ドラマ化して欲しい戦国武将 「井伊直虎・井伊直政」

井伊直政といえば後に徳川四天王と称された方です。

徳川四天王は
井伊直政以外に酒井忠次・本多忠勝・榊原康政がいるのですが
酒井忠次・本多忠勝・榊原康政の三人は徳川家(松平家)の譜代の家臣であるのに
対して
井伊直政は家康に中途採用という形で仕えて、そして抜群の戦功・功績を挙げて
彦根藩の藩祖となった方です。


で、井伊直虎という方は
知らない方がおられるかもしれませんが
直政の前の井伊家の当主であり、女性です ̄▽ ̄


まず井伊家について簡単に説明をば。

で、井伊家は遠江国・井伊谷の庄を治める国人衆で今川家に仕えていました。


           井
           伊
           直
           平
           │
   ┌───┬───┤
   │   │   │
   直   直   直
   義   満   宗
       │   │
       │   │
       直   直
       親   盛
           │
           │
           娘


井伊直平は高齢のため、家督を直宗に譲りますが
1542年の三河攻めで戦死し、直宗の子・直盛が後を継ぎます。

で、直盛には娘しか子がいなかったので叔父・直満の子である
直親を婿養子にする約束をして、娘と直親を婚約させたそうなのですが

直盛の家臣・小野道高が
直親が家督相続する事を嫌っていたため、今川義元に讒言をし

1544年に直満は弟・直義共々今川義元によって自害させられます。

そのため、この時9歳の直親は信濃に落ち延び
小野道高の死から2年後の1555年に井伊一族である奥山氏から
嫁を娶り、井伊谷の庄に戻ってきたそうです。

なので、直盛の娘との縁談はなかった事になります。

それから、直盛の娘に幾つか縁談もあったのでしょうが
娘は出家して次郎法師と名乗り、生涯独身を通します。


そして1560年
桶狭間の戦いで直盛は戦死します。

この時、井伊一族で残っているのは高齢の直平と直盛の従兄弟・直親

で、井伊家の家督を直親が継ぎます。

この翌年の1561年
直親に男児が誕生します。
幼名・虎松。後の井伊直政です。


この頃、遠江は混乱状態で
どの国人衆が今川方か徳川方か分からない情勢でした。

それに加えて井伊家家臣・小野道高の子である小野道好も
父親同様、直親が家督相続する事を嫌っていたらしく
1562年に今川氏真に直親が徳川家康と内通していると讒言して
疑心暗鬼にかられた今川氏真に攻められ、戦死します。

で、直親の妻は今川家の家臣・松下氏と結婚し
虎松は姓が松下虎松となります。

更に1563年には
直親の祖父・井伊直平が曳馬城主・飯尾連龍の妻・お田鶴の方(椿姫)に
毒茶を呑まされ死亡します。

一度浮かんだ疑念が消える事がなかったため
今川家はおそらく井伊家の根絶やしを図ったのでしょうね。


その後、飯尾連龍は徳川家に寝返り
井伊家は今川家に従い飯尾連龍が籠る曳馬城を攻めますが、ここで
井伊家の家臣達が討ち死にしていきます。

ちなみに飯尾連龍は後に今川氏真の勧告を受け
降伏しますが、氏真によって暗殺され
曳馬城は飯尾連龍の妻・お田鶴の方が守ります。


その最中、次郎法師は「井伊直虎」と名乗り井伊家の当主となり
虎松を寺に匿い養子として養育していきます。


           井
           伊
           直
           平
           │
   ┌───┬───┤
   │   │   │
   直   直   直
   義   満   宗
       │   │
       │   │
       直   直
       親   盛
       │   │
       │   │
       │   娘
       │   ↓
       │   直
       │   虎
       └───┐
           │
           虎
           松


1568年になると小野道好が井伊谷の庄を奪います。
これに対して小野の専横に反旗を翻した井伊谷の方々の協力を得て
徳川家康に仕え、家康の下で井伊家の実権を回復させます。

