ドラマ化して欲しい戦国武将 「小早川隆景」

今回は小早川隆景
毛利元就の三男にして兄・吉川元春と共に「毛利の両川」として
毛利家を支え、その才能を秀吉に愛され大名になったお方です。



さて、その小早川隆景は1533年に毛利元就の三男として誕生します。



  妙     毛
  玖     利
  夫━━┯━━元
  人  │  就
     │
     ├─┬─┬─┬─┐
     │ │ │ │ │
     隆 元 娘 毛 長
     景 春   利 女
           隆
           元



さて、この頃の毛利家の外交政策=政略結婚に関して


     吉              毛
     川              利
     国              弘
     経              元
     │              │
 ┌───┴───┐          │
 │   ┌───│─────┬────┤
 │   │   │     │    │   小
 元━━━妹   妙     毛    毛   早
 経       玖     利    利   川
 │       夫━━┯━━元    興   弘
 │       人  │  就    元   平
 │          │       │   │
 │      ┌─┬─┼─┬─┐   │   │
 │      │ │ │ │ │   │   │
 興      隆 元 娘 毛 長   娘━━━興
 経      景 春   利 女       景
              隆
              元


毛利家は吉川家とこのような親戚関係になっております。

また、元就は兄・興元の娘を分家・竹原小早川家の当主である興景の妻にしています。
小早川家には屈強な水軍を保有しており、海に面する地域がある毛利家としては
この水軍は軍事のみならず、平時においても外交、移動などで大きな強みになっていたようです。

毛利家と小早川家の婚姻関係の背景には両家が大内家であり
その婚姻を大内家が後押ししたというトコロがあるようですが

毛利家と吉川家の婚姻関係の背景には
毛利家としては勇猛な吉川家と同盟を結んで安芸の勢力の基盤を
固める目的があったかと思いますが

吉川家の場合、この時の当主・国経の姉は経久の妻となっている関係でした。
で、経久が毛利家の当主・元就を高く評価し、毛利家を尼子方に
寝返らせるためにまずは婚姻関係を結んで取り込もうとした節があるようです。

ですが、婚姻関係が結ばれてからは
毛利家と吉川家は共同体制を組んでいたようです。

そして1542年に大内方勢力で吉川の当主・興経が大内氏を裏切り
毛利家を含めて大内方は大敗します。

それ以降、毛利家と吉川家の仲は険悪になりますが
吉川家の仲でも毛利方と尼子方で渦中が割れたそうです。

一方、小早川家の方も本家である沼田小早川家では尼子方につこうとする動きもあったそうで
それを分家・竹原小早川家が制していたという事もあったそうです。

そして1541年に分家の竹原小早川家の当主・興景が亡くなります。
興景がいなかったため、小早川家の重臣の求めと大内氏の勧めにより
1544年に元就は三男の隆景を竹原小早川家の養子とし
隆景は竹原小早川家の当主となります。

この時、隆景は11歳です。


1547年
元就の妻・妙玖夫人が亡くなると
元就は吉川家・小早川家の乗っ取りに動き出します。

吉川家の毛利方重臣と謀り、次男・元春を吉川氏に養子として送り込み
当主・興経を強制的に隠居させ、興経とその一族を殺害し
元春を吉川家の当主にします。


そして1550年には
本家である沼田小早川家の当主・繁平が盲目になった事で
繁平方の小早川家の重臣を謀殺し、繁平を出家・隠居させ
竹原小早川家の当主である隆景に繁平の妹を娶らせ
沼田小早川家の家督も継がせます。


こうして見ると毛利元就の謀将の一端を垣間見る事が出来ます。

ちなみにこんな形で繁平の妹と結婚した隆景ですが
夫婦仲は良く、二人の間に子はおりませんでしたが
隆景は側室を置く事はなかったそうです。


そして、小早川家は毛利家に臣従し
隆景率いる水軍は毛利家の大きな戦力になります。

特にその活躍が大きかったのは1555年の厳島の戦い
隆景は家臣・乃美宗勝を通じて村上水軍を味方に引き入れ
陶晴賢率いる水軍を撃ち破って海上を封鎖し、毛利の勝利に貢献します。


