ドラマ化して欲しい戦国武将 「黒田官兵衛」

さて、今回は黒田孝高にござります。
名前として有名なのは黒田官兵衛、黒田如水ですが
如水は出家してからの号なので以降は出家するまで官兵衛で通します。



まず黒田家は元々は近江の武士で
赤松氏に従い備前に移った後、官兵衛の祖父・重隆の代に
その息子・職隆と共に播磨に移り播磨の国人衆・小寺政職の下で働きます。

職隆はその働きを認められ、1545年には小寺氏の家老に引き立てられ
職隆は小寺政職の養女を娶り、小寺の姓を与えられ、更に姫路城の城代にまで
なったそうです。

それから1年後の1546年
小寺官兵衛は職隆の嫡男として誕生します。

官兵衛には弟が三人と妹がおり

妹は1564年に浦上氏と婚姻を結んだのですが
その宴会に最中に赤松氏に襲われ、浦上氏共々彼女は殺害され
黒田家は赤松氏と全面的に敵対関係となります。

1567年 21歳になった官兵衛は家督を継ぎ姫路城代となり
姫路城に攻め込んできた赤松氏を撃退します。

1575年 畿内で勢力を広げる織田信長と
中国地方に勢力を広げる毛利輝元との勢力に対して
織田信長の才能を高く評価していた官兵衛は主・小寺政職に
織田信長への臣従を進め、羽柴秀吉を通じて岐阜城で織田信長に謁見。
更に官兵衛は播磨周辺の勢力も説得して主・政職、別所氏、赤松氏らも信長に謁見
します。


1576年 播磨が織田方になびくのを見て
毛利は水軍5千の兵で官兵衛を攻め込ませますが
官兵衛は毛利水軍が上陸したところを500の兵で攻撃し、これを撃退します。

この後、官兵衛は嫡男・松寿丸を信長の下へ人質として送り
信長が羽柴秀吉を播磨に進駐させると官兵衛は居城・姫路城を秀吉に提供し
小寺(黒田)一族は父・職隆の隠居城に移らせます。

しかし、1578年
播磨で一番の勢力を誇る別所長治が信長に反旗を翻し毛利方につき
また、信長の家臣・荒木村重もまた謀反を起こし有岡城に籠城します。
官兵衛の主・小寺政職もこれに呼応するように信長に反旗を翻そうとしていたのみ

官兵衛は単身、荒木村重が籠る有岡城に向かい交渉をしましたが説得は失敗し
逆に捕縛され、1年近く土牢に幽閉されてしまいます。

その間、官兵衛の主・小寺政職は信長に反旗を翻し

官兵衛が有岡城から戻ってこないのを
信長は官兵衛が寝返ったとみて官兵衛の子・松寿丸を処刑しようとしましたが
竹中半兵衛は官兵衛が裏切る事はないと信じていたので
松寿丸の偽の首を秀吉に進呈させる事で松寿丸の命を救われます。

そして1579年
信長は有岡城を攻め、有岡城は落城
土牢に幽閉されていた官兵衛は官兵衛の家臣・栗山利安によって救出されますが
土牢という劣悪な環境で1年近くいたために左足の関節に障害が残り歩行が
少々不自由になったそうで、これ以降の合戦は輿に乗って行うようになったそうで
す。
この時、官兵衛 33歳。

余談ですが、この時点で竹中半兵衛は病死しており
助け出された官兵衛は息子・松寿丸が今は亡き竹中半兵衛によって命を救われた事
に感謝して
この恩を忘れないために竹中家の家紋を貰い受けております。



1580年、秀吉は三木城に籠った別所長治を籠城戦によって降伏・切腹に追い込

三木城を拠点として姫路城を官兵衛に還そうとするものの
当の官兵衛は「姫路城は播州統治の適地である」と進言したそうです。

そして同年
信長の嫡男・信忠は反旗を翻した小寺政職を討伐
小寺政職は毛利家へ落ち延びます。

そして、官兵衛は信長の命により小寺の姓を改めさせられ黒田の姓を名乗る事にな

これより黒田官兵衛孝高となります。


それからの官兵衛は
1581年の因幡・鳥取城攻めにおいては鳥取城の備蓄米が少ない事を見抜き
鳥取城周辺の米を買い占め、3ヶ月で落城させ

1582年の毛利家家臣・清水宗治が守る備中高松城でも
水攻めに関して秀吉に献策したと言われています。

そして、この年
本能寺の変にて信長が明智光秀によって横死すると
官兵衛は毛利輝元と和睦し、光秀を討つように進言し
ここに中国大返しが出来たと言われています。

そして山崎の合戦、賤ヶ岳の戦いと参戦し
小牧・長久手の戦いでは大坂城の縄張りや
毛利家や宇喜多家と外交交渉を行い両家を秀吉の配下にしたそうです。

この年に官兵衛は秀吉家臣・高山右近の勧めによって
キリスト教の洗礼を受け「ドン・シメオン」という洗礼名を持ちます。



それから官兵衛は賤ヶ岳の七本槍に習い
自らの家臣で24人の精鋭を選出してこれを「黒田二十四騎」と名付けます。
更にこの24人の中で優れた8人を「黒田八虎」と呼んだそうです。

