篤姫 第8話 「お姫様教育」

島津本家の養女となられた於一。
鶴丸城に入った彼女の味方はたった一人
今和泉家から連れて来た侍女・しのだけ。

そんな彼女を待っていたもの。



たくさんの大奥の女中達と大奥総取締役・広川。











於一が何かする度に
「それはなりませぬ」「これはなりませぬ」











そして、於一の突飛な行動には






空いた口が塞がりません(笑)




そうしてビシバシ指導していきます。


周りに多くの者がおる事に慣れてもらわねばなりませぬ。


ただ、於一にはそれが
自分は分家の姫故に嘲りを受けていると感じて
何もかもやる気をなくしてしまってますね。


それには流石に広川達女中も困惑気味。


於一様には本家の姫様らしい教育を
身につけてもらわなければならない。

その一方であまり厳しく指導をしてしまう事で
姫様がもつ本来の利発さを失わせてはならない。



そのためには小松の妹御を呼ぶ事も許したりして。


そうした気苦労が女中達にはあったみたいですね。

立場変わればどちらも苦労してますね(笑)





そして、お近は於一の母より託された手紙を於一に渡す。

本家での振る舞いの指南と共に

「それでもつらくなったら添えてある文を読みなさい。」
と書かれていた文。


それは菊本が書いた遺書だった―――。


姫様がこれを及びになる時
私はこの世におりません。
かってな振る舞いをまずはお許しください。

姫様があまりに御活発で
眉をひそめたことがありました。
行末を案じた事も二度や三度ではありませぬ。

しかし、私は私の間違いに気付きました。
貴方様ははじめから高いところにいかれる宿命だったのでしょう。

今後どのような所にいかれても
どのような方にまみえましても
前へ前へお進み下さい。

それこそが菊本の最後の願いにございます。


女の道は一本道にございます。

宿命に叛き引き返すは恥にございます。





その文を読んだ後、於一は涙ぐんだ。

そして変わった。


私を誰と心得る。
当主薩摩守・斉彬様の娘なるぞ。



どこか於一を侮っていた広川達も
その姫の立ち振る舞いに慄き、平伏する。


それからの於一は
本家の姫様らしい立ち振る舞いをなされ
広川ら、女中達は安堵していった。



そんな時、京の近衛家より幾島なる老女が参ったと言う。


於一は京の公家にいた女性だからと言って
侮られまいと薩摩言葉で出迎えの挨拶を送る。


なるほど
窺ったとおり、寺家の訛りがあるご様子。
これよりじっくりと御指南申し上げますので
御案じなされますよう。


彼女は於一の言葉に気圧される事なく笑って受け流す。


京より来たその女性の笑顔に
於一は未知なる者を目にしたという怖れを感じていた―――。







とりあえず率直な感想として雷はやり過ぎ(苦笑)




今回は於一の姫様教育というよりかは姫様修行って感じですね。
当分はこういう感じの展開が続いていくんでしょうね。


その一方で時代は刻一刻と流れていく。



ペリー提督率いる軍艦が沖縄に到着する。

そこで幕府は3年待てと交渉してアメリカの軍艦を退け
その間に新たな軍事力を築き上げると計画するも

彼らが突きつけた猶予はたったの1年間。

幕府にとってはあまりにも時間が足りないですね。
一刻も早い対応を迫られています。



そこで斉彬が老中・阿部正弘と密かに計画しているのが「アレ」みたいですね。



そのために斉彬は近衛家でしっかりとした見識と教養を持つ幾島を
薩摩に譲り受けたいと近衛家に願い出たのでしょうね。







それにしても薩摩に大奥があったというのは初めて知りました。

この薩摩に大奥の制度がいつから出来たのかってのは気になるところですね。

最初から大奥があったって訳じゃないでしょうからね。
個人的にはおそらく薩摩藩に将軍家の養女が輿入れいた際に
大奥の女中も一緒に薩摩に下ったんだと思います。
彼女らにとって薩摩というのは異国の地も同然。
なので薩摩の地にも「大奥」を作り上げて
江戸の「大奥」に似た環境にする事で
この薩摩の地で生きる事に慣れるようにしたのかもしれませんが

