天地人 「新発田重家との戦い その2」を勝手に妄想

兼続は一人、越後の地図を眺めて思案していた。




ここから上杉はどちらを攻めるのか。



新発田軍の物資の補給源は

新潟津よりやってくるもの

そして蘆名から赤谷城を通じてやってくるものである。


新潟津を守る新潟城は上杉が先年攻めたが
新潟城は大きな川で囲まれているため、対岸から矢・鉄砲は届かず
また商人の船は全部新発田が抑えているために地元の船頭を使う事が出来ず
なかなか上手く攻めきれないでいた。



となると、赤谷か。





それから兼続は手の者に命じて蘆名を調べさせた。



蘆名氏は桓武平氏系統の三浦氏から興った名門の家柄であり
蘆名氏の一族である猪苗代氏ら家臣団の統制に苦慮していたが
蘆名は奥州の名門のひとつ・伊達(いだて)氏と同盟関係を結ぶ事で勢力を保っていた。



   蘆       伊
   名       達
   盛       植
   舜       宗
   │       │
   │   ┌───┤
   │   │   │
   盛   │   晴
   氏━┯━娘   宗
     │     │
     │   ┌─┴─┐
     │   │   │
     盛   │   輝
     興━━━娘   宗



そして、盛氏の代になると蘆名家は二本松氏や二階堂氏を従属させ
他国の紛争に介入して、その発言力を強めることにより
全盛期を迎えたのだが1575年に盛氏の子・盛興が亡くなると
蘆名家は緩やかに狂い始める



   蘆       伊
   名       達
   盛       植
   舜       宗
   │       │       二
   │   ┌───┼───┐   階
   │   │   │   │   堂
   盛   │   晴   │   照
   氏━┯━娘   宗   娘━┯━行
     │     │     │
     │   ┌─┼─┐   │
     │   │ │ │   │
     │   │ 輝 │   盛
     │   │ 宗 娘━┯━義
     │   │     │
     │   │     │
     盛   │     盛
     興━━━娘━━━━━隆



盛氏は二階堂盛義の息子・盛隆を養子にし
未亡人となった盛興の妻を正室とする事で
盛隆を蘆名家の当主になった。

そうして当主となった盛隆は蘆名の名を使って二階堂の勢力拡大に務めた。


二階堂氏もまた伊達家と婚姻関係を結んでいるという事で
このような形が取られたのではあるのだが



そもそも二階堂氏は伊達家の内紛よる天文の乱で
蘆名氏と敵味方となって争った家柄で

二階堂盛義の代に盛氏がこれを攻めて
盛義は息子・盛隆を人質に差し出した。


これには蘆名の血統よりも
伊達との同盟を重視した養子縁組
そして盛隆の実家を勢力拡大を重視した方針に不満を持つ家臣団も少なからずいた。






それを示すかのように
この年の6月に盛隆が蘆名氏の居城・黒川城を留守にしていた隙を突いて
松本太郎が黒川城を占拠するという事件が起きている。


蘆名家には「蘆名四天」と呼ばれる重臣がいた。

松本・富田・平田・佐瀬がそれに当たるのだが
盛隆の代では松本家は「蘆名四天」の宿老から外れていた。

話を遡ると盛氏・盛興の代に
「蘆名四天」の宿老の一人であった松本図書は
1575年に田村氏との戦いにおいて戦死した。

この時、松本図書の子・太郎はまだ幼く、「蘆名四天」の宿老ではなかったが
盛興は松本家の領地をそのままにしていた。

しかし、盛隆の代になると
盛隆は太郎が幼少という理由で松本氏の領土を召し上げ
太郎が元服する年齢となっても、何の沙汰も下さなかった。

それに対する不満がこのような結果を生んだのであろう。




だが、盛隆はなかなかに有能なる人物らしく
これを素早く鎮圧して松本太郎を討ち取ったと言う。

また、重臣・金上盛備に上洛させて織田信長と誼を通じ
三浦介(三浦氏に与えられた称号)を認めさせると共に
また、大内氏が三春郡の領主・田村氏を攻めると大内氏と同盟を結んでいた
二本松氏と盛隆はこれを支援し、一方で常陸の佐竹氏と対抗していた。



