天地人 第34話 「さらば、越後」

今回のあらすじは


●秀吉より越後から会津に国替え(+加増)をお願いされる兼続

●兼続は景勝に国替えに関して越後より日本国の安泰という「義」を持ち出し説得。

●上杉家の家臣達は主と共に会津に行く者、農民となって越後に住む者がおりました。

●兼続は国替えにおける悔しさをお涼と一夜限りながら浮気をして晴らしました。

●無事に上杉家の国替えが完了しました。





まぁこんなとこですかね ̄▽ ̄ゞ




オープニングで兼続の活躍が紹介されてましたが
兼続の事しか言ってないのに、何故か景勝の写真が
出てたのは気になったのと

後は何故、上杉が会津に国替えにされるのか
その経緯がバッサリってとこですかね。





という事で会津の国替えに関して相当説明が足りないので
ここである程度の補足をば。



まず、会津92万石の元々の領主は蒲生氏郷でした。

蒲生氏郷の領地には伊達政宗の旧領・米沢などがあった事から
奥州、特に伊達家の抑えとして彼がこの会津に配置されたと
考えるのが妥当でしょう。


ですが、1595年3月に蒲生氏郷が40歳で急死します。

蒲生氏郷に遺された子は当時13歳の秀行。

秀吉は蒲生家の会津領の相続を認めず、
会津領を召し上げ、代わりに近江に2万石の所領を与えようとしていたそうですが

この当時、存命であった関白・秀次が
会津領の相続を認めたそうで、こうした
秀吉・秀次の政治機構の行き違いが秀次事件の一因になったとも
言われていますが、それはさておき。


ただし、秀行が会津領を相続する条件として
秀吉が出したのが、秀行に徳川家康の娘を正室として迎える事だったそうです。


ですが、秀行は若年故に
家中を上手く統制出来ず、蒲生家の実権を巡って
家臣達が争い、御家騒動にまで発展したそうで。

この事態に対して
秀吉は蒲生秀行を会津92万石から宇都宮12万石へ減移封したそうです。


この蒲生家の御家騒動における秀吉の仕置きとしては厳しいものです。


そもそも、この御家騒動を画策したのは秀吉、もしくは石田三成が
首謀者であるという説があるそうで。


秀次事件で最上義光や伊達政宗が処罰されそうになった時
二人を庇ったのが徳川家康だと言われています。

つまり、家康は二人に恩を売ったってとこでしょうか。


そして、蒲生秀行は徳川家康の娘を妻にしています。



そうなれば、徳川は伊達、最上、蒲生をも味方につける事になる。



で、あれば
御家騒動を起こさせて、それを口実に
蒲生を移封させ、代わりに秀吉方の大名―――上杉景勝を
会津に移封させたという事でしょうかね。





秀吉は家督を秀次に譲った事で
家臣達は皆、秀次に近付くのは当然の事ながら

秀吉は秀次を切腹させ、秀次に関係した方々を処罰しようとしました。
まぁ実際に処罰された方もいます。



そういう方々が後の関ヶ原で東軍=徳川方についた事を考えれば
この作品で家康が秀吉の上杉に対する加増を「付け焼刃」の策というのも頷けます。


まぁこういう経緯があるのであれば
蒲生の騒動と秀次事件を絡めて今回の国替えを描いた方がヨカッタのかもしれませんね。



それから私の記憶が正しければ
原作では国替えの際、兼続が謙信公が遺した言葉

『運は天にあり 鎧は胸にあり 手柄は足にあり―――』

この一節を読んでいたシーンがあったのですが
これではバッサリでした。

まぁそれをやると
一昨年の大河を思い出させてしまうというのもあったのかもしれません。



それと
この越後でわしのしてきた事は一体何だったのであろう。

この兼続の台詞はヨカッタと思います。

兼続の功績はどうであれ、越後のために奔走してきたのに
それが国替えによって全ての努力が水泡に帰したような感覚

それがかなり伝わってきました。


が、それはそれとして
それほどまでにお涼のアップが必要なのかが疑問ですね。



それと紙で作った雪。
あれは勘弁ですねぇ。

フツーに雪降らしてるのになぁ ̄▽ ̄



それと回想シーンはなんでもかんでも詰め込んでましたね。

でもって平泉さんが演じた栗林政頼と鈴木さんが演じた深沢利重が出てきましたが
二人はいつ死んだか分からんですね ̄▽ ̄



さて、次回は秀吉が死ぬようですがエライアッサリだなぁ ̄▽ ̄


でもって、次回は三成の家臣・島左近が登場しますが
その島左近を演じるのは若林豪さんだそうで。

キャラとしてはなかなか強烈ですね。


最後に三成をば















描いてみて思った事。
意外に額が広かったなぁ ̄▽ ̄ゞ

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