一方では後に薩摩より自分の姫を将軍家の妻とするために
薩摩に擬似「大奥」を作り上げて、それに慣れる環境を作り上げたとも考えられます。

どちらにしても
この時の環境が、篤姫の基盤となっていくんでしょうね。



それと、於一が母親より貰った菩薩。
奥女中・高山はあれを「普賢菩薩」だと一発で見抜いたようです。
全然わかりませんでした(; ̄∀ ̄)ゞ

さて、その普賢菩薩というのは
仏の慈悲と理知を顕して人々を救う賢者である事を意味するそうで
女人成仏を説く法華経に登場する事から女性の信仰を集めていたそうです。





そして、江戸ではペリー提督を「ペルリ」と呼んでおりました。

ペリーはアメリカの人なのでもちろん英語なんですが
この頃、幕府はオランダ語通訳を使用していたために
ペリーをオランダ語の発音である「ペルリ」と言ったそうです。


それから瓦版で「赤鬼ペルリ」と言ってました。

昔より人は自分達に敵意を持ち、かつ特異な力を持つ人を「鬼」と呼び怖れました。
ペリー提督は軍艦という今まで幕府や日本が見た事もない
強大な軍事力をもっていた事でそう呼んだのかもしれませんね。


それから水戸殿はペリー提督ら外国人を「いてき」と言ってましたね。
「いてき」とは「夷敵」「夷狄」(2008/02/25訂正)と書きます。



この異人の意味を持つ「夷」という言葉は江戸時代よりも
もっともっと昔から使われてきたみたいですね。



これは日本書紀に書かれております。
日本書紀というのは奈良時代に日本の歴史をまとめた書物ですので
この頃より、「夷」という言葉が使われていたそうです。


補足 2008/02/25
ななさんのご指摘により改めて調べ直しました。
どうもありがとうございます。
おかげで新たな妄想が生まれました(笑)

古来、日本は中国の呼び名を引用してきました。

中国では自国を「華」と呼び
その「華」を取り囲む東西南北の民族をそれぞれ
東夷(とうい) 西戎(せいじゅう) 南蛮(なんばん) 北狄(ほくてき)と呼んだそうです。

この考えが日本にも伝わり
日本では東北地方でも太平洋側、つまり陸奥国に住む民族を「東夷」または「夷」
日本海側、つまり出羽国に住む民族を「北狄」または「狄」と言ったそうです。




この時代より、東北地方には朝廷に従わない民族がいました。

朝廷はその民族を朝廷に従う人達とは「異なる」という
軽蔑の意味を込めて「えみし」と呼んでいたみたいですね。

ちなみに「えみし」とは「蝦夷」と書きます。

この「蝦夷」の「蝦」はエビって字であり
これにはその「蝦夷」の民族は毛深いとか
髭が長いとこから、この文字が

そして「夷」には「異邦の者」という意味があります。


朝廷はこの「蝦夷」を敵視して、次々に侵略していきます。

平安時代になり、この「えみし」は「えぞ」と呼ばれるようになったそうです。
この呼び方が変わった事にも何かありそうな感じがしますねぇ。


それから朝廷は蝦夷を次々に討伐していきます。

何故、蝦夷が討伐されたかについて
その理由を考えるととっても長くなりそうなので省きますけど(; ̄∀ ̄)ゞ



この戦いで有名なのは時の将軍・坂上田村麻呂が
次々に遠征を行い、東北地方を制圧していきます。


それにより制圧された蝦夷はそれに従う者もいましたが
そこから逃れる者もいたようです。

彼らは朝廷の手が及ばない所へ逃げていきました。

朝廷は南から来るのですから、そっちに逃げても仕方がありません。

となると彼らが逃げる先は北。


北へ北へ。


そうして蝦夷が辿り着いた先が「蝦夷」=「えぞ」

つまり北海道って事ですね。

そして、この「蝦夷」という民族がアイヌを指すと言われております。



それから先程も触れましたが
坂上田村麻呂が就いた役職
そして今の江戸幕府の将軍様が就いた将軍職の正式名称

征夷大将軍

これは文字通り
「夷を征する大将軍」という意味になるという事ですね。


ですので、征夷大将軍には
「夷を征する」=「敵を征圧する」という意味があったって事です。


これは朱子学にある「突き詰める探究心」から考えれば
当然、この言葉のもつ意味を水戸殿は知っていたのでしょうね。


だから「異邦の者」は排除しなければならぬ。


そうして
「夷敵(いてき)を攘う(はらう)」ために

「攘夷」という言葉が生まれていったんでしょう。



補足 2008/02/25
ただ、この「夷」という言葉はもうひとつ、別の意味があったような気がします。
近畿地方では東京もしくは東京人に対して侮蔑の言葉として「東夷(あずまえびす)」を用いる事があるそうです。
Wikipediaでは
「明治以降、また戦後急激に進んだ東京への一極集中のなか、東京以外の地方(近畿も含まれる)を見下し無視する態度を取るようになった一部の東京人を非難するニュアンスが込められている」

