ドラマ化して欲しい戦国武将 「南部晴政・南部信直・南部利直」

今回は南部家の当主である晴政・信直・利直
三代モノでまとめてみました。



まず、南部家を説明するために簡単にその系譜を説明します。
南部家はご先祖様に六人の子供がいて長男が庶子だったので一戸に住み
宗家となる次男は三戸に住み、後は八戸、七戸、四戸、九戸に住んでいったそうで
その地名がそのまま姓となっていったみたいです。


             南
             部
             先
             祖
             │
   ┌───┬───┬─┴─┬───┬───┐
   │   │   │   │   │   │
   九   四   七   八   三   一
   戸   戸   戸   戸   戸   戸
   南   南   南   南   南   南
   部   部   部   部   部   部
   家   家   家   家   家   家



ちなみにこの「戸」というのは集落を意味しまして
この地方では今で言う杉並区みたいな「区」って感じの意味合いだったようです。


で、これらの家々が権力を巡って争っていったみたいです。

なので、これらの家は互いに独立していながらも
分家の方々は時に南部宗家を立てるために『盟主』として動いていたようです。


ちなみに南部宗家は三戸南部家だったそうです。



ちなみに南部宗家は後にここから分家として「東」家が生まれています。



で、まず一人目の主人公である南部晴政のご紹介をば。
南部晴政は1517年に23代目の当主・南部安信の嫡男として生まれます。


         南22
         部代
         政
         康
         │
 ┌───┬───┼───┬───┐
 │   │   │   │   │
 毛   石   南   石   南23
 馬   亀   長   川   部代
 内   信   義   高   安
 秀   房       信   信
 範               │
                 │
                 │
                 南24
                 部代
                 晴
                 政



それから1539年、晴政が22歳の時に
京に上洛して時の将軍・足利義晴より一字を拝領して晴政と名乗ります。

それから侵攻してきた戸沢氏を秋田に追放
斯波氏を降伏させ、津軽で反乱が起きると叔父である石川高信を送り津軽を鎮圧させます。
石川高信は知勇兼備の武将だったそうです。

そして、1546年
石川高信に男児が誕生します。
後に南部家当主となる南部信直です。


         南22
         部代
         政
         康
         │
 ┌───┬───┼───┬───┐
 │   │   │   │   │
 毛   石   南   石   南23
 馬   亀   長   川   部代
 内   信   義   高   安
 秀   房       信   信
 範           │   │
             │   │
             南   南24
             部   部代
             信   晴
             直   政





それから秋田の安東氏が侵攻してくるとこれを撃退。
分家である八戸家や九戸家を自らの家臣団に編入させます。

特にこの九戸家の当主・政実は器量の優れた人物で
分家の中では一番の実力者だったみたいです。

それで晴政は自分の娘を政実の弟・実親に嫁がせます。

そうして南部家の最盛期を築いた事で
「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われたそうです。



ですが、晴政には男子に恵まれていなかったので
1546年に生まれた叔父・石川高信の次男である信直に
娘を嫁がせ養子に迎え、次の南部家の跡継ぎに考えます。


         南22
         部代
         政
         康
         │
 ┌───┬───┼───┬───┐
 │   │   │   │   │
 毛   石   南   石   南23
 馬   亀   長   川   部代
 内   信   義   高   安
 秀   房       信   信
 範           │   │
            ┌┴┐  │
            │ │  │
            石 │  南24
            川 │  部代
            政 │  晴
            信 │  政
              │  │
              │  ├──┐ ┌─┐
              南  │  │ 九 九
              部  │  │ 戸 戸
              信━━娘  娘━実 政
              直       親 実



ですが、1570年
晴政に息子・晴継が生まれます。

この時、晴政53歳
そして、信直24歳

こうなると晴政は自分の息子である晴継に後を継がせたいと思うようになり
次第に信直は晴政に疎まれていきます。


晴政は信直の殺害を画策していたと言われていて
1572年に信直が参拝に行った時に晴政は手勢を率いて信直を襲撃します。

信直は鉄砲の扱いが上手かったそうですが
襲われたとはいえ養父・晴政という事で彼を狙わず彼の馬を撃って落馬させ
晴政の介抱をした義兄弟・九戸実親の兜にも撃ち当てたそうです。


