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zoom RSS 八重の桜 第18話 「尚之助との旅」

<<   作成日時 : 2013/05/06 02:02   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 6

諸藩で集まって議論を重ねる共和政治

幕府によるいわゆる一藩独裁政治

国の形について
それぞれの信念を持つ者達の戦いは
新たな局面を迎えようとしていた


白河へ向かう道すがら
背炙山が見える場所にやってきた八重と尚之助


「ここは覚馬さんと約束した場所なんです
いざという時は背炙山に 大砲の鋳造所を造ると
なるほど
ここならいい」


尚之助には思うところがあった


宿をとった後
尚之助は考え込んでいた

背炙山で鋳造した大砲を運ぶとしたら
船をつかってどこまで運べるのか

日橋川を下れば米沢・越後まで行けそうだ


「なしてそったとこまで?」


「長州攻めでは都から遠く離れた名もない村が戦場となりました
もし次に戦が起きたら・・・」


「会津で何かあんだべか?」


「わかりません
しかし会津は矢面に立ち過ぎた―――――」



京に滞在する容保公の元に
頼母の命により公用方に復職した秋月と
海外留学より帰ってきた山川大蔵が挨拶を行った

こうして都の顔ぶれが揃ってきた


覚馬が手配した銃1000丁は
プロイセンから届く手はずになっている


秋月と山川は都から離れていたため
都の今の情勢には疎かったので覚馬らが説明した


薩摩は朝廷に乗り込み
公儀の非を唱え長州の罪を解こうとしている

そのために何が起きるか分からない状況であった


「頼母様が案じられていた通りか・・・」

秋月はふと呟いていた


大蔵はロシアに行っていた
外国奉行の供をしてドイツ・フランスも回ってきた

「軍備・産物・学問
目覚ましいものが数々ありました

だけれども日本が劣っているとは到底思わない
技術を学びさえすれば異国に負けることはない
要は志です

ただ公儀の役人はその志を見失っている
人材が入用な時に肩書きにこだわるあの心の狭さでは
この先この国の舵取りは難しいものと思われる」

「蝦夷地での暮らしも無駄ではなかったぞ
海にはニシンが山のように押し寄せて交易のできる港がある」

長崎でも交易が莫大な富を生んでいたのを覚馬らも見た


西国諸藩が豊かなのはそのため


その港――――海が会津にはない
そこが大きなアドバンテージとなっていた



八重と尚之助は白河に着いた

昔このあたりには関所があり
秋風ぞ吹く白河の関
白河の関は奥州の者が都に攻め込むのを防ぐために作られたという

「皮肉にもこの関を越えて攻め入ったのはいつも南の者達であった」

「もしまたそった事が起きたら・・・」

「杞憂であればよいのですが」


二本松城下に入った八重と尚之助は
銃声を聞いた

その音がする方に向かうと
子供達がゲベール銃を使って銃の練習をしていた

「なかなかうめぇもんですね」

「ゲベールが重そうだな」

