篤姫 第2話 「桜島の誓い」

斉彬の助力により、抜け荷に贋金作りと
薩摩藩の不正の証拠を握った老中・阿部


当主の座から退くように幕府が言い渡す事が出来る

と阿部は考えていたが、事はそう上手くいかなかった。



「この調所が全て背負います。それが拙者の役割と心得ております故に。」

全ての不正の罪も悪行も、恨みも全て。


その時、「役割」という言葉にふと於一を思い出した調所。


調所は於一を屋敷へ呼んだ。


そして、おもむろに一枚の貨幣を於一に手渡した。

それは贋金だった。
全ては藩の為に。


於一を呼んだ目的。


それ以外の手立て
役割を超えた手立てはないものか。



姫の言葉をあれからずっと調所は考えたらしい。

調所の答えはこうだった。

「答えはない。

しかし、今はこう考える。

それが役割を超えた天命ならば、それもまた致し方なかったのだと。」


天命?


「左様。天が定めし事なれば。」


姫を見て調所は笑った。


今年も調所の屋敷には芙蓉の花が咲いていた。





それから間もなく調所は江戸の薩摩藩邸に向かった。



そして、調所は江戸城に呼ばれ老中・阿部の詰問を受けた。




その夜、薩摩藩邸には雪が降っていた。


調所は印籠から持病の薬と称したものを湯に注いだ。


ふと於一の言葉を思い出した。


知りたいのです。


その汚れない真っ直ぐな瞳を思い出し調所は笑った。

「姫様、末永く息災でな。」



調所はその湯を飲み干した。



そうして苦しみ悶え叫ぶ声を塞ぐにようにして調所広郷は亡くなった。




その死を薩摩藩は皆で喜んだ。
これで圧政から解き放たれると。


そんな薩摩藩で調所広さとの死を悲しむ者が二人いた。


一人は薩摩藩主・島津斉興

そしてもう一人が於一だった。

斉興と於一は調所広郷の本当の心を知っていた。
誰も知らない調所広郷を。


本当は心優しい人なのに。
藩の罪を全て背負って死んでしまった。

誰かの罪をかぶって死ぬ等と天が望む訳がない。そんなの違います。


しかし、この薩摩で調所広郷の死を悲しむ者は
危害を受けるのかもしれない。

肝付尚五郎はそんな於一を咎めるが
於一は一向に怯まない。


私の心は私のもの。何者にも縛られませぬ。






これで薩摩藩での争いは下火になるかと思われていたが

事態は更に加速の度合いを増していった。



斉彬の子供達が次々に亡くなり
その異母弟・久光の子供達が成長している事に
斉彬側の人達はお由羅の方様の呪いだと考えるようになっていった。

そのため
調所広郷やお由羅の悪行を書き記した書状が各地に広まったと言う。

これが斉興の逆鱗に触れた。


斉興は次々に斉彬側の者達を処罰していった。


何故、同じ家中の者が争わなければならないのでしょうか。


於一の叫びも虚しく、
薩摩での争いは更に加速していく―――。








今回はもう間違いなくこの方、調所広郷ですね。

この方は前回にも触れた島津重豪が作った借金500万両を返済するために
様々な藩政改革を行います。

そのために藩士の給料を減らしたり
藩の特産物となりそうなものをバンバン作らせて藩の収益とさせたり
植民地とである奄美諸島で黒砂糖で収益を収めたり
琉球等を通じて清国と密貿易をしたりと色々とやったそうですが
この方の改革で一番有名になったのはあれです。

当時の薩摩藩の収入は数十万両
それに対して薩摩藩の借金は500万両。
この借金500万両というのは京や堺など各地の商人からの借金の合計です。

調所はある時、薩摩藩が借金している各地の商人全員に
「古い証文を確認して書き改めるから証文を提出しなさい」と命じたそうです。

そして証文が全て提出されると
調所はそれらの証文を書き改める一方で
「薩摩藩の借金は全て一律に250年の年払い&無利子で返済していく事にする」と

一方的に商人達に申し渡したそうです。
この申し出をしたのが1835年だったそうですから
完済時期は2085年(笑)

