ドラマ化して欲しい戦国武将 「龍造寺隆信・鍋島直茂」

今回は龍造寺隆信と鍋島直茂でございます。



さて、例によってまずは龍造寺の系譜を簡単に説明です。




龍造寺家は藤原氏の流れを汲み
肥前国は今でいう佐賀県辺りの国人衆として
その頃、肥前国の守護であった少弐氏の家臣だったそうです。


そして13代当主・康家は
家督を嫡男の胤家に譲って隠居
康家は水ヶ江の地に隠居したそうです。

それから胤家は家中で家臣団と対立を起こし出奔

いわゆる職場放棄って事でしょうね。

そのため、龍造寺の家督を康家の次男である家和が継ぎます。


それから龍造寺康家が亡くなった後
龍造寺康家の五男・家兼が引き継いだそうで。


これにより龍造寺家は
本家・村中龍造寺と分家・水ヶ江龍造寺に分かれます。



   ┌─────┐
   │     │
   │水    │村
   │ヶ    │
   │江    │中
   家龍    家龍
   兼造    和造
    寺     寺



そして、本家・村中龍造寺は
上記にも挙げた家中の争いで弱体化した事もあり
水ヶ江龍造寺である家兼が実力を握り

1530年に少弐氏と対立していた周防の大内氏が
肥前に侵攻してくると少弐氏の家臣であった龍造寺家兼と
肥前の国人衆であった鍋島清久の活躍によって大内氏を撃退しています。




この鍋島清久は後に登場する鍋島直茂の祖父です。
彼は赤熊の面をかぶって戦ったことから「赤熊武者」とも呼ばれていたそうです。




これによって龍造寺家兼は大名として少弐氏を見限る動きを見せ

1535年に少弐氏が大内氏の攻撃を受けた際
家兼は少弐氏を見限り、時の少弐の当主を自害させて
大内氏の庇護の下で独立し大名になったそうです。

ただ、これには異説もあるらしく
後に少弐家の家臣になったそうです。

ですが、少弐家にとってみれば
家兼がとった行為は主君殺しの謀反ですからね。


当然、憤りを感じた者達がいて
1545年に少弐氏の家臣であった馬場頼周が中心となって
家兼の子、孫である家純、家門、周家とその一族の多くが殺害されます。

さて、その家兼の系譜を書いてみると


            龍
            造
            寺
            家
            兼
            │
      ┌─────┤
      │     │
      家     家
      門     純
            │
            │
            周
            家


この頃、家兼は家督を家純に譲った後
家純は弟・家門を養子として家督を譲り
家門が当主となっていました。
そして、家門は兄・家純の子・周家を養子にし
次期当主は周家になるものと考えられていたそうです。





当時90歳の家兼は筑後の蒲池家の当主・鑑盛の保護を受けます。

この蒲池鑑盛は大友方の武将だったのですが
「義心は鉄の如し」と呼ばれる程、義に厚く清廉で武勇に優れた武将だったそうで
自分を頼ってくる者であれば、たとえ敵であっても敵ならば戦場で戦うべきであるとして
これを保護したそうです。



この時、家兼と共に筑後に行ったのが周家の子で僧となっていた胤信
つまり後の龍造寺隆信と鍋島直茂の父・清房だそうです。


ここで改めて系譜を書いてみると



       龍                
       造                
       寺                 
       家         
       兼
       │
 ┌─────┤       鍋
 │     │       島
 家     家       清
 門     純       久
       │       │
       ├───┐   │
       │   │   │
       周   娘━┯━清
       家     │ 房
       │     │
       │     │
       │     │
       隆     直
       信     茂



この時
胤信は16歳、直茂は7歳

つまり胤信と直茂は従兄弟同士という関係ですね。



さて、その頃の本家・村中龍造寺はというと


            龍
            造
            寺
            家
            和
            │
      ┌─────┤
      │     │
      胤     胤
      久     和
      │
      │
      胤
      栄


