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zoom RSS 八重の桜 第28話 「自慢の娘」

<<   作成日時 : 2013/07/14 23:55   >>

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山川大蔵の入城に城内は沸き立っていた

早速軍議が開かれ
山川大蔵はこれより本丸にて軍事総督を務めることになった

大蔵はこの場に西郷頼母がいないのに気付いた

梶原平馬や佐川官兵衛らは
「あの御方がいては足並みが揃わぬ」

「恭順など馬鹿馬鹿しい
弱腰の家老がいて兵達が命がけで戦えるか」


そう吐き捨てるように語った






頼母は息子・吉十郎と共に城を去ろうとしていた


秋月よりその話を知った八重は秋月と共に頼母の下へ向かった


殿の御下命を萱野殿に伝えに行くと言う

吉十郎を伴うのは城に戻らぬためであった


「お逃げになんのがし?
御家老様はお城を捨てんおがし?」


「出すぎた事を申すな!」


頼母の一喝に八重は平伏した

「人にはそれぞれ道があんだ

なじょしても譲れぬ道があんだ

臆病者とそしられようとまっすぐにしか進めぬ
わしの道があんだ

この西郷頼母にもたわまぬ節がある」



そう言ってお城を後にした頼母を見送る八重と秋月



八重は秋月より
頼母が一日も早く降伏すべしと恭順を説いていた事を知った


この期に及んで降伏なんて賛同する者はねぇ
弱腰だと言われても仕方ないと八重は考えた


だが秋月は違った

恭順を唱える事の方が今はむしろ勇気がいるのだと


更に秋月は言葉を続けた

「たわまぬ節」とは
頼母の妻・千恵の辞世であると


知らなかった

八重は驚いた

そして頼母がどんな思いを抱いていたのか

八重は頼母が向かった方角をひたすらに見つめていた





城内ではおなご達が炊いたばかりの玄米で
手の皮がはげそうになりながらも城内の者達のために
おにぎりをこさえていた


そこにおこう様ら一行が城に戻られたとの報せが届いた


その報せに喜んだ八重であったが
竹子は戦死したという事であった

その悲しみに浸る間もなく
小田山の方から新政府軍の砲撃が始まった


おそらく上野の戦争で使われたアームストロング砲であろう


反撃しようにも
城内にある四斤砲では小田山まで届くかどうかと
尚之助は考えていた

そこで八重は砲撃に用いる火薬の量をギリギリまで増やして
距離をあげてみてはと提案して

何もしないではやられるだけだとして
尚之助と八重は早速作業にとりかかった


そして尚之助らが放った砲弾は小田山を直撃した

尚之助はすぐさま
破損箇所がないか部下に調べさせた



そこに権八がやってきた



「一発打ち込んだら
今度はここが的にされる

後は我らに任せ持ち場にもどれ」


「私も大砲のお手伝いを致しやす」

「いや
八重は北出丸で鉄砲隊を指揮したそうだな
山本家の名に恥じぬ働きであったと聞く
よぐやった
小田山からの砲撃で城内はうろたえている
皆が恐れおびえる事のねぇように
にしが鎮めて回れ
それも砲術の家の者の役目だ」