はっきり言えば借金の踏み倒しです。

借金の証文が借り手に取られてしまってるのですから、もうどうしようもないですね。


貸した商人達は当然ながら激怒しますわな。

幕府にも訴えたみたいですが、結局薩摩藩が処罰される事はなかったみたいです。
おそらく薩摩が手を回して幕府を自分の都合がいいように動かしたのでしょうね。

前回も述べましたが重豪の娘は将軍家の御台所(正室)となっていますからね。

そうした調所の改革により薩摩藩は50万両もの備蓄を作る事が出来たそうです。


こうした備蓄があった事で
薩摩が強大な軍事力をもって倒幕の主導できる藩の基礎を作った人物として
評価されるところがあります。


しかし、それは大分後になってからの話で
薩摩では藩を苦しめた極悪人と見られていたみたいですね。


まず、そのひとつとして
抜荷など幕府に隠れてそういった犯罪行為をしていた事。

次に藩政改革のために
藩士の給料を減らしたり、農作物に大きな税金を課した事。

そして何より
調所が斉興側についていた事。

斉興と彼の嫡子・斉彬の争いの中で
彼は斉興側として、その矢面に立ちました。


全ての罪を己一人がかぶって。

彼の口癖は
「何かあればわしが腹を斬ればよい事だ」
だったそうです。


彼はあのように亡くなりましたが
この後に斉興と斉彬の争いは続きます。

この後、お由羅騒動と呼ばれる事件が起きます。
この事件により斉興は斉彬の重臣やその支持者を悉く処罰していきます。

ただ、それをやりすぎたために幕府に咎められ
斉興は隠居させられ、斉彬が藩主となり、処罰されていた者達は赦されるのですがね。


その処罰に対する恨みが斉興ではなく
何故かその矢面に立った調所広郷の一族に向くという事になります。


あくまで矢面に立ったのは調所広郷であり
彼の子供達には関係がないと思うのですがねぇ。


何故そこまで調所が恨まれた理由として
西郷隆盛、大久保利通と言った明治維新の立役者となった
薩摩藩の人物の大半が斉彬側の人間だったという事ですね。

西郷さんも大久保さんもお由羅騒動で処罰された者達の一人です。

その恨みの根源となるお由羅の方は島津久光の母という事で
あからさまに糾弾出来ず

そのためか、調所一族は迫害を言われ続けたそうです。


大変なる一族です。
というか、薩摩の人達はやり方が苛烈というか過剰な気もしますね。

「誰かの罪をかぶって死ぬ等と天が望む訳がない。」と於一は言いましたが難しい話です。

今も現にこういうのはあるような気がしますからね。

ただ
「罪を犯した者の子孫にまで、その罪が受け継がれる事を天が望む訳がない」
という事は絶対的に思えます。


《補足 2008/01/14》

今回の大河ドラマ紀行で
今回の流れであれば調所広郷が取り上げられるかと思いきや
小松帯刀が取り上げられていました。

先程述べた調所広郷の功績を考えれば
彼の紹介をしても良かったのではないかと思ったのですが
調べてみると、もしかしたらそれが出来なかった理由があったのではないかと思います。

先程にも触れましたが、調所広郷の死後も
彼の遺族は薩摩派とりわけ斉彬派だった者達の迫害を受け
明治20年には調所一家が離散したという事があったそうです。


調所広郷の死からもう160年は経っています。


各地では彼の功績を称える声も出てきてはいるようですが
果たして彼の罪を赦している人がいるのでしょうか。



かつて会津戦争で薩長と会津が戦いました。

それから120年後
長州があった萩市が会津若松市に
会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れたそうです。
「もう120年も経ったから」って

でも会津若松市はその申し出を断ったそうです。
「まだ120年しか経っていない」って

恨みを受けた者の根はとても深いという事でしょうね。




調所の功績を称える事に
「もう160年も経ったから赦してあげよう」と考えるのか
「まだ160年しか経ってないから赦さない」と考えるのか

それはもう薩摩の人達の心の問題になってくるような気がします。






さてさて、そんな調所広郷を演じるのが平幹二朗さん。

自分が平幹二朗さんを最初に知った作品は大河ドラマ「武田信玄」でした。
それ以来、色んな作品で彼を見る機会がありました。

その中で平さんが演じる役柄というのは
どちらかというと後世に悪人と呼ばれる人物を演じる事が多いような気がします。

自分が知っている限りだと

先程の武田信虎、吉良上野介、田沼意次、後白河法皇
後、調べてみると原田甲斐、斉藤道三、井伊直弼

そしてこの調所広郷です。


彼の役柄には好きで悪人になったというよりかは
あえて悪人の汚名をかぶった


そういうような人物が結構多いような気がします。


そういうこだわりというようなものが平幹二朗さんにはあるような気がします。



さて、来週は島津家で更なる争いが生まれるようです。

ここからどのように収束するのか
そしてその過程でどのような出来事が生まれるのかが

次回の見せ場になるような気がします。

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この記事へのコメント

2008年01月13日 23:30
iaksama4さん、こんばんは。
>あくまで矢面に立ったのは調所広郷であり
彼の子供達には関係がないと思うのですがねぇ。
それはヒドイ話ですね。今日の調所を見ていても充分可哀想でしたのにね。
>というか、薩摩の人達はやり方が苛烈というか過剰な気もしますね。
ああ・・・う~ん(笑)ワタシは先祖が北陸方面で、あとはずっと関東地区なんでなんとも・・・でもチョット「温度差」はカンジます。確かに(笑)
ikasama4
2008年01月14日 01:26
なおみ様
なんかこういう恨みというのは根深いものがあるのでしょうが
ちょっと悲しくなりますね。