この時の当主は胤栄でしたが
元々、本家の村中龍造寺家は家兼の力が強かった事で

代々傀儡に近い存在だったそうで
この馬場らの粛清が起きた時には大内氏の下へ亡命したそうです。




そして翌年の1546年
家兼は蒲池鑑盛の支援により挙兵して鍋島清房と共に馬場頼周を討ち果たし
ひ孫である胤信を還俗させ隆信に龍造寺家の命運を託すと
家兼はまもなく93歳の人生を終えます。


そうして胤信は水ヶ江龍造寺の当主となります。


それから本家筋の村中龍造寺の当主・胤栄が病死すると
胤信は胤栄の未亡人を娶り、それによって本家・村中龍造寺の家督も継承します。




        龍      龍                
        造      造                
        寺      寺                 
        家      家         
        和      兼
        │      │
     ┌──┤  ┌───┤       鍋
     │  │  │   │       島
     胤  胤  家   家       清
     久  和  門   純       久
     │  │      │       │
     胤  │      ├───┐   │
 妻━━━栄  │      │   │   │
 ┃      │      周   娘━┯━清
 ┃      慶━━┯━━━家     │ 房
 ┃      誾  │         │
 ┃      尼  │         │
 ┃         │         │
 ┗━━━━━━━━━隆         直
           信         茂




胤栄には子・家就がいたそうですが、彼は胤信が自分よりも優れているとして
家督を辞退したとも言われています。

しかし、この胤信の家督相続に不満を持つ家臣団が多くいたそうです。

そこで胤信が考えたのが大内氏と手を結び
大内氏の力を背景に家臣団の不満を抑える事にしました。

この時、大内家の当主・義隆の偏諱を受け「隆信」と名乗ります。

ここから龍造寺隆信が誕生します。


ですが、1551年に大内義隆が家臣・陶晴賢によって自害し
大内家の後ろ盾を失うと家臣団の謀反によって隆信は再び筑後に逃れ
また蒲池鑑盛の下で保護されます。

そして、1553年に蒲池鑑盛の支援により挙兵して肥前を奪還しています。

そうした経緯があってか隆信の母・慶誾尼は
なんと家臣である鍋島清房の下に継室として嫁いでいきます。


        龍      龍                
        造      造                
        寺      寺                 
        家      家         
        和      兼
        │      │
     ┌──┤  ┌───┤       鍋
     │  │  │   │       島
     胤  胤  家   家       清
     久  和  門   純       久
     │  │      │       │
     胤  │      ├───┐   │
     栄  │      │   │   │
        │      周   娘━┯━清━━┓
        慶━━┯━━━家     │ 房  ┃
        誾  │         │    ┃
        尼  │         │    ┃
        ┃  │         │    ┃
        ┃  隆         直    ┃
        ┃  信         茂    ┃
        ┃                 ┃
        ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