「何をのぞいてんだ!
おめえたちどこの者だ!
二本松を探りに来だのか?!」

「うんでねぇ
見てただけだし」

「こら何してる!
人に銃を向けてはならねぇ!
いつも言ってっぺ!」

ここで銃を教えている先生と呼ばれる方が
子供達を叱った


「旅のものです
会津から来ました」


先生と呼ばれる方は
木村銃太郎と名乗った

彼は江戸で江川砲兵塾に三年いたらしい

彼の父は二本松藩の砲術師範で
手が足りないため先頃帰藩して
年若で砲術道場に通えない者達を指導しているらしい


木村は生徒達に
会津の砲術家だと尚之助と八重を紹介した

そこで手本を見せてほしいと木村は尚之助に願い出た


「お手本ならば妻がお目にかけます」


「おなごが銃を撃てるのか?」

子供達は半信半疑で笑っていたが

八重が見事的を撃ちぬくと目を丸くして驚き
八重を見る子供達の視線は尊敬の念が込められていた


「おなごが銃の名手とはさすが会津だわ」


「いや妻は変わり種でして
会津は武門の国ですが
鉄砲の備えはむしろ遅れてます」

「二本松もご覧のとおり
まだゲベールや火縄銃です
いくら撃ち方の稽古をしても相手の銃がスナイデルのような
最新式ではとても太刀打ちができません」


「八重様はたいした腕だ
まことにおなごか?」

「んだ」


「俺もうまくなっちぇなぁ

生徒の一人・才次郎は銃を撃つ時」
目をつむってしまうらしい

「私も昔よく叱られた
秘訣は目を開けようとしねぇ事です
目の事は忘れて弾の行方だけ追えばいいんだし

これに願かけてみらんしょ
大きな目玉描いてだるまさんみたく目ぇ開けていられるようにって」


そう言って八重は白河で買っただるまを才次郎にあげた




京では薩摩が千の兵を率いて大坂に入ったとの報せが会津に届いた

会津はすぐさま御所の守りと市中の警固を固めるように手配した



その薩摩では
西郷吉之助の下に大山弥助がやってきた

弥助は横浜の商会よりわずかな金で
銃300丁を買い付けてきた

傷物も混じっていて二束三文で買い叩いたと言う

「壊れた銃でも直せばよい
数を揃えることが先決

あればあるほど敵はおじけつく」


「流石
弥助どん」


西郷の話では
土佐との会合が物別れに終わった

山内容堂公が
慶喜を説得して政権を返上させると言うたらしい
そして慶喜を将軍の座から引きずり下ろすために
兵を挙げ幕府を脅す約束を土佐藩の家老らはとりつけた

だがここにきて挙兵はならんと藩主が言うてきたらしい

そして薩摩にも兵を引くよう言うてきた


「先手を打たねばならん
期限は神戸が開港する12月7日
各国公使が表敬訪問に来る

慶喜が出られては世界が徳川を日本の長と認めることになる

・・・やはり朝廷に動いてもらわねばならぬか」


それから間もなく
薩摩の大久保と長州の桂が密談を行った

「土佐と手を組むとは薩摩には幕府を倒す気があるんじゃろうか」

「木戸先生
我々は土佐を取り込むのが得策と踏んだのです
じゃが容堂公の説く大政奉還は徳川の生き残り策にすぎんじゃろ
それがはっきりわかりました
土佐とは手を切ります」


