ドラマ化して欲しい戦国武将 「北条氏政・氏照・氏邦・氏規」

今回は北条氏政・氏照・氏邦・氏規でございます。
氏政はともかく氏照・氏邦・氏規って誰よ(゚Д゚)?と思われるかもしれませんが


系譜を書くとこんな感じ



                   北
                   条
                   氏
                   康
                   │
                   │
 ┌──┬──┬──┬──┬──┬──┼──┐
 │  │  │  │  │  │  │  │
 氏  上  氏  氏  氏  氏  氏  新
 光  杉  忠  規  邦  照  政  九
    景                 郎
    虎               



北条氏規は北条氏康の五男として生まれています。

長男・新九郎が夭折したため、次男が新九郎を名乗り後の当主・氏政となります。

ちなみに氏照・氏邦・氏規は氏政と同母弟だそうです。
後の氏忠とかは側室の子らしいですが、正直ここはよく分かりません(; ̄∀ ̄)ゞ


            北
            条
    側━━┯━━━━氏━━━━┯━━━正
    室  │    康    │   室
       │         │
       │         │
 ┌──┬──┤   ┌──┬──┼──┬──┐
 │  │  │   │  │  │  │  │
 氏  上  氏   氏  氏  氏  氏  新
 光  杉  忠   規  邦  照  政  九
    景                  郎
    虎               





氏康はその他の子を養子や人質という政略の道具にしていきます。

三男・氏照は山内上杉家の重臣であった大石氏の婿養子となり
四男・氏邦は山内上杉家の重臣であった藤田氏の婿養子となり
五男・氏規は今川家の人質となり、後に北条家家臣・北条綱成の娘を娶り
六男・氏忠は下野家の豪族・佐野氏の婿養子となり
七男・三郎は北条家の長老・北条幻庵の婿養子となったのですが
それから上杉家に人質となり、後に上杉謙信の養子となり名を上杉景虎と名乗ります。
八男・氏光は七男・三郎が上杉家の養子になった事で
三郎の妻と離縁させ、その女性を氏光の妻としています。



                 伊
                 勢
                 宗
                 瑞
                 │
                 │
     ┌───────────┤
     │           │
     北           北
     条           条
     幻           氏
     庵           綱
     │           │
     │           │
     │       ┌───┤ 
     │       │   │
 綱━┯━━━━━━━━━娘   氏
 成 │ │           康
   │ │           │
   │ │           │
 ┌─┤ │ ┌───┬──┬──┼──┬──┬──┐
 │ │ │ │   │  │  │  │  │  │
 │ 氏 │ 氏   上  佐  │  藤  大  氏
 │ 繁 │ 光━娘━杉  野  │  田  石  政
 │   │   │ 景  氏  │  氏  氏    
 │   └───┘ 虎  忠  │  邦  照   
 │               │
 娘━━━━━━━━━━━━━━━氏
                 規



そして、氏康には9人の娘がいて、それぞれ
甲斐の武田勝頼
古河公方である足利義氏(母は北条氏綱の娘)
北条家家臣・北条綱成の嫡男・北条氏繁(母は北条氏綱の娘)
太田家の当主・太田氏資
駿河の今川氏真
千葉家当主・千葉利胤、千葉親胤親子
北条家家臣・小笠原康弘
安房の里見義頼に嫁いでいます。