これは結構有名な話ですね。



何せあまり聞いた事のない縁談ですからね。

これにより隆信と直茂は従兄弟であり義兄弟という関係になり
直茂は隆信より深い信任を得ることになります。


それから隆信は勢力の拡大を行い各地の諸国人を降し
少弐氏を完全に滅ぼします。

そうした隆信の勢力拡大は近隣の大名を震撼させ
まず、有馬氏と大村氏が連合を組んで龍造寺を攻めますが
隆信はこれを撃退します。

そうして、龍造寺は肥前での勢力を更に拡大していきますが
そこに豊後の大友宗麟が着々と肥前侵攻を進めます。

1570年、大友宗麟は以前から戦っていた毛利氏を破り
後方の憂いを一時取り除いた事で弟の大友親貞を総大将に
肥前の反龍造寺派の国人衆も終結し、その数は約6万。

対する龍造寺は5千

そして隆信は直茂と共に5千の兵で佐嘉城に篭り
大友軍は佐嘉城を包囲します。

しかし、なかなか佐嘉城を落とす事は出来なかったそうで。

大友軍はある期日に総攻撃の命を下すのですが
その前夜に総大将である親貞は勝利の前祝いに酒宴を開き

それを知った直茂は隆信に敵陣に対して奇襲をかける事を進言します。

その意見に対して隆信は否定的だったそうですが
そんな隆信を隆信の生母で直茂の義母である慶誾尼が叱り飛ばし
そうして直茂の意見が採用されます。


で、直茂は密かに城を出て敵本陣の背後から奇襲をかけます。


これにより総大将の親貞は討ち死にし大友軍は総崩れとなって
龍造寺軍は勝利を収めます。

その後、隆信は大友家と講和を結んでおり
直茂は鍋島家の家紋を大友家の家紋である銀杏を用いるようになったと言われています。

それから隆信は着実に肥前の支配権を拡大し
大村氏、有馬氏を下し、肥前を統一すると

息子・政家に家督を譲り鍋島直茂を後見人として隠居します

ですが、龍造寺の実権は隆信が握り続けます。


それからこの年に大友家が島津家に大敗します。
この時、蒲池鑑盛は大友方について戦死しています。

隆信は大友家の混乱に乗じて、筑前・筑後・肥後・豊前に
勢力圏を拡大していきます。

そして、その領土拡大に対する欲望は蒲池氏が治める筑後にも向けられます。

ちなみにこの隆信と蒲池氏と田尻氏との関係については


   龍        ┌───┐
   造    蒲   │   田
   寺    池   │   尻
   隆    鑑━┯━妹   親
   信    盛 │     種
   │      │
   │      鎮
   娘━━━━━━漣


