篤姫 第10話 「御台所への決心」

「真相」を知った幾島。
その日から彼女の篤姫様に対する指導には自然と気合が入る。


箸の使い方、礼の仕方、事の嗜み等々。

一方、何も知らない篤姫は
どうしてこんな事をさせられているのか
わからずやる気がないみたいで。


鼓の稽古にしても


幾島「はぁ~」
ポンポンポポンポンポポン


篤姫「はぁ~」
パスパスパスパスパスパスパスパスパスパスパスパスパスパスパス

まだまだ修行が足りません(; ̄∀ ̄)ゞ



書の稽古で「お好きな言葉」をテーマに
篤姫が書いた文字はいいですねぇ。


「乾坤一擲」
意味:運命をかけた大勝負をすること


勇ましい筆遣いであると共に勇ましい心掛けです(笑)




ちなみに私の好きな言葉はこれ↓






そんな姫様の覚悟が全くなくて
腰が定まっていない様子に幾島も苦労してるみたいですね。


幾島は篤姫様にそのお覚悟を決めてもらうために
姫様の嫁ぎ先を斉彬様の口から直に言ってもらうべきであると。


斉彬は幾島の意見に賛同して「真実」を伝えましたね。



お篤。
そなたはわしの養子ではなく
わしの実の子として御公儀に届け出た。



何故でございます?


他家に嫁ぐためじゃ。
幾島がここにおるのもそのためじゃ。



・・・父上様、私はいずこの御家に嫁ぐのでございますか。


徳川宗家じゃ。


とくがわ・・・


将軍家じゃ。



そなたは第13代将軍の御台所となるべく
修行をしておるのじゃ。



御台所・・・


そうじゃ。







その日から姫は一睡も出来なかった。

何故、自分が?

何故?




その不安から逃れるために姫様は
城から抜け出そうとさえしたらしい。



その事を知った斉彬は篤姫と直に話す事にした。


何か言いたい事があらば申してみよ。



―――囲碁


うん?


私と碁を打って頂けませぬか。


碁とな。





碁盤を前に向かい合う父と娘。






わしに何が聞きたいのじゃ。
聞きたい事があるのでは。



父上様は私を徳川宗家に輿入れさせるために養女に迎えたと申されました。


その通りじゃ。


私は父上様に利用されるのでありましょうや。

―――娘の言葉は正に核心であった。

一瞬戸惑いながらも斉彬は言葉を続けた。



その通りじゃ。

そういうしかないであろうな。
様々な事、やりやすくなるのは事実じゃ。

わしは御公儀を内から動かす。
薩摩から日本を変えようと思っておる。

今の日本はこのような危機にさらされても
なかなかに変わろうとしない。

であれば内から変える。そうして動かすしかないのじゃ。




娘は納得した。
もう囲碁は結構です。

父上様の話には嘘がないと分かりました。



篤姫の経験では嘘をつくと碁の打ち筋が鈍る。
それ故に父の言葉に嘘がないか試したらしい。


父の言葉に嘘はなかった。

しかし、篤姫に疑問が浮かんだ。

何ゆえに私を御台所などと。


何故じゃろうのう。


は?


それらしき事は色々言える

物事を前に進める力がある。
男勝りに肝が据わっておる。

つきつめれば
わしの勘じゃ。



勘?


そうじゃ。

お篤よ。
そなたの胸の内はわかる。
ふって湧いたような養女縁組。

戸惑うばかりであろう。
動揺もしよう。

されど、この斉彬たっての願いじゃ。
江戸へ行ってくれぬか。




参ります。

ただ、私は己の意志で参りとうございます。



意志で?

