ドラマ化して欲しい戦国武将 「山県昌景」

山県昌景といえば武田家の家臣であり
「赤備え」を編成した事で有名な武将です。


まず、この方を推した理由のひとつとして
山県昌景を登場させる事で、内藤昌豊を登場させたかった ̄∇ ̄ゞ

内藤昌豊といえば武田の四名臣の一人で
武略に長け、武田の副将と評された方なんですけど
大河ドラマ「武田信玄」では出てこなかったのでTT


それから三方ヶ原の合戦と長篠の合戦をガッツリと見たいという
個人的願望もありまして(; ̄∀ ̄)ゞ

今まで見た事がある三方ヶ原の合戦と長篠の合戦というと

三方ヶ原の合戦=敗者の視点

長篠の合戦=勝者の視点

であって、この逆というのは見た記憶がないもので
そういうのを見てみたいというところで

誰を軸にすればよいかと考えた時に
赤備えの中興の祖とも言ってもいい山県さんが思い浮かびました(; ̄∀ ̄)ゞ





元々は昌景の兄(叔父説あり)・飯富虎昌が赤備えを率いていて
もちろん虎昌の勇名も諸国に鳴り響いていましたが

その赤備えを引き継ぎ、数々の戦で活躍し

その彼の名は他国に響き渡り、虎昌と昌景の二人の活躍によって
赤備え=武田の代名詞のようになってますからね。


そのためにどこかの某大河ドラマで
高坂弾正までが赤備えを率いてたみたいなシーンがあったのには
NHKでありながらガッカリさせられますけど(; ̄∀ ̄)ゞ



その赤備えの印象は他国にも大きかったようで
昌景の勇名にあやかろうと井伊直政も「赤備え」で
そして真田幸村もまた「赤備え」を率いましたからね。


ですので、井伊直政や真田幸村が憧れた
武田の強さ=赤備え=山県昌景にあったと言っても
過言ではないでしょうね。


さて、その山県昌景は元々は飯富源四郎と名乗っており
飯富家の出で「甲山の猛虎」と呼ばれた武田家の猛将・飯富虎昌の
弟とも甥とも言われています。


ここで甥説が出ているのは
山県昌景の生まれた年が1529年なのに対して
飯富虎昌の生まれた年が1504年(諸説あって定かではない)と言われていて

その年齢差が大きい事が甥説を有力にさせているみたいです。

まぁ坂本龍馬と兄・坂本権平は21歳の年齢差がありますからね。

なので兄弟としてもあり得なくもない話です。




さて、その飯富源四郎は
武田信玄の近習として仕え、続いて使番(伝令・側近のようなもの)となっています。

この頃、同じ使番として飯富源四郎の二つ年上の春日源五郎虎綱がおります。
後の香坂弾正でございます。

ちなみに1551年に信濃攻めで功績を挙げた春日虎綱が侍大将に任じられると
翌年の1552年には同じく信濃攻めで飯富源四郎は功績を挙げ侍大将に任じられます。
特に野戦での飯富源四郎の活躍ぶりには信玄が感嘆する程だったそうです。

でもって、二人とも内政・外交の手腕にも優れていたそうで
飯富源四郎は後に板垣信方、甘利虎泰がついた武田家の最高職である
「職」を務めたそうです。


それから第四次・川中島の戦いでは
香坂弾正は海津城を守っていたのに対して

飯富源四郎は武田の本陣にあり、上杉軍と戦っています。




その後の二人を見ていると
香坂弾正は慎重な采配と見事な退却を指揮する能力で
「逃げ弾正」と呼ばれたのに対して

飯富源四郎は「源四郎の赴くところ敵なし」と言われ
また、山県家を継いだ後は城攻めの短期攻略は山県家のお家芸とも言われたそうで
織田信長、徳川家康が山県の赤備えを恐れたくらいですからね。


香坂弾正と山県昌景、それぞれの戦の特色が出ています。



さて、そうして着実にステップアップしていた源四郎ですが
1565年に信玄の長男・義信が信玄に対して謀反を計画し
傅役であった兄・虎昌はそれに加担していたそうですが