それから「三本の矢」の逸話がある
隆景と二人の兄・隆元、元春との兄弟に関して

1563年に元就が隠居し、家督を隆元に譲るのですが
元春と隆景は何か家中の相談事を父・元就にしていたようで
それに対して当主である隆元が蔑ろにされたと憤って

そうして息子の様子を知って元就はあの「三本の矢」の教えを行ったという
逸話があるそうですが

毛利家はかつて
元就の前の当主である兄・興元が亡くなった際に

次の当主の座を巡って元就は弟・元綱と争い
弟を死に追いやったという過去があります。


そういうトコロも影響が強いのかもしれません。



さて、隆元に関しては父と比べて温厚な人間で
軍事・軍術能力に優れた次男・元春や
外交・軍略能力に優れた三男・隆景と比べると
凡庸な人物に見え、隆元は有能な父や弟と自分を比べて
結構悩んでいたとこがあったそうです。

特に父が築いてきたものを自分が壊してしまったら
どうしようとか思っていたとか(; ̄∀ ̄)ゞ


ですが、仁孝に篤く内政・財務能力に優れた方でもあったそうです。


それが分かるのは1563年に隆元が急死してからの後の事です。


まず、隆元の死後
毛利家の収入が約4000石ほど減少し
領内での国人衆のいざこざ等が発生したそうです。


元就や元春、隆景がそういう部分に煩わされる事がないよう
隆元が毛利家を支えてきた事実を元春、隆景は知り
それから二人は毛利の両川として更に毛利家に尽くすようになったそうです。


それから隆景は父・元就と兄・元春と共に
隆元の後を継いで毛利家当主となった輝元の補佐し

元春が毛利家の軍事を担当
隆景が内政・外交の両方を担当するようになります。


さて、当主になった輝元は優柔不断で祖父の元就から
「すぐに機密を漏らす」とぼやかれていたそうで
それでいて結構わがままな性格だったみたいで

隆景はこの輝元の教育係を行っていたらしく
輝元が粗相とかをしたりすると隆景は容赦なく輝元を殴って
厳しい教育をしていたようです ̄▽ ̄






その後、隆景は父・元就と共に尼子氏を滅ぼし
伊予の河野氏の支援のために伊予に出兵したり
大友氏と戦うために九州に出兵したりしています。


そして1571年に父・元就が死去すると
元春と隆景は毛利家の支柱となって活躍してきます。



元就は生涯を通じて、これだけの子がおります。


            毛
            利
            元
            就
            │
  ┌─┬─┬─┬─┬─┼─┬─┬─┬─┬─┬─┐
  │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │
  │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │
  二 毛 末 天 出 毛 穂 小 吉 宍 毛 長
  宮 利 次 野 羽 利 井 早 川 戸 利 女
  就 秀 元 元 元 元 井 川 元 隆 隆
  辰 包 康 政 倶 秋 元 隆 春 家 元
              清 景   夫
                    人








これを夫人別に分けてみるとこんな感じ。



  乃━━━┯━━━━━━━━━毛     妙
  美   │ 矢━┯━━━━━利     玖
  大   │ 田 │ 三━┯━元━━┯━━夫
  方   │ 氏 │ 吉 │ 就  │  人
      │   │ 氏 │    │  
      │   │   │    │
      │   │   │    │
      │   │   │    │
  ┌─┬─┤   │ ┌─┼─┐  ├─┬─┬─┬─┐
  │ │ │   │ │ │ │  │ │ │ │ │
  小 天 穂   二 末 出 毛  小 吉 宍 毛 長
  早 野 井   宮 次 羽 利  早 川 戸 利 女
  川 元 田   就 元 元 元  川 元 隆 隆
  秀 政 元   辰 康 倶 秋  隆 春 家 元
  包   清            景   夫  
                       人


この中で四男・元清は三人の兄に劣らぬ知勇兼備の将で
九男・秀包は元春と並ぶ武勇に優れた将だったそうで
あの立花宗茂に匹敵する強さだったそうで
後に立花宗茂と義兄弟の契りを結んだそうです。



さて、1574年になると東より織田信長が侵攻し
中国地方に勢力を拡大しようとしてきます。

信長は毛利方である備中の三村氏を寝返らせ
更に九州の大友家と誼を通じて毛利家を攻めさせます。

これに対し隆景は三村氏を討伐し水軍を率いて大友家と戦います。


そして1576年に足利義昭が毛利家に落ち延びた事により
毛利家は織田家と全面的に戦う事になり

元春が山陰地方、隆景が山陽地方を担当します。


同年に信長に敵対する石山本願寺を救援するために
隆景は小早川水軍、村上水軍を率いて織田方の九鬼水軍を撃ち破ります。

この時、毛利の水軍は焙烙によって織田方の船を次々と焼き払ったそうです。


そうした勢いもあり播磨では織田方についた国人衆が
毛利方に寝返る者が増えていったようで



それから2年後の1578年に
織田の支援を得て反抗してきた尼子家の残党を完全に打ち滅ぼします。

ですが、この年に再度、織田方の九鬼水軍と戦った際には
九鬼はこの前の敗戦を教訓に焙烙でも燃えない鉄甲船を配備し
これによって毛利水軍は敗れてしまいます。

ここから織田信長の侵攻が始まります。

1579年に備前の宇喜多直家が織田方に寝返り
1580年には播磨・三木城が落城
1581年には因幡・鳥取城が落城
そして1582年に備中高松城が包囲されてしまいます。