                    伊
                    勢
                    宗
                    瑞
                    │
        ┌───────────┤
        │           │
        北           北
        条           条
        幻           氏
        庵           綱
        │           │
        │       ┌───┼───┐  
        │       │   │   │
 綱━┯━━━━━━━━━━━━娘   氏   娘━━━━━━━━━━┯━晴
 成 │    │           康              │ 氏
   │    │           │              │
   │    │           │              │
 ┌─┤    │ ┌───┬──┬──┼──┬──┬──┬───┐ │
 │ │    │ │   │  │  │  │  │  │   │ │
 │ 氏    │ 氏   上  佐  │  藤  大  氏   │ │
 │ 繁━━娘 │ 光━娘━杉  野  │  田  石  政━娘 │ │
 │    │ │   │ 景  氏  │  氏  氏    │ │ │
 │    │ └───┘ 虎  忠  │  邦  照    │ │ │
 │    │             │          │ │ │
 娘━━━━━━━━━━━━━━━━━━氏          │ │ │
      │             規          │ │ │
   武  │                        │ │ │
   田  │ ┌──────────────────────┘ │ │
   信  │ │                        │ │
   玄  └────┬──┬──┬──┬──┬──┬──┬───┤ │
   │    │  │  │  │  │  │  │  │   │ │
   ├────┘  │  │  │  │  │  │  │   娘━義
   │       │  │  │  │  │  │  │     氏
   武       │  │  │  │  │  │  │
   田       │  │  │  │  │  │  │   千
   勝━━━━━━━娘  │  │  │  │  │  │   葉
   頼          │  │  │  │  │  娘━━━利
           里  │  │  │  │  │      胤
           見  │  │  │  │  │      │
           義━━娘  │  │  │  │      │
           頼     │  │  │  娘━━━━━━親
              小  │  │  │         胤
              笠  │  │  │  太
              原  │  │  │  田
              康━━娘  │  娘━━氏
              弘     │     資
                 今  │
                 川  │
                 氏━━娘
                 真


辿るだけでもなかなかに大変です(; ̄∀ ̄)ゞ

まぁこうしてみても分かるように
北条家は結構な養子縁組・政略結婚でもって北条の勢力を高めています。


ただ、これらの縁組が全て上手くいったという訳ではないようですね。

この中でとりわけ有名なのが北条氏政の妻ですね。

彼女は武田信玄の娘で
北条・武田・今川の三国同盟の証として北条氏政の妻となります。

氏政との夫婦仲はよく子宝にも恵まれていたそうですが
その父・信玄が1568年に駿河に侵攻したことで三国同盟は破綻。

これに氏康は武田と手を切り
氏政と妻を離縁させ、彼女を甲斐に送り返します。

これに氏政は猛反対したそうですが、父に逆らう事は出来なかったようです。

一説には氏政は甲斐まで妻を見送ったと言われています。

その妻は翌年の1569年に病死しています。


他にも上杉景虎は言うまでもなく
上杉家の家督争いに巻き込まれて自害しており

千葉家は北条に対する反感を覚えて反発するものの当主が謀殺され
足利家は晴氏が北条に対して反抗するものの幽閉されたりしてますからね。


そして勝頼の妻となった氏政の妹は
勝頼と共に天目山で自害していますしねぇ。



ただ、北条家はそうした婚姻関係ばかり重視していた訳ではなく
大義名分も大事にしていたようで。

たとえば、武蔵国を支配するために
幕府にお願いして氏照を武蔵守護代にしたり

上野国を支配するために
代々上野を支配していた山内上杉家が受領していた安房守を氏邦は受領していますし

武田信玄が駿河侵攻してきた際に
氏政の子・氏直を今川氏真の養子として、駿河国の支配の正当性を主張していますし

何かとそういう大義名分はしっかりやってるみたいです。





ちなみに妻と離縁した氏政ですが
それから氏康の死後、氏康の遺言に従って氏政は武田と再び同盟を結びます。

その時、氏政が提示した条件というのが妻の遺骨を貰い受ける事だったそうです。


この話からしても氏政は相当に家族に対する思いの強い人物であったと思われます。


氏政はどうも最期が最期なので評価が低いのですが

下総の結城氏を恭順させたり
長年の宿敵であった里見氏と和睦したり
嫡男・氏直を今川氏真の養子として駿河の支配権の大義名分を得て侵攻したり

下野・上野・常陸に着実を勢力を伸ばしたりして

最盛期には
相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野から常陸・下野・駿河の一部に及ぶ240万石に
達していたと言われています。


また、北条家に京より勅旨が参られた折
氏政は月見の宴を催し、最初に氏政が詠んだ歌が素晴らしくて

勅旨の方が今宵にこれ以上の歌はないとして
その夜の宴がこの一首のみとなり

その話が時の天皇にも伝わり、後に帝から贈り物を氏政に下されたという話もあるくらい
和歌にも優れていた人物だったようです。

また、兄弟仲も良かったそうで弟達はみな氏政によく仕えたそうです。



それから
氏照、氏邦は知勇兼備の士で幾多の戦いにおいて武功をあげて兄・氏政を助けています。
氏照はなかなか外交能力に優れており越相同盟には彼の力が大きかったと言われています。
氏邦は内政に関して優れており、国内の養蚕、林業の殖産に力を注いだと言われています。



