ドラマ化して欲しい戦国武将 「藤堂高虎」

藤堂高虎と言えば
何度も主君を変えた戦国武将として有名です。

どれだけ主を変えたかというと
生まれが近江でしたので1570年頃に浅井長政に仕えます。


この時、藤堂高虎 14歳

で、1573年に浅井家が滅亡すると

浅井家の家臣だった阿閉貞征、磯野員昌と仕えたものの
それから津田信澄(信長の弟・信行の子)に仕えたのですがこれも辞めて

1576年、羽柴秀吉の弟・秀長に仕えます。
この時、藤堂高虎 20歳

それからの高虎は秀長との相性もヨカッタのか
1591年に秀長の死後、彼の子である秀保が亡くなる1595年まで
秀長・秀保に仕えています。

高虎の働きは目覚しく、2万石に加増を受け
また、秀長の養子・仙丸を養子にもらったそうです。

それから秀保死後の大和豊臣家は跡継ぎがいないため、断絶となり


高虎は出家して、高野山に上ります。
この時、藤堂高虎 35歳


その後、秀吉が召還した事で還俗し
5万石を加増されて伊予板島7万石の大名になります。
それから日本丸という軍艦を拝領したとされ

後に朝鮮出兵では朝鮮水郡を殲滅するという功を挙げ
帰国後に加増を受けたそうで。

でもって、この頃に居城の改修を行い城の名前を宇和島城を改称したそうです。

この頃から高虎の築城技術は有名になったみたいですね。


それから1598年に秀吉が死去すると
高虎はすぐさま家康に近付き

関ヶ原では戦闘もさることながら、西軍の調略で大いに働き
戦後、家康から伊予今治20万石に加増されています。

1600年 高虎 45歳
徳川家康の重臣となり、江戸城改築を行い
伊賀及び伊勢津藩の藩主となります。

大坂の陣では徳川方として参戦し
藤堂軍に多くの被害を出したものの、その働きを認められて32万石に加増されたそうです。

徳川家康死去の際に枕元に侍ることを許されたそうですから
その信任の厚さがうかがえます。

晩年には眼病を患い失明し
1630年 高虎は75歳で生涯を終えます。



この方は逸話も色々あるのですが
その中で有名なのが「出世の白餅」ですね。
若き日の藤堂高虎が阿閉氏の元を出奔し浪人としての日々を送っていた中
三河国の吉田屋という餅屋で無銭飲食をするのですが
店の主が国許に返って親孝行をするようにと
高虎に路銀まであげたそうで。

その後、大名に出世した高虎が
参勤交代の折に吉田屋に立ち寄り餅代を返しにきたそうで。

ちなみに高虎の旗指物は「三つ餅」
「白餅」=「城持ち」という事のようです。


高虎はとにかく己の実力で世を渡ってきた方で

槍働きの優れた武人ではありましたが
槍働きだけでは出世には限界がある事を感じたのか
築城技術を学び、加藤清正と対比される程の築城の名人だと言われていて

朝鮮出兵の折、朝鮮に順天倭城を築き、この城から
攻め寄せる朝鮮軍を撃退したとも言われています。


そういう臨機応変に己の立場を見極める才能と
己の器量を見抜いて、己を上手く使ってくれる主を探す才能も
持ち合わせていたんでしょうね。


そのため、たとえ自分の主であっても
自分の実力を認めてくれない主であれば躊躇なく次の主を探したりして。


それがために変節漢とも言われますが


自分が認める主であれば
高虎は命を懸けて働いたのでしょうね。

豊臣秀長、徳川家康に関しての彼の働きと仕えた年数を鑑みると
彼は何のために、誰のために働くのかが分かるような気がします。








さて、キャスティングに関しては

藤堂高虎を演じるのは


阿部寛さん


この人しかおりません。



ひとつの理由として
次々の主を変えた行為から変節漢と見られてましたが
そんな周囲の動きに左右される事なく我が道を貫いた事

その雰囲気が阿部さんとガッツリハマりますし


何より藤堂高虎は身長が190cmあったという事


これは190cm以上身長がある阿部寛さんをおいて他にはないでしょう ̄▽ ̄b




脚本は「特命係長・只野仁」「結婚できない男」「白い春」の尾崎将也さんでどうでしょう。


高虎の魅力をガッツリと見せてくれそうな気がします。


出来れば変に現代の様相を投影するような演出は
なしにして欲しいんですけどねぇ(; ̄∀ ̄)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 6

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

この記事へのコメント

SFurrow
2009年07月12日 22:40
籐堂高虎@阿部ちゃん、いいですね。上杉謙信よりハマるかも?!
終身雇用・年功序列が崩壊した今、転職のカリスマとして、若い人々にも共感と興味を持って注目されるのではないでしょうか。

トピズレで申し訳ないですが、先日ウォーキングで小田原の「幻庵屋敷跡」の前を通ったのですが、団体行動だったので、中には入らずじまいで残念でした。今度ひとりで訪れたいです。氏照・氏邦は、墓参りもしましたので、楽しみにしています。
ikasama4
2009年07月13日 00:32
SFurrow様
阿部さんの藤堂高虎はかなりハマってると思います。
是非早いうちに実現して欲しいものですね。

たしかに転職のカリスマっていうのは
なかなかいいかもしれませんね。

幻庵屋敷跡ですかぁ。
小田原には色々とあるんですね。

ちなみに広島市には何故か
北条氏直の墓があります ̄▽ ̄

近いうち、そこに行って見るつもりです。
キッド
2009年07月14日 16:44
ikasama4様、こんにちは。
妄想忍者列伝では
奇想天外な部分もあるわけですが
藤堂高虎が忍びであったことは極自然な感じでございます。

第一、父親が藤堂虎高で武田信虎に雇われていたあたりから
「ワタリ」の匂いがします。
おそらく犬神衆であり
主を替えるという定説も
技術を売る忍びの風としては当然の帰結。
江戸泰平を経ても藤堂平助などという
忍びを生み出しているのも血を感じさせます。
豊臣秀長の配下として中国・四国攻略戦では
藤堂犬神軍団の大活躍は必至でございます。
紀伊忍び、大和忍び、伊勢忍びそして伊賀忍びと
多くの忍びが最終的には藤堂忍びになったわけです。
犬神衆ですから・・・鼻が効くのも当然至極だったのです。
もちろん・・・阿部ちゃんがケンと心が通じるのも・・・。
ikasama4
2009年07月14日 23:59
キッド様
藤堂高虎はもうネタ満載ですから
甲賀にいても伊賀にいても不思議ではないですからねぇ。

犬遣いでも楽しいですし
犬男に変化しても全然アリでございます ̄▽ ̄b

もう最終的に伊賀を治める事になったとこに
何かを感じさせてくれますからねぇ。

>もちろん・・・阿部ちゃんがケンと心が通じるのも・・・。
なるほどですねぇ。だからだったんですね。

そうなれば
正室役を夏川さんに
側室役を国仲涼子さんでやってもらいましょう ̄▽ ̄

この記事へのトラックバック