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zoom RSS 八重の桜 第23話 「会津を救え」

<<   作成日時 : 2013/06/09 23:04   >>

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旧幕府軍は鳥羽伏見の戦いに敗れ
山本家には三郎の戦死と覚馬の消息不明が伝えられた

新政府軍は

白河口
日光口
越後口

の三方から会津に迫っていた


国境の警備のため
日光口に向かおうとした山川大蔵の下に

奥羽鎮撫総督が仙台に到着し
仙台藩主・伊達公に会津討伐の命が下ったとの報せが届いた


西郷大総督府の意向は会津討伐
それを携えた参謀・世良修蔵は
会津を奥州諸藩に討たせる

その考えひとつにまとまっていた




山本家ではいつもと変わらぬような日々であるかのようであったが
いつもなら畑仕事をしてるはずのうらがいなかった

夫の消息不明の報せにふさぎ込み
家に引きこもってしまったのだった


そんなうらを八重は日新館の薙刀の稽古所に連れて行った


みねもそろそろ薙刀を始める頃だ
うちで手ほどきすんのは姉様の役目だなし
それまでに腕を磨いておがねぇと
思いっきり振ってみらんしょ
身体が動けば心も一緒に動き出しやす
縮こまっていでもいい事は何もねぇ


そこにお雪が姿を現した

夫を亡くしまだ喪が明けぬ中
切り髪姿となっていたお雪に
西郷頼母の妻・千恵が労りの言葉をかけたが


「何もせずにいでは旦那様に申し訳なくて」


として薙刀の稽古をお雪は希望した


黒河内先生はお雪の思いを尊重し稽古を認めた

そうしてお雪は早速中野竹子と薙刀の稽古を始めた

お雪の振るう薙刀はこれまでと違ったものがあった

お雪は中野竹子と互角の程をみせていた


そんなお雪の姿に
うらは思うところがあったようだ


みねは旦那様からの大事な預かり物だ
強え会津のおなごに育てねぇと後で旦那様に叱られっつまう

そうしてうらは八重と共に薙刀の素振りを始めた




その頃
梶原平馬・秋月悌次郎・山川大蔵
そして川崎尚之助は会津周辺の東北諸藩の家老らと会合を行った


その者らが申すには奥羽総督府・参謀の世良修蔵は
鶴ケ城を明け渡し容保公の首を差し出すよう要求していた


平馬はその要求は理不尽だと主張した


江戸城明け渡しでもって
慶喜公の助命が許されたからである

それは徳川宗家よりも重い処分になる


仙台藩をはじめ諸藩の家老もそれはわかっていた

その処分はあまりにも過酷であると


梶原平馬は恭順の証として
容保公が鶴ケ城を出て謹慎
会津の領地を一部返上する事を考えていた


しかし諸藩を代表して
仙台藩宿老・但木土佐が平馬に意見を述べた

「甘え!
せめで・・・せめで・・・
鳥羽伏見の首謀者の首3つばかり差し出すくらいでねぇと
曲げて聞き入れて頂かねば我らも会津討伐さ打ってでっと」


彼が首謀者の首を3つ差し出すように
提案したのは理由があった

長州第一次征討にて

長州藩は禁門の変での責任をとる形で

長州藩の三家老の切腹が行われていた


参謀・世良修蔵が長州出身という事で
それを鑑みての事であろう


「我ら会津は全藩あげて死を守るのみ
どうしても首がご入用ならば・・・」


梶原平馬はいつでも己の首を差し出す覚悟であった


「我らとて助けてぇ

会津さ罪なき事

奥羽諸藩皆承知すてる」

「されば何卒おとりなしをお願い申しあげまする

総督府の意のままになって奥羽の地は
踏みにじられまする

これは決して会津一国の事だけではございません」

「左様
事は奥羽全土さ関わる
仙台・米沢両藩が呼びかけ
諸藩が結束して嘆願すればあるいは・・・
一丸となれば総督府も無理強いはできんものと存じます」

「まさに!」

「何卒!」

「うむ
今こそ奥羽諸藩の力が試される時かもしれん」

「動くか」

「はい
何卒お力添えをお願い申し上げます」

そうして仙台藩と米沢藩の連盟で奥羽諸藩に通達が回った


