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zoom RSS 篤姫 第42話 「息子の死」

<<   作成日時 : 2008/10/19 22:27   >>

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龍馬が寺田屋で幕府に襲撃されて怪我を負い、薩摩藩邸に逃げ込んだ。
報せを聞いた小松帯刀は龍馬の下に駆けつけると

その龍馬は怪我をしたものの、笑って小松帯刀を出迎えていた。

しかし、龍馬が襲われたのはおそらく
龍馬が薩摩と長州の仲を取り持った事を幕府が知ったためだろうと小松は考え
龍馬を匿う意味合いもあって、薩摩で療養してもらう事にした。
そこには龍馬の妻・おりょうも一緒だった。



そして薩摩についた一行は小松帯刀の屋敷にいた。






そこで帯刀は屋敷にいるお近にお琴の存在を話した。


お近の反応は予想通りだった。


年上の女房には頭の上がらない帯刀(; ̄∀ ̄)ゞ


しかし、お近がそうなるのも理由があった。

お近と帯刀が結婚したきっかけはそもそも藩主の命令によるものだった。

なので、自分は帯刀に好かれていないのではないかという思いが根底にあった。
だから、帯刀に好きな人が出来れば自分は彼に捨てられてしまうのではないかという不安があった。



そんな彼女に希望の光をくれたのは龍馬の妻・おりょうだった。



惚れられるより惚れる方がうんと幸せです。

いつ死ぬかわからへん男
何をしでかすかわからへん男

でも、うちはそんな男を好きになってしまった。

心配ですけど
そんな男には出会えただけで私は幸せです。

何があろうと
惚れた相手が生きてさえいれば。









私は幸せです。惚れた相手が生きてさえいれば―――――。


そして、お近はその言葉に救われた。









家茂が出陣して10ヶ月が過ぎた。





大奥には家茂の様子が一向に分からなかった。



そこで重野は
天璋院付きの侍女として唐橋を迎えた。


彼女は京の生まれで生家は漢方医だと言う。


そうなれば彼女が生家を通じて大坂にいる家茂の状況を知る事が出来る。

重野の意見に天璋院は同意した。



天璋院は思う。

離れているというものはそれだけでつらい。
案ずるばかりで何もしてあげられない苦しみが
これほどまでに痛切に感じるとは。



そして、それは和宮も同じであろうと。






その江戸では
将軍後見職にある徳川慶喜が薩摩に対して
再三に渡り長州への出兵を要請したが

その薩摩の使者はのらりくらりと要領の得ない回答をするばかり。

薩摩が出兵する意図がないと見た慶喜は薩摩の出兵を諦めた。








それから、休職状態にある勝隣太郎が公方様の御召しにより
大坂に向かう事を知った天璋院は勝と対面する事にした。



そこで天璋院は勝隣太郎にお願いをした。


大坂にいる公方様の様子を教えて欲しいと。


了承する勝に対して天璋院は尋ねた。

それは先日より気にかけていたものだった。



何故、薩摩と長州は手を組み、幕府に従おうとせぬ?


時代が変わりつつあるとしか申せませぬ。
国を閉ざしている間はよかったのです。

しかし、このままでは日本国が強くならないし良くもならない。

最早、世の流れには逆らえぬかと。



世の流れ―――――か。
それでも私は徳川家を守らなければならぬ。

大奥も
大奥の女子達も。



某も将軍家を御守りするのが第一の役目と心得ております。


それともうひとつ。
もしや長州、薩摩は幕府に向かってくるという事は。



よもやそのような事は―――――


ないと言い切れるのか。

その言葉に勝は返す言葉がなかった。


とにもかくにも万事は公方様にお会いしてからです。


頼む。公方様には御無事のお帰りを待っていると伝えてくれ。


畏まりました。








そうして季節が夏に移った頃、
大奥に公方様の御病状が知らされた。



その報せに衝撃を受ける天璋院と取り乱す和宮。


とりあえず自分が出来る事をしようと
それぞれのルートを使い、公方様の下に漢方医を手配していた。












それから間もなく長州と幕府との戦が始まった。










その頃、大坂の家茂は病床にあった。




その家茂と対面した勝は
お元気な姿で江戸に帰る事が
天璋院様、そして宮様への何よりの土産だと言って家茂を励ました。


家茂はその言葉に笑いかけた。




家茂の容態が急変したのはそれから間もなくの事だった。





公方様!