その後は家康の配下となって
直虎の曽祖父・井伊直平を毒殺したお田鶴の方がいる
曳馬城を攻略、お田鶴の方は自害します。

更に徳川家康にお願いして
事実無根の濡れ衣で直親を讒言した罪で小野道好を処刑してもらいます。


それから武田信玄の侵攻により直虎は破れ
井伊谷の地を奪われ、虎松と共に家康のいる浜松城に向かいます。


1575年
家康の許しを得て松下虎松を井伊万千代と名乗らせ
300石で家康の小姓として出仕させます。



そうして小姓になった井伊万千代は
とある戦で大久保忠世の陣中に招かれ、他の若手の武将と共に芋汁を振舞われます。
しかし、戦場なので味噌は糠味噌、具は芋の葉や茎が混じったもので万千代は
忠世に「醤油はありませんか」と尋ねたところ
それを聞いた他の武将は戦場にそのようなものがある訳がないだろうと
万千代を批判します。

そして忠世は万千代に言います。
同僚の者達は皆、同じものを食べている。兵士達はこのようなものでも満足に食べられない。
ましてや農民達の中にはもっと苦しい生活をしている者達もいる。
一軍の将になりたいのであれば、この事を絶対に忘れてはならぬぞ。
そのためにここへ呼んだのだ。

と言ったそうです。

新参者でありながら、小姓に抜擢された万千代に対する周囲の家臣の目は厳しかったそうで
その事も含めて将としての心得を忠世は万千代に教えたんでしょうね。

それ以降、万千代は自分を厳しく律していったそうです。

万千代は武田との戦いで数々の戦功を挙げ

そして、1582年
万千代は元服し、名を直政と改め、更に家康の養女で松平氏の娘を娶ります。

ここに家康の直政に対する愛着振りが感じられます。



それを見届けるかのようにしてこの年に養母・井伊直虎は亡くなり
井伊直政が井伊家の当主となります。


それからの直政は後の四天王と呼ばれる
本多忠勝、榊原康政ら、家康子飼いの武将達と同僚になり
本能寺の変では家康の伊賀越えに従い

三河に帰還した後、北条家との戦いで
直政は徳川方の使者として講和を行い

氏直に家康の娘を娶らせ
甲斐・信濃を家康に、上野を北条の領土とし、相互に干渉しないとして
同盟を結びます。

その後、甲斐・信濃を家康が治めると
直政は武田家の旧臣達を多数つけられ
山県昌景の朱色の具足を復活させて
「井伊の赤備え」と呼ばれる精鋭部隊の大将となり
知行も井伊谷4万石に加増されます。

この兵の配置について家中でも異論が出たそうですが

重臣・酒井忠次は
「投降人は投降人が世話するべし」として家中の者達を納得させたそうです。



直政は自分にも厳しかったそうですが
同時に部下にも厳しかったそうで、厳しい軍律を敷き
わずかな失敗も許さずに手討ちにした事もあり
後に従五位下侍従・兵部少輔の官位を受けた事から
「人斬り兵部」と称されたそうです。

そのため、直政に仕えた家臣達はその厳しさに耐え切れず
逃げ出してしまう者が多かったと言われています。


ある時、家康は直政の家臣を呼び集めて
直政の衣服を脱がせて、直政の身体にある戦場の傷をひとつひとつ
涙ぐみながら説明したそうです。
この事を聞いた直政の家臣達はもらい泣きをし、主君である直政のために
全力で武功を挙げようと決意したそうです。


一人の家臣に対してこの主君の可愛がり方はハンパじゃないですね。
井伊直政は男色を好まなかった家康が唯一愛した男性とも言われているくらいですからね。



相当の美男子だったんでしょうね ̄▽ ̄



直政は剛直で無骨、寡黙でありながら
一軍の将になっても自ら先陣に立って
更に軍の中でとにかく先駆けして戦う事を好む苛烈な性格の持ち主であり
そのために戦場では常に傷を負っていたそうです。