1576年に晴政の娘である信直の妻が亡くなると
信直は養子の座を辞退するのですが、それでも晴政から狙われていたそうです。


         南22
         部代
         政
         康
         │
 ┌───┬───┼───┬───┐
 │   │   │   │   │
 毛   石   南   石   南23
 馬   亀   長   川   部代
 内   信   義   高   安
 秀   房       信   信
 範           │   │
            ┌┴┐  │
            │ │  │
            石 │  南24
            川 │  部代
            政 │  晴
            信 │  政
              │  │
              │  ├──┐ ┌─┐
              南  南25 │ 九 九
              部  部代 │ 戸 戸
              信  晴  娘━実 政
              直  継    親 実




そんな信直の味方になったのが
南家の当主・南長義と彼の娘婿で
北家の当主・北信愛と八戸家の当主で晴政の娘を娶っている八戸政栄です。


北氏はこれまた南部家の分家らしく
信愛は21代当主の孫だそうです。

何故、信愛の父・致愛が南部家を継げなかったのかについては
21代当主・南部信義が亡くなった後で生まれた子であったため
致愛は彼の母が北氏の出という事で、そのまま北氏を継いだそうです。


         ┌─────────────────────┐
         │                     │
         南22                    南21
         部代                    部代
         政                     信
         康                     義
         │                     │
 ┌───┬───┼───┬───┐             │
 │   │   │   │   │             │
 毛   石   南   石   南23            北
 馬   亀   長   川   部代            致
 内   信   義   高   安             愛
 秀   房   │   信   信             │
 範       │   │   │             │
         │  ┌┴┐  │             │
         │  │ │  │             │
         │  石 │  南24            北
         │  川 │  部代            信━━娘
         │  政 │  晴             愛  │
         │  信 │  政                │
         │    │  │                │
         │    │  ├──┬──┐ ┌─┐      │
         │    南  南  │  │ 九 九 八    │
         │    部  部  │  │ 戸 戸 戸    │
         │    信  晴  │  娘━実 政 政━娘  │
         │    直  継  │    親 実 栄 │  │
         │          │          │  │
         │          │          │  │
         │          └──────────┘  │
         │                        │
         └────────────────────────┘


ドンドン系譜が複雑になってきてます(; ̄∀ ̄)ゞ


ちなみに先程も触れましたが南部氏には
「東」家、「南」家、「北」家といった分家があります。


これは「南」家は南部家当主がある城の南側に屋敷を構えた事で「南殿」と呼ばれた事から
「南」家が始まっているそうなので、おそらく「北」家も「東」家もその流れで
生まれた家柄であると思われます。