そして氏規は幼少の頃に駿河の今川氏に人質になっています。
この頃、同じく人質であった後の徳川家康と親交を持ったと言われています。


氏規は武勇に優れた兄弟たちの中で特に外交手腕に秀でていたと言われていて
上杉謙信や武田勝頼との話し合い、徳川家康、伊達氏、蘆名氏との同盟成立は
氏規の力が大きかったと言われています。

特に徳川家とのやり取りに関しては全て氏規を通じて行っていたそうです。

ちなみに徳川家とは同盟の証として
家康の娘・督姫(とくひめ)が北条氏政の嫡男・氏直の下に嫁いできます。
※「ごうひめ」ではありません



また、武田信玄が伊豆に侵攻してきた際には
伊豆韮山城を守り、武田軍を撃退しているそうで武勇でも兄達に負けてないですね。


そうして北条家は関東に対する基盤を磐石にしてきましたが
その存在を警戒する人物が豊臣秀吉なんでしょうね。



秀吉は北条家に氏政に上洛を求めたそうです。
これに従うという事はすなわち北条が豊臣家の臣下になる事を意味します。


これを氏政は拒否します。

それから間もなく北条家の盟友である徳川家康の説得もあって

氏政の名代として氏規が上洛します。

それから北条家は豊臣に対して
豊臣家と戦う事を主張する氏政・氏照・氏邦と
豊臣家に臣従する事を主張する氏規とで意見が対立したそうです。

それからも氏規は秀吉と幾度にも交渉に当たったそうですが


その最中、豊臣家に臣従していた真田家の城・名胡桃城を
北条方の家臣・猪俣邦憲が占領したという事件が発生し

秀吉はこれを惣無事令(大名間の私闘を禁じた法令)違反として
北条討伐を全国の諸大名に通知したそうです。



これにより小田原攻めが始まります。


これには色々と裏がありそうな気がしますねぇ。

これは秀吉が仕掛けた罠のようなものと考えるのがいいのかもしれません。


この後、小田原城が落城して
北条氏政、氏照、重臣達は切腹しているのですが
この小田原攻めを誘発した張本人とも言える猪俣邦憲は前田家に仕えたと言われています。


氏政の命があって猪俣邦憲がこのような行動を起こしたとも言えますが
これまで豊臣家との戦を自重してきた北条家がこのような軽はずみな事をするとはねぇ。

それに相手があの真田-この時の当主は真田昌幸ですからね。





それはそれとして、兎に角始まった小田原攻め。



三月初旬に秀吉は行軍を開始し、本隊 約17万は東海道より
上杉、前田ら北陸軍 約3万5千が上野より
そして駿河より水軍 約1万が伊豆より

三方から侵攻していきます。


対する北条軍は居城である小田原城に兵力を集中し
後は防衛線となる支城にのみ兵を配置し、後はほとんど兵はいなかったそうです。


それに敵軍はおそらく小田原城を攻めるにしても
武田信玄や上杉謙信でさえも落とせなかった城。


相手が大軍であれば、兵糧が足りなくなり
1,2ヶ月で相手は撤退するのではないかという考えが北条にあったのかもしれません。


氏照・氏邦は野戦を主張していたそうですが
結局は過去の実績に頼ったという事でしょうかね。



ですが、秀吉はそれを上回っていたんでしょう。


4月初旬に小田原を取り囲むと
秀吉は包囲軍はそのままに北条の支城を徹底的に攻略していきます。

兵を配置していない城もあったので、あっという間に落城したとこもあったらしく
7月にはほとんどの北条方の支城が落城しています。



おそらく、小田原城を取り囲んで動けないようにし
更にそうする事で小田原城と外部からの情報を遮断して
不安をあおるという効果もあったんでしょう。


それから、この六月の時点で残っている城に関して最前線で残っている鉢形城と韮山城。
※忍城はまた別のお話なのでここでは割愛(; ̄∀ ̄)ゞ


この鉢形城の城主が北条氏邦
で、韮山城の城主が北条氏規だったそうです。



両者とも1ヶ月以上持ちこたえたものの
氏邦は前田利家の説得により開城し
氏規は徳川家康の説得により開城します。




そうした状況ですから、小田原城内では離反の動きが生まれ
北条家家臣・成田氏長は豊臣家に内通しようとしていた動きが発覚し、氏長は蔵に監禁。
北条家家臣・松田憲秀が独断で豊臣家と和睦を画策していたとして蔵に監禁
その息子・笠原政晴が豊臣家に内通した事が発覚し、成敗されます。


