ドラマ化して欲しい戦国武将 「水野勝成」

イマイチ知らない方もおられるかもしれませんが、
この方は徳川家の家臣でございまして
徳川四天王と呼ばれた本多忠勝、井伊直政が
関ヶ原の戦いでは軍監(軍事の監督)の役職にありましたが
大坂の陣ではこの水野勝成が軍監の役職にあったそうです。

また武勇のみならず初代福山藩藩主では名君として慕われ
後に「聡敏大明神」を与えられ神として祀られたそうです。



こうして書くとスゴイ武将だと思いますが
この人の場合、実力以上に性格がスゴイです(; ̄∀ ̄)

というか、この時代においては異端・異常と言ってもいいかもしれませんね(; ̄∀ ̄)




まず、簡単に水野家を説明しておくと

水野家は清和源氏の一門で
尾張・三河国にまたがる領土を治めていた国人衆だそうで。

その時の当主・水野忠政は自分の娘を於大を
三河国の当主・松平広忠の下に嫁がせます。

この時代の松平家は織田と今川に挟まれ劣勢でした。

それから忠政の死後
彼の息子・信元とその弟・忠重は織田家に従います。

このため、松平広忠は今川家との関係を強くしようとしていたので
於大の方と離縁され、彼女は実家に戻ります。

その間に於大の方は広忠との間に一子をもうけます。

それが後の徳川家康です。



      水
      野
      忠
      政
      │
  ┌───┼───┐   松
  │   │   │   平
  忠   信   於   広
  重   元   大━┯━忠
            │
            徳
            川
            家
            康



そして、1564年に忠重の嫡男として生まれるのが水野勝成でございます。
幼名は国松、若かりし折には藤十郎という名前だったそうです。



      水
      野
      忠
      政
      │
  ┌───┼───┐   松
  │   │   │   平
  忠   信   於   広
  重   元   大━┯━忠
  │         │
  │         徳
  │         川
  勝         家
  成         康



そうして織田家に仕えていた水野信元・忠重ですが
信元は1575年に武田家との内通の嫌疑をかけられ殺害され

忠重が水野家の家督を継ぎます。

この頃の水野家がどうなっていたのかがようわからんのですが
1580年には高天神城攻めに勝成は父・忠重と共に加わっていたそうで。

そこで勝成は15の首級を取ったそうで。

この時、勝成は16歳でございます。


それから1582年の北条との戦いでは鳥居元忠と共に北条と戦い戦功を挙げたそうです。


何にしてもこの方はとっても気性が激しかったそうで
1583年の小牧・長久手の戦いでは勝成は結膜炎によって
目を患っていたために兜を着用していなかったトコロを父・忠重が見て
それを叱ったそうなんですが

「兜がないことで頭を割られても、それは時の運。
一番首をとるか、わしが取られるか見ているがよい」と言うなり
馬に乗り、そのまま敵陣に突入。

一番首をとって徳川家康に持参したそうです。

それから家康の下にいたそうなんですが

1584年
忠重の部下が自らの不行状を報告したとして勝成はこの部下を斬り殺してしまったそうで。

そのことに忠重は激怒して勝成を奉公構え(他家への仕官禁止)としました。



それから勝成は京都に行きます。
この時、勝成21歳。


1584年
勝成は豊臣秀吉の家臣・仙石秀久の家中にいて四国征伐軍に加わっていました。

それから秀吉に召抱えられたそうですが、知行を捨てて逃亡。
これには忠重の横槍が入ったとも言われています。


1587年
肥後の領主・佐々成政に仕え肥後国人一揆鎮圧に参加し、
勝成は一番槍の戦功を挙げます。

1588年
一揆発生の責めを受け佐々成政は切腹し
勝成は肥後の地を治める事になった小西行長に仕えます。

1589年
領内で反乱が起きると勝成はこの合戦に参加して戦功を挙げますが
この戦後、勝成は加藤清正、立花宗茂と相次いで仕えます。

それから間もなく黒田如水の家臣となり、豊前の一揆鎮圧に参加します。
この合戦においても勝成は活躍しますが
その時、勝成と同じくらい活躍したのが後藤又兵衛と言われています。


