です。

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