北信愛と八戸政栄は晴政と信直の間に入って調停を行い
信直が危険にさらされると北信愛や八戸政栄が彼を匿ったそうです。


その一方で北信愛は晴継を正当な後継者とするために
晴継の烏帽子親として彼を元服させたそうです。


それから1582年
南部晴政は65歳で亡くなります。


それにともなって晴継が次なる当主となります。
この時、12歳です。


ですが、晴継はこの年、急死します。

病死とも言われていますが
父の葬儀が終わって帰城する際に暴漢に襲われて一命を落としたとも言われています。


この事件の黒幕は南部信直であるとか九戸政実であるとか
また実は晴政と晴継共々殺害されたとも言われています。


ちなみに1576年に信直の長男・利直が生まれています。

利直の母は南部家家臣・泉山出雲の娘で信直の側室と言われているそうなんですが

こちらの資料↓に面白い話があります。
http://www.pacs.co.jp/kurouma/han_nazo_02.htm

これを読むと実は正室だった晴政の娘が利直を生んだというのですからね。

となると、利直は側室の子という事に矛盾が生まれますが
どうしてこんな事になっているのかという事について

この資料にも記述されているように
信直は養父・晴政に命を狙われた事で晴政を怨んでいた
そして、その恨みは妻である晴政の娘にも向けられた

というとこはないかという事ですね。

ちなみにこの資料にはこんな続き↓があります。
http://www.pacs.co.jp/kurouma/han_nazo_03.htm

正室が亡くなった後
彼女の戒名は「異貌清公大禅定尼」

この「異貌」の
「異」は『普通とは違った』
「貌」は『顔立ち、容姿』

普通、戒名にこういう名前はつけないでしょうと。

このような戒名をつけた事に信直の晴政に対する憎悪が窺えると
書かれています。


そのため、晴政と晴継が信直によって討たれたとかいう話が
実話であってもおかしくないと思います。





ともあれ、当主が急死した事で
次なる南部家の当主として後継争いが生まれます。

そこで南部一族や重臣が集まって評定が行われたそうです。

まず、候補として挙がったのは
この時、一族の中で最大の勢力を誇る
九戸家の当主・九戸政実の弟で晴政の娘婿である九戸実親です。

そのため、九戸実親を擁立しようとする意見が強かったのですが

ここでもう一人、候補として挙がります。


かつて晴政の養子であったがその座を辞退した南部信直です。
信直を推したのは北信愛と八戸政栄です。

本来ならば晴政の娘婿である八戸政栄も
南部家当主の候補になれたのですが北信愛の説得によってこれを辞退し
信直を当主として推す側に回ったそうです。


他にもかなり強引なヤリクチとかがあったとも言われていますが



結果として南部家の当主となったのは南部信直でした。


         ┌─────────────────────┐
         │                     │
         南22                    南21
         部代                    部代
         政                     信
         康                     義
         │                     │
 ┌───┬───┼───┬───┐             │
 │   │   │   │   │             │
 毛   石   南   石   南23            北
 馬   亀   長   川   部代            致
 内   信   義   高   安             愛
 秀   房   │   信   信             │
 範       │   │   │             │
         │  ┌┴┐  │             │
         │  │ │  │             │
         │  石 │  南24            北
         │  川 │  部代            信━━娘
         │  政 │  晴             愛  │
         │  信 │  政                │
         │    │  │                │
         │    │  ├──┬──┐ ┌─┐      │
         │    南26 南25 │  │ 九 九 八    │
         │    部代 部代 │  │ 戸 戸 戸    │
         │    信  晴  │  娘━実 政 政━娘  │
         │    直  継  │    親 実 栄 │  │
         │          │          │  │
         │          │          │  │
         │          └──────────┘  │
         │                        │
         └────────────────────────┘



ですが、この結果に
九戸政実は不満を抱き、家中に不穏な空気が生まれます。


それを物語るように
信直は家督を相続すると晴継の葬儀を執り行ったのですが
これに参列しない家臣もいたみたいで

それどころか、葬儀が終わった後、城に帰る途中で
信直が襲われる事件が起きたそうです。

そして1586年には自分が南部家の当主であると自称し
反信直の姿勢を露にするようになったそうです。


そんな南部家の綻びの隙を突いた男がいました。


津軽地方の豪族・大浦為信です。

1550年生まれの彼の経歴は結構謎が多いのでなんですが(; ̄∀ ̄)ゞ


1572年とも1588年とも言われてますが
為信は兵を挙げます。

この時、津軽地方を統治していたのは石川高信とも
高信の息子で南部信直の弟・政信とも言われていますが

為信はその石川氏を討ったとされています。



もちろん、大浦為信が石川氏を討ったという話は南部家にも伝わり
当主である信直がその親族である石川氏をほっておくはずがなく
信直は九戸政実に津軽への出陣を命じたのですが
当の政実は出陣しなかったばかりか大浦為信と誼を通じる動きを見せたそうで。