まぁこの時はまだ23歳ですからね、と言っても
生涯こんな感じです ̄▽ ̄


その事から「先登の井伊」と呼ばれ

小牧・長久手の戦いでは大将ながら先陣で戦い
「鬼武蔵」と呼ばれた森長可を討ち取る武功を挙げています。

この後、「井伊の赤鬼」と称されたそうです。


その凄さは豊臣秀吉にも評価され
家康と秀吉が和解すると従五位下侍従・兵部少輔に叙任されます。


それから1590年の小田原の戦いでは

豊臣方の武将で唯一、夜襲をかけて
小田原城内に攻め込んだそうです ̄▽ ̄


とにかく気性の激しい直政ですが
唯一、正室に対しては頭があがらない
恐妻家だったそうです。

長男・直勝は正室の子ですが
次男・直孝は正室の侍女に生ませた子なので
直政は直孝が誕生してから十年近く対面しようとしなかったそうです。
それだけ正室が怖いって事なんでしょうね ̄▽ ̄


ちなみに直勝も直孝も1590年生まれです。


そして、1600年の関ヶ原の戦いでは
東軍の先鋒だった福島正則を差し置いて
抜け駆けして先陣を務めます。

流石は「先登の井伊」です ̄▽ ̄b

それから島津義弘軍と戦い、島津豊久を討ち取りますが
島津方の銃弾によって右肩を負傷します。

戦後、毛利輝元との講和
山内一豊の土佐入国に対する援助
島津氏との和平交渉の仲立ち等々
戦後処理と幕府の基礎固めに尽力します。

直政の外交・内政手腕は
石川数正、本多正信・正純親子にも匹敵する程のものがあったと思われます。

この功によって石田三成の旧領・近江国佐和山18万石を与えられます。

石田三成は佐和山で善政を敷き、慕われていたので
直政は三成の内政手法を踏襲するとの御触れを出し
領民達が三成を弔うことを黙認した事で領民達から慕われたそうです。


ただ、佐和山の地は三成の威光が強かったので、それを払拭するために
新たな城を築く計画をしていたのですが

1602年
関ヶ原で受けた鉄砲による傷が元で直政は41歳で亡くなります。


で、井伊家の家臣達は直政の遺志を継いで
築城する場所を検討し、彦根山の地が選ばれます。

そうして築かれた城は彦根城と呼ばれ、これより彦根藩が誕生します。


そして、彦根藩の井伊家は明治維新に至るまで
一度も転封がなかったそうです。



それだけ直政の功績は大きかったという事なんでしょうね ̄▽ ̄b




物語の展開では
前半が井伊直虎メイン
後半が井伊直政メインってとこですかね。


井伊直親と婚約した直盛の娘
しかし、井伊家の家臣である小野氏は
直親達は命を狙い、井伊家の後継者がいなくなったとこで
直盛の娘を妻にして井伊家の乗っ取りを狙うと

それに対して直盛の娘は出家して次郎法師を名乗り
未婚を貫く事で小野氏の陰謀を防いだものの

小野氏は更に井伊家の一族の根絶やしを図り
井伊家で残されたのは次郎法師と直親の幼子のみ。

そこで自らが名を「直虎」と改め当主となり
直政を養育しながら井伊家を守っていく。

もうこれだけでも十分に楽しませてくれそうです。


で、井伊直虎には尾野真千子さんがいいかなと。

ちなみに先日NHKドラマであった「火の魚」を見て
彼女がピッタリだと思いました ̄▽ ̄

でもって井伊直虎の子供の頃のバージョンは
大後寿々花さんで ̄▽ ̄ゞ

大後寿々花さんと尾野真千子さんって
結構似てる気がします(  ̄ノ∇ ̄)