つまり蒲池鎮連の父親は龍造寺家にとって大恩ある蒲池鑑盛であり
隆信は自分の娘を鎮漣に嫁がせております。



ちなみに隆信は彼の辿ってきた人生を見れば分かるように
何度も謀反にあったりして亡命生活を送っております。

そのために猜疑心が強く冷酷な性格だったそうで
まぁそれだからこうして勢力を拡大できたとも言えますが

そんな隆信を鎮漣は信じる事が出来ず、鎮漣は龍造寺から離反します。

それを受けて隆信は鎮漣を攻めますが鎮漣が篭る城は屈指の堅城で落ちず
結果、鎮漣は龍造寺方で伯父である田尻鑑種の仲介で和睦を結びます。


ですが、隆信は再び筑後へ侵攻し鎮漣を攻めますがやはり鎮漣の篭る城は落とせませんでした。

そこで隆信は宴席を設け、鎮漣を呼び出してこれを襲撃。
鎮漣は自決し、鎮漣と共に来ていた者たちは全員討ち死に。


更に隆信は直茂、田尻の両名に鎮漣の蒲池一族を皆殺しにします。


また、1583年には
龍造寺に降っていた赤星統家が隆信に預けていた人質である子を殺害します。



こうして隆信は家中での粛清を行っていった事で家中の離反を招く事になります。


この頃、直茂は隆信に諫言した事で
直茂は隆信に疎まれたとも言われています。



そして1584年
龍造寺に降伏していた有馬晴信が離反し、島津方に付きます。

それに対して龍造寺は1万8千とも3万とも6万とも言われる兵を率いて
有馬家の討伐に向かいます。

龍造寺が動き出したことを受けて島津家の当主・義久は
弟・家久を大将に兵を率いさせ有馬家の救援に向かわせます。

有馬家と島津家の連合軍は約5千~8千

兵力差では圧倒的に有馬と島津が不利なのですが
その兵を率いる総大将・島津家久は島津四兄弟の中で
最も軍法戦術に優れた人物。

家久は龍造寺軍を沖田畷と呼ばれる道の狭い湿地帯に誘い込み
島津の御家芸でもある「釣り野伏せ」戦法で龍造寺軍は大混乱

この戦で龍造寺隆信は戦死します。
そして、龍造寺の一門、重臣の多くが討たれます。

鍋島直茂はどうにか逃げ切り隆信の嫡男・政家を補佐し
肥前で勢力回復に務めます。

それから島津が北進し、島津は隆信の首を龍造寺に送りますが
直茂は首の受け取りを拒否し、その意志を島津に知らしめた後で
島津に恭順します。

その間に直茂は秀吉と誼を通じており
島津に恭順している間に秀吉に九州征伐を促します。

秀吉は直茂の手腕を高く評価し、龍造寺家の国政を任され

朝鮮出兵においては直茂自ら龍造寺家臣団を率いて渡海しています。

こうした経緯により龍造寺家臣団は鍋島直茂の下で働くようになっていきます。



それから秀吉が死ぬと直茂は家康と誼を通じていたのですが
息子・勝茂は西軍についた事を知るや

関ヶ原が開始する前に勝茂を戦線から離脱させ
その後は家康に九州の西軍方の居城を攻撃するよう求められた事で
その命に従って攻撃を開始します。

この功績が家康によって認められ肥前佐賀藩の領地は安堵されます。


それから1607年に龍造寺政家の子・高房と龍造寺政家が相次いで病死した事で
幕府は龍造寺家の家督は誰が継ぐのか龍造寺一門を呼んで質したところ

龍造寺一門は鍋島直茂の子・勝茂こそ佐賀藩を継ぐに相応しいと答えた事で
鍋島勝茂が龍造寺家の家督を継ぐ形で佐賀藩の藩主になります。

そして鍋島直茂は1618年に81歳で病死したそうです。


こうして見ると龍造寺隆信は分家でありながら
本家を奪うような形で当主となった訳ですが

それがいつのまにやら鍋島直茂の子によって
本家を奪われるような形になったというのは

何か奇妙な縁がありそうです。


ちなみに直茂の妻は気丈夫で聡明、かつ慈悲深い性格が伝えられ
佐賀県ではとても人気のある女性だそうで。

なんでも彼女は元々龍造寺の家臣の妻だったそうですが
その夫が戦死したため、実家に帰っていたところ
ふとした事で彼女を見た直茂が彼女の器量に惚れ
プロポーズして結婚する事になったと伝えられているそうで。

彼女は夫・直茂の死から11年後、89歳で亡くなったそうです。



さて、こうして隆信と直茂の関わりを延々と書いてみましたが
相変わらずダラダラです(; ̄∀ ̄)ゞ



もう既になくなったサイトなんですが

龍造寺隆信は「肥前の熊」というあだ名があったそうで

また鍋島直茂の祖父・清久は赤熊の面を被って戦場を戦ったという話があったそうで

おそらくそこから考えられたのですが
「肥前の熊と佐嘉の赤熊」というサイト名がありました。



個人的には今でも気に入ってるいいネーミングだと思います ̄▽ ̄b


龍造寺本家を「肥前の熊」が奪い
そこに付き従う「佐嘉の赤熊」が
「肥前の熊」亡き後の座を奪うという感じがして面白いですね。

でもって
ドラマの前半は隆信をメインで
ドラマの後半は直茂をメインでいくのが丁度いいかなって感じがします。


さて、キャスティングですが
龍造寺家兼には仲代達矢さん・平幹二朗さん・三國連太郎さんで

龍造寺隆信には市川亀治郎さん・古田新太さんで

そして鍋島直茂には小市慢太郎さん・遠藤憲一さん・大森南朋さんで

どうでしょう  ̄▽ ̄ゞ



人選としては雰囲気的に家兼は老練なる怖さってとこを

隆信は冷酷な雰囲気でちょっと太っていたという説もあるので
そうした雰囲気を持っている感じで

隆信に関しては相手を立てる補佐の側なんですが
いざとなると鋭い牙をむき出す怖さも併せ持った方

全体的に「熊」のような荒々しさを感じさせる方がいいなぁと思いまして  ̄▽ ̄ゞ





ちなみに
直茂の妻役には松尾れい子さんでお願いします。

自分が好きな女優さんの一人ですが
佐賀県佐賀市出身という事でぜひお願いしたいです(-人-)