そんな中で小田原城の兵士の妻子が晒し者にされ
更に石垣山一夜城が完成した事で北条の士気は完全に低下してしまったようです。


そこで氏直は降伏を決意したそうです。



おそらく秀吉は小田原城と外界
特に支城との情報を遮断させ=結界を張り小田原へ向かう風魔を抹殺 or 一部の風魔を買収
秀吉側にとって優位な情報を送り込むと共に北条家家臣への調略を行い
北条家の結束を壊していったんでしょうねぇ。

この手のやり口は秀吉の十八番ですからねぇ。




その頃、氏規は家康を窓口に降伏するための交渉を行い
氏規は小田原城に入城し、北条氏政・氏直に降伏を勧めます。


それを受けて氏直は豊臣家の陣に赴いて
自分が切腹する事により将兵の助命を請い、降伏したそうです。


しかし、秀吉は
氏直の父・氏政とその弟・氏照
北条家の宿老・大道寺政繁と松田憲秀の切腹でした。

氏直は徳川家康の娘婿という事で助命されました。


で、氏政と氏照は切腹するのですが
その時の介錯を行ったのが実の弟である氏規だったそうです。

氏規は介錯の後、兄達の後を追おうとしたそうですが
徳川家の家臣達によって止められたそうです。


こうして氏規によって北条の歴史が終わらせたというとこがありますが
氏規が守っていた韮山城は北条家の始祖・伊勢宗瑞が没するまで居城としていたという事に
何か運命めいたようなものがあるような気がします。





氏規のもう一人の兄・氏邦は前田利家の嘆願もあり、剃髪した事で助命され
加賀で千石の知行を得たそうです。

その後、氏直と氏規ら北条家一門衆とその家臣団は高野山で謹慎生活をします。
でもって氏直の妻・督姫は離縁させられます。


で、それから氏直と氏規らは赦免活動を行い
氏規は許され、河内国丹南郡2千石をもらい
その三年後には6980石となり1万石以下ですが狭山城城主となります。

一方、北条家の当主であった氏直は1591年に大坂で病死します。30歳の若さでした。


さて、この話にはこんな後日談があるそうで。


北条氏直の死から三年後。
秀吉の命によって池田輝政と再婚する事になった督姫は氏規の下を訪れます。

彼女は氏規に御守りを手渡しました。

それは前夫・氏直のものでこの御守りを督姫にこう言って渡したそうです。

これは『高祖の御守』といって当家代々の宝だと。
我が先祖・宗瑞さまが伊豆から出て相模を手に入れんと大森氏を攻めた時
出陣の習いの勝ち栗を半分だけ食べ、残りは懐に入れて出陣したところ、大勝利となった。
この吉例の栗を錦の袋に納め、氏綱・氏康・氏政と相伝してきたものだと。
自分が最早、世を捨てる身。
だから、これを督姫がしかるべき分家の者に渡し『北条』を継がせて欲しいと。


それから、彼女はいつか氏直が御家再興を果たすかもしれないと思い
肌身離さず持ち続けたそうですが、まもなく氏直の訃報が届いたそうです。


そしてこの御守を氏規に渡し
「『北条』をお願いします。」と言ったそうです。



ちなみにこの話の出所はこちらです。



そして、北条氏規は1600年に56歳で病死し
明治維新まで子孫によって『北条』は続いたそうです。




それにしても
氏康の次男・北条氏政  1590年切腹 53歳
氏康の三男・北条氏照  1590年切腹 51歳
氏康の四男・北条氏邦  1597年病死 57歳
氏康の五男・北条氏規  1600年病死 56歳
氏康の六男・北条氏忠  1593年死去 年齢不詳
氏康の七男・上杉景虎  1579年自害 29歳
氏康の八男・北条氏光  1590年死去 年齢不詳

氏政の長男・北条氏直  1591年死去 30歳
氏政の次男・太田源五郎 1582年死去 年齢不詳
氏政の三男・北条氏房  1592年死去 28歳
氏政の息子・千葉直重  1627年死去 年齢不詳
氏政の息子・北条直定         生没年不詳


