ドラマ化して欲しい戦国武将 「松永久秀」

今回は松永久秀にございます。

松永久秀といえば
あの織田信長をして「悪人」と言わしめたのですからね。

彼がした悪事で有名なのが

まず、久秀が仕えた三好家で謀略を用いて
次々とその家臣(主の子や弟)を暗殺した事。


次に時の足利将軍・義輝の暗殺。

三つ目が東大寺の焼き討ちですからね。

流石の信長でもここまでは出来ませんからね ̄▽ ̄



さて、そんな松永久秀は1510年生まれと言われていますが
彼の前半生はまったくもって不明でございます。

土豪の出身という説もあれば、商人出身という説もあり

俗説では「蝮」と呼ばれたあの斎藤道三と旧知の仲だとも言われています。


そんな久秀が時代の表舞台に出てくるのは
1540年、管領・細川晴元の家臣・三好長慶の
右筆(武家の秘書、事務官僚のような職)として仕えます。

この頃、三好長慶は知勇に優れ、その働きは目覚しく
細川氏の重臣として最大の勢力を誇っていたそうです。


それが1549年
三好長慶は主・細川晴元と対立する細川晴元に寝返り
将軍・足利義輝と細川晴元を近江に追放し
同族ながら、長慶の父を討った三好政長を討ち
幕府の実権は三好長慶が掌握する事になります。


この頃、松永久秀は
三好家の家宰(家長に代わって家政を取りしきる職責)に任じられ
弾正忠に任官され、更に長慶の娘を妻に迎えています。

これは長慶が久秀を重用していたともとれますが
長慶が主を追放して政権を掌握した褒賞の意味合いが
あったのではないかと思われます。

それからの久秀は
長慶に従い、幕政に参加し
1553年に滝山城城主に任じられ
1559年に大和国・信貴山城の城主となり
1560年に大和国を統一し、将軍・足利義輝の相伴衆となり従四位下・弾正少弼を任官
1562年に多聞山城を築城し、そこを居城にし
1564年に大和の戦国武将・筒井氏の居城・筒井城を奪います。



一方の三好家はというと
1553年に足利義輝・細川晴元と争い
1558年に足利義輝・細川晴元と和睦を結ぶものの、幕府の実権を将軍に返し
1561年に細川晴元の子・晴之ら同盟軍に京都を奪われ、長慶の弟・十河一存が30歳で急死
1562年に長慶の弟・三好義賢が36歳で戦死。
1563年に長慶の子・三好義興が22歳で急死。この頃より長慶は病気がちになります。
1564年に長慶の弟・安宅冬康に謀反の疑いがあるとして自害させ
それから間もなく長慶は42歳で亡くなります。



その後、三好家は義賢の子で長慶の養子となった義継が13歳で当主となるのですが
実際の三好家は松永久秀と三好家の家臣である三好長逸・三好政康・岩成友通の三好三人衆が
牛耳っていきます。

ちなみに十河一存は武勇に優れた武将で
松永久秀は仲が悪かったそうなんですが
十河一存は有馬温泉で松永久秀と湯治中に突然死したそうで(; ̄∀ ̄)

三好義賢もまた優れた武将だったそうですが
畠山氏との戦で畠山氏についた紀伊の根来衆の鉄砲で射殺されます。

また、三好義興も優れた武将だったのですが、自分の城で突然死ですし

安宅冬康にいたっては温厚で心優しい性格の武将だったのですが
松永久秀が長慶に「安宅冬康が謀反を企んでいる」との言葉を信じて
安宅冬康を自害に追い込みます。



なんとも松永久秀の暗躍の匂いがしますねぇ ̄▽ ̄



長慶が存命中の頃から久秀は将軍・足利義輝を
暗殺するように長慶に進言していたのですが、長慶はそれには反対し続けたようです。

三好長慶の死から1年後の1565年に
松永久秀は三好三人衆と共に将軍・足利義輝を討ち果たし、幕政を牛耳りますので


久秀は己の計画を実現するために
次々と三好長慶の身内の命を奪い
三好家を我がモノにしようとしたんじゃないかって風に思います。


ちなみに後に安宅冬康が無実だと分かると
長慶はうつ病になったと言われ、間もなく安宅冬康の後を追うように亡くなります。



さて、そうして三好家を掌握した松永久秀ですが
そして1565年に久秀の弟・松永長頼が丹波で赤井直正と戦い戦死

1566年には三好三人衆と対立し
三好三人衆は久秀と敵対する筒井氏と手を結び
そして筒井氏は筒井城を奪還して、久秀に対する攻勢を強めていきます。

久秀は三好家の当主・三好義継と共に三好三人衆と戦い

そして1667年に久秀は
三好三人衆が立て籠もった東大寺を攻撃し、東大寺を焼き払います。

その状況下で筒井順慶は織田信長に臣従し
翌年の1668年に信長が上洛してきます。

すると、松永久秀は足利将軍・義満が所有したとされる
名茶器・九十九髪茄子を信長に差し出し、三好義継と共に恭順の意を示し
それにより久秀、義継はそれぞれの所領を安堵されます。