その言葉に従い
八重は城内へ走った


その八重の後ろ姿を見て権八は呟いた

「ここは危なすぎんだ・・・」



新政府軍の砲弾が城内に次々と降り注いだ


そこに一発の砲弾が女達の前に落ちた


そこに八重は近くにあった布団を濡らして
その砲弾にかぶせた


砲弾は爆発しなかった


「もう大丈夫
この弾は爆発しねぇから」


「よがった
八重さすけねぇか?」


「さすけねぇ」


「今何をしたんだし?」


「火消しだ」


新政府軍が用いる砲弾は
信管から火薬に火が移った瞬間に爆発する仕掛けである

この弾の形式は信管が露わになっているので
その信管を濡らす事で火薬に火がつく前に消し止める事ができる


というものであった


砲弾は上から来るものであれば
しっかり目を開けていれば落ちる先の見当がつく

もし近くに落ちたら
先程八重がしたように布団を濡らして
しっかりと押さえこんで消し止める


ただし常にこの形式の砲弾がくるとは限らない

それに弾はいつ爆発するかもわからない

これは命がけの仕事である






やりやす
私もやります

濡れ布団をかぶせるくらい
私にもできやす


そのやり方を知ったおなご達は
その命がけの仕事を行う決心を固めていた


その八重の下に
容保公からお呼びがかかった


先程の八重の行動に感服し
話が聞きたいという事であった


八重は容保公に
砲弾の仕組みを説明して
先程自分がやった行動を解説した



「覚馬の妹か
よく似ている」

八重はそこで
追鳥狩で一度容保公に拝見した事を語った

あの時から自分は若殿様のために
会津のために働きたいと願っていた


「女も子供も皆我が家臣
ともに力を尽くせよ」


「恐れながら申し上げます
皆で出来る事がごせえやす」


それは城内に打ち込まれた新政府軍の砲弾や銃弾を
拾い集める事であった

銃弾や砲弾の原料は主に鉛

これらを溶かして
新たにゲベール銃の銃弾として再利用する事であった

八重の提案に
おなご達は皆従った

これで皆が戦う事ができる、と


八重の周りにいる者達は希望を感じていた



そのような光景を見ていた
父・権八と母・佐久


そして父は思う

「おなごが鉄砲の腕を磨いても
何一ついいことはねぇ
いつか身を滅ぼすもとになんべ

そう思っていた

だげんじょ
八重が鉄砲を学んだ事は間違いでもなかったかもしんねぇ
闇の中でも小さな穴がひとつ開けば光が差し込んでくる」


「その穴をあけんのが八重の鉄砲かもしんねぇな」




だが新政府軍は小田山を中心に続々と部隊を集結させ
更に砲撃を強めていた


会津では小田山奪還に向けて
会津は明朝強襲を行う事を計画

小田山を奪還することで
城内への弾薬・食料の補給路を確保する必要があった

それが確保できれば米沢より援軍も来る事ができると




その総大将として佐川官兵衛が抜擢された


官兵衛は容保公より
酒と太刀を賜った


佐川は感激していた


「一度死んだ命でございます故
江戸で人を斬り殺し切腹申し付けられるところを
殿のお情けにて一命を救われました
それなのに情けねぇ
力及ばず殿を
会津をお守りできませず申し訳ごぜえません」