と書かれてありましたが、個人的には昔からの因縁があったように思います。


平安時代まで、日本は朝廷によってまとめられていました。
しかし、末期になり平家が権力を握り
朝廷は源氏を使って平家を潰したものの
源氏は鎌倉に幕府を作り、西の京、東の鎌倉という
二元政治が行われるようになり
それを京の上皇や公家がそれを嫌って
兵を挙げたのですが、鎌倉の武士達によって討伐され
首謀者は皆島流しになり、幕府=武士が日本の中心になります。

室町幕府が成り立ったのも天皇が権力を奪還するためのとこがあったのですが
紆余曲折あって武家出身の足利家が幕府となって権力を握り
それを嫌った天皇は今一度朝廷が権力を握るために
南朝を作るという事で2つの朝廷が存在するという南北朝時代が生まれるのですが
結局、幕府の力により朝廷は否応なく統一されます。

そして、江戸幕府が成立しても
朝廷に権力はなく常に幕府に監視される状態が続きます。


おそらく朝廷としては、そういう事をする幕府に嫌悪感があったような気がします。
そのために中国の「東夷」の言葉を使って幕府を侮蔑していたんじゃないのかなと。


たしか安土桃山時代・江戸時代において
外国人の事を「南蛮人」と言っていたような記憶があります。
だから、幕府が異人を排除しようと考えるのであらば
「攘蛮」って言葉だったんじゃないかなって思うんですよね。


つまり通常は
「夷人=異人を攘う」という意味なんですが

本当の意味は「夷=幕府を攘う」ではないかと。




でも、その言葉を朝廷がそのままの意味であからさまに使うと
流石に幕府に目を付けられる。

だから、時代を遡り
「夷」という言葉は「異邦の者」という意味があるので使うんだよって
朝廷が幕府に、正確には公家の姫を嫁にしている水戸殿にこの言葉を勧めたんじゃないのかなって気がするんですよね。



そうして「攘夷」という言葉を広める事で
「幕府を攘う」という呪いの言葉を朝廷は作ったんじゃないかって気がします。


呪いの言葉というのは口にしてはいけない。
口にしてしまうとそれが現実となってしまうから。


と、妄想を膨らませてみました(笑)




さて、今度は広川に変わって幾島が於一をビシバシ指導。

その一方で更に時代は急速に動いていくようです。

幕末は自分もよく知らないんで調べる事もたくさん湧いてきます(笑)

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この記事へのコメント

2008年02月24日 23:14
ikasama4さん、こんばんは◎
倶楽部のことではホントにご尽力頂きまして、ありがとうございました。面白かったですよね。ただ色々な意味で「偏り」がでちゃうのかなあ・・・と思いました。「パイロット版」ですしね、もうちょっと手直ししてからデビューしますんで、その時はまた・・・「アテ」にしています(笑)

>とりあえず率直な感想として雷はやり過ぎ(苦笑)
あれね~(苦笑)菊本の遺言と「セット」になって記憶されますね!?

>そこで斉彬が老中・阿部正弘と密かに計画しているのが「アレ」みたいですね。
ドラマ的にはやはり桃太郎って「黒い」ですよね?

>一方では後に薩摩より自分の姫を将軍家の妻とするために
薩摩に擬似「大奥」を作り上げて、それに慣れる環境を作り上げたとも考えられます。
そうなのかな?うわ~薩摩「黒い」!?(笑)

>幕末は自分もよく知らないんで調べる事もたくさん湧いてきます(笑)
ほんとエネルギッシュな方ですよね、似顔絵を拝見する限り「草食動物系」な方なのに(笑)
ikasama4
2008年02月24日 23:42
なおみ様
こんばんはです。
先日の私の回答で楽しんでもらえて何よりです。
たしかに内容が内容だけに「偏り」というのは
出てくるのかもしれませんね。

それに自分も少々分かり辛い言葉とか
喩えを多用して長くなってしまったかなって
感じもしますし(; ̄∀ ̄)ゞ

まぁまたその時がありました折には
楽しみにして待っております( ̄ー ̄)b


>ドラマ的にはやはり桃太郎って「黒い」ですよね?
そうですね。
腹の底が見えない男なののですからやっぱり黒なんでしょうね(笑)