勝か。



はい。



勝。
わしは何事かを成せたといえるのであろうか。
将軍としての何か。男としての何か。




もちろんでございます。
よくぞ、これだけのお働きをなされたと
ただただ感服仕るばかりでございます。



そのような事はない。
そちはホラ吹きじゃのう。

口惜しいのう。わしはまだ二十一ぞ。



その通りにございます。病に倒れるなど早過ぎまする。


勝、そちが見えぬ。


ここにおりまする。


江戸へもう一度江戸へ。戻りたかったのう。
―――――母上、宮様を頼む。





そうして家茂は勝の腕の中で息を引き取った。










その訃報は大奥にも届いた。



嘘じゃ。
――――嘘じゃ。


信じられなかった。

信じたくなかった。



なんとか折れそうな心を必死に支えながら天璋院は歩を進めた。

和宮の下へ。




彼女に会った途端、座り込む天璋院を見て、和宮は傍に駆け寄った。


いかが遊ばしたのです?


宮様―――――。


天璋院は沈痛な面持で和宮を見つめる。


もしや――――。


和宮は天璋院の涙の意味を悟ると、その場に崩れ落ちた。


そうして、二人の瞳はかけがいのない者を永遠に失った悲しみで涙で溢れた――――――。












今回は見事なまでに長州征討がバッサリです(笑)

まぁ予想の範囲内ですが。



何にしてもこの物語のメインは愛する者の死ですからね。



いがみ合ってた妻と母


しかし、愛する者を思う気持ちは同じ。その一点で二人は繋がっていました。



正直、女性の涙にはヤラれてしまう私です(T▽T)モライナキ



後、面白かったのは本寿院が気を紛らすためにドンチャン騒ぎをして
その様子に開いた口がふさがらない庭田様が傑作でした(≧∇≦)





それと、なんとなく庭田様と和宮の髪型が最初の頃と比べると小さくなったような(; ̄∀ ̄)ゞ





それから家茂の死因について脚気だと言われていますが
最近では毒殺説もあるみたいですね。

それを画策したのが徳川慶喜だという説があるって
こないだ、船越英一郎さんの番組でやってました(笑)


そのために天璋院は慶喜の事が嫌いだったらしいです。

この辺りはその番組で次週もやるみたいですが
まぁこういうのは色々と謎が尽きないものです。


それから気になったのは新婚旅行。


日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬だと言われてきましたが
最近の研究では小松帯刀が初めて新婚旅行に行ったという説があるらしいです。

なんか、妙なタイミングで
テレビで報道がされている事に多少気になりますけど(苦笑)

まぁこれについてはいずれ、調査が進めば明らかにされる事でしょう。







そして、最後にとっても長いですが

第二次長州征討についてまとめてみました。



ただし、これに力を入れすぎて、この記事の2/3が
この第二次長州征討で占められているという事

そして、かなりネタに走っているので
その点についてはご容赦を(; ̄∀ ̄)ゞ






まず、第一次長州征討で
長州は完全降伏し、幕府方の降伏条件をほぼ全部飲みました。

これを受けて幕府軍は兵を引き揚げたのですが
この結果に幕府上層部はとっても不満だったみたいですね。

こういう不穏分子は徹底的に根絶やしにしておかなければ
いずれまた同じ事を繰り返すのではないかと。



そして、幕府の予想通り
長州は佐幕派を一掃して倒幕政権を立ち上げます。

これにより、「二度目は許さぬ」という事で
幕府は長州征討の兵を挙げます。







さて、その幕府軍の部隊の構成はというと



芸州口
総督は紀州藩藩主の徳川茂承(御三家)

高田藩藩主は榊原政敬(譜代)

彦根藩藩主は井伊直憲(譜代)

宮津藩藩主は老中の役職にあった松平宗秀(譜代)

津山藩藩主は松平斉民。徳川家斉の14男(譜代)

明石藩藩主は松平慶憲(譜代)

大垣藩藩主は戸田氏彬(後、戸田氏共)(譜代)

