篤姫 第37話 「友情と決別」

勅使を御守りするとして江戸に向かう薩摩の軍勢。

朝廷からどのような勅命を突きつけられるのか
幕臣達は戦々恐々


天璋院は思う

幕府の危機は大奥の危機だと。



一方、大奥の京方の面々は
これで攘夷にも弾みがつくと喜んでいた。

その攘夷の先陣を薩摩が切ってくれるという事で。




天璋院は思う。

何故薩摩はこのような事に。


その薩摩の中に小松尚五郎がいればその真意を―――――。


ふと思う。

私は既に薩摩を捨てた身故ならば。

今更それを知ってどうなるものでもない。







江戸についた勅使は
薩摩が提案した次なる意見

1.将軍・家茂の上洛
2.薩摩藩・長州藩・土佐藩・仙台藩・加賀藩の政への参画
3.一橋慶喜の将軍後見職及び松平慶永の大老職就任




これは幕府にとって当然の事ながら無理な申し出だった。


幕臣達は無理よりも道理でものを話そうと時間を稼ぐ作戦に出た。





いずれは有耶無耶になるであろうと。






そこに業を煮やした人物がいた。




島津久光。



彼は大久保に命じた。

どんな手を使っても構わん!
わしがどれほどの覚悟で江戸に来たのか
幕府の者共に見せ付けてやるのだ!!