そして、井伊直政は
剛直でありながらもその才覚を家康に可愛がられたという事で
雰囲気的に市原隼人さんがハマるかなって感じです ̄▽ ̄

後、先日見たドラマ「猿ロック」での役者さん達のノリが
個人的に気に入ったので

直政の妻役には芦名星さんでお願いします ̄▽ ̄

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 34

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

この記事へのコメント

SFurrow
2009年07月25日 22:32
幕末の大老井伊直弼は、あまりにも有名ですが、その藩祖直政については、四天王の一人で関ヶ原の先陣争いくらいしか知らなかったですねぇ。
それにしても女戦国大名井伊直虎、ドラマチックです。もっと有名でいいはず(せめて寿桂尼くらいには)単に私が物知らずなだけか?
直政は彼女にとっては、血はつながっていないが、元婚約者の子、というわけですよね?
直政の実母と直親との三角関係(?)も気になるところですね。
それと、今川氏真って何もしないまま今川家をつぶしただけの人のように思っていましたが、いろいろやってはいたんですね(笑)
我が家の近所に井伊直弼の墓所のある豪徳寺がありまして、彦根とはなかなかご縁がありますので、このドラマも、ぜひとも見たいものです!
キッド
2009年07月25日 22:56
ikasama4様、こんばんは。
でましたな・・・なおすけのご先祖様。
まあ・・・直虎にいたっては妄想抜きでくのいちでございます。
キッドの出る幕なーしでございます。
大後寿々花→尾野真千子の直虎リレー。
二人とも大河初の水浴びシーンありでお茶の間をうっとり
させてもらいたいです。
井伊直政はお坊ちゃま武将のイメージもありますが
市原隼人なら忍びもいけますな。
家康小姓として寝間を共にしながら真田忍軍(武田)の刺客を
撃退でございます。
近藤・鈴木・菅沼の井伊谷三人衆も
実は井伊家の下忍だった・・・という妄想もありますが。
なんか・・・井伊谷三人衆・・・忍者っぽいのでございます。
藤原なのに橘紋。ここがすでに怪しいです。
まあ・・・とにかく藤原の忍びで姫武将。
ライバルは毒茶使いの椿姫や陰謀家老の小野道高・道好親子。
これは萌え・・・でございます。
神秘の井伊谷八幡宮(南朝方は黒歴史)なのでございますーっ。


ikasama4
2009年07月26日 16:32
SFurrow様
そうなんですよねぇ。
井伊といえば直弼の方が有名ですからね。
でも、何故井伊直弼が大老になれたのかというと

ご先祖様の威光の賜物なので
だったら、ご先祖様を描いた作品をと
思ったりしたものですので ̄▽ ̄

直虎って意外に知られていないですが
女性でありながら「井伊直虎」を名乗った事に
家を残そう、家を守ろうという思いの強さが
感じられるようです。

>直政は彼女にとっては、血はつながっていないが、元婚約者の子、というわけですよね?
まったくもってその通りです。

このキャスティングでいくならば
5年以内に実現して欲しいです(; ̄∀ ̄)ゞ
ikasama4
2009年07月26日 16:32
キッド様
こんにちはです。
南朝の皇子の母には井伊家が絡んでいるとも
言われていますからねぇ。

そうして今川家の猛攻に対して配下となったのも
全ては井伊の血を残すためだったんでしょう。

椿姫に小野親子は物語としては
サイコーの面子ですしね。

そういえば直政は忍を撃退したという功がありますからね。
これはもう武芸の凄さもあるのでしょうが
忍だからこそのなせる業かもしれません。

>二人とも大河初の水浴びシーンありでお茶の間をうっとり
>させてもらいたいです。
それは是非見てみたいです(〃▽〃)ゞ
与板藩 井伊家 家老所縁の者
2011年03月20日 18:57
遠江国に「井伊谷の庄」というところは歴史的にありません。

小野道高、小野道好という名前は彦根藩井伊家が「寛永諸家系図伝」や「寛政重修諸家譜」作成時に幕府に提出した中に出てくるのですが。
本当は小野政直、小野政次と言います。
井伊直孝が彦根藩を継承した時、遠江時代からの家臣は井伊直勝について行っており、「小野」という姓は分ったけれど名前を知らなかったと思われます。
彦根藩は平安時代の大宰府の神職の名前を持ち出して資料を作成し幕府へ提出したと思われます。

『それから武田信玄の侵攻により直虎は破れ井伊谷の地を奪われ、虎松と共に家康のいる浜松城に向かいます。』
井伊直虎がいた時代武田信玄が井伊谷など浜名湖北岸地域へ侵攻していません。
井伊谷の地を奪ったのは徳川家康配下の後の井伊谷三人衆です。
井伊直虎と徳川家康が会った記録も伝承もありません。まして浜松城へ向ったということも。
当時、井伊直政は松下家の養子となっていました。井伊家の人ではありません。