そして新発田重家が上杉景勝に対して謀反を起こすと伊達輝宗と共に重家を支援している。



兼続はこれまで得た蘆名の情報を基に思案していた。


蘆名と伊達との同盟は婚姻関係によって
その結束は一見すると強固なように見えるのだが

盛隆の実家・二階堂家は三春郡の田村氏と争っており
盛隆は蘆名家として二階堂家を支援する形で田村氏との戦に介入している。


その田村氏の娘は伊達輝宗の息子の妻になっている。


伊達輝宗の息子はまだ18歳にして、かなり気性の荒い人物と聞く。

そのような男がこのような状況をそのまま放置しておくはずがないが

両者が拮抗しているのは
この伊達輝宗と蘆名盛隆がいるからであろう。




ならば――――――。



兼続の中にある策が浮かんだ。








その年の8月
上杉景勝は直江兼続、安田能元、藤田信吉ら八千の兵をもって
昨年奪われた水原城付近へ進行した。

迎え撃って出てきた兵を撃退するとその地に数千の兵を抑えとして置き


その勢いのままに景勝軍は進軍を進めた。



そこに新発田重家が城を出て上杉軍を強襲した。


上杉の陣は混乱に陥った。



歴戦の猛者・新発田重家の突撃は凄まじく
兵力で勝る上杉を圧倒し、景勝の本陣まで迫っていた。

安田能元や直江兼続が本陣を守ろうとするも
重家の敵ではなく無残なまでに撃ち破られた。

しかし、ここで別働隊が新発田軍を挟撃

これには新発田もたまらず兵を引き揚げた。


どうにか新発田を撃ち破ったものの
被害の大きい上杉方は陣を敷いてどうにか体制を立て直していた。















それから両軍共に陣を敷いて睨み合いが二月近く続いていたある日。



上杉の陣に
蘆名盛隆が城中にて家臣に襲われて殺害されたと言う。





上杉家中にどよめきが走った。

そんな中、景勝は微動だにしなかった。




蘆名家の当主は盛隆の子。
しかし生後1ヶ月と言う。





その夜、景勝は兼続を呼んだ。




此度の件、御主の仕業か。



いえ。
某は蘆名家中で更なる内乱を起こす事で
蘆名の威信の低下を知らしめるために画策はしておりましたが
蘆名の当主の命を奪う事までは。

おそらくは別の者の仕業かと。



だとすれば、此度の件は如何に。


おそらく―――――伊達かと。



幼い蘆名の当主の子の後見として伊達輝宗がなるという。

また、蘆名盛隆が亡くなったその日に
当主・伊達輝宗が隠居して家督を息子・政宗に譲っていた。



伊達は名目上、蘆名を擁護するのだが
伊達の当主は代替わりした事で

弱体した蘆名を攻めるという事も可能となる



伊達はなかなかにしたたか者にございまする。

いずれにせよ、これにより
揚北衆にも動揺が走りましょう。

それによって我らになびく者も増えてくるでしょう。


これを逃す手はございませぬ。




景勝はしばらく黙ったままだった。


それから景勝は遠く月明かりに浮かんで見える新発田城に目をやった。



義父上様のようにはやれぬものだな。



御屋形様――――



わしはわしの戦をするのみ。



御意。


此度の戦を通じて、兼続は己の身の程を感じていた。




武勇に関しては某は新発田の足元にも及ばぬ。
正面から戦えば、たとえ倍の兵力であったとしても
おそらく新発田に撃ち破られる事であろう。


ならば、某もまた某の戦をするのみ。




そうして二人はそのまま新発田城を見つめていた。












今回もこちらの資料を参考にさせて頂きました↓
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Satellite/Shigeie/index.htm



新発田の背後にいる蘆名
そして、蘆名の同盟国である伊達(いだて)を絡めてみました。

ちなみに元々
伊達は(いだて)と読むのが正しいそうです。

それが政宗以降らしいのですが
その読み方が(だて)と変化したらしいです。

諸説は色々とあるらしいですが
正直、(だて)の方がカッコいいですね ̄▽ ̄b


調べてみると蘆名と伊達は結構密接な関係があるみたいです。


さて、蘆名盛隆は男色による揉め事が原因で家臣によって殺害されたとも言われていますが
城中で起きた事件という事で当初は兼続によってこの事件が引き起こされたと考えたのですが

この事件が起きたほぼその日に
伊達家では輝宗が隠居して家督を政宗に譲っているという事と

政宗が当主となってからまもなく蘆名方へ兵を進めているという事もあって
この事件は伊達が主導したのかなぁという感じにしてみました。



伊達と上杉は結構な因縁がありますのでねぇ。


次回はそこに佐竹も加えてみるつもりです(; ̄∀ ̄)ゞナガイナァ

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