薩摩も元来色々としたたかな所がありますからね。
これくらいはやりそうです(笑)

>似顔絵を拝見する限り「草食動物系」な方なのに(笑)
まぁその絵を描くためにかなりガツガツしてますけどね(; ̄∀ ̄)ゞ
なな
2008年02月25日 13:19
あいかわらず、お早いUPですね。
ikasama4さんにご指摘するような日が来るとは
思ってもいませんでしたが…。
いつもお世話になっております、ななと申します。
はじめての書き込みを致します。
「いてき」は「夷狄」かと思います。
中華思想における東西南北の異民族のうち、
東と北のものを併せて言ったものでしょう。
東夷(とうい) 西戎(せいじゅう) 南蛮(なんばん) 北狄(ほくてき)
とあります。
この時代になると、方位感覚は薄れて
ひっくるめて異民族=敵として認識されることも多かったようです。
「野蛮」っていうのも、元々はここから来た差別語ですね。

大奥のこともですが、
御台所入輿の件を伏せたまま入城させる斉彬って、
アタシも腹黒いと思います。(原作では伝えてたのに!)
ドラマで「腹黒」斉彬を見られると思うとヒジョーにタノシミです。
またいろいろ教えてくださいね。
ikasama4
2008年02月25日 20:59
なな様
どうもはじめまして。
そしてご指摘どうもありがとうございます。

東夷・西戎・南蛮・北狄

こちらの言葉はなんとなく知っていたというか
聞いた事はあったのですが
「いてき」は知りませんでした。

水戸殿が「いてき」という言葉を使ったのと
その水戸で「攘夷」という言葉が広まった事から
直感的に「い」は「夷」にして
「てき」は安易に「敵」と解釈しました(; ̄∀ ̄)ゞ

また、ご指摘等ありました折には
よろしくお願い致します。

斉彬ってこのドラマから見てもたしかに腹黒いですね。
そして、斉彬が老中・阿部と絡んでいるというとこも
また興味深いとこです。

阿部がやろうとしていた事=斉彬がやろうとしていた事

と考えると色々と面白い妄想が浮かんできそうです(笑)
さくらこ
2008年02月25日 22:38
お久しぶりです。
色々と暖かいコメントをありがとうございました。
レビューを書く気力ってのが未だになくて、今年はこのままリタイアかなー、という気もしています。

於一が主役で、彼女の苦悩やら心の変化やら、その辺は勿論きちんと描かれていますが、大きな時代のうねりって言うの自体がメインかなー、という印象を抱いています。

雷音にはたまたま居合わせた娘と共に苦笑ものでした。

「夷」についての話は、とても興味深かったです。
なるほど、そうだったのか・・と、うんうんと読んでいたのですが、妄想の部分もあったりするんですね^^;。

ikasama4
2008年02月25日 22:48
さくらこ様
お久しぶりです。
こういうのは「書きたい」って思えるように
なった時にやられたのでいいと思います。

「無理をしても書きたい」と思えば、それでもいいし。

結局は「何かをしたい」「しなければならない」って
思った時にすればいいと私は思います。


於一は誰がみてもちょっと活発な女の子って
感じなのですが、時代のうねりの中で彼女は
否応なく巻き込まれていく。

でも、それに負けずに前へ前へ進んでいく。

そういうとこを見せていくんだと思います。

幾島が現れた時には空が暗くなっていったので
嫌な予感がしたんですけど、予想通りでした(苦笑)


「夷」の話、楽しんで頂けて何よりです。
まぁこういう歴史モノは史実とはいえ、
断片的な結果ばかりで、その真相というのは
なかなか描かれる事はないですからね。

そこを補完するのが―――妄想って事で(笑)

まぁ大目に見てやって下さいませ(; ̄∀ ̄)ゞ
2008年02月25日 23:14
わ、可愛い!可愛い可愛い。あのヒロカワを下さい(笑)。

…とゆーわけで、薩摩になんでミニ大奥があるのか、ワタシもまったく不思議です。大名家の奥方やお姫様たちは江戸で暮らしているのに、どうしてでしょうね。
原作によると、薩摩の豪華な大奥の調度は「茂姫さま将軍家へご入輿のおり作らせた」とのことなんですが、「茂姫様」は将軍・家斉の御台所ですよね。じっさい、茂姫が鶴丸城で暮らしたわけではないと思うんですが。でも、江戸の大奥をまねたというより、家斉のほうがむしろ「薩摩の舅みたいにやりたい」といって豪華な大奥を営んだらしいです。薩摩の大奥は相当にゴージャスだったんでしょうね。