『1575年家康の許しを得て松下虎松を井伊万千代と名乗らせ300石で家康の小姓として出仕させます。』
井伊直政の幼名「万千代」は徳川家康が名付けて姓を松下から井伊へ名乗らせたといわれています。
その時、直政と一緒にいたのが小野朝之で家康は朝之に「万福」という幼名を名づけます。この小野朝之は("道高"と書かれている)小野政直の孫で("道好"と書かれている)小野政次の甥にあたり、井伊直政の母方の従兄弟です。
家康が許可をしたのではなく名付けたのです。

他にも史実や伝承に無い安易な創作話のオンパレードには呆れます。
あなたに戦国武将のことなどを書く資格はありません。
ikasama4
2011年03月20日 21:01
与板藩 井伊家 家老所縁の者様
どうもです
基本、間違いが多いと言われるWikipediaを参考にしております

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E8%99%8E
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E6%94%BF
に出てますので一度目を通されてはいかがでしょうか

ついでによければ修正するようにしてもらうといいと思いますよ

放置してると
私みたいな戦国武将のことなど書く資格のない人間が
どんどん増えることになるでしょうから(笑)


ちなみにこの話は全部鵜呑みにはしておりません

歴史とは勝者のためのものであるので
後に誰かがちょっとした美談になんかしてるんだろうなと

それにドラマだから、こういう創作話でもいいんじゃないんですかね

どういうカタチであれ、その武将にスポットが当たるのであれば
それがための目的でのドラマ化ですから

ではではノシ
与板藩 井伊家 家老所縁の者
2011年03月21日 09:40
早速のコメントありがとうございます。

井伊家に関する一般的に伝わっていることで事実と違うことはたくさんあります。
しかし、ブログご主人の記事はそれらを含めても史実や伝承からかなり逸脱しているのです。

「それにドラマだから、こういう創作話でもいいんじゃないんですかね」ということですが、それは「どんなニセ話でもアリ」ということなのでしょうか?

Wikipediaなどのネット情報にもあなたのような間違った解釈をした人はいません。
「歴史とは勝者のためのものであるので・・・」ではなく「歴史は勝者が作ったもの」ですが、残念ながらあなたの記事はそれでもありません。
ikasama4
2011年03月21日 18:42
与板藩 井伊家 家老所縁の者様
これはこれはご指摘どうもです
「どんなニセ話でもアリ」
ドラマにしてしまえば、創作の人物も出てきますし
また、斬新な解釈をする物語展開も結構ありますからね

それを「間違った解釈」として切り捨てられるかもしれませんが

とはいえ、どこかの某大河ドラマで
高坂弾正が赤備えを率いてたりとか
そういう間違いは個人的には嫌ですかね

ま、井伊さんに関しては無知なところが多々ありますので
ご教授してもらえたらなによりです

それから「Wikipediaなどのネット情報にもあなたのような間違った解釈をした人はいません。」とは
何をもって言っているのかは分かりませんが根拠があればどうぞ
通りすがりの歴史好き
2016年05月28日 20:06
来年の大河ドラマの人名を調べていてたどり着きましたw
主さんの念願が叶って何よりです(´ー`*)
直虎さんが主人公の「剣と紅」や、「女にこそあれ次郎法師」も面白いですよね(´ー`*)
個人的には寿桂尼さんの大河ドラマも見てみたいですw
直虎男説を唱える京都の博物館の館長がヤバイ
2017年04月11日 12:19
この人新資料とかマスコミにだしたけど、井伊家とは血縁ではないけど養子、本家じゃない。資料とやらも50年前に古道具屋で購入!散々ほったらかしてたくせに、大河ドラマ発表に合わせて二年前に確認したとかのたもうた!!しかも鑑定もされてないから真偽は不明!よくこんなんで発表したよ。マスコミじゃなくて学会にでも出すべきだけど誰も相手にしてくれなかったんだろうね!
2019年05月09日 23:27
Great blog you have here.. It's difficult to find quality writing like yours these days.
I seriously appreciate individuals like you!
Take care!!
2019年05月12日 14:14
What's up, I would like to subscribe for this blog to get hottest updates, therefore where can i do it please assist.
2019年05月17日 09:21
Heya i am for the first time here. I found this board and I find It really useful & it helped me out much.
I hope to give something back and aid others like you helped
me.

この記事へのトラックバック