虎昌はその秘密をわざと源四郎に聞こえるように言ったそうで

それを聞いた源四郎は喩え兄と言えども謀反は許せないとして
信玄に訴え、虎昌は自害に追い込まれます。

しかし、その後、源四郎は忠義のためとはいえ
兄を死に追い込んだ自分を責め続けていたそうで。

そんな源四郎に対して信玄は
謀反の罪で自害した兄と同じ飯富姓では可哀相だと
信玄は父・信虎の代に断絶していた山県の名跡を与えられ

この時より山県昌景と名を改めます。

そして、兄・虎昌の部隊を引き継いだ事で山県の赤備えが誕生します。


それからの昌景は上野箕輪城、駿河侵攻、小田原攻めなどなど
信玄に従って大半の戦に参戦して戦功を重ねていきます。


そして1572年
武田信玄は上洛に向けて西上作戦を開始します。

信玄は軍を三つに分け
山県昌景率いる5千の兵は東三河に
秋山信友率いる5千の兵は東美濃に
武田信玄率いる2万の兵は遠江に同時侵攻します。

この同時作戦による武田の侵攻は凄まじく
1つの城を数日で次々と陥落させていったそうで。


そうして武田軍は二俣城を落とし
徳川の本城・浜松城に迫っていたのですが
信玄は浜松城を無視して三方ヶ原を通過していきます。


これを知った家康は武門の恥と家臣の反対を押し切り
三方ヶ原を通過する武田軍の背後を攻撃するために撃って出ます。


これが三方ヶ原の戦いです。


三方ヶ原の戦いで武田軍は徳川軍が来るのを待ち構えていました。


そうして兵力・戦術を全て上回る武田軍は徳川軍を完膚なきまでに叩きます。


この戦で昌景率いる赤備えは家康の本陣に迫り、大将の武威を示す馬印が倒され
徳川家康は討ち死に寸前まで追い詰められたと言われています。





ちなみに大坂・夏の陣で
真田幸村率いる赤備えが家康の本陣に迫り、大将の武威を示す馬印が倒され
徳川家康は自害を覚悟したと言われていますが

もしかしたら真田幸村は三方ヶ原での戦いの事を知っていて
家康に同じ恐怖を味合わせようとする意図があったのかもしれません。







そうして徳川家康を撃ち払い
三河の野田城を落とした時、信玄は吐血します。

信玄は長篠城で療養しますが、病状は回復せず家臣達は甲斐へ撤退。

1573年、その途上で信玄は亡くなります。


信玄の遺言により山県昌景と「不死身の鬼美濃」馬場信春
「逃げ弾正」香坂弾正と内藤昌豊らが中心となって武田勝頼を補佐します。


そして信玄の死を受けて1573年8月
武田に降伏していた三河は長篠城城主・奥平氏が徳川に寝返り


織田・徳川両家は勢力を拡大していきます。

勝頼はそうして息を吹き返した織田・徳川に釘を刺すために東美濃の織田領に侵攻。

山県昌景は東美濃に向かい、明智城を攻略
明智城の援軍に来た織田軍は山県の赤備えを見るや
曹操に引き返し、山県は明智城を陥落させたという話があります。

それから
遠江の徳川領にも侵攻し、信玄が落とせなかった遠江の高天神城を陥落させます。



それから勝頼は徳川に寝返った奥平氏を放置していては武田の威信に関わるとして
1575年4月、1万5千の大軍を率いて奥平氏が立て籠もる長篠城を包囲します。

長篠城は500の兵しかいませんでしたが、兵士は激しく抵抗して武田軍を苦しめます。

そして、長篠城の兵糧が尽きかけようとしていた時、奥平氏の家臣・鳥居強右衛門が
密かに城を脱出し、岡崎城にいる家康に援軍を要請。

家康は織田軍に援軍を要請していて
織田信長は3万の大軍を率いて岡崎城に到着します。

その情報をもって、長篠城に向かった鳥居でしたが長篠城を包囲する武田軍に捕まります。

勝頼は長篠城の兵士の士気を削ぐために「援軍は来ない」と伝えれば
助命すると鳥居にもちかけ、鳥居はそれを了承します。

しかし、鳥居は「援軍が来る」と伝えて長篠城の兵士の士気を高めたため、処刑されたそうで。


そうして織田・徳川の連合軍が長篠城手前の設楽原に到着した事により
両軍は戦い、武田家は多くの戦死者を出します。


その戦死者を挙げると
馬場信春
山県昌景
内藤昌豊
原昌胤
望月信永(武田信繁の子)
真田信綱(真田幸隆の長男)
真田昌輝(真田幸隆の次男)
土屋昌次(武田信玄の奥近習)
横田康景(原虎胤の子)
甘利信康(甘利虎泰の子)
河窪信実(武田信玄の弟)
三枝守友(山県昌景の娘婿)
高坂昌澄(香坂弾正の子)
山本勘蔵(山本勘助の子とも弟とも)