「幕府を倒す覚悟に変わりはなかろうな?」


「無論
そのために千の兵を大坂に進めもした」


「もし慶喜が容堂公の献策をいれて政権を返上したらどねぇします?
挙兵の大義が失われてしまうが」


「そいごわんでこっちも土佐より早く算段をつけねばなりません」


「算段とは?」


「朝廷の力を借ります」


「・・・密勅か」


「大義のため邪魔者は除かねばなりもはん」


大久保はすぐさま岩倉具視と接触した


「近いうちに薩摩と長州にこの勅がおりる」

そう言って岩倉は大久保にその勅を見せた

勅にはこう書かれていた

賊臣・慶喜を殄戮し速やかに回天の偉勲を奏し・・・


大久保は驚いた

既に岩倉は大久保が考えていたその算段をつけていた

要は慶喜を殺せとの詔書である

「これぐら激しくあおらんと誰も本気でやらんやろ
守護職・松平容保と所司代を討つ勅旨も同じ時に出る
勅が下り次第すぐに動くのやぞ

慶喜は知恵者だ
どっちが得か秤にかけてさっさと政権を投げ出すやもしれん
そうなったら慶喜を奸賊としたこの詔書が嘘になる

それと朝敵を討つ旗印
帝の兵である官軍はこの錦旗を掲げるのや」


「錦の御旗・・・どこにあるのです?」


「あほな事を
こないなものある訳がない
作るのや

大和錦と紅白の緞子で立派に仕立てるのやで
大久保
一歩間違うたらこっちが逆賊となって真っ逆さまやぞ」


岩倉はこちらで偽の勅を仕立ててまで幕府を潰すつもりだ


改めて大久保はこの男の恐ろしさを思い知った




尚之助に会津の城から呼び出しを受けた

日新館砲術師範13人扶持での召抱となった


その報せに
山本家一同大いに喜んだ

八重と祝言をしてから2年
やっとお召し抱えになったのだ


権八は尚之助に一家の長として住む家について尋ねた


尚之助はこのまま蔵の2階で住まわせてほしいと言った


権八は外聞が悪いと一旦は断ったのだが
学問をするにも銃をつくるにも都合がよいと言い

八重も今のままで構わないというので

権八は尚之助の言葉を受け入れた


だが八重はわかっていた

覚馬や三郎のいない山本家を守るためだと

権八も安心していたのが表情に出ていた


「会津にきてもう10年です
ここは私にとっても住み慣れた我が家なのです」



翌日
尚之助は家老・神保内蔵助に
反射炉を作る意見を述べた

内蔵助らは大いに賛同したのだが
すぐには取り掛かれないと述べた

たしかに新式銃の件も吟味しなければならない

だが昨年の大火と不作に加え
長崎で買った銃の代金の工面もあった

会津は都で金を使いすぎて
今すぐにはどうにもならない

という事であった



自宅に戻った尚之助は
次は日光口と越後口を回ろうと提案した

1つダメなら次の手を打つまでです
金がなくてもできることがあるはずだ


常に前向きになった尚之助を見て
八重は笑って頷いた





容保は弟・定敬と共に慶喜公の下にいた


「昨日
土佐の後藤象二郎なる者が老中のもとに
容堂の建白書を届けてきた」

「容堂様が何の建議でござりまするか?」

「政権を返上せよと進言してまいった

260年余り幕府が執り行ってきた
政を朝廷にお返し申し上げよというのじゃ」

「それは一体・・・」

「政権を朝廷に返上するのだ」

「神祖・家康公以降政は
幕府が行うものと決まっておりまする!」

「わしはこの策を受けようと思う
大政を奉還する」

「幕府が強ければ薩摩や長州など恐れる事はない
そのはずであった
政権を握っているゆえ倒されるのだ
お返ししてしまえば討たれるいわれはもうない」

「なれどそのために
幕府を失ってはどうにもならぬではありませぬか!」

「いや
この策を用いてこそ徳川を守る事ができる
朝廷には政を行う人材も戦をする兵もない
政権を返されたとて何もできぬわ
しばらくは従来どおり我らが国を動かす事となろう
その間に徳川の威信を保つための手を打てばよい」