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この記事へのコメント

SFurrow
2009年06月14日 21:06
師匠、さっそく竜造寺・鍋島レポートを有難うございます!
それにしても複雑ですね~~~
男性軍は皆一癖ありげで、そして女性たちもまた見せ場がありそうなのがよいですね。とくに竜造寺隆信の母が鍋島家に再縁し、両家を結びつけるポイントになったという所、状況はだいぶ違いますが「炎立つ」で藤原清衡の母も清原家に再縁していることなど思い出されます。
松尾れい子さんって確か、田畑智子さんのNHK朝ドラとか、やはりNHKの次郎長に出ていた人ですよね。彼女も佐賀出身なのですか。はなわが「松雪泰子と牧瀬理穂も公開していないが佐賀出身」といってますがどうなんでしょう、このお二人もぜひ。あとは江頭50か?!
ikasama4
2009年06月14日 23:41
SFurrow様
いえいえ、自分もちょっと気になったもんで(  ̄∀ ̄)ゞ
調べてみると色々とありますね。
龍造寺隆信の母の話は有名でしたが
その背景を調べると色々と事情があったみたいで。

そういえば「炎立つ」もそんな感じでしたね。

>松尾れい子さんって確か、田畑智子さんのNHK朝ドラとか、やはりNHKの次郎長に出ていた人ですよね。
そうですね ̄▽ ̄

ちなみに牧瀬理穂さんは福岡県出身で
小中学校時代は佐賀県にいたそうですから
佐賀県出身って訳じゃないらしいです。

ちなみに佐賀県出身の方は松雪さんの他は
白竜さん、中越典子さん、荒川良々さん、村井国夫さん
誠直也さん、辻萬長さん等々です。

江頭さんはNHK大丈夫でしょうか(; ̄∀ ̄)ゞ
キッド
2009年06月16日 08:50
「如何是剣刃上」(この剣の刃に何を思うか?)
「紅炉上一点雪」(萌える炭火に落ちる一片の雪を)
この禅問答は宗の時代の仏教の書「碧巌録」からの引用と云われます。
川中島(1561)で一騎打ちの際に馬上斬りつけた謙信が問い
鉄扇で受けた信玄が応じたという話があります。
それから23年目、天正12年(1584年)島原で
島津軍の奇襲を受けた龍造寺軍・・・。
龍造寺隆信は殺到する薩摩兵に囲まれ死地に陥りました。
キッドの脳内ではものすごく二枚目な表紙の阿部ちゃんが
薩摩の川下左京亮に見えてきました。
阿部ちゃん「如何是剣刃上」
亀ちゃん「紅炉上一点雪」
赤く染まる剣花菱の旗・・・。
こちらの話も伝承されています。
まあ、禅好き武将はこの問答がお好きなのかもしれません。
キッドは実際その場で死んだ隆信にこそ相応しい気がします。
その頃・・・パン屋は
「島津めぇぇぇぇぇぇぇ」
ikasama4
2009年06月16日 18:04
キッド様
川中島のお話は有名ですねぇ。

それにしても龍造寺隆信がそんなに潔かったとは
かつて僧であった時の教養かはともかく
冷酷なる男にも武士の一分があるって事なんですねぇ。

ちなみに自分が以前見たとある記事↓では
http://www2.harimaya.com/ryu/ryu_taka.html
川上忠堅が放った銃弾が隆信に命中したとあるので

それならば
キャスティングを変更して
阿部ちゃんを龍造寺隆信にして

川上忠堅をスナイパー遠藤さんにしても
バッチシかもしれません ̄∇ ̄

それにしても、それから更に
起きる事を考えれば島原はなんとも
激しい土地柄でございます。
2019年05月08日 22:12
After I initially left a comment I seem to have clicked the -Notify me when new
comments are added- checkbox and from now on whenever a comment is added I recieve four emails with the exact same comment.
There has to be a way you can remove me from that service?
Appreciate it!
2019年05月29日 13:08
I read this post fully regarding the comparison of hottest and
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