娘は父の顔を真っ直ぐに見据えた。

私は自らの意志で江戸に赴き
自らの意志で父上様の助けとなり
国を助けとうございます。

それでよろしいでしょうか。



娘の心掛けに父は素直に喜んだ。
それでよい。礼を言うぞ。


そなたならこの困難を極めた時勢を
大きく動かしてくれるかもしれぬな。




私の嫁ぐ御相手は何と言う方でございましょうか。


家祥様じゃ。


どのような御方なのでしょうか。


それは・・・・・・・

思わず言葉に詰まる父。

わしの話を聞くより
自らの目で確かめる事じゃ。


父は笑って、答えを濁す。

今はお会い出来る日を楽しみに待つがよい。


未だ見ぬ嫁ぎ先の人を思う。
急に恥ずかしくなりました。

そうして女性の面影を見せる娘。






幾島は篤姫の言葉を聞いて覚悟を決めた。

待っているのが地獄なら
地獄の底の底まで行くつもりです。

私の主たる姫様があれだけのお覚悟を決めたのですから。

たしかにあの姫様は何かをお持ちです。


それはそなたの

勘にございます。


そう言って二人は笑い合った。





抗いようもないこの国と篤姫の運命は奇妙な程に重なりを見せていた―――。





さてさて、姫様騒動は
姫様がその御覚悟を決めた事で一応の収束を向かえてくれました。




ですが、幕府内の騒動はまだまだ続きそうです。



幕府が海防政策を行うには
御三家の威光を用いるのが効果的だと老中・阿部正弘は考えたようですね。


ただし、これは諸刃の剣だったようで。


彼は根っからの攘夷派&反開国派。


斉昭は己の信念を貫き通すためならば
戦も当然行う覚悟のようで。

そのためにはたとえ町が敵軍艦の砲弾にさらされても
かまわないと考えていたようで。


一方、老中・阿部正弘は
江戸の火の海にしてしまうのだけは
避けなければならないと考えていたようですね。


異国と戦うためには異国と同程度の
武器が必要と考える阿部にとって

今の幕府の鎖国政策には限界があると考えていたんでしょうね。





さて、今回はそんな幕府の海防政策をば。



幕府の海防政策の始まりはまず鎖国でしょうね。

ただし、幕府は4箇所の地域で
諸外国の貿易を認めていたようです。





長崎(幕府の直轄地)―オランダ・明(清)

対馬藩―朝鮮

松前藩―アイヌ

薩摩藩―琉球経由~明(清)




特にスペインやポルトガルとの国交は断絶したみたいです。

この背景には
スペインやポルトガルは当時、アフリカ等に植民地を作り
勢力を拡大していったそうなのですが、そのやり方は

その土地にキリスト教を布教させ
そのキリスト信者を宣教師が扇動したためだと言われています。

どこまで事実かどうかは世界史に詳しくないのでわかりませんが、
その後、幕府はキリスト教を徹底的に弾圧した事から
もしかしたらそうなのかもしれません。

まぁ徳川家康は三河一向一揆で宗教の怖さを体感していますからね。



そうして幕府が定めた4箇所の地域で所定の国々と貿易を行うという
鎖国政策が続いていきますが、実際はどうもドラマのように諸藩は密貿易や抜け荷をやっていたみたいですね。

このところ、どこもかしこも財政難の藩が殆どだったようで
その藩の財政を回復させるために諸外国との貿易が不可欠と考えていたようです。


しかし、一方で諸外国が度々
日本の周辺の海をウロチョロしていたみたいで
1789年にロシアの船がロシアに来た日本人漂流民を
返還を条件に通商を行うよう求めた事があったそうで。

この時の老中・松平定信は寛政の改革を行った方でして
彼は限定的な通商を示唆する一方で

こうした諸外国の圧力に対抗するために江戸湾の海防の強化を提案したそうです。

でも、肝心の海防を主導すべき松平定信は幕府内のいざこざで失脚します(笑)


それからも諸外国は日本の海をウロチョロし時には勝手に上陸して暴行事件とかを起こしたそうで
幕府は「異国船打払令」という法令を発令して日本の沿岸に近付く異国船は砲撃して追い返し
上陸した異国人は逮捕すると言ったものだそうです。



しかし、これが天保の頃になると事態が一変します。

それはアヘン戦争で清がイギリスに負けてしまったという情報です。
そして清の領土の一部がイギリスに占領されてしまったという情報です。

この情報がもたらされたのが1839年~1840年頃。

この時の老中は水野忠邦。
天保の改革を行った方でございます。


この情報は薩摩・長崎・対馬を経由して入手したそうです。

この情報は幕府にとって衝撃的なものだったのでしょう。




この情報から日本もまた清と同じような運命を辿るかもしれないという危機意識から
海防論を主張した人物がおられます。



それが当時の水戸藩藩主・徳川斉昭だったという訳ですね。

これにより江戸湾の防備体制改革が動き出します。


その手始めとして行われたのが
「異国船打払令」を撤回し、「薪水給与令」を発令しました。

これは外国船に対して飲料水、燃料の給与を認める法令です。


このような方向転換をした背景には
今、異国と戦っても勝ち目はないので
とりあえず今は戦をしないようにして
その間に異国と同等になるような力を身に付けなければならないという
方向性があったと思われます。