この黒田八虎の筆頭に黒田職隆の次男・黒田利高
他に黒田職隆の三男・黒田利則、黒田職隆の四男・黒田直之と
官兵衛の弟3人が皆、武勇の優れた家臣として活躍しております。

他には黒田一成
彼は元は加藤の姓を名乗り、彼の父親は荒木村重の家臣だったそうで
荒木村重が官兵衛を幽閉した際にこの彼の父親が官兵衛に色々と世話をしたそうで
官兵衛はその恩に報いるためにその父親の子を自分の養子にしたそうで
それがこの黒田一成だったそうです。


それから有岡城で官兵衛を救出した栗山利安も黒田八虎の一人で
黒田軍の先手の片翼の大将を務めたそうです。

もう一人の片翼の大将を務めたのが
黒田八虎の一人で「黒田節」にも謳われる母里太兵衛です。


そして大坂の陣で散っていったあの後藤又兵衛も黒田八虎の一人です。



1585年の四国征伐では
官兵衛は宇喜多秀家の軍監となり長宗我部家の諸城を陥落
この官兵衛の活躍により長宗我部軍は降伏したそうで。

1587年の九州征伐では
官兵衛は羽柴秀長の軍監として活躍。

これにより官兵衛は豊前国・中津12万5千石を与えられます。

この年、肥後国で一揆が発生
官兵衛は肥後国に一揆鎮圧の兵を送りますが

その間に豊前でも豊前の国人衆・城井氏が一揆を起こします。

官兵衛の息子・長政と黒田家家臣・後藤又兵衛らが
城井氏を迎撃しますが、鎮圧に失敗。

その後、官兵衛は城井氏を鎮圧
和睦をするのですが、秀吉は城井氏を許さず結局、城井氏は謀殺されます。


また、この年に秀吉はバテレン追放令を出すと高山右近はこれに反発して追放されますが
官兵衛はキリスト教を捨てたそうです。

そして1589年に官兵衛は嫡男・長政に家督を譲り「如水軒」と号します。

如水はその後も秀吉の側近として仕え小田原征伐では小田原城に入って
北条氏政・氏直親子を説得し、無血開城させたそうです。

その後、朝鮮出兵では宇喜多秀家の軍監だったそうですが
石田三成との間に確執を生じ、その結果、秀吉の怒りを買ったそうで
その後、如水は出家したそうです。


如水は毛利家、その中でも小早川隆景と吉川広家と仲が良かったそうです。
小早川隆景は如水に対して
「貴殿はあまりに頭がよく、物事を即断即決してしまうことから
後悔することも多いだろう。
私は、貴殿ほどの切れ者ではないから、十分に時間をかけたうえで判断するので
後悔することが少ない。」と語った事があるそうです。