「佐川官兵衛
そなたの力頼みに思う」


「必ず囲みを破り米沢への道を開きまする」


容保公は自ら官兵衛に酌を行った


「ありがてぇ・・・ありがたき幸せ・・・」


「うむ」



だが官兵衛は喜びのあまり酩酊

刻限である時刻に遅れてしまい
小田山奪還を果たす事は出来なかった

それどころか
会津は新政府軍の銃撃により多くの将兵を失った



後に長命寺の戦いと言われたこの合戦以降
佐川官兵衛ら一隊は入城することなく
城外にて合戦を続けることになる






その頃
京で大垣屋が覚馬が書き記した「管見」を
ある男に手渡した

それを見た男は大いに驚き
その男と話がしたいとして

覚馬の下に足を運んだ


この男
ほんまに会津の一藩士か?
三権分立・殖産興業・学校制度
新しい国の形がここに全部書いてある
会津にも人物がいてはるのやな


覚馬はその人物が新政府軍の方とわかると
彼の者の足らしきものにしがみついた


「会津から兵を引いて下され
会津を助けて下され」



「仙台も米沢も降伏や

残るのは会津一藩だけ

奥羽全土を従えた時に
初めて堂々たる新国家が生まれるのや
死んだらいかん
いずれまた会いまひょ」



そうして男はその場を後にした




長命寺の戦いから二十日の時が流れた


会津城内では
もう弾薬も食料も尽きかけていた


八重はまだ城内は活気づいている事を示すために
皆で凧をあげていた


このような状況下でも
前向きでいる八重の姿に城内の者達に笑顔が宿っていた



だが
新政府軍の砲弾がやまない日はなかった


そんな中
大蔵の妻・登勢は八重に教わった砲弾の火消しを試みた

火消しに成功した

そう思った瞬間
砲弾は爆発し登勢は爆発に巻き込まれた


その砲弾は屋根を大きく突き破り
その穴から鶴ヶ城の天守が見えていた―――――




今回の一番のポイントは
娘の存在が城内に希望をもたらしている

それを親として喜ばしく思う


権八が初めて八重の砲術をほめてくれた

ここなんでしょうな


八重も初めての事だからちょっと驚いていたようでした





それから
仙台藩も米沢藩も降伏し
後は会津一藩を残すのみ


という岩倉さんの話がありましたが

実際はもう一藩
降伏せずに戦い続けてる藩がおりました


庄内藩です


庄内藩には本間家という日本でも屈指の豪商がいて
その豪商が庄内藩に西洋の最新式の武器を調達したそうで

その武器を使って
庄内藩は新政府軍と互角の戦いを繰り広げ
庄内藩内へ新政府軍の侵入をさせなかったと言われてます


その庄内藩は会津が降伏したことで降伏したそうです



両藩でのこの大きな差はやはりお金でしょうね


イギリスの医師であるウィリアム・ウィリスの見聞録があるそうで

そこでの会津の風評について


残念ながら
会津藩政の苛酷さとその腐敗ぶりはどこでも一様に聞かれた

今後十年二十年に返済するという契約で
会津の藩当局が人民に強制した借款についての話がたくさんあった
会津の国の貧しさは極端なものである

家並は私が日本のどこで見たものよりもみすぼらしく
農民も身なりが悪く小柄で虚弱な種族であった

この国で生産される米はみな年貢として収められねばならなかった

戦争で破壊されるまえの若松とその近郊には三万の戸数があり
そのうち二万戸には武士が住んでいてあらゆるものが
この特権階級の生活を維持するために充当されたり税金をかけられたりしたということだ

私が会津の国で見聞し受けた印象では会津藩の武士階級は
正当な禄扶持の程度を逸脱し権力をふりかざして領民を抑えつける
背徳的な振る舞いが多かったようである


武士階級はこのような領民隷属状態にあぐらをかいていた
会津藩の藩政は冷酷な武士階級による過酷な搾取が行われた
抑圧的政治であった



私は会津の国で高地民族のたくましい体格をした
農民に会えるものと思っていたのだが
現地で実際に目にしたのは領主・会津侯(松平容保)を
冷酷で搾取的な抑圧政治と同一視している半ば飢餓状態の
ひ弱な農民ばかりであった

会津の武士階級について考えてみても
彼らはほめられたものとはいえない

彼らは自分の国や土地をはなれた事柄には
まったく無関心であるようにみえた

私が知りあった他の地方の同じ階級の人たちに比べて
偏狭な範囲でしかものを言わなかった


引用URL:http://www7b.biglobe.ne.jp/~eigonou/0401Willis.html



こういう資料を見ると
会津も会津で第三者から見れば

非道な事をしていた、という風に見られても仕方ないですな


会津戦争の際には
長期戦に備えて農村を焼き払ったと言われてます

それがために農民は会津藩を恨み
新政府軍に手を貸したと言われています


こういう部分を見るに
会津藩が一方的な被害者である、というのは
うがった見方ではないか

もしくはあまりにもそういう農民とか
下々の人々の暮らしに無関心であったのではないか


そういうところも感じずにはおれないところですかね



後は佐川官兵衛が飲み過ぎて参戦に遅刻したとか

登勢が砲弾の爆破を防ぐために
濡れた布団をかぶせてその爆発を受けて亡くなったとか

史実通りなんだそうですが

その登勢が何故そのような事をしたのか


それは砲術に詳しい誰かが教えたから


となると考えられる候補としては
川崎尚之助か八重だった、というところですかね



冬まで合戦を持ち込めば
勝機がある、と徹底抗戦派は考えていたようですが


合戦はただ敵兵を倒す事


にしか考えが至らず

合戦をするための食料・弾薬の確保
ならびに補給路・輸送路の確保が疎かになっていた


と言わざるを得ないところがありますかな




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ドラマ@見取り八段・実0段
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八重の桜 第28回「自慢の娘」
今回は、次回からの大きな流れの前のほんの少しの隙間といった雰囲気のなか、物語は八重の決死の戦いと頼母との悲しい別れ、そして佐川官兵衛が中心になります。頼母については、容保が会津にやってきた頃から... ...続きを見る
ともさんのふむふむ大辞典
2013/07/15 23:47
[八重の桜] NHK大河第28回「自慢の娘」
公式サイト http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/outline/story28/ 粗筋 八重と尚之助は山砲で反撃、命中はするが、新政府軍からの攻撃は激しさを増すばかり。 八重は砲撃に対し、布団を濡らして瞬間的に弾を包むことで爆発を抑えるという荒業を披露。それを見ていた容保が八 ...続きを見る
窓の向こうに
2013/07/27 23:03

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内 容 ニックネーム/日時
ikasama4様、こんにちは。

日に日に戦力が増強される官軍。
次々と人材を失う会津軍。
まさに・・・あの戦争を思い起こさせる展開ですな。
軍隊を相手に女子供まで動員する武士たち。

そしてその行動の粗忽ぶり・・・。
そんな彼らがやがて軍人となり、教育者となり
明治という時代を作っていく。

そして・・・その時代はそれなりに輝かしい時代となる。
だが・・・いつしか・・・大日本帝国は会津になっていくのですな。
ここが歴史の醍醐味ですねえ。
とにかく・・・春嶽公に後ろ指さされながらも
存亡の危機にある国家をたちあげていく一人となる
具視公・・・。優しさの中に知性がありますねえ。
いよいよ・・・長期戦も終焉ですなあ。
キッド
2013/07/15 06:08
へぇ。。そんなことを聞いてしまうと今後
っていうか来週には決着がついちゃうみたいですけど、
今まで見てきたものが全然違ったものに
見えてきちゃいますね。
戦いが長引くにつれ容保に「なんで降伏しないんだろう?
結局は自分の命が惜しいだけなんじゃ・・」
と思い始めていたところにikasamaさんの記事
だったので・・・。
なるほど〜と納得いくところがありましたww
みのむし
2013/07/20 20:15
次回のストーリーでようやく鶴ヶ城開城という事で、観る側にとっても辛く気が重くなる展開からも解放されるようにも思われますが(しかし後日談の斗南藩のエピソードのあるとすればまだしばらくは続くのか?)、今回も本当に容赦の無い展開だらけでした。アームストロング砲で狙い撃ちにされるという現代的に言えばトマホークミサイルで狙い撃ちにされているような状況で、しかも周辺諸藩からの援軍の望みなど完全に1%を切ってしまって久しく、それでも徹底抗戦を続けているというのはひとえに武門の意地やプライド(城を枕に討ち死が本望という感じ)だけでやっているとしか思えませんね。籠城戦を行う上での戦略的視野や状況分析というものも喪失してしまっているようにも見えました。もう会津藩のライフは完全にゼロになっているというのに・・・・・。
今回のタイトルが「自慢の娘」とあって、それこそ権八さんお亡くなりの回かと覚悟して視ましたが実質的には死亡フラグが立ってしまい次回はその最期が描かれるという事になるのでしょう。それにしても今回のエピソードでは、八重のアイディアに対する上げる面と下げる面がキッチリ出されていた感もありました。小田山攻撃のための四斤砲の火薬量アップして砲撃→敵に大砲の位置を知られる、焼き玉押さえが容保公に褒められて謁見を許される→その焼き玉押さえが山川登勢の命を奪う事に、といった感じで。お殿様のお役に立ちたいという八重の幼き頃からの夢が叶ったのも、会津がこの上なく追い込まれてからの事で、しかもお殿様から評価されたアイディアが知人の死なせる事になってしまうというのはもう何とも言えません。
MoTo
2013/07/21 17:54
続きその1です。

権八さんはかつて八重が鉄砲を学んでもそれが世の中で認められる事は無くせつない思いをすると語っていましたが、鉄砲の腕はもとより砲術の知識は会津藩首脳部にも認められたにしても、肝心の会津藩自体は風前の灯火状態になっていて新政府軍との戦力差は埋められない程に大きいものとなっていた、というのには何ともやりきれないものも感じられます。
他にも佐川官兵衛の寝坊にしても、ネット上の色々なレビューを視てきましたがフィクションならば完全にボツになるものが史実なのだから致し方ないものですが、奇襲を仕掛ける側が相手よりも遅れてしまうなんて大失態も良い所としか思えませんでした。レビューでも「うっかり官兵衛」と揶揄されていましたけど。寝坊した事で慌てて駆け出す官兵衛には笑って良いのやら良くないのやらと複雑な気持ちにさせられました(笑)。ドラマでは長命寺の戦いに負けてしまった事で補給路確保に失敗したとありましたが、実際官兵衛は時に新政府軍を攪乱させて終戦まで何とか補給路を確保していたみたいですね。もしかしたらこの10年後の西南戦争にて政府軍麾下の警視隊にて奮戦したのも仇討ちのみならずこの時の結果として容保公の顔に泥を塗るような事をしてしまった事への罪滅ぼしもあったのではないかと思いました。そういえば彼の相棒的ポジションな斎藤一は会津に残留する事を言っていましたがその後なかなか出てきませんね。次の回あたりで官兵衛と合流するのでしょうか。
MoTo
2013/07/21 17:56
続きその2です。

Ikasama4様が挙げられた会津と同時期に新政府軍相手に奮闘していた庄内藩についてですが、当時の日本屈指の大商人である本間家が最新鋭の武器調達をして庄内軍が新政府軍相手に互角の戦闘を展開したと同時に、庄内藩では武士と農民の結び付きが強かったようで農民も農民ならではのやり方(山に幕や旗を持ち出して掲げ、かつ大声を上げて攻め込んでくる新政府軍を威嚇した)で戦って新政府軍の侵攻を食い止めていたようですね。この事は色々調べて知りましたが、農民に対する藩政の圧力が強すぎて戦時に敵である新政府軍に農民が協力してしまうような事態が起きた会津藩とは真逆なものがあり、まさに挙藩一致といえるようなものに感じられました。また庄内藩について調べてみた所、西回り航路の起点であった港町酒田はもとより藩政の中心である鶴岡にも天然の良港である加茂港が存在しており、経済に対する意識でも内陸の会津との違いがあるようにも見えました。挙げられているように庄内藩は会津の降伏でもって新政府に恭順しましたが、会津が戦後徹底的に解体されてしまった一方で庄内藩は比較的軽い処分で済まされたというのを見るとここまで同時期に新政府相手に戦った藩同士のコントラストが明確過ぎて何とも言えなかったりします。そういえば庄内藩は藤沢周平氏の時代小説に登場する架空の藩「海坂藩」のモデルという話すらありますね。
MoTo
2013/07/21 17:58
続きその3、これで最後になります。

次回で会津戦争が終結し会津藩は新政府に降伏となり、同時に父・権八の死や尚之助との離別、さらには八重のアイデンティティ喪失というまだまだ辛い内容の連続となりそうですが、30話以降の明治編は八重が生死不明となっていた兄の覚馬との再会、新島襄との出会いと結婚、同志社創立というエピソードを通して喪失したアイデンティティを取り戻して新しい人生の道を切り開いていくというのがメインの展開となるのでしょうか。初回から29話までは会津藩が主役とも言える政治・戦争ドラマだったとも言えますが(当然八重も会津戦争編ではメインで活躍しましたが)、30話以降では八重さんの個人史的な側面が強くなりそうな気もしています。新島襄に関しても物語に占めるウェイトも大きくなっているように思えてならなかったりしますが、残りの20話程度をどう描いていくかに関わっているようにも思われます。カレンダーで調べてみたら50話ペースで行くならば12月中旬でエンドという事になるようですが、プラス1話なり2話という形で近代編もじっくり描いて欲しいと思う事もありますが。50話ペースならば最終回はもとよりプレ最終回の49話も75分の拡大版でやって欲しいとも思ったりもします。
MoTo
2013/07/21 17:59
キッド様
こんばんはです