そしてこの時、水野忠邦は一人の人物に海防の任を任せます。
それがこの時、伊豆韮山代官であった江川英龍です。

彼はまず、海防強化には異国に対抗するためには
今までの武器ではいけないと考え、西洋砲術の採用を取り入れるようになります。
そのために江川は積極的に蘭学をとりいれていきます。

しかし、当時
水野忠邦の部下であった鳥居耀蔵さんが蘭学嫌いで二人は対立し、
鳥居は「蛮社の獄」なる冤罪事件をでっち上げて江川を追い落とそうとしたらしいです。



それから、肝心の海防を主導すべき水野忠邦は幕府内のいざこざで失脚します(笑)



でもって海防論を打ち出した徳川斉昭も色々と問題を起こして強制隠居と謹慎をさせられます。



そうして幕府の海防政策は頓挫したといっても過言ではないでしょうね。



その間、江川は黙々と蘭学を通じて西洋砲術等を学んでいったようです。




そしてペリーの浦賀に来航です。
たった数隻の異国船で幕府と江戸の町が脅威にさらされたのですからね。




とりあえずペリーとの外交を先延ばしにして、その間に幕府は海防強化に努めます。


というのもペリーとの交渉は当時はまだ日本語と英語を喋れる通訳がいなかったために
中国の古典文法である漢文で交渉のやりとりをしていたそうで。
そこで漢文に精通している幕府の儒学者林家の時の当主・林復斎が漢文での交渉担当の
任に当たったそうです。



ここで老中・阿部正弘により江川はしっかりした海防強化を命じられる訳ですね。





ここで江川が行ったのは

1.西洋砲術のための大砲の開発。
異国と対抗するには異国と同じ武器をもつ必要があるという考えからですね。



2.その大砲を作るには大量の鉄が必要。
そのためには大砲を鋳造するために大量の鉄を溶かす施設が必要になります。

そのために作られたのが反射炉―鉄を溶解する炉ですね。


3.西洋の大砲はその威力も凄いですがその分、反動の威力も計り知れません。

つまり、大砲の威力をあげるという事は
その土台となる砲台もより強固でなければなりません。

そこでその砲台も作られたそうです。

この砲台がある場所を「台場」と言ったそうです。

フジテレビというと「お台場」と浮かんでくると思いますが
この「お台場」というのはこの砲台の「台場」から来ております。


つまり「お台場」という地名は幕末の歴史そのものという事ですね。


4.そして異国と同等の力=軍艦の建造
これも必要不可欠と考えるようになります。



5.海防強化の際には異国船が来た場合
海岸線一体を防備するために対処できる兵の配置が必要です。
しかし、当時は緊急時には各藩が兵を出していたのですが
緊急時にはなかなか派兵できなかったり
また、派兵には金がかかる等と色々と問題がありました。