また、三好義継は足利義昭の妹を妻にしています。

それからの久秀は
朝倉家討伐に参加し、信長が浅井長政の裏切りで
撤退を余儀なくされると、久秀は近江国の領主・朽木氏を説得して
信長の窮地を救っています。



ですが、足利義昭によって
信長包囲網が結成されて信長が不利な状況に陥ると
久秀は三好義継を誘って信長を裏切り、信長包囲網の一角に加わります。


で、1573年に武田信玄が病死した事により
信長包囲網が崩れると、信長は足利義昭を攻撃
京より追放されると三好義継は義兄・足利義昭を
自分の領地で庇護するのですが

これに対して信長は三好義継を攻め、これを討ち滅ぼします。


それに対し、久秀は自分の所領にある多聞山城を信長に差し出し、再び降伏します。


その後は信長に仕え、石山本願寺攻めにも参加していたそうなんですが
1577年に上杉氏、毛利氏、本願寺らによって再び信長包囲網が形勢されると
久秀は信貴山城に立て籠もって、再び反逆します。


これに対して信長は久秀を攻め、城を包囲し
降伏を促しますが、久秀はこれを拒否。

このため、信長の下に差し出していた久秀の二人の息子は処刑されます。


そして、信長軍の攻撃が始まると
久秀は信貴山城の天守閣で嫡男・久通と共に自害したとも
爆死したとも言われています。

享年68歳。



と、言われているんですが
実は信貴山城では死なずに
秀吉の御伽衆になったという説があるらしいです。



将軍暗殺とか東大寺焼討とか
そういう極悪非道なる一面がある一方
彼は領国に善政を敷いた名君とされており
未だに地元の人から慕われているそうで


更に容姿端麗で立ち振る舞いが優雅で
連歌や茶道に長けた人物とも言われていて


久秀の子の一人が千利休の養子に
なったんじゃないかという説もあるそうですからね。


また、医師・曲直瀬道三と親交が深かったそうなんですが
どうも久秀の閨房術の師が曲直瀬道三ではないかという説もあるそうで ̄▽ ̄ゞ


それにしても
曲直瀬道三と知り合いで
斎藤道三とも知り合いだとしたら

道三繋がりで面白い限りですし

果心居士とも知り合いだったみたいですしね。


ちなみに松永久秀の久秀の名前ってもしかしたら

尼子経久の「久」と
長井規秀の「秀」の字を取って名乗ったんじゃないのかなと
思えてきたりもしてきます。




さて、そんな久秀を演じる方は

最初に鹿賀丈史さんがパッと思い浮かびましたが

その他の面々としては

野村萬斎さん、玉木宏さん、及川光博さんと

一見すると優しい雰囲気がありながら
その中身の冷酷な一面も持つような二面性を持つ久秀の
キャラと合ってそうな気がします。


個人的にはもちろん
がっつりと悪の華を咲かせて欲しいものです ̄▽ ̄

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この記事へのコメント

キッド
2009年08月22日 13:17
ikasama4様、こんにちは。
松永弾正と聞いただけで悪党と思うのは必定ですな。
なんといっても出自未詳というのが凄みがあります。
家来というかお抱え衆も
奥田三河守(大和源氏忍び衆)
楠木正虎(楠流忍者)
高山ダリオ(南蛮忍者)
土岐頼次(鬼道衆・土蜘蛛衆支配)
本多正信(鳥使いのカムイ)
柳生石舟斎(御主もかっ)・・・という豪華メンバー。
まあ、やるだけのことをやるには
優秀なスタッフがいた・・・ということです。
霊界から丹波哲郎氏に演じてもらいたいところですが
鹿賀丈史さんはその匂いがありますね。
すると信長は舘ひろしで筒井順慶は石黒英雄・・・ダンディ・ダディかっ。
まあ、とにかくねっとりです。
ねっとりと妄想爆発でございますーっ。

ikasama4
2009年08月22日 21:03
キッド様
こんばんはです。
松永久秀も天下を取っていたら
それまでの悪行も信長のように
偉業になっていたのかもしれませんからね。

クリスマスを口実に戦を休止させたという
利用出来るものは何でも利用する男

そういう部分では信長とそっくりかもしれません。

そうそうお抱えの方々も一癖も二癖もありそうな
方達ばかりですからね。

ちなみに次回は本多正信で
彼の師として松永久秀を登場させたいと思っております。

ちなみに信長役は再び緒形直人さんで
石黒英雄さんは三好義継でも面白いかもしれませんね。

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