風林火山 番外編 山本勘助なる人物について

風林火山でお馴染みの山本勘助。
ただ、この人物が本当に実在したのかについて
結構微妙なとこがあって色んなとこで議論がされているようです。


そこで今回は山本勘助について



実際はどういう人だったのか
彼に関する史料からちょっと考えてみる事にしました。




山本勘助なる人物の生涯が書かれている歴史書は
江戸時代初期に書かれた「甲陽軍艦」の一点のみだそうです。


そして江戸後期以降になると
庶民の間で「甲陽軍艦」が流行り、
浄瑠璃・浮世絵・歌舞伎・軍談等で山本勘助はのみならず
武田信玄やその武将の絵が結構あったようです。



この時、山本勘助の活躍が
歌舞伎や軍談等で脚色されていった事で
その脚色が山本勘助の生涯として流布していったのかもしれません。

それによってどうも
山本勘助=軍師ってイメージが定着しているようです。




資料1
江戸浮世絵に見る 川中島合戦↓
http://www16.plala.or.jp/framart/index.html






しかし、これが近代になると
とある大学の教授の論文で甲陽軍艦の歴史資料としての価値が否定されます。
これはいわゆる創作物ではないかとの位置付けです。

それに伴い「山本勘助」なる人物も架空の人物ではないかとも
考えられるようになったようです。

それから最近になって
川中島の合戦の折に信濃国の武士が武田晴信宛に送った書状が出てきて
その書状に「山本菅助」という名があったそうです。




これにより「ヤマモトカンスケ」なる人物の存在が確認された事になります。



ただ、その書状から察すると
山本菅助なる人物は武田晴信の書状を届けた役割を持っていたという事だけしか確認できないようです。



それから、つい最近
山本勘助が実在した事を証明する下知状が出てきたそうで。

記事元↓
http://inamai.com/news.php?c=shakai&i=200704281732290000019567


この資料が「正しい」として証明されてるかどうかまでは知りませんが
この資料が史料として正当なものになるかどうかは
今後の研究次第になるのかもしれんですね。





それから山本勘助の浮世絵について
ちょっとネットで調べてみたところ、次のような記事を見つけました。


資料2
山本勘助隻眼の秘密↓
http://homepage2.nifty.com/ukiyo-e/page.htm

山本勘助の黄金伝説↓
http://homepage2.nifty.com/ukiyo-e/kansuke.htm


まぁこれらの浮世絵を見ても分かるように
山本勘助は伝説の人物として描かれておりますね。


これらの記事をまとめると山本勘助の隻眼と片足が不自由なのは
山師の流れである事を指し示すものではないかという意見でした。



これは面白いですね。

「もののけ姫」を見た事ある人はご存じかもしれませんが
昔は製鉄を行うために真っ赤に燃える炎の中で鉄を溶かします。
あの場所を「たたら」と言います。

そのたたらで「もののけ姫」に出てくる女性達は
鞴(ふいご)という道具を足を使って踏み込む事で火をおこす作業をやっていました。

「たたらを踏む」という言葉はここから生まれています。

こうして鞴を足で踏む人の事を番子(ばんこ)と呼ばれていたそうです。

またこの番子の仕事は結構な重労働で三時間交替でやっていたようです。

これが「替わり番子」の語源だそうです。



この仕事のやり過ぎにより片足が不自由になる事があったようです。

また、製鉄を行う上で燃える鉄の色で温度を判断するのに
片目をつぶって見ていて、それにより片目を失明していたそうです。
そのために片目の失明は鍛冶の職業病だとされています。

以前、バイトで作業員の方が溶接しているのを
普通に見ていて目がヤラれそうになった事があります(; ̄∀ ̄)ゞ



鉱山開発者の神が片目神・天目一箇神となっていますし
ギリシャ神話の鍛冶技術をもつ神・サイクロプスもまた片目の神です。


ひょっとこというのは漢字で書くと「火男」になります。

ひょっとこのお面は左右の目の大きさが違う事があります。
また、ある地方にはひょっとこのヘソから金を生むという言い伝えもあります。

また火の神様として扱われる事もあったそうです。

これからひょっとこは製鉄に関連したものであると考えられます。


それから1本足たたらという妖怪は片目で片足の妖怪です。

「たたら」と言う名前から、鍛冶に関する妖怪という事は容易に想像できます。
また片目・片足という事からも、まず間違いないでしょう。



こうして見れば片目・片足の人物は鉱山に関連している可能性が高いという事になります。


だから山本勘助もまた鉱山や製鉄に関連した人物であると言えます。


資料2にも触れていますが
山勘という言葉は山本勘助の名前を略したものであるという説と
山師の勘を略した説とあるようですが、
山本勘助が山師であれば、全然どっちでもいいだろうという事です。


それからもうひとつ面白かったのは百足です。


武田の旗には百足が描かれているものがあります。


百足というのは絶対に後ろに下がらないと言われていた事から
戦国時代は縁起物として甲冑とかに描かれていました。

伊達政宗の従兄弟である成実の兜の飾りが百足なのは有名です。


その百足にはもうひとつ、
古来より山の神であると言われていたそうです。
そして金堀衆の象徴とも言われており、
武田の金堀衆を「百足衆」と呼ばれていた事もあるそうです。


そして資料2-山本勘助の黄金伝説にある浮世絵より
山本勘助が百足衆に指示している事から
山本勘助は百足衆の頭目ではないかと考えていますね。

また百足衆は足の多さから伝令とされていました。

それは武田の旗指物からもわかりますが
そうすれば先程の「山本菅助」にも繋がってくるのではないかとも考えられます。



ただ、これらについては明確な証拠と呼べるものではなく
単なる状況証拠なのでなんとも断言が出来ません。

それに片目・片足の軍師に
武田の百足衆を結びつけたのは話を面白く脚色した
可能性もあり得なくはないですからね。

実際は「山本勘助」なる人物はいなかったとしても
武田に対する金山衆の活躍を残すために
甲陽軍艦の著者が「山本勘助」なる人物を作り上げたのかもしれませんしね。



まぁ謎があるから
伝説の人物となるのかもしれませんし面白いんでしょう。






解けないからいつでも楽しめる。



暇があれば、新たな視点から解く事も出来ますし(笑)

こういうのが楽しいのかもしれませんね。




※「たたら」についてはこちらの書籍の内容を参考にしました↓

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