その戦が終わった後、勝成は逃亡します。

そうして勝成は方々を流浪し、時には虚無僧になったりしていたそうで。


それから勝成は備中国の三村親成の下に身を寄せます。

勝成はそこでも茶坊主を斬ったりして逃亡してますが
再び三村親成の下に身を寄せます。

でもってここで色々と説があるのですが
勝成に親成に仕える侍女に手を出したとも
親成の養女である亡き兄の娘を勝成に嫁がせたとも言われています。

その真偽はともかくこの時の女性との間に生まれた子が
後の福山藩二代目藩主・勝俊だそうです。



そして1599年
豊臣秀吉の死後、豊臣政権が混乱の兆しを見せると
勝成は京に向かい、家康に仕え、その家康の仲介の下
勝成は父・忠重と15年振りに和解します。

この時、勝成36歳。


つまり、勝成は21歳から36歳になるまで
諸国放浪の旅をして職を転々としていたって事ですね ̄▽ ̄


ここで勝成は妻子をおいて一人京に行ったとも
三村親成に送り出される形で勝成は妻子と共に京に行ったとも言われています。


しかし、1600年
父・忠重が石田三成の家臣・加賀井重望に殺害されるという事件が起きます。

この事件の経緯は色々と言われていますが
それはここでは(つ´∀`)つおいといて

勝成は水野家の家督を相続する事を命じられます。


で、関ヶ原の合戦では
鳥居元忠が討ち死にした大垣城を攻めます。
これ以降、水野家は譜代親藩の扱いを受ける事になります。



それから勝成はかつて世話になった三村親成を家老として迎えております。

で、1601年(1610年とも)
勝成は従五位下を受け「日向守」を名乗ります。

そもそも「日向守」は明智光秀が名乗っていたため
誰も名乗る者がいなかったそうなのですが勝成は
そんな事を全く気にしてなかったそうです。

それ以降、勝成は「鬼日向」とあだ名された事もあったそうです。
でもって勝成は明智光秀所用の熊毛の朱槍を頂いたそうで。


それから大坂の夏の陣では
大和方面軍の先鋒の大将に命じられ後藤又兵衛の軍と戦います。

ちなみに後藤又兵衛と勝成はかつては黒田家で共に戦った仲でしたが
黒田如水の死後、当主となった黒田長政と仲が悪く、又兵衛は出奔
長政は又兵衛に対して奉公構えにして他家に仕えようとしても
長政からの横槍が入り、大坂城に入城するまで乞食になっていたとも
言われています。

そんな似た境遇を辿った二人は戦場で対峙し
そこで又兵衛は戦死したのですが、勝成が光秀のあの朱槍で
後藤又兵衛を討ったとも言われています。


ちなみに勝成は宮本武蔵と交友があったらしく
この戦で、勝成の客将として勝成の息子・勝俊を守護させ
戦後、勝成の家臣の子を武蔵の養子にしています。


それから勝成は越前松平勢と大坂城一番乗りの功を分け合ったらしいんですが

戦後、家康に叱られます。

どうしてかっていうと

先鋒の総大将を命じられたのに
自ら先陣に立って戦い、一番槍を成し遂げたからだそうです(; ̄∀ ̄)ゞ


一軍を預かる大将が戦で先頭に立つなんて
あるまじき行為なんですが

この時、勝成は51歳。

もう笑ってしまうくらいこの方は
血の気が多過ぎです(; ̄∀ ̄)ゞ


でも、徳川秀忠は勝成のことを買っていたそうで
1619年には勝成は秀忠によって備後神辺10万石を与えられます。

石高からするととっても少ないですが
この地は西の毛利・黒田・細川ら西国の大名に睨みを効かせる
西国鎮護の拠点となるため、そこを守るには歴戦の武将である
勝成に白羽の矢が立ったという事でしょうね。

