SPドラマ ニセ医者と呼ばれて -沖縄・最後の医介輔-

医介輔とは

第二次世界大戦後、アメリカ統治下の沖縄において認められた代用医師 すなわち医師免許を持たない「医師」が、医介輔です

戦争終盤の1945年4月、米軍は沖縄本島に上陸
「鉄の暴風」と形容される日本最大規模の熾烈な地上戦が繰り広げられ、軍人だけでなく多くの民間人が犠牲になりました
そして1945年8月15日に終戦を迎えますが、その頃には沖縄の医師の数は戦前の1/3、わずか64名にまで激減していました
特に、離島や僻地における医師不足は深刻で、その状況を鑑みてアメリカ(琉球列島米国民政府)は、
元衛生兵などの医療従事経験者を、地域医療にあたらせることを決めます。それが『医介輔』です

医介輔は、「重病患者に対する診療禁止」「医師の指示によらなければ抗生物質を使用してはならない」などの条件付きで、医師による医療が行き届かない地域での医療行為が認められます
そして1951年、試験によって126人(沖縄96人、奄美30人)の医介輔が誕生しました
交通機関の整備も十分になされていない離島や僻地で、野戦病院のように毎日数十人、時に100人を超える患者が深夜まで押しかけてきましたが、医介輔は地域医療の第一線で日夜奮闘します
その後、1972年の沖縄本土復帰時も、沖縄の僻地医療は改善されていないとして、日本政府は「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」を制定
これにより本土復帰後も、これまで通り医介輔は個人開業し患者を治療出来ることが保障されます

正式な医師でない為、時に「ニセ医者」と偏見や差別に晒されることもあった医介輔。
それでも彼らは、沖縄の僻地や離島に住む人々のため、地域医療を地道に支え続けました
そして、2008年10月6日。最後の医介輔であった宮里善昌さんが87歳で引退
戦後沖縄の地域医療を約60年にわたり支えてきた医介輔の歴史が幕を閉じたのです

以上公式 HPより抜粋



これはまだ沖縄がアメリカの占領下にあった時代
宮前さんが39歳の頃から物語が始まります



物語としては見応えがあるものでした

戦場においてただ一人衛生兵として生き残った宮前

彼は「医介輔」というニセモノの医者になったことに怯えていた

自分がこんなことをしていいのだろうか

みんな、自分の事を信じてくれてないんじゃないか


ニセモノの自分にはただ笑う事しかできない


ニセモノだからこそ、一生懸命に自分が出来る事は手を尽くす



なるほどね

資格や肩書きがあっても、だからってそれで有能とはいえない

だから資格や肩書きに負けないように必死に勉強に励み、努力を重ねる

そうすれば、いつか本物として認めてもらえるのかもしれない



その辺りのメッセージはしっかり伝わってきましたね


こういう笑顔で喜怒哀楽をしめすのは流石、堺さんですねぇ

もうバッチシでございます ̄▽ ̄b


それから尾野さん演じる役については
最近はこういう悲劇的な役柄ばかりのような気がしてきました; ̄▽ ̄


あの最期にはこちらも思わず泣きそうになりました


それでもあのラストにはちょっとヤラれますね


それから物語としてはちょいと詰め込んだ感じがしましたかね


全体的にNHKのドラマみたいに全5話とかだと
ちょうどよさそうな感じがします



その時にはキャスティングはそのままでNHKでやってほしいものです ̄▽ ̄

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック