風林火山 番外編 武田・今川・北条の領内経営

大分、佳境に迫ってきた風林火山

甲斐・信濃の武田晴信
駿河・遠江・三河の今川義元
伊豆・相模・武蔵の北条氏康


互いに敵にしたくはない存在。

彼らを敵に回したくないのは
彼らが戦に強いというのもあったのでしょう。

でも、それだけでは戦国時代は乗り切れません。


そこで今回は
武田・今川・北条の領国の経営についてあれこれと。






武田晴信

武田と言えば金ですかね。
甲斐には黒川金山等々たくさんの金山があったようです。
この金が武田軍の軍資金の源になっていたようです。

また武田はこの金の価値を領内で規格統一をしていました。
いわゆる貨幣の原型でしょうね。


それから武田の内政でまず思い浮かぶのは
「信玄堤」と呼ばれる治水工事でしょうね。

ドラマでも出てきましたが、
甲府を流れる御勅使川と釜無川ではたびたび
洪水が発生し、農民の暮らしに打撃を与えてきました。

そこで晴信は植林をしたり
「信玄堤」と呼ばれる堤防を築く事で川の流れの力を
分散させて洪水を防いだようです。

これによって新田開発を進めていたんでしょうね。


次に挙げられるのは両国経営に欠かせない分国法。
これは「甲州法度次第」ですね。

甲州法度次第について主な内容を挙げると
領内の租税を取り締まる地頭の役職にある者は不正をしてはならないとか
租税はキチンと納めましょうとか、
悪人はキチンと取り締まりましょうとか
喧嘩は両成敗でその喧嘩に手出しをした者も成敗されるとか
子供の喧嘩に親が口出し及び手出ししてはいけないとか
養子縁組の際にはちゃんと申請しなさいとか等々

今でいう刑法や訴訟法とか民法とかが合わさったようなものですね。

こういった法律でもって領内の武将の寝返りを防ぎ
組織の力を強めていったのでしょう。

ただ、他の分国法との違いは
晴信自身もこの分国法が適用されるという点でしょうね。

自分自身も処罰される。

これはこれで凄いトコがありますが
これにはおそらくお国事情もあるかと思います。

甲斐国は武田晴信の権利が一括集中しているのではなく
甲斐の国人達の連合で選ばれた当主のような状態だったようです。

武田信虎が甲斐国を追放されたのは
武田信虎が当主の権利を一括集中しようとして
甲斐国人の反発を買い、甲斐国人主導によって
クーデターを起こされたとされています。

そして、自分達の意に沿う当主として武田晴信を国人達は推したてたのでしょう。
だから、こういう風になってしまったのかもしれませんね。


この法律でもって信濃の地を治めていったのでしょうがこれだけではまだまだ。

甲斐は山間地帯であり、農業にはあまり適さない土地。
比べて信濃は甲斐と比べると断然農業生産力の高い実りある広大な土地。

敵が攻めてくる事もあるでしょうが、甲斐を本拠地にする武田方にとって
この移動時間がネックになってきます。

その移動時間を少しでも短縮しようと武田が考えたのが第一に狼煙。


例えば信濃国境付近に敵が接近してきた事を
その付近の武田方の武将は狼煙を上げます。

それを見て、また付近の武将が狼煙を上げていきます。

それをリレーのように狼煙を上げていって甲斐まで狼煙を上げて
武田晴信に連絡します。

これによって信濃のみならず近隣の動きを甲斐にいながら
数時間で知る事が出来たそうです。

これは馬や人の足が移動手段であった戦国時代にあっては驚異的な早さです。


それから道です。
これは「信玄の棒道」と呼ばれるもので
甲斐~信濃への通り道を整備し、拡幅していったそうです。

これにより武田が信濃攻めにするにしても
信濃付近に敵が来たときに武田が駆けつけるにしても
素早く対処する事が出来たようです。


さて、こうして武田の領内経営を簡単に挙げてみましたが
金山開発、道の整備、治水工事。

これらの事から武田は今でいう公共事業が強かったようです。

そういう点では武田は土木事業の国って事ですかね。








今川義元

彼も優秀な領主だったそうですが
彼の評価が低いのは全て「桶狭間」にあるんでしょうね(苦笑)

なもんでイマイチこの手の情報も少ない(苦笑)

まず、分国法については甲斐よりも先に制定されています。
ドラマでは武田晴信が今川家にある分国法に見習って
武田の分国法を作った件がありましたしね。


今川家の分国法は「今川仮名目録」と呼ばれるもので
これは今川義元の父・今川氏親が制定しています。

こちらも「甲州法度次第」同様
刑法、訴訟法、民法が合わさったようなものです。

こちらも幾つか挙げてみると
例えば田に引く用水路の問題についてはキッチリしましょうとか
知行地の売却を勝手にしてはいけないとか
結構「甲州法度」に似たような内容になっています。

この法度の一番の特徴は「守護不入」です。

当時、室町幕府においては
各土地に公領や荘園と呼ばれる幕府や朝廷の土地というのがありました。

守護は領内から租税を取り締まっていましたが
この「守護不入」の土地については守護が立ち入る事が出来ませんでした。
つまり、「守護不入」の土地では租税が免除されていたって事です。