そうして勝成は神辺城に入城します。

この頃、幕府は一国一城令を敷き
一国には城は一つとしてそれ以外の城は全て廃城としていたのですが
勝成は新たに城を作る事を決めます。

築城の場所は常興寺山と決め
勝成は幕府から金12600両、銀380貫を借りて
五重の天守閣や三重櫓という堅城を三年の年月をかけて完成させます。

そして、勝成はこの城を「福山城」と名付けます。

それからの勝成は城下町の建設、産業育成、治水工事や新田開発を積極的に行い
福山藩の基礎を築いた「名君」と呼ばれたそうです。

何故、そんな政治を彼が出来たのかというと
かつて父・忠重によって奉公構えにされ、放浪生活を送った事で
庶民の生活がどのようなものかを知っていた事で

領民のための政治を行っていたと言われています。

彼の言葉として
「下の情をしる事はこれ虚無僧たりし故なり」
このような言葉を残している事からみても彼の考え方が
過去の経験に基づいている事がわかります。


でもって、1626年には
徳川家光の上洛に従い従四位下に昇進し、領地を加増されてます。

それから1638年
幕府より島原の乱鎮圧への参加を要請され
勝成は嫡子・勝俊と孫・勝貞を伴い幕府軍に加わります。


この時
勝貞は13歳
父・勝俊は41歳
そして祖父となる勝成は75歳


幕府軍の中で唯一、九州以外の藩として参加している事から
水野勝成はこの年齢においても幕府に頼りにされていたのがわかります。


島原城総攻撃の際には
福山藩は数々の戦功を挙げ、ここでも一番槍を狙ったそうですが
そこで勝成が先頭に立っていたかまでは分かりません(; ̄∀ ̄)ゞ


翌年1639年
勝成は息子・勝俊に家督を譲り隠居し
隠居料として一万石をもらうのですが
その一万石で福山城の城下町に投資を続けたそうです。


そして1651年
87歳の天寿をまっとうします。



1582年の本能寺の変では勝成の父・忠重は
二条城にいて明智軍から逃れたらしいんですが
勝成がどこにいたかまでは分かりませんが

明智日向守が織田信長を討った事で
男ならばあれくらい大きな事をしてみたいもんだ

みたいな事を言ってそうな気がします ̄▽ ̄


この豪快な性格の主人公の生き方もさることながら
この方は色んな方と関わっていますからね。

徳川家康、豊臣秀吉、徳川秀忠、徳川家光、鳥居元忠
仙石秀久、佐々成政、小西行長、加藤清正、三村親成
黒田長政、立花宗茂、石田三成、宮本武蔵等々

バラエティ豊かな方達でいっぱいです ̄▽ ̄


でもって、この人の逸話はいっぱいあって
特に流浪時代には大坂で泥棒やってたとか
寝ていた時に泥棒に刀を盗まれて
勝成が全裸で泥棒を追い掛け応戦する泥棒から
刀を奪って討ち取ったとか

話題には事欠きません ̄▽ ̄





さてさて、キャスティングに関しては

勝成役は
見るからにギラギラしていて目に迫力のあり
それでいて殺陣がかなり出来る役者さんがいいですね。



ただ、どうしても最近の役柄の影響から
内野聖陽さんが浮かんでくるんですけど(; ̄∀ ̄)ゞ

他には中村獅童さんとか伊原剛志さんとか。

でも、やはり大河ドラマは
主人公になる事でその役者さんの知名度をアップしてくれる意味合いが強い
部分があるので個人的には山口馬木也さんとか浜田学さんとかどうでしょうかね。


物語としてはなかなかにこの時代には面白い人物でございます。

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この記事へのコメント

キッド
2009年06月22日 00:38
ikasama4様、こんばんは。

波乱万丈とはまさにこの人生の水野勝成。
単なる色男と化した兼続に対して皮肉な選択でこざいますね。
・・・分ります。
水野一族ではこの後、伯父の忠守の系譜から
忠邦が生れるわけですが
頭おかしいんじゃないのと思える経歴なのに
乱世でも平時でも
いけるタイプというのがミソですね。
キッドとしては長男の嫁が九鬼守隆の娘というところも
ちょっとそそります。
海賊大名の娘を息子の嫁にする・・・妄想膨らみまする。
まあ・・・あくまで話としてですが・・・
三村親成にさまぁ~ず三村マサカズで
勝成は大竹一樹という組合せが浮かびましたので
報告しておきます。(; ̄∀ ̄)ゞ
ikasama4
2009年06月22日 08:00
キッド様
おはようございます。
これほどの人生はそういませんね。

彼が徳川家康の従兄弟という事もあったのかもしれませんが
それ以上に家康が彼の性格・才能を愛していたというのも
ありそうです。

たしかに経歴を見れば頭おかしいですねぇ。

でも、年を重ねる事で
名将と呼ばれた方が耄碌してしまう方もいれば
勝成のように名君と呼ばれるまでになっているのですから
人生というのはなかなかにわからんもんです。

九鬼の絡みは面白そうですね。
勝成がどのようにしてこの縁談をもったのかとか
考えるとおそらく規格外の答えを持ってくるような
気がします。

ちなみに三村親成のキャスティングは
いの一番に三村マサカズが浮かびました(; ̄∀ ̄)ゞ
ポン
2010年02月10日 00:35
はじめまして。水野勝成の起こした福山出身の者です。日本史大好きで水野勝成についても色々文献を読んでます。勝成が築いた福山城には姫路城の刑部姫、富山城の黒百合と並び伝えられる怪談があります。それは名君の裏側で暴君の性分もあった勝成に殺された五人の怨霊の塊で五霊鬼と言います。福山水野家が僅か五代で無嗣断絶となったのはこの五霊鬼の祟りだと言う言い伝えがあり、のち結城藩主になる勝成の子孫もこの怨霊を恐れ五人の鎮守を欠かさなかったと文献には記されています。五霊鬼についての説明は余りに長くなるので書きませんが興味があったらまた調べてみてください。勝成のドラマ。是非観たいです。
ikasama4
2010年02月10日 21:15
ポン様
はじめまして。
福山には行った事があります。
仕事で1度と
プライベートで自転車で広島から1度。

姫路城の刑部と富山城の黒百合は知っていましたが
福山城にそんな怪談があったとは知りませんでした。

たしかに勝成は気性が荒くて
そういう恨みを買いそうな話が多いですから
怨みながら死んだ人はありそうですね。

水野家の無嗣断絶は
四代目当主の子達6人が早世してしまい
五代目当主となった末子の2歳が
亡くなった事で無嗣断絶

その「五代」で無嗣断絶に
「五」霊鬼と「五」人の鎮守が出てくるみたいですね。

これについてはちょっと調べてみますが
もし、よろしければこちらに
説明を長く書いて頂いても構いませんです
 ̄▽ ̄
2019年05月28日 22:29
Do you have any video of that? I'd want to find out some additional
information.
2019年05月30日 11:21
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2019年05月31日 09:32
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