隆景は元春と共に3万の兵を率いて救援に向かったのですが
秀吉も3万の兵を率いており、兵の上での実力は拮抗。

隆景は秀吉との戦いを避け
安国寺恵瓊を使者にして秀吉との和睦交渉を行います。


その最中、本能寺の変が起こります。
本能寺の変を知った秀吉は毛利方に信長の死を隠して
和睦を結び、明智光秀を討つために京に戻ります。

その後、信長の死を知った毛利家では
吉川元春らが秀吉を追撃すべきと主張したのに対して
隆景は和睦を行ったばかりなのに追撃するのは不義にあたり
また、信長の死に乗ずるのは不祥であると主張し
毛利家は秀吉を追撃しなかったそうです。

まぁ秀吉が水攻めにした高松城の堤防を決壊させて
辺りに泥沼ができ、毛利軍が追撃するのが不可能だったとも言われているみたいですけど。


その後、毛利家はしばらく静観していましたが
秀吉が柴田勝家を破ると毛利家は秀吉に臣従します。


この時、秀吉方の交渉窓口が黒田官兵衛だそうで。

小早川隆景は黒田官兵衛と仲が良かったそうですが
そのきっかけはもしかしたらこの時かもしれません。


それから隆景は臣従の証として養子・元総(秀包)を人質に差し出したそうです。


  乃━━━┯━━━━━━━━━毛     妙
  美   │ 矢━┯━━━━━利     玖
  大   │ 田 │ 三━┯━元━━┯━━夫
  方   │ 氏 │ 吉 │ 就  │  人
      │   │ 氏 │    │  
      │   │   │    │
      │   │   │    │
      │   │   │    │
  ┌─┬─┤   │ ┌─┼─┐  ├─┬─┬─┬─┐
  │ │ │   │ │ │ │  │ │ │ │ │
  │ 天 穂   二 末 出 毛  小 吉 宍 毛 長
  │ 野 井   宮 次 羽 利  早 川 戸 利 女
  │ 元 田   就 元 元 元  川 元 隆 隆
  │ 政 元   辰 康 倶 秋  隆 春 家 元
  │   清            景 │ 夫 │
  └────────────────┐ │ 人 │
                   │ │   │
                   秀 広   輝
                   包 家   元


その後、隆景は四国征伐では伊予・河野氏を打ち破り
九州征伐でも抜群の戦功を挙げます。

その最中、兄・吉川元春、その息子・吉川元長が相次いで亡くなり
隆景が中心となって毛利家を守っていきます。


ちなみに1585年頃
輝元は家臣の妻を好きになりその家臣から妻を奪ったそうで。

当然、奪われた家臣は激怒して
秀吉に直訴すべく大坂に向かったそうですが
これを知った隆景はその家臣を不憫に思ったそうですが
御家のためにその家臣を殺害したそうです。

おそらく輝元はこの後、隆景から相当な鉄拳制裁を食らった事でしょう ̄▽ ̄

この妻というのが、毛利家の次の当主を生んだそうです。



それから朝鮮出兵では養子・秀包と共に朝鮮に渡り、これまた抜群の戦功を挙げております。


小早川隆景の能力は素晴らしく

秀吉からは
「日本の国は西の方は隆景、東の方は家康に任せれば安泰だ」とか
「自分以外で天下を治められる者がおるとすれば黒田如水か小早川隆景」とか
「この世に政治が出来るのは直江兼続と小早川隆景である」とか言ったそうですからね。