そうして信直が動けなくなった間に大浦為信は津軽地方を統一
独立を果たし、その後、津軽氏を名乗ります。
これより津軽為信が誕生します。


これがいつの時期かはっきりしない理由に関しては
津軽側に残っている資料では1572年頃
南部側に残っている資料では1588年頃となっているためのようです。




ですが、信直は色々と頑張っていたようで
1582年に北信愛を京に送り織田信長と誼を通じようとしたのですが
その信長が本能寺で亡くなったために、それは果たせなくなります。

その後、南部家に反旗を翻した斯波家を滅ぼします。

そして、豊臣秀吉が信長に代わって中央を支配している事を知ると
北信愛を使者に加賀の前田利家を通じて豊臣家に臣従する意志を示しています。


そして、1590年
秀吉が小田原征伐を行います。

それにともなって秀吉は東北の諸将に小田原に参陣するよう命令します。


信直は秀吉の命に従わないという事は秀吉に処罰されると考えますが
前述の通り、九戸政実が不穏な動きを見せていたので思うように動けません。


その留守を八戸政栄が行ったそうです。


彼は八戸家の当主ですから、この時
信直と共に小田原に参陣すれば八戸家として独立を認めてもらう事も出来たはずですが
彼は南部家の混乱を収拾するために残ったと言われています。