個人的にはそこまで恨んで恨んで
恨み続ける人の心に怖さを感じます。

私の地元・愛媛はかなり温厚でノンビリした感じの
人柄は多いです。

が、それなりにドロドロしたような人間関係は
あったみたいですが、困った時はお互い様って
関係がそれなりにはあったみたいです。

まぁ多少の地域差はあるのかもしれませんが

この辺りに結構な「温度差」がありますかね(笑)
2008年01月14日 22:34
ikasama4さん、こんばんは。

「紀行」で調所広郷が取り上げられなかった理由。
興味深いお話ありがとうございました。いやもうホント、薩摩は感情的にすごい屈折していると思います。このあとの西南戦争で、政府側と鹿児島側についた者でも感情のもつれが解決していないといいますが、もっと前の、お由羅騒動から引きずってスッキリしていないというのは、考えてみれば根が深いです。
調所広郷の銅像は鹿児島にあるみたいですね。
でも、大久保利通や川路利良の銅像も鹿児島では比較的冷たい目で見られているとかの話を聞きますと、調所の銅像なんかもどういう感情で見られているんだろう?と思います。
明治維新は徹底的に、何が何でも勝者の歴史で書かれたようで、塗りつぶしきれなかったものが、鹿児島に、なんか未だに漂ってる気はしますね。

それにしても、小松帯刀の旧宅ちかくの小学校で、校舎に向かってお辞儀して下校する小学生はスゴイと思いました(笑)。お国柄でしょうか。
ikasama4
2008年01月15日 00:24
遊人庵庵主様
こんばんはです。
こちらこそいつもお世話になっております。

たしかに薩摩はかなり屈折してる気がします。
会津戦争の時でも長州もそうでしたが
薩摩も敗者となった会津に対して
本当に惨たらしい仕打ちをしたそうですからね。

後に西南戦争が起きて新政府が西郷さんを討つ事になった時
会津藩の人間が続々と新政府軍に集まったといいますからね。

全ては恨みを晴らすために。

個人的には恨むにしても
その恨みを伝え継がなければならないものなのかが
気になります。

結局、ずっと同じ事を繰り返してしまう気がするのですがね。

まぁ結局歴史というのは勝者の都合で作られるものなんでしょうね。

小松帯刀は結果的に西郷さんとかを引き立てた人ですからね。

>校舎に向かってお辞儀して下校する小学生はスゴイと思いました(笑)。
たしかに(笑)
仰る通りこれはもう御国柄なんでしょうね。
2008年01月15日 08:29
ikasama4さん、度々お邪魔しますね。
>個人的には恨むにしても
その恨みを伝え継がなければならないものなのかが
気になります。
そうそうそうなのよ!自分に対して「何かされた」というのなら分かるんですが、国や地域をあげて「恨み続ける」というエネルギーがなんとも・・・(><)
だいたい薩摩なんか最初は幕府側についていたくせに(会津とつるんで)形成が逆転した途端手のひら返してさっ!長州は分かるんですよ!(ずっと虐げられてきたからね)でも薩摩のやりくちってさ・・・ぶつぶつ・・・ああ・・・ああ、なんか気が重くなってきました。このドラマ見続けることができるのかしら?(苦笑)
そうそう、ワタシが知る限り四国方面にお住まいの方って「穏やか」で「優しい」気がしますね。もちきち師匠とか、ウチに良く来てくださる「美術と猫を愛する」かたとか・・・あ、あと「人物画」の上手な方!(笑)
2008年01月15日 17:44
月9で盛り上がっている所、失礼いたします~(笑)。
香取さん、いつもとちょっと趣の異なった役柄ですねー。

薩摩の賢人気質でしょうか。
南国の人は、熱いイメージがあるような感じはしておりますが・・。

未だに調所を紀行で紹介出来ないくらいの蟠りが残っているとしたら、それななんとも居た堪れないですね。
ikasama4さんの解説を読んでいたら、そういうこともありそうだ、と思えました。

そう言えば「功名が辻」の時も、何かそんな感じのことがありましたよね。
史実がベースにあるフィクションを描いていくためには、色々難しい問題もあるんですね。
ikasama4
2008年01月15日 21:58
なおみ様
再びのお越しどうもありがとうございます。

人を恨むって事を

どこまで続ければ気が済むのかなって思います。

人を恨んで
失うものはあっても
得るものはありませんしね。

人を恨む気持ちはあってもいいけれど
それを延々と子孫に伝え語り

ずっと続けていくっていうのは
なんか彼らの人生を無駄にしてしまうようでね。


四国は場所によるかもしれんですよ。
個人的に高知の人は凄まじいというイメージがあります(; ̄∀ ̄)ゞ

正直、自分では全然ピンと来ないんですけどね(笑)
ikasama4
2008年01月15日 21:59
さくらこ様
そうですねぇ。
香取さんのこういう落ち着いた役は久々ですね。
でもって陰のある役もかなり久々ですね。

たしかに薩摩の人は熱いイメージはありますね。
どうもその通りのとこはありますが
それが時として悪い方向にも向かうみたいです。

たしかに「功名が辻」での
土佐藩での山内家もそういう事がありましたね。

傷を受けた者は忘れたくなくて語り継ぐようです。


つまり、それにより身内に対する慈しみの心が
相手に対する恨みに変わってしまうのですからね。

それが時として生きるバネにもなるみたいですが

本当にそれでいいのかって事を考えると
ちょっと疑問に思うところもあります。

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