この榊原と井伊の姓から分かるように
榊原家と井伊家はかつて徳川幕府が創設されるまで
徳川家の四天王の一角を担った家でございます。





石州口
浜田藩藩主は松平武聰。徳川慶喜の実弟。

備後福山藩藩主は阿部正方(譜代)

津和野藩藩主は亀井茲監。正室は水戸徳川家の所縁の方。

鳥取藩藩主は池田慶徳。徳川慶喜の異母兄。(譜代)

松江藩藩主は松平定安(譜代)





大島口
松山藩藩主は松平勝成。徳川慶喜のいとこ。(譜代)

宇和島藩藩主は伊達宗城。実家は大身旗本。

徳島藩藩主は蜂須賀斉裕。徳川家斉の22男

今治藩藩主は松平定法(譜代)





小倉口
総督は老中・小笠原長行

小倉藩藩主は小笠原忠幹(征伐の最中、急死)

柳川藩藩主は立花鑑寛。正室は徳川御三卿・田安家の娘

久留米藩藩主は有馬頼咸。慶喜の親戚筋

熊本藩藩主は細川慶順(後、韶邦)

中津藩藩主は奥平昌服(譜代)




これから見ても分かるように大半が譜代大名で占めております。



総勢10万とも15万とも言われています。




対する長州の兵力は約4千。






これから見ても分かるように幕府は兵力のモノを言わせた短期決戦です。

特に兵力が多いのが芸州口と小倉口

芸州口はまぁ山陽道の道筋なので、大軍を擁し易かったのかもしれません。


そして、小倉口。

小倉口のすぐ傍にあるのは下関です。

当時、下関は物資の流通の重要な拠点でした。


日本海側から来る物資はこの下関を通り、そこから大阪、江戸と
流通していったそうです。

即ち長州にとって大きな貿易の拠点であり、それは長州の生命線でもあります。

そこを幕府が占拠すれば長州などひとたまりもあるまい



と、考えていた事でしょうね。



こうしてそれなりに戦略を立てていた幕府軍。

普通なら負けるはずがないんですがねぇ。




でも負けてしまうんですよねぇ(笑)