そこで農民達に緊急時には武器をもって兵となり
海岸線の防備を行ってもらう事で、その問題を解決できると
江川英龍は考えたようです。

しかし、この案はちょっと問題がありました。

というのも幕府は元々「士農工商」という身分制度の下
「兵農分離」を確立していた訳で

その理由としては農民に武器を持たせてしまったら
もし彼らが一揆を起こした場合に大変なことになってしまうという
これまた別の危機感が幕府にはあったみたいですね。

な訳で江川英龍が存命中にはこの案は認められませんでしたが
英龍の後を継いだ息子の代ではこの案が採用される事になったそうです。





6.こういった海防強化策を幕府は幕府のみで行うのではなく諸藩がこれらの強化策を行う事を容認した。
まず、江戸幕府初期では考えられない事です。

こんな事をするとその藩は幕府に対して弓引く謀反者として速攻処罰されますからね。

ただ、こうして諸藩にも海外強化策を奨励した背景には日本全体における危機意識と共に
幕府自体にそれを積極的に行えるだけの財政がなかったという事が考えられます。

そして海防の総責任者として幕府は徳川御三家である徳川斉昭に任せます。

江戸幕府創設以来、幕府の要職は譜代大名が行ってきましたからね。

こういう職は海防の事に精通している人物
つまり幕府内で実力主義的な部分が出てきたという事になるのではないかと思います。





こうして幕府が行ってきた海防政策を簡単におってきました。


阿部正弘と徳川斉昭

二人の目的は開国と攘夷という全くの水と油なんですが

その目的を果たすための手段としての「海防強化」では一致していたんだと思います。

だから、阿部は諸刃の剣であっても彼を用いたんでしょうね。









それにしても新政府が強くなっていったのも
こうした幕府の海防政策があったからではないかと思えるんですよね。


江川英龍の門弟として
佐久間象山、桂小五郎、中浜万次郎(ジョン万次郎)、井上馨、黒田清隆等々
幕末・明治で活躍した人がたくさんいます。


これを見ると新政府の原動力に
こういった幕府の政策・制度が根底にあったとって事になりますかね。


更に突き詰めれば江川英龍の才を認めた幕府の要人達の「先見の明」も
評価されてしかるべきものがあるのではないかと思います。




それにこういう幕末の展開を見ると
どうも不平等条約を結んでしまった幕府の体勢を批判するものが
多いんですが、条約はともかくとして幕府が開国をした事は
結果として異国の文明を取り入れて諸外国に並び立つ国家に育っていった
という点に関しては認められるべきものがあったと思います。

それに新政府に関った方々も最初は攘夷とか言って
異国の力を知るや開国派に変わっていったのですからねぇ。

ただ、幕府のしてきた事を否定したいがために
世迷言を言っているような気がします(苦笑)


ただ、自分達が見ているのは歴史であり
「既に起こった出来事」であるので
それが正しいのか間違っているのかというのを判断出来るのですが
当時の人にとって、それが正しいのか間違っているのかはわかりません。

自分の考えに思い悩み進む者もいれば
自分の考えは正しいと信じて突き進む者もいた訳で。








余談ですが、鳥居耀蔵は最後まで開国を否定していました。

鳥居耀蔵という人は1796年に幕府の儒学者の家系である林家で生まれました。
後に鳥居家に養子となっています。
先程のペリーとの外交交渉を担当した林復斎は鳥居耀蔵の実の弟です。

彼は南町奉行の要職に付き、甲斐守を名乗った事から
鳥居耀蔵の「耀」と甲斐守の「甲斐」から「妖怪」と呼ばれ嫌われた人物であり
彼は蘭学嫌いという事もあって、蘭学を好む人達は徹底的に処罰していったそうです。

そのために後に彼はたくさんの人を恨みを買い
そのために1845年に全財産を没収されて讃岐は丸亀藩に
預けられる事になったそうです。
しかし、林家出身であった事で学識が豊富で漢方の知識もあり
そのため多くの丸亀藩士が教えを請いに訪問し、周囲から尊敬されていたそうです。