「会津を救済せよ」と


その一方で会津は新政府軍の侵攻に備え

白河口に西郷頼母
越後口に佐川官兵衛
日光口に山川大蔵

彼の者らを総督にして主力を率いさせ向かわせた



会津を頼って江戸より落ち延びた新選組の残党もいた

土方歳三は負傷していたので
代わりに山口次郎なる者が新選組の隊士を率いて
白河に出陣すると言う


佐川官兵衛は山口の名を口にして首を捻った

彼が京にいた頃
彼の者は「斎藤一」と名乗っていたからである


軍議が終わり
土方はさり際に山口にこう漏らした


「斎藤
刀の時代は終わったな」


その場で一人佇んでいた
山口は外から誰かが鈴を鳴らしていた

音の聞こえる庭の方へ山口が外に出ると
そこには一人の女性がいた


「すまぬ
新選組の者だ
どなたかお身内か?」

「友達の弟です

鳥羽伏見の戦で亡ぐなって今日が
月命日・・・

あの戦で・・・
お城勤めだと線香を手向けに
参る事もできませぬのでこうして・・・」

「一緒に供養させてもらえぬか
俺にも弔いたい人がいるんだ」


「はい」


時尾は八重の弟・三郎のために
山口は斬首された局長・近藤勇のために

それぞれに祈った

互いの名前も知らぬまま


これが斎藤一と高木時尾との初めての出会いであった



それから間もなく会津城下に
奥羽二十五藩のご重役が集まり会津救済の嘆願書に署名されたとの話が広まった

会津の人達はこれをありがたいと思うと共に
当然の事だと考えた


そもそも会津は幕府に従った事であり
何も非がないのだと


それから山本家に米沢藩の藩士達がやってきた

合戦になるかもしれぬ中
米沢藩士らは旧式の銃をも触った事がない者が多かったので
新式銃の扱い方を習いに山本家にやってきたのであった


そこで指導する事になったのが八重である

米沢藩士で角場は賑やかになった

ふと八重は賑やかだったあの頃を思い出していた



しかし会津の願いは水泡に帰した


参謀・世良修蔵は
奥羽列藩衆議を決しての嘆願書を即座に破り捨て
会津・容保公は天下に入れざる大罪人として
謝罪しようと恭順しようと首を討つとして吐き捨てた


更に世良修蔵が
都の総督府に宛てた密書を奪取し
それを盗み見たところ


『奥羽
皆敵として討つべし
仙台・米沢など恐るるに足らず』


そう記してあった


かつては下級藩士だった者達が
なりあがって声高に我らを罵倒する



怒りに震えた彼らは
世良修蔵の暗殺に走った



奥羽総督府参謀・世良修蔵が暗殺された

その報せに会津は衝撃を受けた


これで総督府が奥羽を攻める口実が出来た


奥羽諸藩は後戻りできない
全面戦争への道を進み始めた



戦線が開いたのは白河小峰城である


防衛に当たった奥羽諸藩の兵は
2000とも2500とも


対する新政府軍は700足らず


だが結果は新政府軍の圧倒的な勝利であった


全ては兵器の性能がものを言っていた


新政府軍の砲撃は奥羽諸藩の陣にまで届いた
しかし奥羽諸藩の砲撃は新政府軍の陣まで届かなかったのである


新政府軍の被害は20人
奥羽諸藩の被害は700人であったと言われている

そのうち300人は会津藩の戦死者であったらしい


かつて長州や薩摩が外国軍との戦いで
砲撃が届かず兵器の性能を痛感した


その事を奥羽諸藩は痛感していたのである


そうして白河小峰城は新政府軍に奪われた


西郷頼母はここで死ぬつもりだった
ここで特攻して戦死するつもりだった

だが西郷は死ねなかった
藩士らによって羽交い絞めにされ撤退させられたからである


その後
越後長岡藩が奥羽諸藩との盟約に加わる事となった


長岡藩家老・河井継之助はこれを承諾した


越後長岡藩が奥羽諸藩との盟約に加わった事は大きな意味があった


越後長岡藩は
奥羽諸藩からみて一番南側に
港を設ける藩であり

この会津戦争で利益を得ようとする
外国商人達の武器の取引場所として
長岡藩の新潟港が利用されたのである


この新潟港を拠点にして
奥羽諸藩に対して武器弾薬が流通していったのである