こうして生没年をまとめてみると
生没年不詳の北条直定をのぞくと
1593年以上生きたのが氏邦と氏規、千葉直定しか
いないのがちょっと気になります。



ちなみに北条氏直の墓は早雲寺にもあるんですが

何故か理由は分からないんですが

広島県広島市西区にある海蔵寺にも氏直の墓があります。


ちなみに我が家から自転車で1時間もかからん場所です ̄▽ ̄




物語としては仲のよい兄弟が
秀吉という強大な敵に対して意見を対立させながらも一致団結して戦う

しかし、秀吉は大軍でもって小田原城を包囲すると共に
北条の情報網を遮断して、北条の結束を崩壊させ

最後は氏規が兄・氏政、氏照、そして甥の氏直を説得して
開城降伏させる訳ですが

兄達が切腹を命じられた時、自らがその兄達の介錯をし

生き恥を晒しながらも「北条」を守り続けていく



そういう物語にして欲しいですね。

前半の主人公は氏政メインで
後半の主人公は氏規メインって感じで

でもって、氏政に関して評価が低い部分を再認識して欲しいものです。



さて、キャスティングとしては


氏康の次男・北条氏政を大森南朋さん or 渡部篤郎さん
氏康の三男・北条氏照を谷原章介さん or 小市慢太郎さん
氏康の四男・北条氏邦を山本太郎さん or 山口智充さん
氏康の五男・北条氏規を安藤政信さん or オダギリジョーさん
兄弟達の父・北条氏康を杉良太郎さん or 草刈正雄さん
氏政の嫡男・北条氏直を田中圭さん

これでどうかなぁと思います。

兄弟という事で同じくらいの年代の方々に、というところです。

脚本は井上由美子さんとかいいかもしれません

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この記事へのコメント

SFurrow
2009年07月14日 22:50
ドラマ化というとき、北条早雲なら、徒手空拳からの国盗り物語として、また快男児一代記として、わかりやすいですし、氏綱⇒氏康であれば、河越夜戦をクライマックスの関東戦国ものとしてというイメージがあるんですが、北条五代の最後の部分っていうのは難しいですよね。なんせ負けちゃう側だし(^^ゞ義経みたいに悲劇に散っていくにしては、人数が多すぎる(笑)
この点、前半/後半で視点を変えて、というのが目からウロコで、なるほどな~と思いました。
小田原で毎年5月の連休に行われる「北条五代祭」で配るマップには「北条は結局負けたけど、他の家と違って、親子兄弟の争いが無かった!」というようなことが書いてあります。これはやっぱり、上の兄弟たちの実母が同じっていうのが大きいのでしょうね(確か今川義元の姉でしたよね?)
それにしても、氏直の墓が広島にもあったとは驚きです。
ikasama4
2009年07月15日 01:11
SFurrow様
そうですねぇ。
北条家でドラマ化しやすいのは
早雲・氏綱・氏康でいわば華やかな部分でもありますし
一方の氏政・氏直は陰のような部分であり
あまり触れないようにしてるようなとこが
ありますので、あえてそこに切り込んでみました。

たしかに兄弟が多いんで
登場人物も多くなるんですけどね ̄▽ ̄ゞ

>他の家と違って、親子兄弟の争いが無かった!
たしかにそうなんですけど、氏康・氏政の頃は
他家に嫁いだ故に悲劇に巻き込まれる方々が
多かった印象が多々あります。

>(確か今川義元の姉でしたよね?)
私もそうだったと思いましたが
ちょっと忘れたので調べました。
そうでした ̄▽ ̄b

>それにしても、氏直の墓が広島にもあったとは驚きです。
真偽は定かじゃないらしいんですが、何故ここなのか
よくわかりません(; ̄∀ ̄)ゞ
キッド
2009年07月15日 06:37
ikasama4様、おはようございます。
氏直の海蔵寺の墓については
伝説的には児玉周防守就英が草津城に氏直を匿っていたから
ということになるかと思います。
就英は山中鹿介の娘もあずかったりしていて
そういうコレクターだったのかもしれません。
しかし・・・ここは海賊衆の特殊な繋がりがあったと考えます。
後北条氏はお隣の備中の伊勢氏出身ですしね。
北条水軍と児玉水軍には何か特殊な仁義があったのかも
しれない・・・と考えるわけです。
船が城の海賊衆は独自の武将としての仲間意識がありますからね。