「将軍職は・・・
将軍職はどうなるのでございます!?
武家の棟梁のお立場は!?」


慶喜は突然廊下の方に走ったと思うと
廊下の庭で嘔吐した


「たとえ
将軍の名を失っても・・・
徳川家が天下一の大大名である事は変わらぬ!
すぐにやらねばならぬ
薩摩が動き出す前に
のるかそるかここが勝負どころよ

捨て身でいかねば 道は開けぬ!」


慶喜の乾坤一擲の勝負に
容保らも異論を挟む余地はなかった―――――






いつ幕府と薩長との戦が始まってもおかしくない状態

後は戦をする口実―――大義名分という事ですな


その大義名分のために
勅書を偽造する薩長と

その大義名分から逃れるために
政権を返上しようと画策する幕府の長・慶喜


この二人の駆け引きが見事ですな


まぁこの二人
どちらかというと軍師向き

岩倉さんはもう軍師としての立場で動いてるんですが

慶喜の場合は軍師がトップに立っているために
どうもその行動に周囲から信頼がおけないと思われてるのですよね


ま、そうした危機感を
幕府の矢面に立った会津は感じているみたいで

兵制改革を進めなければならないと思ってはいるものの

金銭的な面で思うように動けない

都での出費が大きくかさんでいるというのもあるのですが
他藩とくらべて海がないことで交易ができず

長州や薩摩に土佐と比べると
大いに出遅れているというところですね


藩の人間となった尚之助はその事を知ることになったけれど
今出来ることは出来る限りやらなければと

以前の無職の頃と比べると大分前向きに考えられるように
尚之助はなったようですね


そして権八は年をとり
家督を覚馬に譲りすっかり隠居モード

一家を支える存在から
尚之助らを頼る者へ立場を変えているようですな


時の流れと共に
皆年を経てきていると
改めて痛感する今日この頃です



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タイトル (本文) ブログ名/日時
【八重の桜】第18回 「尚之助との旅」感想
会津の防衛に不安を抱いた尚之助(長谷川博己)は、八重(綾瀬はるか)を連れて周辺諸藩見聞の 旅に出る。 二本松に立ち寄った2人は、有事に備えて熱心に砲術教練に励む少年隊士たちと出会う。 会津に戻... ...続きを見る
ドラマ@見取り八段・実0段
2013/05/06 04:19

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
ikasama4様、おはようございます。

徳川慶喜キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
山川大蔵キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ !
でございます。
もう、後は何が来て、何が来ないのか見てのお楽しみですよね。
しかし、あくまでマイペースでお願いします。
今回は胃がでんぐり返るほど悩み抜いてる慶喜が
素晴らしかったですな。
絶対に負けまいとするゆえに絶対に勝てない・・・
死中に活を見出すとか身を捨ててこそ浮かぶ背もあれとか
そういうこととは無縁の悲しきお坊ちゃま将軍。
まあ・・・何より憐れなのは
その下で働いてたものども全員なのでございますけれど。
さあ、もはや大政奉還で鳥羽伏見。
東海道防衛戦。
江戸開城で上野戦争。
そして会津へと・・・奈落の底へまっしぐらですなあ。
なんだか年末の気分になってきました。
キッド
2013/05/06 04:15
八重&尚之助の周辺諸国巡りでは後の「二本松少年隊」となる木村銃太郎をはじめとする少年達が登場しましたが、この際に色々と調べてみましたら現在の二本松市の市域に被っている安達太良山には私が住んでいる自治体が運営している自然・保養施設(名前は「少年自然の家」と付いています)がありまして、小中学生の頃(もう20年以上前ですが・・・・・)に自然教室でここに宿泊した経験があります。その当時、福島についての様々な事を前学習のような感じで調べていましたが白虎隊の事については触れていたものの、二本松少年隊の事については触れていなかったような記憶があります。ちなみにこの二本松少年隊について知ったのも、比較的最近の事で某動画サイトにてかの日テレの年末時代劇「白虎隊」を視聴した時でした。当然八重さんの事についても当時は出てきませんでした。最近この自然・保養施設の事を調べてみたら、きちんと本ドラマの事もPRしていましたので、今の私の住む自治体の小中学生は自然教室に行く際には本ドラマの事はもとより新島八重さんの事についても勉強はしているのではないかと思っています。
MoTo
2013/05/12 18:06
続きます。