また白河口での敗戦が
奥羽諸藩が諸外国との武器貿易に
大きく動き出した理由のひとつでもあった


更に越後新発田藩等5藩が同盟に加入し
総勢31藩による奥羽越列藩同盟が成立した


戦略としては次のような方針が立った


・白河以北は主に会津が担当 仙台・二本松もこれに加わる

・庄内方面は米沢が担当

・北越方面は長岡・米沢・庄内が担当

・新潟港は列藩同盟の共同管理とする




会津では白河口で撤退した
傷ついた藩士達が日新館の医学所で治療を受けていた

八重と日向ゆきは共に治療に当たる事となった


そのあまりの惨状に八重もゆきも息をのんだ


これも戦だ
ひるんではなんねぇ
やんべし

そう言って自分を奮い立たせながら八重はゆきと共に治療に当たった



その頃
京では牢にあった覚馬は思い悩んでいた

この場所では何もできない

「そもそもどこで間違ったんだ

あの頃
象山塾で
都で
長崎で

世界を見ようとしてきた

十年後
百年後に続く豊かな道を探すはずだった
そったのに会津は今
滅びの道を進んでいる


こんな時に何も出来ない・・・」


ふと覚馬の脳裏に聞こえる言葉があった


そうだった

吉田松陰は
牢の中で死ぬ間際まで思いを止めることを止めなかった


『立ち上がれ
朝廷も幕府も藩もいらん
ただ身ひとつで立ち上がればよい』

「まだある!
俺に出来る事がまだ一つだけ」


覚馬は生きる意味を見出していた―――――






白河口の敗戦により
武器の性能を痛感する

薩摩が1863年に行った薩英戦争で
長州が1864年に行った下関戦争で

痛感した武器の性能により
西洋の最新式の武器を取り入れなければいけないという事を
奥羽諸藩は1868年のこの時になって初めて痛感している

という状況なのですね


既に先見の明があった者達は
一刻も早い新式の武器の調達を願い出たが

それがわからないというか
自分の常識では考えられない事は排除していた
多数派によってその意見は排除されていた


それだけに

あの時あんなに言っていたのに
今更かよ

とか

もっと早くやっていればよかったのに

という感じもするのかもしれませんね


一方で戦争で武器を取引するというのは
武器商人にとってビジネスチャンス

こういう状況だからこそ
奥羽諸藩はこぞって西洋からの武器を購入するであろうと

その思惑通り
奥羽諸藩は武器を購入していきます

ただそんなに急いで買ったとして
どれだけの諸藩がその武器を使いこなせたのか
気になるところではありますが

生き残るため

それに必死だった諸藩は
生き残りのために必死に覚えたのでしょうな



この辺はいつの時代も不変なようです



ただ如何せん
会津はこれまでの都の出費がかさんで
とっても財政難


その辺もまた痛いところではありますな


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タイトル (本文) ブログ名/日時
【八重の桜】第23回 「会津を救え」感想
慶応4年(1868)3月、新政府軍が仙台に到着。参謀・世良修蔵(小沢仁志)らは、仙台藩に 会津討伐の命を下す。しかし、理不尽さを感じる仙台藩は、米沢など奥羽の他藩と結束し、 会津救済の嘆願書を提出す... ...続きを見る
ドラマ@見取り八段・実0段
2013/06/10 02:54
八重の桜 第23回「会津を救え」
とうとう会津を討伐すべく新政府軍は東北の地へとやってきます。南から順々に攻めていったのかと思いきや、参謀の世良修蔵たちが到着したのは仙台藩。すでに会津を行きすぎてしまっています。これから三方から攻めていくという方針だったのかもしれません。今回、大きな役割を果たすことになるのが、この世良修蔵という人物。見た目はものもの凄い形相で、いかにも悪者で嫌われ者とはこんな人物という王道を歩んでいるような格好です。始めに見たときに、とある有名バンドのボーカルの男性かと思ってしまいましたが、これは完全に人違いで... ...続きを見る