こういう権限を今川家は撤廃したって事のようですね。

この「今川仮名目録」に義元は大幅に改正して領内の組織力を高めていきます。


それから土地の検地。
つまり田畑の面積と収穫量を調査する事。
これも行っていたようですし、また関所も廃止したそうです。

そして駿河・遠江は東海道にある国。
かつて鎌倉幕府があった折、鎌倉と京を結ぶ道として
東海道は整備されていたようですからね。

また義元の母は京の出身という事で京の文化が多く入り込んできたみたいです。

こうした事からも駿河は発展していったようです。

それと駿河は今で言う静岡県。
静岡県といえばお茶。

この当時から既にお茶は有名だったようですから
東海道や船を使って自国の特産品を輸出していたんでしょうね。











北条氏康

北条家といえば間違いなく小田原城。

武田信玄や上杉謙信が包囲するだけで全く落とす事が出来なかった城です。

それ程の堅城たらしめたのは小田原の町全体を
土塁と堀で取り囲んだそうです。

小田原城の総曲輪の図を見た事がないので
大体の城の総曲輪をGoogleマップを使って現代の地図に
うっすい緑で塗ってみました。










・・・かなりの大きさです(笑)

これではどこから攻めていいか分かりませんね。

それに城と町が一体となっているので長期的な篭城戦では圧倒的有利です。
また、ここにたくさんの人を集めて町の開発を行っていったのでしょう。
戦においても内政においても一石二鳥です。


また、長期的な篭城を可能にしたのはこれだけではありません。

北条家はどうも織田信長よりもいち早く兵農分離を進めていたそうです。


この戦国時代、戦に借り出される兵士は基本的に農民が大半でした。
そのため、稲作の時期になると兵に不満が出て士気が下がるために
戦を取り止めるしかありませんでした。

そこで稲作の時期によって戦を左右される事がないように
戦専門の兵士をつくり、兵士と農民を分離させる事で
稲作により戦が左右されないようにしたそうです。


北条家にも当然ながら「早雲寺殿廿一箇条」と呼ばれる分国法があったそうです。

ただ北条家というのは戦国大名でも特異な存在で
武田家や今川家を見ればわかるように
家臣の内乱とか跡目争いとか身内で内紛が起きていますが
豊臣家の北条征伐以前では全くそういった内紛がありません。

この辺りにも北条家の結束の強さが窺えます。

こうした結束の強さのひとつに「足利学校」があるのかもしれません。

足利学校というのは鎌倉時代に創設されたと伝えられる教育機関で
儒学・易学・兵法・医学を教える事をしていたそうです。

北条氏康もこの学校で講義を受けていたようです。

それから、「北条」という姓。
北条の姓を名乗ったのは氏綱の代からで、それまでは伊勢姓でした。
姓を変えたのはかつて鎌倉幕府を取り仕切っていた北条氏の姓から
とっているようです。

それはつまり関東支配の正当性を示すためだったのでしょう。


それから北条家で有名なのは税制ですね。

戦国時代において一般的に五公五民でした。

五公五民というのは
農民が作った米に対して
そのうち5割を自分の取り分にし
残り5割を領主に治めるというものでした。

これが地方によっては
六公四民であったり七公三民であったとこもあったそうです。


それが北条家では北条早雲以来
四公六民の税制を行ってきたそうです。

この税制は日本史上、最も低いとされています。

その代わりにこちらでも検地を行い
作物の収穫量をしっかり調査しています。


また、税制改革に積極的で
貨幣の統一をしたり、無駄な税金はなくしたりと奮闘しています。

それから領内での訴訟については
評定衆を制定した事で訴訟処理を行っていたそうです。

こうした官僚機構にも積極的だったそうで
江戸幕府の行政機構はこれを基にしているとも言われています。

その内政手腕から「民政手腕随一の戦国大名」と言われているそうです。





こうして見ると三国の経営は様々ですが
その土地の特性を上手く生かしているようです。

他にも「三つ者」「歩き巫女」「草」「風魔」と
忍については色々妄想は膨らみますが、それはちょっとおいとくとして(笑)

こうして見ると強国になっていった
戦国大名達には何かしらの共通点はありますね。

そのポイントを外さないのが戦国武将としての強さなのかもしれません。



ただ、皮肉な事に結果的に後継が国を滅ぼしている事も共通していますけどね(苦笑)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

2007年10月14日 15:36
ikasama4さん、こんにちは。
届出が遅くなってしまいましたが、「クラブ」の方でこちらの記事を「引用」と「リンク」貼らせていただきますです。宜しい・・・ですか?
いつもいつもスイマセン(><)勉強になりますう◎
ikasama4
2007年10月14日 18:22
なおみ様
こんばんはです。
リンクの方はかまいませんよ。
こんなものでよろしければお使い下さい(^▽^)

この記事へのトラックバック

  • クーデターの政治学

    Excerpt: 第三世界にしばしばみられる民政と軍政の変遷、クーデターによる軍部独裁を西欧の政治基準で評価して事足りるのか。開発途上国の政治分析には実情に即した柔軟な判断が必要なのではないか。タイの民主政、クーデター.. Weblog: お薦め本!! racked: 2007-10-08 11:28