かの戦争と思いっきりリンクする程に
会津の状況はよく似ておりますな

違ったとすれば戦後
「自分達が間違っていた」みたいな
洗脳教育がなかったといったところでしょうか

ただ皆
帝に忠誠を誓っているので
この辺が強固な帝国精神に向かっていくのでしょう

なんにしても
やっただのやってないだの
やり返さないといけないだの
こういう恨みというものは

なかなかに断ち切れないものですな

恨みの連鎖を断ち切るとは
子々孫々にその思いを紡いでいく事と同じ

そして何時の時代も一兵卒は必死に戦うも
上の者達はその場限りの打開案を講じるしか出来ず
全て敵に読まれてまた善後策をとる

みたいな繰り返し

こんなんでまぁ誰も上層部批判をしなかったものです

戦争をするとは
どういう事なのか

そういう感覚も会津には欠乏していたのやもしれませぬ

まぁ太平の世が200年も続いていたら
合戦というものが何なのかわからなくなってるのやも
しれませんな
ikasama4
2013/08/06 22:54
みのむし様
死ぬ事に対して
容保公は何の躊躇もなかった

けれども己の非を一身にかぶった
神保修理を思うと死ぬこともできなかった

それに自分が命を懸けて恭順を示せば
必ず家中は紛糾するのは確実

恭順した西郷頼母が逆に殺されそうなくらいの
雰囲気でしたからね

徹底抗戦という意志を貫きたいけど
そうなれば更なる会津の民が死ぬ

その辺の葛藤は相当なものだったのでしょうね
ikasama4
2013/08/06 22:54
MoTo様
次回で開城する訳ですが
元々籠城をしなければならないという図式は
会津は想定していなかった

しかし冬になれば勝てるだの
米沢から援軍が来れば好転するだの

どう見ても米沢の力で好転できる材料が
全くなかったというとこに

会津の現実があります


焼玉押さえに関しては
成功するかもしれない
失敗するかもしれない

これが戦争でもあり
八重はこれで負い目を感じるものの
自分が下を向いてしまったら

兵の士気が落ちてしまう

それだけに前を向いていかなければならない
というのがこの状況下では大きかったでしょう
ikasama4
2013/08/06 22:57
MoTo様
権八はこの太平の世では
鉄砲が扱えても、という思いがあったようですが

乱世となったこの状況では
八重の存在が皆にとって希望となっていた事に
我が子としての誇りを感じたのでしょうな

今の会津にとって
八重は希望の象徴であったと感じていたことでしょう


うっかり八兵衛ならぬうっかり官兵衛のエピソード
あの後官兵衛はどう自分を恥じていたのか

西郷頼母をあれだけ罵倒しただけに
その辺の心境は見てみたかったものです
ikasama4
2013/08/06 22:57
MoTo様
庄内藩に関しては
川崎尚之助が考える兵制改革があまりにも
上手くいった事例でしょうな

こういう事例を見ると
会津の言う挙藩一致は農民の事をまったく
見ていなかった、という事になりますな

庄内藩の強さ
そしてその降伏後の会津との格差に関して

あくまでも私見ですが
関が原の合戦で薩摩は西軍に着き
それから薩摩の強さを見せつけ
最後の最後まで西軍であり続けた

その姿と庄内藩の現状に重なりを覚えたのでは

と思ったりしております ̄∇ ̄
ikasama4
2013/08/06 22:58
MoTo様
この時代において八重は
どんなに親に反対されてもめげない

特に藩主・容保のために生きていく

みたいな思いが強かったので
「生きろ!」と命じられたら
どんな事をしてでも生き抜く

そういう折れない心を持っていた
という風な感じがします

山川大蔵もかつて
八重を会津そのものだと言ってましたが

八重を会津がよみがえる
象徴として描かれさせたかったというとこが
あるように感じます

それが本当の意味での「八重の桜」にしたい
というのが込められているように感じます
ikasama4
2013/08/06 22:59

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八重の桜 第28話 「自慢の娘」 渡る世間は愚痴ばかり/BIGLOBEウェブリブログ
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