あしたまにあーな
2013/06/10 22:44
[八重の桜] NHK大河第23回「会津を救え」
公式サイト http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/outline/story23/ 出演 小沢仁志(世良修蔵) 今日の見所 新政府軍にとって最高の鉄砲玉は顔面凶器の世良修蔵だった。もちろん東北諸藩にとっては最悪だった。 粗筋 新政府は仙台藩に会津追討の令を出した。仙台藩は、戦争し ...続きを見る
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[八重の桜] NHK大河第24回「二本松少年隊の悲劇」
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窓の向こうに
2013/06/23 18:47
レイバン ウェイファーラー
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レイバン ウェイファーラー
2013/07/06 02:37

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
ikasama4様、おはようございます。

今回の世良修蔵は大爆笑でしたな。
京の市居の人々の手のひら返しに続いて
やりすぎちゃった感が半端ありませんでした。

まあ・・・西郷頼母の次回予告の感じからして
あまりにも戦が下手だったことには
触れたくないという作劇的観点でしょうな。

あくまで・・・鉄砲や大砲が時代遅れだから
負けたということにしたい模様でございます。
まあ、最終的にヒロインが一人舞台を演じるためには
当然の段取りなんでございますなあ。

それにしても・・・今回は三ヶ月の戦を三分で終わらせるとは・・・。
今、なんて言った・・・というボケがお茶の間にも炸裂していたのでは〜。
それはそれとして丹下官兵衛の出番終了トレビアンでございます。
キッド
2013/06/10 03:01
今回はそれなりの長文ですので何度かに分けてのコメントとなります。

今回のストーリーにおけるキーパーソンと言っても良い世良修蔵は小沢仁志さんの演技とビジュアルもあいまって恐らく本大河における悪役らしいキャラとも言ってもいいくらいのインパクトもありましたが、色々と調べていく内に長州藩でも主流派から外れた傍流にいた人で、出身が周防大島の大地主の出とはいえ武士身分の出身という訳ではなかったようで、そんな人が伊達政宗公以来の名門の伊達や同じく上杉謙信公以来の名門の上杉の殿様相手に横柄とも傲慢ともいえる態度で「会津を討て」、「討たなければ同罪」と恫喝外交を行ったり、総督府宛の密書にて奥羽皆敵といった事を書いて奥羽全てを敵に回しているとしか言いようのない事をやっていましたが実態は結構損な役回りという感じだったようですね。
そもそも奥州鎮撫総督府参謀という任務にしても他にやる人がいないというか誰もやりたがらなかったらしく傍流の世良にお鉢が回ってきたというのが実情のようで、僅か五百数十名という兵力で自分達の百倍下手すれば二百倍以上の兵力が存在する所へと乗り込んで悉く屈服させなければならないという無謀としか言いようの無いモノで、結局頼みとなるのは官軍の威光だけでそれゆえに高圧的な態度で東北諸藩に臨まなければならず、ドラマでは野卑さが強調されていましたが実際は本人も舐められてはならないという気持ちから死にもの狂いに任務を行っていたのではと思います。ただ硬軟使い分ける外交手腕を持ち合わせていなかった事が当人の仇となってしまったようにも見受けられます。
MoTo
2013/06/15 18:28
続きその1です。

ちなみに本ドラマでは地獄の使者と予告では紹介されていて強烈なビジュアルでもあった世良さんですが、ネットで見た実際の写真は強面というわけでもなかったようでかの日テレ版「白虎隊」にて泉谷しげるさんが演じていた世良さんの方がイメージ的に近いような感じでもありました。