それによって八戸家は南部の家臣となってしまう事になっても。

で、信直は政栄の息子を一緒に連れていったそうです。
これは人質と考えた方がいいんでしょうかね。


そして信直が小田原に参陣すると思いもがけぬ人物に会います。



信直の身内を討って津軽を占拠した男・津軽為信です。



この時、信直は津軽為信が南部が統治していた津軽を奪った事に関して
秀吉に訴えたそうです。


それから小田原城が開城、北条氏が降伏すると
秀吉は宇都宮に向かい、そこで奥羽の大名に対する仕置きを行います。


信直は秀吉に所領を安堵されました。

が、津軽為信は石田三成を通じて釈明し
信直の訴えは退けられ、津軽為信は所領を安堵されると共に
大名として認められる事になります。


この一連の出来事が南部と津軽の仲の悪さを生んだ原因です。


一方で小田原に参陣しなかった大名は改易されます。
このことで改易された大名の家臣団が一揆を起こします。


それから九戸政実は小田原に参陣しなかった事で
八戸家と同様に南部家の家臣団に組み込まれた事に怒り

1591年の南部家当主・信直の正月参賀を拒絶し、弟・実親と共に反信直の兵を挙げます。
その数五千。

戦は九戸方が優勢で
一方の南部信直方では家中の争いでは勝利しても恩賞はもらえないとして
日和見する家臣がいてかなり苦戦したそうです。

そのため、信直は秀吉に息子・利直を使者として送り支援を仰ぎます。

そうして秀吉は豊臣秀次を総大将として九戸討伐を開始し
奥羽周辺の諸将である秋田氏、小野寺氏、津軽氏、秋田氏も参陣し
九戸討伐軍の兵力は六万を超えたそうです。

九戸討伐軍によって立場は逆転します。

その後、討伐軍は九戸家に縁のある僧侶・薩天にお願いして
九戸兄弟を説得して開城させます。


和尚の言葉を受け入れて九戸政実と実親は出家して降伏します。


その後、豊臣秀次の陣へ護送された九戸政実と実親は
城に残った将兵と九戸家の女子供全てと共に斬り殺されたそうです。

そして、和尚は自分が討伐軍に利用されたと知って自害したそうです。


それから朝鮮出兵では肥前名護屋城に参陣し、その後
秀吉から帰国を許されます。

帰国をしてからは領内の基盤固めに専念し
南部家の居城である三戸城から九戸城に拠点を移した後
1593年、不来方の地に城を築きます。

そうして1598年
豊臣秀吉が亡くなると信直は利直と共に徳川家康に近付きます。


で、1599年
信直は築城中の不来方に移り住みますが
10月5日にこの不来方の地で病死します。


その後を継いだのが信直の長男・利直です。


1600年 関ヶ原の戦いで利直は東軍に与し
西軍の上杉景勝と戦おうとしますが

かつて秀吉に改易された和賀氏が一揆を起こし
南部が守る城・花巻城に攻め込みます。

花巻城を守るのは南部家の重臣・北信愛です。
そして利直が到着するまで城を守りきり
帰国してきた利直は一揆軍を鎮圧します。

北信愛はこの時、77歳です(;・∀・)スゲェ

彼は1613年に91歳で亡くなります。



ちなみに
この和賀氏の一揆を煽動したのは伊達政宗で
後に和賀氏は政宗によって暗殺されたそうです。

その後、此度の次第を家康に説明して
それにより利直は南部の所領を安堵され南部藩の初代藩主となります。


その後、利直は南部領にある鉱山の開発によって財政を安定させると共に
不来方を「盛り上がり栄える岡」になるようにとの願いを込めて
盛岡と改称し城下町を形成します。

また、父の代に起きた九戸政実の乱を教訓に
家臣の粛清・処罰を徹底的に行い、藩主による独裁集権化を進めていきます。

そのために家臣に謀反の疑いがあれば
その家臣をだまし討ちにしたり毒殺したりしたとも言われています。


その一方で利直は4人の側室との間から
七男をもうけて、身内で自らの権力基盤を固めています。


全ては父が経験してきた苦い現実を見て
自分はそんな事を繰り返したくないという思い

そういうのがあったんでしょうね。


それから南部利直が1632年に亡くなり、その後を継いだ南部重直の手によって
盛岡城が1633年に完成したそうです。


     ┌───┐
     │   │
     石   南23
     川   部代
     高   安
     信   信
     │   │
     │   │
     │   │
     南26  南24
     部代  部代
     信   晴
     直   政
     │   │
     │ 盛 │
     │ 岡 │
     南27藩 南25
     部代初 部代
     利 代 晴
     直 藩 継
     │ 主
     │  
     │ 2
     南28代
     部代目
     重 藩
     直 主



こうして、南部のご先祖様達は盛岡藩の礎を築き、幕末まで続いてきましたとさ。

と言った感じですね。





なかなかこの
晴政・信直・利直

この三人の人物は面白いと思います。




南部家を最盛期に導いた晴政

しかし、跡継ぎとして養子・信直を取ってから
晩年になって生まれた我が子を見て

我が子に後を継がせたいがために
信直を暗殺しようと画策してしまう。


なんか秀吉っぽいですよねぇ。

この晴政役は是非ベテランの方にお願いしたいですね。


平幹二朗さんとか仲代達矢さんとかがいいんですが
奥田瑛二さんとか大地康雄さんもなかなかにいいかなって感じがします。



でも、その信直を必死に守ろうとする重臣・北信愛。
この役はあくまでも個人的イメージでは小日向文世さんです(; ̄∀ ̄)ゞ




その後、晴政が亡くなってまもなく晴政の子・晴継も亡くなってしまい

重臣達の会議によって信直が当主に選ばれるものの
それを快く思わない家臣達によって暗殺されそうになったり

津軽為信や九戸政実によって謀反を起こされたりの苦難の連続を

どうにかそれを乗り越えて生きていく南部家当主・信直



この物語の主軸となる信直役には堺雅人さんではいかがでしょう。



そんな信直の後を継いだ息子・利直は
父の下で父が受けてきた苦難を二度と繰り返してはならないと
徹底的に謀反になりそうな人物を粛清していく

そして、父が遣り残した事――――この地に「盛岡」の名にふさわしい城を築く。

この利直役には松山ケンイチさんはいかがでしょうか。



でもって脚本は「風林火山」の大森寿美男さんで見てみたいです ̄▽ ̄



こうした三代ものシリーズは
大河では結構恒例なとこがありますからねぇ。

意外といいかなぁって思ってたら
そういやぁこれも「東」でしたね(; ̄∀ ̄)ゞ


過去にあった三代もの「葵徳川三代」「炎立つ」も東がメインですからね。

今度、三代モノを考える時には
「西」の方で探してみるつもりです(; ̄∀ ̄)ゞ

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この記事へのコメント

キッド
2009年06月02日 00:34
ikasama4様、こんばんは。
一部伝承では南部家は源氏、津軽家は藤原氏です。
南部家は源頼朝以来の鎌倉源氏ですから
それより古い津軽は土着の豪族ということにもなります。