ドラマの内容については八重&尚之助の周辺諸国巡りをはじめ尚之助の10年越しでの仕官といった慶ばしい出来事にしてももう穏やかな日常が終わりに近づいているという状況がひしひしと伝わって来ていたたまれない面もありました。上に述べた二本松の少年達も1年後には生き残っているのはどれだけいるのかという事を想うとこちらもまたいたたまれなくなる感じでした。一昨年のアレとは異なり、時代が大きく変動している流れに巻き込まれていく不吉さという点で痛々しいものが感じられました。
覚馬が秋月、山川大蔵との京にて再会するシーンにおける会話なんかを見ても会津だって使える人材が全くいない訳でもないのに、海に面していない内陸に位置していて交易というものが西国諸藩から大きく遅れをとっていたりとか、伝統や慣習にとらわれない柔軟性に欠けていたりとするという会津のディスアドバンテージな面が常々目に付いてきている感すらありました。ドラマ初登場の大山弥助(のちの巌)が傷物の銃でも安く買い叩いてそういったものでも直せばよくまずは数を揃えるという事を西郷に語っていましたが、こういった所も薩長をはじめとする西国諸藩と会津の対比が見事に現れているように思われました。
岩倉具視を巻き込んだ薩長と幕府を引っ張る慶喜との駆け引きはikasama4様もおっしゃられているように見事というか、慶喜の意志の強さ(将軍職を捨てたとしてもまだ徳川家は天下一の大大名である)というのも上手く表現されていたように見えました。慶喜は軍師向きともおっしゃられていますが、個人的にも慶喜はお飾りのトップを置いてその下で実権は自分が掌握して物事を動かしていくタイプのように思っています。となると大政奉還の決断というのも朝廷はあくまでお飾りで実際の政務の実権は自らが掌握するという思惑があったのでは・・・・・、と考えてしまう所だったりします。
MoTo
2013/05/12 18:07
キッド様
遅ればせながらこんばんはです

この回では慶喜の冷酷さがいいですね
彼は自分自身すら俯瞰で見てるようなとこがありますね

あくまでも彼の思いは
徳川宗家の有り様

そのために家臣の犠牲も厭わず

みたいな

義理人情みたいなものは持ち合わせてないような間隔ですな

全てが理屈なために
合戦で大いに読み違えする

石田三成タイプといったところでしょうか

会津の落ちっぷりは半端なものじゃありません

そんな中で
どこまで冷静に己を殺しての交渉が出来るか

そこが幕府と会津の運命の分かれ目であったのか
と思えてくる今日この頃です
ikasama4
2013/06/04 22:41
MoTo様
遅ればせながらこんばんはです

最近肩がつったり
熱を出したり

更にはメガネが合わなくて
パソコンを見るとすぐ頭痛になったりして
パソコンを見る時間がちと短くなっております>人<

さて、二本松少年についてですが
白虎隊の悲劇に隠れていますがこちらも悲劇的なものでした

最近ではかわぐちかいじさんが連載してる
「兵馬の旗」にてこの二本松少年隊が描かれている回があり

そこで絵を見る限り結構ショッキングなシーンが
掲載されておりました

機会がありましたら一度是非読まれてみてはいかがでしょう
ikasama4
2013/06/04 23:32
MoTo様
ささやかな日常の中で
いつか合戦がこの会津にも来るかもしれないという不安を
尚之助の言葉によって感じる八重

この会津の描かれ方を見てると
まずもって仰るように
地理の差が大きく出ているように思います

人材育成という面でもですが
藩全体での日本全般が置かれた状況把握でいくと
西国諸藩と比べたらかなり出遅れていたと思います

幕末の四賢侯しかり
軍制改革に成功していた諸藩の多くは
西国に集中しておりますからね

それもこれも情勢の把握を的確にできていたからこそ
すぐに体制を変える事が出来たのでしょう

その点では会津の軍制改革は大きく出遅れてしまった
といったところもあるでしょうね

それから岩倉具視と徳川慶喜との知恵比べ
この辺も面白かったですが

仰るようにやはり軍師タイプは上に立つべきではないですな

大政奉還に関してもどことなく
自分自身すら将棋の駒のひとつのように思って
動いているように感じられます

どうも徳川慶喜は石田三成と似てるような
そんな感じがしますねぇ

理屈はわかるけど
人の人情とかはわからない

そういうところが後の戦でもよく現れてるように思えます
ikasama4
2013/06/04 23:32

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八重の桜 第18話 「尚之助との旅」 渡る世間は愚痴ばかり/BIGLOBEウェブリブログ
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