その後、彼は明治3年に郷里の駿府に戻り
明治5年に「東京」となった江戸に行き、そして明治6年に天寿を全うしたそうです。

彼は最後まで幕府が滅んだのは幕府が開国してしまったからだと考えていたみたいです。


彼は林家出身という事で弟同様に漢文が得意だったようで
よく漢詩を詠んでいたそうです。

そこで二十三年振りに江戸=東京に帰ってきた時に詠んだものがこれだそうです。



「東京」

 交市通商競イテ狂ウガ如ク

 誰カ知ラン故虜ニ深望アルヲ

 後ノ五十年須ラク見ルヲ得ベケレバ 

 神州恐ラクハ是レ夷郷ト作ラン



訳(人々の行き交いも商業も狂ったように競っている。

  過去の罪人=耀蔵の想いなどだれもわからない。

  五十年後の未来を予想できるならば

  日本はおそらく野蛮人の国となっているだろう。






幕末の動乱期において
諸外国における幕府の方針等を批判していったのは
新政府に関った人達には幕府によって失われていったものが見えていたんでしょう。

それと同じように
鳥居耀蔵にも新政府によって失われていったものが見えていたって事なんでしょう。


彼も斉昭同様に
開国によってもたらされるものは「交易の害」だと考えていたのかもしれません。


ただ、どちらにしても
阿部正弘も徳川斉昭も鳥居も島津斉彬もそれぞれの目指すものは違っていても



「国を守る」


この一点では皆一致していたんだと思います。







それから異国の文明に対して
西郷さんと大久保さんの受け取り方でクッキリと分かれていますね。


どちらかというと
西郷さん―――島津斉彬・阿部正弘派

大久保さん――徳川斉昭派


って事になりますかね。

まぁ西郷さんの場合は常に視野が広い感じがする一方で

大久保さんの場合は現実主義というか
自分の見たものしか信じないタイプのような感じですかね。

まぁ斉彬様が御国入りしてもしばらくの間
罪を許されなかった恨みが彼の中にはあるのかもしれません。



この辺りも今後の伏線になりそうな感じですね。


ドラマ自体としても篤姫を演じる宮崎さんの目がいいですね。


自分に自信がない時に見せる目。

自分に自信がある時に見せる目。


これがもう彼女の表情をみてるだけで見てとれる。


だから、彼女の思いがとても伝わってくるのかもしれません。


それがこのドラマの魅力たる部分ではないかと思います。





次回はちょっとした息抜きみたいなイベントになるようです。

覚悟を決めた姫がどんな風になっているのか
かなり楽しみになってきました( ^▽^)

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この記事へのコメント

2008年03月10日 00:40
ikasama4さん、こんばんは♪
お習字上手ですね?平仮名で「いかさま」と拝見すると
「ああ・・・このひとは本当にイカサマ師なんだ・・・」と感慨も新たにします・・・。
本来なら「バリバリ国家非常事態」なワケですが、主人公がのんびり(でもないか)南国にいるもんですからイマイチ緊張感がないですね。

>異国と戦うためには異国と同程度の
武器が必要と考える阿部にとって
今の幕府の鎖国政策には限界があると考えていたんでしょうね。

インパクト有り過ぎの「江守斉昭」といい、阿部ちゃん、こんなことばかりでストレスが溜まって早死にしちゃったんでしょうかね?(><)

それにしても、わずかな時間でホント良く色々調べられますよね~!
ホントに「いかさま・ふぉー」じゃないんですか?(笑)
2008年03月10日 22:46
ikasama4さん、こんばんは。

「篤姫を実子として届けることにした」
養女だと家定の花嫁候補争いで不利になり、側室になるかもしれないとか、水面下でいろいろゴタゴタしたらしいです。実子という由緒書きをデッチあげ、伊達宗城などと根回しした斉彬書簡が残っていて、開催中の江戸博「篤姫展」にも出展されてました。
なんというか、歴史の裏舞台がリアルに伝わってきて、臨場感がありましたよ。

阿部正弘は、若くして老中になって、押しがきかないというか不安なところがあって、徳川斉昭に協力を求めたというか、うがった見方をすると威を借りた、みたいなとこはあったようですね。
ほんとに、外交に関する意見は水と油なんですけど…。
それでストレスがこうじ、地震のショックもあって早死にしてしまった、というのは、あるんじゃないでしょうか。
ikasama4
2008年03月11日 00:33
なおみ様
こんばんはです。
こういう字はやはり普段から書かないと全然ダメですね。

篤姫が置かれている現状は
姫様修行の真っ只中なので
国内の情勢に関しては誰も教えてくれないために
こうしたのんびりした状況になるのかもしれません。

>インパクト有り過ぎの「江守斉昭」といい、阿部ちゃん、こんなことばかりでストレスが溜まって早死にしちゃったんでしょうかね?(><)
その点に関しては全く同意です。

ちなみに私は一人でございます(笑)
ikasama4
2008年03月11日 00:35
遊人庵庵主様
こんばんはです。

なるほどですねぇ。
しかし、そうなると本当に老中・阿部が今回の話を
持ち込んだのかどうかが疑問に感じたりもしますね。

>阿部正弘は、若くして老中になって、押しがきかないというか不安なところがあって、徳川斉昭に協力を求めたというか、うがった見方をすると威を借りた、みたいなとこはあったようですね。
なるほどですね。
そういう方向性になっていったのは前任の老中である
水野忠邦は自分で強行的に改革を主導していって
結果的に失敗してしまった経緯があるために

自分が強硬になれないという側面もあったのかもしれませんね。

今でいうなれば
安倍内閣⇒福田内閣みたいな(笑)

徳川斉昭という人の考えは阿部にとって
ある種の劇薬だったのかもしれませんね。

そして開国と攘夷
その間で自分なりの方向性を見出そうとして
それに苦慮するうちに早死にしてしまった事は
大いに考えられます。

そう考えると本当に国の事を考えている政治家というのは
大変だなと思います。

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