それ以外でも今回は慶喜が今回再登場しましたが、果たして慶喜は今回がラストの登場になってしまうのでしょうか。慶喜の台詞の中で「自分に家臣がいたのだろうか」という一文がありましたが、これを聞いた時には渋沢栄一、山岡鉄舟の両名は家臣じゃなかったのかと即思いました。渋沢栄一に関しては自分の出身県の代表する偉人とも言える方でもありますが、明治以降も慶喜との親交もあって後援会長とも言ってもいいくらいの方だったようなので幕末モノでももっとクローズアップされてもおかしくないのではと考えています(渋沢栄一を主人公にした大河ドラマなら慶喜との関係は描いて当然と言えるでしょう)。渋沢さんは日本の近代化における功績は大きいだけに、慶喜が家臣として取り立てた事は慶喜の大きな功績の一つとも言ってもいいのではないかとも思います。山岡鉄舟については前回の勝・西郷の会談において前準備にて大きな役割を果たしていただけにこの人についてももう少しクローズアップして欲しいと思う所すらありました。本ドラマでは西郷が吉川さんなだけに鉄舟には布袋寅泰さんをゲストとして出してもよかったのでは・・・・、なんて勝手に思ってしまいました(かつて一緒にCOMPLEXをやっていたため:笑、2年前にも東日本大震災復興キャンペーンで一度きりの復活ライブをしています)。ちなみに西郷と鉄舟の両名は実際背が高かったようでそれはガタイの良い者同士の対面だったようですね。
MoTo
2013/06/15 18:34
続きその2です。

今回のストーリーは「会津を救え」でもあるように、窮地に追い込まれた(でもその原因の大部分はこれまでの展開を見れば前記の慶喜にもあるとしか思えませんが)会津を救うために東北諸藩が団結して奥羽越列藩同盟の結成を見るという展開でしたが、この列藩同盟については色々と調べてみましたら動機はともかく構想としてはスケールの大きなものを考えていたように見られますが、新政府相手の戦争が本格化してしまうと非常に情けないようなとしか言いようのない形で瓦解していますね。今回のストーリーでも八重と尚之助が最新式の銃の使い方を旧式の銃にすら触れた事の無い米沢藩士にレクチャーしている場面がありましたが、あのシーンも見方によっては同盟軍となる諸藩が軍備にも事欠いておりイザという時に頼りにならないという事を暗示しているともなるのでしょうか。その後の白河口の戦いでは同盟軍は数では新政府軍に勝っていながらも大敗してしまい、そこから回収された銃がゲベールのような旧式銃はもとより火縄銃を使っていたというシーンがありましたが、軍備面でもいかに不充分なまま戦争に突入してしまったという事も描いていたとも言えるのでしょう。ただ白河口の戦いに関しては軍備面での遅れは兎も角、総司令官の人選とか軍略面等で同盟軍側にミスがありまくりだったと思っています。
MoTo
2013/06/15 18:37
続きその3です。

次回は白虎隊にもひけを取らない悲劇である二本松少年隊のエピソードが出てきますが、その内仙台藩兵の「ドンゴリ」なんかも出てきたりするのでしょうか。会津戦争における仙台藩の軍備についても調べていく中で見ましたが、国力的には会津を大きく上回り海に面していて好立地であって当時でも日本有数の兵力を保有しながらも軍備や軍制の近代化はさほど進んでおらず(この事は他の東北諸藩も似たような感じでしたが)、下手すれば会津藩よりも状態は悪かったのではと思えてならなかったりもしました。
MoTo
2013/06/15 18:38
追加というか今回のコメントはWordで作成した上で投稿したですが、抜けていたモノがあったので追加します。最初のコメントと続きその1の間に入っていたモノです。お読みになる場合は最初のコメント→今回追加分→続きその1、という感じでご覧になって下さい。

「しかしながら世良さんの任務にしても新政府首脳部にすれは初めから成功する事を前提とはしておらず、東北諸藩を屈服出来れば儲けもので失敗しても奥羽征伐の格好の口実が得られるがためというような面もあるようですね(要するに「鉄砲玉」として奥羽に送られた)。出身である長州からしても戦後の事を思えば居なくなった方が好都合で実際にそうなったという感すらあるようにも見えますが。」
MoTo
2013/06/16 10:36
キッド様
これでもかってくらい
世羅さんはひどい描かれようですな