ですが、隆景は死の間際
「如水が休息地を求めても貸すな」と周囲の者に語ったそうです。

これは如水は隆景がいればこそ、彼がいなくなれば
如水には今までの恩や情は通用しないだろうと隆景は考えていたみたいです。


秀吉は後に自分以外で天下を治める人物として
小早川隆景と黒田如水の名を挙げています。



そして1598年 秀吉が亡くなると如水は伏見屋敷に住み
毛利家家臣・吉川広家に対して

かようの時は仕合わせになり申し候。はやく乱申すまじく候。そのお心得にて然るべき候

このような書状を送ったそうです。
この書状から如水は秀吉の死後、天下が再び乱れる事を予見していたようです。

その後、関ヶ原の戦いが起こると如水の嫡男・長政は家康の養女を正室としていた縁から
東軍に与し、後藤又兵衛ら主力を率いて関ヶ原で戦功を挙げます。


一方、如水は中津にあり、黒田家の兵の大半は長政が率いたため
中津にはほとんど兵はいなかったそうです。

如水は倹約家で知られ、不要になった物は家臣に売り下げ
城には天守閣を築かず矢倉で代用するなどで蓄財に励んだそうで

如水はここで金を惜しむことなく領内の百姓に与え
9千の兵を作り上げ、その兵でもって西軍に与した大友軍と戦い
これに勝利します。


その後、如水は西軍に与した勢力の城を次々に落とし
関ヶ原で敗走した島津義弘と立花宗茂と戦い、両軍の軍船を焼き沈めたそうです。

その勝利の勢いそのままに鍋島、加藤らの勢力を加え
島津討伐をしようとしたところ、徳川家康と島津との和議が成立した事で
停戦命令を受け、如水は軍を退いたそうです。


関ヶ原の戦いの後、如水は中津城から福岡城に移り住み
隠居生活を送り、1604年に京都伏見の藩邸で59歳で亡くなったそうです。



黒田官兵衛は築城の名手だったそうで
それを考えると秀吉の配下だった加藤清正、藤堂高虎はもしかしたら
官兵衛から築城の技術とかを学んだりしたのかなと思ったりして。


後、官兵衛は千利休と親交があったそうですが
その千利休の弟子に荒木道薫がおります。

この荒木道薫はかつて官兵衛を1年間幽閉したあの荒木村重その人ですからね。

彼は1586年に堺で死去したそうですが
これについては官兵衛が暗殺したと考えても面白いのかもしれません。
というか、そっちの方がありえそうなんですけどね ̄▽ ̄

また、晩年の如水は家臣に対して冷たく振舞ったそうですが
これは自分の死後、殉死者を出さないとも、嫡男で黒田家の当主である長政に
家臣の忠誠を向けさせるためとも言われています。


流れる水の如くの柔軟さ
その辺が正に「如水」に通じているのでしょうね。


でもって、如水は基本的に自分の持ち物は家臣に売っていたそうなんですが
死の間際、自分が愛用した兜を家臣である栗山利安に送ったそうです。

この栗山利安は前述したように
かつて如水が有岡城に幽閉された折に救出してくれた家臣です。


その恩は何十年経っても如水の中で忘れる事はなかったのかもしれません。





さて、その黒田如水のキャスティングですが
真っ先に思い浮かんだのが内野聖陽さん。


これはもう「風林火山」の影響が強いですが
この如水の事を調べてると「静なる動」の印象が強かったのもあって
どうもイメージ的に内野さんがガッツリハマるかなと思ったりして(; ̄∀ ̄)ゞ

ただ、これは「風林火山」のイメージの影響がかなりあると思いますので

内野さん以外でそういう雰囲気が似合う役者さんとして

大体40代で考えた場合には
吹越満さんがいいのではないかなと思ったりします。


吹越満が官兵衛ならば
徳川家康には渡瀬恒彦さん、小早川隆景には津田寛治さん
栗山利安には田口浩正さんがいいかなと。

まぁモロバレのような面子ですけど ̄▽ ̄ゞ


ちなみに秀吉は自分の中では
最近は小日向さんがブームです ̄▽ ̄

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この記事へのコメント

キッド
2009年09月05日 05:42
ikasama4様、こんばんは。
官兵衛と半兵衛という秀吉のふたりの軍師はロマンチックですな。
「秀吉」の官(伊武雅刀)半(古谷一行)は名コンビでしたな。
播磨三木城攻めの頃、半兵衛が36才、官兵衛が34才、秀吉が42才。
このトリオは強烈です。
妄想の飛騨忍軍は半兵衛が遠藤氏と縁戚で遠藤氏が姉小路氏と縁戚である。
このあたりから生じてくるわけですが半兵衛没後に官兵衛が受け継いだと。
本来、黒田氏は近江佐々木氏(水神・犬神系)とも関係があり
竹中氏は近江・美濃国境が根城。半兵衛は一時期浅井氏に仕官してますし。
そして・・・何よりも関ヶ原近在の一族なのですな。
もう・・・むふふでございます。
竹中ジュニアと黒田ジュニアは仲良しこよしですし~。
秀吉(小日向)なら半(要潤)で官(松田龍平)が・・・。
思い切って半(タッキー)で官(錦戸亮)も・・・。
まあ・・・軍師というよりも妖術使い色濃いですけど~。