翌日、勅使との対面の席でいつものように時間稼ぎをする幕臣達。




すると勅使は幕臣達を睨みつけた。

「お答え頂けぬならこちらにも考えがある。」





襖の向こうから鍔を切る音が聞こえた。








状況を察した幕臣達は命を惜しんで勅命を受け入れた。




薩摩としての目的は果たせた。


しかし。

力でもって幕臣達を動かす。


そのやり方に小松帯刀は違和感を感じていた。








それから一橋慶喜は将軍後見職に就任

松平慶永は
大老に代わる新たな役職として政事総裁職を新設しこれに就任した。




こうして朝廷と武力を使って幕府をねじ伏せた薩摩のやり方に
憤りを感じた天璋院は久光に会い、事の真意を正そうとした。

しかし、久光は藩主の後見
この江戸城に彼が登城して天璋院に会うなど身分が低過ぎる。


そこで滝山の知恵を借り
亡き夫の菩提を弔うために寛永寺を向かうという口実を使い
その席で久光と対面する事にした。






表を上げよ。



この度は御目通りが叶い過分なる誉れ


挨拶はよい。
前置きも省く。



いざ、久光を問い詰めようとした時
久光の後ろで平伏する一人の武士の姿が見えた。


それを見て天璋院の心が揺れる。



かの者はこうなる事を知っていて
あの方をここに連れてきたのだと。



努めて冷静を装いながら天璋院は久光に問い質した。








官位も持たぬその方が
武力をもって政に口を出すとはどういう事じゃ。



そのような事など滅相もありませぬ。
某はただ朝廷よりの勅使をお守りするためにございまする。



老中を刀で脅したとの噂があるが。


それは噂に過ぎませぬ。
幕府の負け惜しみにございませぬか。

古い政を壊し強い日本国を作る
そのために薩摩が動かねばなりますまい。

朝廷も私の意見に同意しております。



今の状態では攘夷など無理じゃ。それが分からぬか。


攘夷は無理かと存じます。


それを帝に申し上げたか。


いいえ。帝は攘夷を御望み故。


要するにそちは朝廷に取り入るため己の考えを隠していると。


それは幕府も同じではございませぬか。



天璋院は二の句が告げない。



私は――――私は薩摩に誇りを持ってきた。
薩摩にだけは間違った道へと進んで欲しくなかった。



畏れながら間違っているとは思いませぬが。


徳川家の大御台所としてこの国の安泰を守る覚悟じゃ。
それゆえそちの指図は受けぬ。

もう会う事もなかろう。



畏れ入り奉りましてございまする。



久光のしたり顔が見えるようだった。








会見の後、久光は帯刀と共に薩摩屋敷に戻った。

天璋院様は最早薩摩の味方となってくれるつもりはないようじゃ。


我々の改革に間違いはないはずです。
力で脅したとて―――――



もう二度と会う事もあるまい。


それ以上、帯刀は久光に意見する事が出来なかった。








翌日、薩摩のやり方にわだかまりが言えぬ帯刀は
政事総裁職に就任した松平慶永の屋敷を訪れた。



そこにある男が現れた。




その男は此度の薩摩の強引なやり方で
幕府の改革を迫った事を「下の下」と酷評した。


薩摩の者としては真っ向から否定したい。
ただ、帯刀はその意見には同意だった。


すると、その男は笑った。
「薩摩の方にもこういう御仁がおいでとは」


帯刀はその男に薩摩はどうすべきだったのかと尋ねた。


「上等な人間は力で人は動かさないもんです。心で動かすもんですよ。」



心で―――――


「そういうもんですよ。」


御言葉、胸に染みました。


「益々面白い」と言って男は笑った。


私はその人の御名を尋ねた。





その人は勝隣太郎と名乗った。












その頃、大奥では天璋院の下に宮様が訪れた。


此度の勅使の事でお詫びがしたいと言う。


天璋院はその宮様の言葉が嬉しかったが
此度の一件は朝廷ではなく薩摩が悪いと断じた。


一方で天璋院は薩摩を捨てたと断じた事に


宮様は淡々と答えた。



私は故郷を捨てる事など出来ませぬ。
何があろうと。


それは天璋院さんも同じかと。




その言葉が天璋院の胸に染みた。




その日の夜、薩摩屋敷に
将軍より薩摩藩家老である小松帯刀に江戸城登城の命が下った。




翌日、江戸城に登城した帯刀の前に現れたのは天璋院だった。





小松殿
にわかに呼出たること申し訳なく思うておりまする。

どうしてももう一度会って話がしたいと思い公方様に取り計らってもらいました。

正々堂々と会いたいと思うたのです。



尚五郎さん。ここは大奥です。私の家族。

以前のように話して下さい。







目の前には昔のままの於一がいた。







二人は昔のように囲碁をさした。







薩摩の事をお聞かせ下さい。


今泉の方々はお変わりありません。
今泉家を久光の子が養子となって継ぐ事となり
彼女の兄が隠居する事になった事は言えなかった。


そうですか。
あなたはまだ御一人という事はありませんよね。



妻を娶りました。


御相手はどのようなお方ですか。


近です。


天璋院は驚きのあまり二の句が告げない。


そうなのです。


では、養子に入られた時に。


はい。六年になります。


そうですか、お近さんと。
お子さんは?



いえ、まだ。


そうですか。それにしても御二人が夫婦になられるなんて
縁というのはわからないものですね。



それと私は名を小松帯刀と改めました。


小松帯刀殿


はい。


ふと、天璋院はあの時、万次郎さんから言われた事を思い出した。


どうかなさいましたか。


いいえ。何でもありません。


天璋院様。


はい。


ひとつだけお分かりいただきたいことがございます。


何でしょう。


老中を脅して勅命を受け入れさせた事
私は間違ったやり方だと思います。



それで。


私は己の考えに自信が持てなかったのでございます。
幕府を一刻も早く改革しなくてはならぬと焦っておりました。


そこである人から
『力で動かすのではない。心で動かすのだと。』そう教わりました。




力ではなく心で。
―――――そうですか。


私も間違っていた事がありました。
薩摩など捨てると思い、そうしてきたつもりでした。

でも、私は自分の心に嘘をついていました。
その事をある方に気付かされました。

尚五郎さん、いえ帯刀殿。




はっ


私はこの大奥で徳川を守ります。
でも、あなたは私の愛する故郷を守って下さい。


お会いできて本当によかった。



私もでございます。


それと――――


はい。


参りました。


此度の囲碁は帯刀の勝ちであった。


久しく会わないうちに随分とご立派になられたのですね。
打ち筋が随分違いまする。

また、あなたと会えますように。


天璋院は笑った。
昔と変わらぬままの笑顔で。


お会いできます。
必ずや。



必ず。









それから間もなく薩摩は幕府との折衝を終え帰路に着いた。



そして――――あの生麦事件が起こった。




その知らせを聞いて天璋院は驚愕した。

何故?!
久光は攘夷は無理だと言っていたのに。


そして江戸では薩摩と異国は戦になるやもしれぬと騒いでいた。



天璋院の心が騒ぐ。



薩摩はどうなるのじゃ?!