秀吉の事だから多少相手を持ち上げているという部分もあるのでしょうけど
そのどれにも隆景が入っているというのが、なんとも面白い限りです。


その後、秀吉は実子に恵まれなかった事で養子として秀俊を迎え
自分の後継者の一人にしようと考えていたのですが

実子・秀頼が生まれた事で秀吉は
秀俊を他家に養子に出す事を考え

そこで実子のいない毛利輝元に養子を出す事を画策します。

隆景は秀吉の意図を知り
まず、弟・元清の子である秀元を輝元の養子として
毛利家の後継者として取り決め

その上で隆景は自らに実子がないので
秀俊を養子に迎えたいと秀吉に申し入れたそうです。


そうして秀俊は小早川家に養子になります。


  乃━━━┯━━━━━━━━━毛     妙
  美   │ 矢━┯━━━━━利     玖
  大   │ 田 │ 三━┯━元━━┯━━夫
  方   │ 氏 │ 吉 │ 就  │  人
      │   │ 氏 │    │  
      │   │   │    │
      │   │   │    │
      │   │   │    │
  ┌─┬─┤   │ ┌─┼─┐  ├─┬─┬─┬─┐
  │ │ │   │ │ │ │  │ │ │ │ │
  小 天 穂   二 末 出 毛  小 吉 宍 毛 長
  早 野 井   宮 次 羽 利  早 川 戸 利 女
  川 元 田   就 元 元 元  川 元 隆 隆
  秀 政 元   辰 康 倶 秋  隆 春 家 元
  包   清            景   夫 │
      │            │   人 │
      │            │     │
      │            秀     │
      │            秋     輝
      │                  元 
      └──────────────────┐
                         │
                         秀
                         元


で、隆景のもう一人の養子・秀包は秀吉によって
独立した大名として取り立てられたそうです。

秀俊が養子となってから1年後の1595年に
隆景は秀俊改め秀秋に家督を譲って隠居します。

その後、小早川家の家臣達は全て秀秋が
豊臣家時代に仕えていた者ばかりで

元々それまでいた小早川家の家臣は全て
毛利家に引き取られる形になります。

これはもし、小早川家に何らかの問題があったとしても
毛利家とは一切関係がないようにするためのものかもしれません。


後年、関ヶ原の合戦後
小早川家が改易しましたが
どこまで見えていたかは分かりませんが隆景の先見の明は
かなりのものだったのでしょう。


隆景は「常に危うき戦いを慎み、謀をもって屈せしむる手段を旨とす」と
評されていたそうですからね。

そして、1597年 6月12日に隆景は65歳で亡くなります。

隆景は亡くなる間際、同じく病に伏していた弟・元清と
どちらが先に逝くかと語り合っていたそうです。

ちなみに弟・元清が亡くなったは1597年 7月9日だったそうです。




隆景は何度も言うようですが、とにかく素晴らしい武将だったみたいです。


ですが、隆景がいなくなった事で

毛利家を守る重鎮がいなくなり
それがために毛利輝元が暴走し
関ヶ原の戦いで家中が分裂し、大幅な減封を招いたって感じですかね。



また、隆景は容姿端麗だったそうで
そのために大内家の当主・大内義隆と衆道関係にあったとも言われています。




さて、そんな隆景のキャスティングですが
あんまイケメンにすると某大河ドラマみたいにえらい方向に暴走するので(; ̄∀ ̄)ゞ



雰囲気的には市川染五郎さんとかがいいかなと。
かつて市川染五郎さんが大河ドラマ「黄金の日日」で
海を渡り歩く主人公・納屋助左衛門を演じていたので

その「海」繋がりで(; ̄∀ ̄)ゞ


その他には渡部篤郎さんで、「毛利元就」で毛利興元から
隆景を見せてくれるって展開もありかもしんない ̄▽ ̄ゞ

そういう点でいえば上川隆也さんとか
西島秀俊さんとかもありかもしんないです。

その他
毛利隆元には緒形直人さんか石黒賢さんで
吉川元春には吉田栄作さんか山口智充さんで

毛利輝元には岡田義徳さんか高橋一生さんで
でっかい元春と隆景からガンガンにドつかれる構図も面白そうです ̄▽ ̄


そして毛利元就には個人的に
根津甚八さんでお願いしたいです ̄▽ ̄ゞ

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この記事へのコメント

キッド
2009年09月13日 10:11
ikasama4様、こんにちは。
毛利輝元のダメ殿ぶりはまあ・・・オジキたちが有能すぎた
という実子相続によくある話でございます。
杉元宣の児玉の方強奪事件は
凌辱淫獣緊縛出産というその手のゲームになりそうです。
まあ周防の杉氏(大内系)と出雲の佐世氏(尼子系)の
微妙な抗争関係も背景にありそうです。
黒幕は児玉氏(尼子系)だったりして。
とにかく二人の怖いオジキに睨まれて30年。
関ヶ原合戦前の輝元は羽根が生えた気分に。
その気分だけを考えると
輝元を市川染五郎にして
隆景は松平健
元春を藤波辰爾で・・・。
輝元物語も見たくなりました。
不良兄を見守る薄倖の妹・津和野局(松たか子)で。
隆元は松本幸四郎・・・享年41なので相当若作りで。
隆景が染五郎なら
秀吉(織田裕二)信長(木村拓哉)なんていう
豪華キャストを妄想してしまいます~。
ikasama4
2009年09月13日 22:47
キッド様
こんばんはです。
輝元は人はいいみたいですが
乱世においてはその性格は相当な足かせだったようで
関ヶ原で総大将に担がれたのもそのためで