「夷」考ですが、あいかわらず深いですね。うんうん…お勉強になります。
最近になって知ったんですが、「尊皇攘夷」という言葉は、中国の春秋時代からあって、朱子学の基本理念のひとつなんだとか。
なので、攘夷というのは、どんどん突き詰めていくと、天皇を唯一にして幕府の存在を否定してしまうんですよね。それを朝廷が、公式には水戸の藩論として天下流通させたというのは、うん、すごい深い話だし、大いにあると思います。
ikasama4
2008年02月26日 07:37
遊人庵庵主様
広川、気に入って頂けて何よりです。
御自由にお持ち帰り下さい( ̄ー ̄)b

薩摩に大奥
これがいつ出来たかは正直なとこようわからんです(; ̄∀ ̄)ゞ
当て推量で書いていたのですが、後で調べてみると
将軍家の養女・浄岸院はずっと江戸にいたとか(; ̄∀ ̄)

ただ彼女が嫁いでから
島津家と徳川家の関係が急速に近付いていったみたいですね。

でもって少なくとも重豪の時には大奥があったって事なんでしょうね。
浄岸院は孫であった重豪の養育にも携わり
その重豪が徳川家との婚姻関係を積極的に
行ったという事を考えると、この頃に何かが
あったんでしょうね。

中国の春秋時代かぁ・・・自分は「項羽と劉邦」で止まってます(; ̄∀ ̄)ゞ
なるほど、突き詰めると
天下に立つのは朝廷であり、幕府ではないって事を
示す言葉だって事なんですねぇ。

となると「尊皇攘夷」とは幕府に対する呪がかけられている訳で
それを徳川御三家が積極的に広めてしまった事で

幕府の終焉はこの時から始まっていたんでしょうね。
なな
2008年02月27日 22:25
「征夷大将軍」という言葉から
「夷」という字が反逆者、敵、異邦人、という意味に
固定化されたと思っていたのですが、
それにしても南蛮人なのになんで攘夷?
とかねてからすっきりしなかったんです。

>>本当の意味は「夷=幕府を攘う」

きゃーっ、怖ーっ!
当時の公家の方々が考えそうな事ですね。
それでホントに言霊が発動しちゃったんですね。
妄想?
今後ワタシの中では、これが既成事実になりそうです。
ikasama4
2008年02月27日 23:37
なな様
ご指摘どうもありがとうございます。
それで、方角かぁと思いながら
記事の補足をしていたら
同じように南蛮人で「攘夷」って文字が気になったんです。

色々と考えた結果が
>>>「夷=幕府を攘う」
これでした(笑)

平安時代では平将門
そして鎌倉・室町(南北朝)・江戸と
朝廷は東国の武士によって脅かされ
そしてついには虐げられてきましたからね。

その言葉に自分達の恨みの念を込めたってのが
朝廷であればやりそうな感じがするんですよね。

真相はわかりませんが
その後に起きた出来事を考えると
やっぱそうなんじゃないんかなって気がします。
2008年02月28日 07:20
ikasama4様、初めてお邪魔いたします。
コメントは遊人庵の庵主様のところで拝読しておりました。ふつつか者ですがどうぞよろしくお願いいたします。
神業のようなイラストと、「攘夷」談義でROMから出てきてしまいました。私もずっと「幕末にやってきたのは南蛮人なのに、なんで攘蛮じゃないんだろう?」と思っていたんですが、目からウロコでした♪深いですね~~
ところで、この前の回で幾島さんがエラソげに言っていた「ジゲ(ジケ?)の訛り」ですが、私は「地下人」の「地下」かな?って思っていたのですが、(貴人にお目見え以下の身分なら何しゃべっていてもいいけど・・・みたいな)どういう意味なんでしょう?
ikasama4
2008年02月28日 08:20
SFurrow様
はじめまして。
ようこその御運びで。

「攘夷」に関してはあくまでの自分の解釈なんですが
「夷」を幕府ではなく異人に建前上すりかえたってのが
自分の中でも一番しっくりくるような感じがしたので


「(じげ)」という漢字ははおそらく地下なんでしょうね。
地下の「地」はその地元の事
地下の「下」は下々、おそらく下々の人の言葉

そこを指しているんだと思います。
あくまで漢字を見ただけの判断ですけど(; ̄∀ ̄)ゞ
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