まず、1点触れておくと
寛永寺での会見で帯刀は天璋院の許しもなく勝手に表を上げておりました。

私ならば即刻打首にします(笑)

まぁ久光は薩摩の国父とはいえ実質は無職
対する帯刀は薩摩藩家老という職がありますからね。

そういう点では久光が表を上げる事を許された時点で
職を持つ帯刀もまた許されたのかもしれませんが・・・・あ~ややこしい(; ̄∀ ̄)



それから、帯刀と天璋院との対面のシーン

寛永寺で会った時は天璋院と帯刀って感じでしたが

江戸城で囲碁を指しているときは

於一と帯刀って感じでした。


帯刀と会った時は天璋院の目も言葉も
薩摩にいた頃と変わらない屈託のない笑顔を見せていたのが印象的でした。

これはいいシーンでした(≧∇≦)b




それと力でもって幕政改革を行った薩摩のやり方というのは
下の下と勝隣太郎は酷評しました。


それはすなわち大久保さんの事と島津久光の事を指しているって事になるんでしょうね。



まぁ多少は黒い感じが自分は好きなんですけどね。

正論だけでは物事は立ち行かない事がありますからね。

私も自分が欲しいものを得るためならば
ヤフオクで多少値が張っても買います。


最近では池脇千鶴さん演じた三条夫人のイラストを書くためだけに
ヤフオクで彼女の写真が出てた雑誌を落札しました。

そのためだけに送料と銀行手数料を合わせると1000円かかりました(; ̄∀ ̄)ゞ

目的が果たせればなんでもいいんです(; ̄∀ ̄)ゞ






それから生麦事件ですが


薩摩藩の行列に対してイギリス人が乗馬したまま横切り
藩士達がその行為を身振り手振りで制止しようとしたものの
イギリス人はその行列の中を歩いていったそうです。

それに怒った藩士の一人が無礼討ちとしてイギリス人を斬ったそうです。

この出来事にイギリスは大いに怒ります。

特に斬られた人の一人は生きていたものの
そこにトドメを刺されたという事が薩摩が非難される事になったようなんですが


ただ、これについては
日本では負傷した者に対して、これ以上苦しまないように介錯をするという
日本の武士ならではの心遣いだった訳で。


いわゆる価値観の相違ですね。



さらに付け加えると
イギリス人が行列を横切る前に

アメリカ人が薩摩藩の行列に遭遇したそうなのですが
この時、このアメリカ人はすぐさま下馬して馬を道端に寄せて行列を乱さないように
道を譲り、脱帽して行列に礼を示したと言います。


このアメリカ人は日本の作法をよく学んでいたという事なのでしょう。


「郷に入っては郷に従え」という言葉があります。


これと同じような言葉に欧米では


「In Rome, do as Romans do.」という言葉があります。



こういう言葉があるのですから
この言葉通りにイギリス人が薩摩の行列に礼を尽くしていれば
このような悲劇はなかったのかもしれません。



そして、この殺害されたイギリス人は
中国での滞在期間が長かったそうです。

そこで彼は「東洋人には強い意志で対応しなければならない」という差別的な考えを持っていたといいます。
一説には中国人を馬上から鞭で打ちつけるような行為をやっていたと言われています。

このような行為の背景にはイギリスと中国(清)
つまりアヘン戦争でイギリスが香港の植民地にした事で
中国人を奴隷のように扱った事で

同じ肌の日本人もそういう風になるだろうと言う思いがあったかもしれません。

それにイギリスの軍艦は強大な清国を破った力と自信があり
それを知っている日本が自分達に手を出すはずがないという思いもあったのかもしれません。



結局、そうした力でねじ伏せるような行為が
悲劇を生み出す事になってしまったという事になるのでしょうかね。



そういう点ではイギリス人がした事もまた「下の下」という事でしょうね(苦笑)





だから「下の下」の者同士だから結局、戦争しか選ぶ道はなかったって事なんでしょう(笑)






さて、次回は家茂の上洛で
天璋院と和宮の間でちょっとしたいさかいがあるみたいです。


なんか大奥中心なんでえらいマッタリしてる気がするのは私だけでしょうかね(; ̄∀ ̄)ゞ

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