それがために毛利家は減封されたといっても
過言ではないかもしれません。

そんな中で輝元は
家臣の合議制から藩主への権力を一極集中する方向に
奔走していったみたいです。

これもまた御坊ちゃま故のわがままが成せる業かもしれません。


松本幸四郎家族からなるキャスティングも面白そうですね。

でもって、秀吉と信長の豪華キャスト
面白そうですネェ。

ギャラ単価とスケジュールが
どうにかなりさえすればなんでしょうけど。

まぁ妄想でも十分楽しいですけど ̄▽ ̄♪
SFurrow
2009年09月14日 21:34
元就死後の毛利家の歩みもドラマチックですよね~
盲目となった小早川繁平のエピソードは、確か大河の「毛利元就」でもやりましたよね。これは当然毛利家視点だったので、繁平が家臣たちに抹殺されそうになるところを毛利家が助けるという形になっていて、家中で唯一繁平の味方になる忠臣を意外にも野口五郎さんがやってた記憶があるんですが・・・(記憶違いかもしれませんが)

兄弟の確執が家を滅ぼす例があまりにも多いことを考えると、「賢い弟」というのが成功のキーワードかもしれませんね。武田信繁しかり。
小早川隆景、私は西島ジャッジに一票でございます。あ~西島さんは隆元でもいいかな?
キッド様案の、マツケン隆景+染五郎の輝元もいいですね。この場合は教育物語がメインですね。今の「天地人」の輝元=中尾彬は、ちょっと貫禄ありすぎで、この前隆景(誰だっけ?)と一緒に写るシーンがあったけれど、どっちが叔父さんかわかんなかったな~。
輝元は、いろいろ問題の多い三代目だったかもしれないけど、ともかくも家を幕末まで存続したのみならず、維新の原動力にまでなったというのは、やっぱり、叔父さんたちの「教育力」のたまものといえるのでしょうか。
ikasama4
2009年09月15日 00:32
SFurrow様
そうですねぇ。
元就亡き後の毛利家はホントスゴイです ̄▽ ̄b
>盲目となった小早川繁平のエピソードは、確か大河の「毛利元就」でもやりましたよね。
そうですね。あの回は結構印象に残ってます。

たしか、その忠臣を演じたのは名前が出てこないのですが
「高校三年生」を歌っていたベテラン歌手だったと
思います。

>兄弟の確執が家を滅ぼす例があまりにも多いことを考えると、「賢い弟」というのが成功のキーワードかもしれませんね。武田信繁しかり。
そうですね。
戦国時代を振り返ると
兄弟仲がよいというのが成功というか
御家が続く一因となっているんだと思います。

西島さんもたしかにありですね。

そうそう、中尾さんの輝元。
あれ貫禄がありすぎです ̄▽ ̄

小早川隆景を演じたのは横内正さんですが
そういう点ではあまり存在感がなかったかも(爆)

幕末の原動力という点では
自身にその能力がなくても能力ある者を取り立てる
そういう人を使う才が毛利家にはあったと見ると
いいのかもしれませんね。
SFurrow
2009年09月16日 07:43
そうでした!あれは野口五郎じゃなくて舟木一夫だった!!
きゃ~間違えてしまいました(恥)舟木さん、あの「おのおのがた」の赤穂浪士で矢頭右衛門七を演じていたから、大河歴は古いはずですが、毛利元就でのこのワンポイント出演は意外でびっくりしたのを覚えています。
その後、野口さんが、NHK朝ドラや吉宗・功名が辻などでなかなか好演していたので、いつのまにか混同してしまったようです。
ikasama4
2009年09月16日 22:29
SFurrow様
あぁ、舟木一夫さんでしたね。
すっかり名前が出てこなくなりました(; ̄∀ ̄)ゞ

たしか、小早川家の重臣ながら
隆景の養子縁組に反対する家臣を一刀の下に
斬り捨てるシーンが印象的でした。

まぁ私もよく間違えますので
あまり御気になさらず ̄▽ ̄ゞ
2019年05月03日 11:49
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2019年06月12日 12:27
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