山県昌景は馬上で身体中に銃弾を浴びるような最期を遂げ
馬場信春は退却した武田軍の殿を務め、最期を遂げ
その他の方々もその最期は壮絶だったそうです。


最近では長篠の戦いで鉄砲の三段撃ちは後世の創作と言われていますが
何にしてもこの戦死者の数を見るに凄まじい戦いであったのではないかと思います。

そして、これだけの方々が戦死したのも
全ては御屋形様のためにとか己の意地とか
色々あったのでしょうけど、そういう思いの強さがあったのかもしれません。




さて、キャスティングに関して

山県昌景はオダギリジョーさんとか大森南朋さんとか
ちょっと陰を感じさせる役者さんが個人的にいいかなぁと。


で、飯富虎昌さんは篠田三郎さんでお願いします
理由は分かる人には分かると思います(; ̄∀ ̄)ゞ


更にお願いとして
スタッフ・脚本については出来れば
大河ドラマ「風林火山」の方々と大森寿美男さんでお願いしたいです(-人-)


構成的に第一話から
第四次・川中島の戦いで

それから川中島に至るまでの山県昌景の生い立ちを辿り

十五話辺りで飯富虎昌の死
その次の回で山県昌景の誕生

三十五~八話辺りで三方ヶ原の戦い

そして四十三~最終話辺りで長篠の戦い
死に花を咲かす武将達の姿をガッツリ描いて欲しいです。

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この記事へのコメント

キッド
2009年06月28日 02:05
ikasama4様、こんばんは。

飫富一族の陰謀・・・来ましたな。
割と線細めの飫富一族・・・・篠田→オダジョー・大森
なんとなく・・・もうすでに不幸そうです。
ドス暗い大河・・・これも一度は見てみたい。
飫富は富に飽きるというか・・・たらふくという意味の氏で
どこかどこか聖なるもののイメージがあります。
まあ・・・氏族的に多臣の末裔ですので・・・
遡れば神武天皇(ヤマト)・・・さらには卑弥呼(ヤマタイ)まで
通じている闇の一族・・・赤備えはもちろん
呪術的意味を持っています。
赤は血の色ですから・・・すでに血塗られた鎧であり
一度死んでいるので死なない死霊武者なのでございます。
ああ・・・ホラー大河も見てみたい・・・。
まあ、妄想はさておき
信玄とともに脚光を浴び
信玄とともに滅んだ昌景の光と影・・・そそりますなぁ。

血わき肉おどる合戦シーンのある
大河ドラマは・・・もう二度と見られないのか・・・。
もう・・・年寄りは血を吐く思いでございます。

ikasama4
2009年06月28日 14:14
キッド様
こんにちはです。
やってみました、飫富一族です ̄▽ ̄b

キャスティングもちょっと
不幸の陰が似合う人がハマりそうです。

たとえ不幸でも主のために働く武士の姿
これがまず見てみたいですね。

画面をところ狭しと真っ赤に染める赤備え

オープニングを想像するだけでも
すっごい大河になりそうです。

この作品をドラマ化してもらう事で
今一度血わき肉踊る合戦シーンを
私も願っております(-人-)
赤武者
2012年01月19日 20:58
山縣昌景は、ほんとドラマ化して欲しいね
山本勘助より策士では
素人並のきつつきの戦法しか考えられない程度で、有名とは
もし武田信繁が生き残っていたなら、長篠の敗退はなかったであろう
ikasama4
2012年01月22日 10:11
赤武者様
是非見てみたいものですね
ただ猛勇なだけの武将ではなく
質実剛健といえるべき方なのでしょう
まぁたらればといえる事はあれこれ
ありますが、もし信繁が生きていたら
その前の義信の死も
避けられていたのかもしれませんし
もしくは武田家が兄弟で対立することになっていたのかもしれませんね
2019年05月03日 21:45
At this time it sounds like Drupal is the preferred blogging platform out there right now.

(from what I've read) Is that what you're using on your blog?
2019年06月12日 09:21
My family members always say that I am killing my time here at web,
but I know I am getting experience everyday by reading such
pleasant articles.

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