みちのくを制覇した南部晴政の頃までに
南部氏と津軽氏には因縁の対決が数々あったようです。

秀吉参陣については南部氏は三日遅れだったという説があり
南部信直は帰り道の津軽為信とすれ違ったという逸話がございます。
ここで南部勢は為信暗殺を提言しますが
信直は秀吉と敵対関係になることを恐れ首を縦にふらなかったのです。

こうして青森県に津軽が、岩手県に南部が住み分けたわけでございます。

信直のライバルとも言える為信には江口洋介を推奨します。
すれちがう時に為信不敵にニヤリと笑うんでねえか。
んだな。
で・・信直微笑返しだっぺ。
んだな。( ̄ー ̄)
ikasama4
2009年06月02日 23:01
キッド様
こんばんはです。
いつも解説、ありがとうございます。
南部家も津軽家も系譜に色々と説がありますが
おそらくは移住民VS土着民ってとこでしょうかね。

何にしても津軽為信さんが津軽地方を独立した
期日が津軽側の資料と南部側の資料とで全然違う事とか

晴政や晴継の死に関してこれまら諸説ある事とか

何か改ざんしてるようなとこがあるのが
人の影の深さを物語っているようなとこがあります。

江口さんですかぁ。
微笑みの応酬、それはそれで楽しそうです ̄ー ̄
SFurrow
2009年06月06日 13:16
すごい! 印刷保存版ですね。
数年前に青森の浅虫温泉に宿泊しまして「早朝散歩サービス」という地元のボランティアの方が案内して下さるウォーキングもあり、棟方志功の話など聞いたのですが、その時に「津軽と南部は仲が悪いそうですが、何が発端ですか?」と聞いたら、「何が原因かわからないくらい遠い昔から仲悪いのっ!」と言われました(笑)
古より幕末まで変わらず地元に君臨した家は、全国に北の南部・南の島津の二家のみと聞きますので、「西の三代」島津家もいいなぁと思いますが、個人的には、佐賀の竜造寺・鍋島でお願いしたいです。うまく三代になるのかわかりませんが。
ikasama4
2009年06月06日 14:19
SFurrow様
こういうのを調べてみると
戦国時代を生き抜いてきた方には
色々な歴史があるみたいです。

それにしても長年怨み続けると
なんで怨んでいるのか
その理由が分からなくなってしまうのは
正直、ちょっと怖いなと思います(; ̄∀ ̄)ゞ

「西の三代」島津ですかぁ。
あそこは4兄弟がスゴイですからねぇ。

いくとすれば
仰るような龍造寺・鍋島ですかね。
隆信の祖父・龍造寺家兼から始まり
その系譜が隆信と鍋島直茂に続いていくみたいな感じで

後は誰が演じるかってとこですね(; ̄∀ ̄)ゞ
通りすがり
2009年09月17日 21:51
津軽氏の前進大浦氏は南部の一族で間違いありません。
三戸氏などと同じように南部の氏族です。
為信は他の南部家を滅ぼしながら領土を広げたということです。
津軽地方では英雄だけど青森市では嫌われています。
津軽勢に侵略によってご当地の国人が滅ぼされ、長年弘前藩の圧政に
苦しめられてきましたからね。

南部を例えるなら織田一族でしょうかね。
弾正忠家の信長は大和守家や岩倉織田家を
追放して尾張を手にしましたよね、あれと似た感じです。
為信の場合は秀吉の横やりで途中で終わりましたが。
もう少し長く戦国時代が続いていれば為信は他の南部家を
滅ぼして、南部家を統一していたことでしょう。