氏直(田中圭)の場合は児玉就方(椎名桔平)就英(松山ケンイチ)
でお願いしたいと考えます。(X∀◎)ゼニズラ
ikasama4
2009年07月15日 08:09
キッド様
おはようございます。
山中幸盛の娘の墓もありました。

海賊衆の繋がりですか。
面白いですね。

そういえば早雲は備中伊勢氏の出と
言われてましたね。

高野山に向かう際に
毛利家の誰かと知り合ったって
線もありましたが、たしかにその縁があっての
可能性も高そうですね ̄▽ ̄
真田氏と片倉氏の例もありますし。

児玉氏のキャスティング
なかなか強烈です ̄▽ ̄b
MoTo
2009年07月19日 17:29
北条五代記に関してはドラマというか小説等紙メディアでも是非見てみたいと思っていますが、関東の地において室町幕府はおろか畿内の政権とは別個の独立政権をおよそ100年にわたって築き上げてきた歴史というものは徳川家による江戸幕府と同じくらいに評価してもいいものではないかとも思う所があります(自分が首都圏育ちという事も含めて)。

既にコメントされていますが、早雲・氏綱・氏康の3人は北条氏が関東に勢力を拡大していく時期でもあってそれこそ血湧き肉踊る戦国ドラマとしても成り立つというのもわかるのですが、氏政・氏直というのは北条家の版図が最大となり関東甲信越に強大な勢力となりながらも関白秀吉による小田原征伐の結果家を潰してしまったという落差の大きさというものが描きにくい所があるといえるのでしょうか。結果論として家を潰してしまった人間はそれまでにどれほど優れた手腕を軍事や政治で発揮していても、家を潰したというマイナスイメージを覆す事は難しいという事なのかもしれません。
MoTo
2009年07月19日 17:31
続きです。

図で表されている秀吉の対北条攻略を見ても、小田原城を拠点とした支城のネットワーク網を断ち切っていく事で小田原城を大軍でもってじわじわと攻めていくだけに、秀吉の戦略の方が輝かしく見えてしまいます。北条氏政にとっての最大の失敗は関東の独立政権の維持を図っていく事はともかく、関東外における情勢の大きな変化というものを見誤ってしまった事が敗因として言われていますが、自分もそうなのではと感じられる所です。しかしながらあといくらか篭城を続けていれば秀吉方とてそう長くは囲み続けている事も出来ずに兵を退かざるをえなかったという話もあったといわれており、何ともわからないものがあります(これは判官贔屓みたいなものなのでしょうか)。とはいえ上洛する事で天下に号令を発するというものとは別のビジョンを持っていた北条氏からすれば畿内というか上方の政権に妥協する事は出来なかったのではと思います。
ikasama4
2009年07月19日 19:25
MoTo様
関東の地は京にとって東国の地であり
元々、平将門、鎌倉幕府と京に対して
反抗してきたような場所ですからね。

伊勢氏が北条を名乗ったのも
そうして過去の経緯を踏まえてのものでしょうからね。

以前、奥州藤原氏がドラマ化されたのであれば
北条氏も全然アリですね。

ただ、奥州藤原氏もそうでしたが
その始まりと終りを描いてました。

その最期まで描く事にドラマとしての
華があるように思います。
ikasama4
2009年07月19日 19:26
MoTo様
豊臣としてもこの戦を勝つために
小田原と外界の情報を遮断し、豊臣にとって
都合のいい情報ばかりを入れて小田原内部の
混乱を生み出し、結果的に勝った訳ですから
秀吉のやり方は輝かしく見えます。

九州・四国が制圧されていない頃ならば

そうもいかなかったでしょうが
そういう部分では北条が見誤ったというのは適切ですね。

北条は徳川とほぼ互角の国力があったので
徳川に対する礼と同じ礼を豊臣に求めたけれど
扱われ方に徳川と北条では差があった

そこに確執が生まれたとも考えられます。

ただ、上記でも触れていますが
北条は元々豊臣家と和睦するつもりだったが
豊臣家の天下統一のために生贄にされたとも
考えられます。
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