ikasama4
2009年09月06日 01:13
キッド様
こんばんはです。
「秀吉」の時の両兵衛はホント名コンビでした ̄▽ ̄b

なるほど、飛騨の忍はここから来ていた訳ですね。

官兵衛が竹中家の家紋を貰った事は
忍軍の継承の意味合いもあったとすれば
なかなかに妄想が膨らみます ̄▽ ̄ゞ

小日向さんがくれば、やっぱりそうきますかね。

タッキーと錦戸さんは犬同士ってやつですか。
まぁタッキーは八犬伝に出てましたので
渡部さんを如水にして
八犬士を黒田八虎にしても・・・って
一人女だし、もう一人は保釈中だし
なかなかに前途多難(; ̄∀ ̄)ゞ
みのむし
2009年09月06日 07:47
黒田さんは、前にまっちゃんが
面白いことを言ってたので
やってほしいですねぇ。
キッド様の案いいですねぇ。
私は前者でやっていただきたい!
ikasama4
2009年09月06日 22:32
みのむし様
そういえばまっちゃんの番組で
「ついていない武将」って言ってましたからね。

前者の案は楽しそうですね ̄▽ ̄♪

でも、晩年の善男は壊れちゃうからなぁ(; ̄∀ ̄)ゞ
2009年09月10日 00:20
ikasama4様、はじめまして。いつも楽しく拝読しております。
特に、今年の大河の的確なつっこみの切れ味は最高です!
この「ドラマ化してほしい戦国武将」も、今年のもやもやを和らげる
清涼剤のように思いながら、読ませていただいております。

黒田官兵衛ですか~、いいですね。
司馬遼太郎『播磨灘物語』を読んで以来、かなり好きな武将です。
同『関ヶ原』でも良い味出してますし、変な主人公補正がいらない感じの人物ですし。

野心はあっても欲はない、そういう複雑で魅力的な感じ・・・となると、
私もやはり真っ先に内野聖陽さんが思い浮かびましたが、
香川照之さんとかもどうかなと思います。
あと、ちょっと背が高すぎるかなと思いますが、伊勢谷友介さんも良いかと。
もしくは、伊勢谷さんは長政役でも良いかもと思います。
あと、官兵衛父の職隆に小日向文世さんで、大河なら彼から描いてほしいです。
この黒田の父子三代って、各々キャラが立ってて面白いと思うので。

あと、半兵衛様は、堺雅人さんはどうですか?
華奢で恬淡としつつ度胸が据わっている感じで。
そして、半兵衛ジュニア重門には松田翔太くんがいいなと。
去年の十三代と十四代の夢の父子の実現ということで♪
両兵衛ジュニアたちの関ヶ原も面白そうです。

今年の知将(一応?)は、何かもう・・・・・・色々とぬるすぎるので、
半死半生の挫折や絶望を経て大きく飛躍しながらも、
最後は水のように潔く引く男の人生を大河で見せてほしいです。
そして、思い切り男臭く泥臭くしてほしい!と思います。
ではでは。
ikasama4
2009年09月10日 07:21
露様
はじめまして。
このような記事が清涼剤代わりとなり
恐悦至極でございます。

なるほど、香川照之さん。
これはアリだと思いますね。

伊勢谷さんに関しては黒田官兵衛よりも
長政の方がいいかもしれないですね。

黒田三代、こういう描き方は
官兵衛や長政の人格がどのように形成されていったのかを
知る上ではとても面白そうです。

半兵衛に堺雅人さんですか。
堺雅人=幸薄いが定着してきてますね。

でもって
たしかにこのキャスティング、いいです ̄▽ ̄b
重門に松田翔太さんというのもなかなかです。

今年はとにかく
みんなで仲良くやりましょうみたいなぬるさと
僕達こそが正義なんだみたいな描き方が
ある意味、イタイですね。

大河ドラマでイケメンを取り揃えた場合は
毎回こんな感じになってしまうんでしょうね(; ̄∀ ̄)ゞ

>最後は水のように潔く引く男の人生を大河で見せてほしいです。
>そして、思い切り男臭く泥臭くしてほしい!と思います。
全くもって同感です≧∇≦b
かい
2011年02月24日 15:25
高虎と清正は親交があったのは書状で確認できるそうです。
ikasama4
2011年02月25日 00:32
かい様
情報提供、ありがとうございます。
えんかみ
2011年11月02日 20:29
黒官愛してまふ^p^///ていうかBASARAの黒官だったらなんでも^ ^ドラマ化は
良く分かん無いけどとにかく好きいじめられてる所とか基本二次元
ikasama4
2011年11月05日 23:54
えんかみ様
どうもです
BASARAの黒官ですかぁ(; ̄∀ ̄)ゞ
まぁいじられキャラにはなりそうですけどねぇ
後、あの野心は史実でも同じかもしれませんね
イエーガー
2013年06月01日 23:16
2014年大河化決定
まさか本当になるとは・・・

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