>>数年前に青森の浅虫温泉に宿泊しまして
嘘ですよね。長年青森市住まいで津軽や南部にはあまり行ったことはありませんが、同じ県内に住んでいて今更津軽や南部の対立など聞いたことないですよ。
ikasama4
2009年09月18日 00:47
通りすがり様
なるほど、大浦氏は南部一族ですか。

そして、南部と津軽の確執は
根深いものがあるんですね。

南部の喩え=織田一族は面白いですね。

南部が織田ならば
津軽為信は成功した明智光秀って
とこでしょうか。


>嘘ですよね。
すいませんが、同意を求められても
広島に住んでる私には全く分かりませんです。
; ̄▽ ̄ゞ
2010年04月26日 15:45
はじめまして!
私たちは雑学好きが高じて時事ネタから国家資格まで
いろいろなオリジナル検定を作っているものです。
サイトは検定道といいます。

戦国武将好きと言うこともあり

南部晴政検定をつくってみました!
http://www.kentei-do.com/test/details/898

僭越ながら
南部晴政がメインの検定は他ではまずないかとw

受検は無料です!
問題はこんな感じ。
Q.南部晴政の死没年と同年に起きた出来事は
1.桶狭間の戦い
2.関ヶ原の戦い
3.長篠の戦い
4.本能寺の変

その他の戦国武将ついても
マイナーな方からメジャーな方まで
鋭意作成中ですので
よければ受検してみてください!

突然の書き込み失礼しました。
お気を悪くなされたら、申し訳ございません。
ご容赦いただけますとありがたく思います。
ikasama4
2010年04月26日 21:55
検定道様
情報ありがとうございます。

早速登録させて頂きました。

なかなかの難題ばかり
マニアックな武将ほど
その度合いが上がってきますね ̄▽ ̄

今後もちょくちょくお伺いさせて頂きます。
2010年05月06日 16:31
ikasama4様
ありがとうございます!!
移動しづらい、見づらいサイトでお恥ずかしいばかりです!!

今週アップした検定も
立花宗茂という、知る人ぞ知る武将ですし
かなりマニアックなところにも走ってますが
気が向いたときにでもまた遊びに来てくださいね!
ikasama4
2010年05月06日 22:02
検定道様
なかなか楽しませてもらいました。
大谷吉継、南部晴政、坂本龍馬、妖怪(好きなので ̄▽ ̄)
戦国武将、直江兼続、真田信之、真田昌幸、真田幸村
本多忠勝、足利義輝、宇喜多直家、徳川家康、龍造寺隆信と
やらせてもらいました。知らない事もあって
結構面白かったです。

立花宗茂はどちらかというと有名な方ではないですかね。

マニアックって点でいくと個人的には
上杉謙信の父とか武田信玄の父とか
立花宗茂の父とか細川忠興の父とか
島津義弘の兄弟とか父とか祖父とか

こんな感じになります(; ̄∀ ̄)ゞ

意外に調べるとこの方々は波瀾万丈な人生を送っております。

この子にしてこの親って感じです。

検定の中では
大崎義直、姉小路良頼、長尾景春、阿蘇惟豊
これはもう完璧なくらいマニアックです≧∇≦b

また、ちょくちょく遊ばせてもらいます。
2012年10月27日 21:34
はじめまして!南部氏はわからないことばかりだと思いますが、
非常にわかりやすくまとめてあるので、とても感心しました。
私も歴史が好きなので、こちらの記事を拝見してプチ感動
しています(笑)
ikasama4
2012年11月10日 00:31
しゃけ様
はじめましてです
系図情報ありがとうございます

謎が多いところもあって
それだけに色々と補完すると面白そうな題材ですな

私のこのような記事で感動して頂きうれしいかぎりです ̄∇ ̄
2019年05月02日 20:55
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