ま、会津主観のドラマだから
会津が合戦になったのはこいつのせいだと
言いたいのでしょうな

自分は悪くないとしたいのでしょうな


西郷さんの戦下手というか
事ここに及んでも

奥羽諸藩は数で集まれば勝てると

幕府と同じ過ちを犯したってとこでしょうかね

この辺は西郷ともども
京での合戦の有り様を知らなかったとも言えますな

幕府の敗戦の結果は知っても
どうやって敗れたのか誰も分析しない

ここも大きなところですな

ともあれどうにか官兵衛も間に合いました; ̄∇ ̄ゞ
ikasama4
2013/07/10 00:53
MoTo様
世良修蔵に関しては
とにかく会津を戦争に追いやった悪の権化という
イメージが大きくて

どこまでも醜悪な悪者に
したてたかった、という感じでしょうかね

その昔見た「白虎隊」でも
とにかくダーティーに描かれてました

そうそう、演じられてたのは泉谷しげるさんでした


こちらも当時は悪人キャラがハマった方です ̄∇ ̄


奥州鎮撫総督府参謀に関しては
誰もやりたがらなかったというのもあるようですが

もう一方で明治政府は立ち上げたばかりで
国家としての基盤は不安定で

その安定に務める必要があり

そこで奇兵隊の軍監を務めた
世良修蔵さんにお鉢が回ったそうですね

出身よりも
結果が認められた、ということでしょうかね
ikasama4
2013/07/10 00:53
MoTo様
元々世羅は藩校で学び
江戸で遊学した経験もあったのでそれなりの
教養はあったのかと思われます

世羅が仙台藩に会津討伐を迫ったのは
仙台藩が会津に次いでの中心の藩であり
仙台が新政府軍に従えば

他藩も仙台に追随して会津を討伐すると考えたのでしょうかね


まぁもうひとつの理由としては
ドラマでもそうでしたが会津へ向かう新政府軍の兵の到着に
時間がかかり新政府軍単独で会津を攻めるのは難しかった

とも考えられます


もうひとつは罪のない会津が討伐される事で
いずれ東北諸藩も同様にして攻められるのではないかという
危機感を感じていた、という事も考えられようかと思います


新政府軍に対する恐怖心が
新政府軍への恭順ではなく
新政府軍への敵意になっていった、というところでしょうか
ikasama4
2013/07/10 00:53
MoTo様
ちなみに仙台藩では
会津救済派と会津討伐派で意見が対立していたとも言われてます


それから世羅が会津討伐に突き進んだところに関して
会津救済の嘆願に「会津の謝罪」に関する一文が一切なかった

と言われてもおります

恭順は示しても謝罪はしない


幕府では徹底的に幕府と戦う意思がない事を示した上で
恭順の意を示したようですが

会津ではそれが一切なかった


そこが新政府軍の参謀として
世羅を逆上させるところだったのやもしれません
ikasama4
2013/07/10 00:54
MoTo様
もうひとつ世羅が見誤ったのは
奥羽諸藩は連合を組んで数でおせば
新政府軍に勝てる、という目論見があったのかもしれませんな

京での幕府の敗戦は知っても
どのようにして負けたのか状況把握が出来てなかった

ともあれ
世良修蔵の密書には
奥羽諸藩、特に仙台藩を激高させる何かが書かれていて
その結果、暗殺に至ったというところでしょうかね


まぁそれはそれとして
こうして結果だけを追った時
慶喜の判断は正しくて
奥羽諸藩上層部の判断は誤っていた

と思えなくもないところはありますがな
ikasama4
2013/07/10 00:55
MoTo様
もし世良修蔵が暗殺されていなかったら
明治政府において重要な要人となっていたのかもしれません

何にせよ
この事件で死んでしまった事により
新政府軍の悪いところを全部背負わされてしまった

といえるのかもしれませんな



ちなみに個人的に会津戦争での庄内藩と
その戦後の庄内藩が新政府にどう扱われたのか

会津と比べながら見てみると面白いと思います
ikasama4
2013/07/10 00:55

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