では最初に戦火が開かれた大島口


ここでは宇和島藩・徳島藩・今治藩・松山藩が参戦するはずだったのですが
参戦したのは松山藩のみ

後の諸藩は出陣を拒否します。



どうしてこれらの藩が拒否をしたのか。

幕府の威信のために
わざわざ自分とこの金を持ち出して戦をしなければならんのかと。
ただでさえ、今は藩の財政が厳しいという中で。

まぁそういった事とか幕府に対する不満もあったんでしょうね。



最初に戦火が開いたのは大島口
で、幕府海軍は7日に大島口に砲撃を開始。

そして松山藩を乗船させて、松山藩は大島に上陸します。


そうして松山藩は大島の各村を占拠しますが

その夜に高杉晋作が軍艦でもって幕府海軍を襲撃。


そして第二奇兵隊は大島ハレルヤ解放戦を開始


第二奇兵隊は松山藩を撃退し、大島を解放


ほんの数日で松山藩及び幕府海軍は大島口から撤退し、長州藩は勝利を収めます。





続いて芸州口
先陣を務めるのは
ご先祖様が徳川四天王である高田藩・榊原家と彦根藩・井伊家

対して長州・遊撃隊と岩国藩の連合軍
参謀は井上馨がこれを迎え撃ち

高田藩と彦根藩を壊滅させ、その勢いに乗って幕府の本陣がある広島藩領内まで
戦線を拡大させ、幕府軍を藩外で迎え撃つ作戦を取ります。

ちなみに広島藩はこの戦闘への参加を拒否しています。







石州口では
清末藩藩主を大将に参謀は後の日本陸軍の創始者・大村益次郎

この一隊は津和野藩を通過して、なんと浜田藩に攻め込みます。

迎え撃つ幕府軍に対して長州軍はこれを撃退。
浜田藩は浜田城に火をつけて総撤退。

これより長州は浜田城と天領(幕府の直轄地)である石見銀山を制圧します。





そしてこの長州征討の中で一番激しかったのは小倉口。

この一隊を率いるのは海軍総督・高杉晋作
山県有朋ら奇兵隊と藩士を主体にした報国隊

長州も主力をここ、小倉口に投入しています。


ここでも長州は幕府の陣がある小倉藩に進撃を開始。
しかも、小倉口にある幕府の船を全て焼き払い
幕府軍が下関に渡海する能力を奪っています。

そうして幕府軍に攻め込みますが
対するは本陣がある小倉藩と精強を誇る熊本藩

両藩との戦いは熾烈を極め、両軍とも痛み分けが続きます。


が、熊本藩は戦線を離脱して自藩に帰っていきます。


そして将軍・家茂の死を受けて小倉口の総督・小笠原長行は戦線を離脱

誰も幕府軍を統率する者がいなくなった事で九州の諸藩はみな自藩に帰っていきます。


残されたのは領土を戦火にさらしている小倉藩

しかも、この藩主は急死していたため、その死が隠されていた状態。
そんなこんなで小倉藩は小倉城に火をつけて居城を離れ
それによって長州が小倉城を占拠します。



これを受けて
幕府は朝廷に働きかけて休戦の沙汰を出してもらい幕府の長州に対する戦争は終結します。







ハッキリ言って完全なる敗北です。



しかしながら、何故、これだけの軍勢で幕府は敗北を喫したのか

そして長州がどのようにしてこの幕府の大軍に勝つ事が出来たのか




ちょっとその辺りについて、自分の独断と偏見で取りまとめてみました。
























幕府の敗北要因 長州の勝利要因
その1 軍の武装 軍の武装
その2 軍の士気 軍の士気
その3 兵の能力 兵の能力
その4 軍の統制 軍の統制
その5 長期戦 薩摩藩














幕府の敗北要因その1・軍の武装

各藩から兵を募った幕府でしたが、各藩毎にその兵の装備は異なります。
それはもう各藩で異国文明に対する考え方が異なる訳で致し方ないのかもしれませんが
ある藩では当時の最新式であるミニエー銃やアームストロング砲とかを配備していましたが
そういう装備を持っている藩はごく僅かで
大半の藩ではゲベール銃や火縄銃を改造したものだったりしたものだそうです(笑)


MSでイメージするとこんな感じ↓




正しくピンキリです(苦笑)


ちなみにミニエー銃とゲベール銃の違いについては







ミニエー銃 ゲベール銃
射程距離 800m 300m弱
命中率
(距離:100m)
約7割 約9割


格段の差でございます(笑)




また、兵の武装についても諸藩で差があったみたいで。

これについては
山口県/文化振興課/維新史回廊構想・維新史トピックス(第2号)
見てもらうとよく分かります。


長州軍が士官から兵卒に至るまで黒い筒袖の上着にたっつけ袴という軽装だったのに対して

敗走して退却した彦根藩・井伊家の軍勢はおびただしい数の甲冑を脱ぎ捨てたそうです。
そりゃ甲冑はめちゃくちゃ重いですからね。


これを見るだけでも幕府軍の武装
というか、各藩の武装は立ち遅れていたとこもあったという事でしょうね。








幕府の敗北要因その2・軍の士気

すこぶる低いです(苦笑)

そもそも、これは幕府の対面のための戦ですからね。

しかも、武器弾薬及び兵糧米の調達は
場所によっては各藩任せというとこもあったらしく

この時代、財政が厳しい藩にはたまったもんじゃありません。

幕府の面子よりも藩の維持が大切ですからね。


だから、藩の中でも幕府の要請を断って戦に参加しない藩がありましたからね。

そんな状況で参加した藩はなんか貧乏くじを引かされた気分だったでしょう。



また、どうも幕府はつまらん事をやってたみたいで。


第一次長州征討で総督に紀州藩主・徳川茂承が就任したのですが
たった三日で役職を交代。

そして此度の長州征討で尾張藩主の弟君が総督を辞退した事で
徳川茂承がその総督をする羽目になったみたいで。

徳川茂承はその職を辞退したみたいですが
幕府は強制的に彼にその総督職を任命したようです。


なんで幕府が徳川茂承にこんな嫌がらせのような事をしたのか。


おそらく、それは徳川茂承が紀州藩主で
この時の将軍の後見職が一橋慶喜だからです。

事ここに及んで幕府派未だに南紀と一橋でつまらんいさかいをやってたていうのがねぇ。


また、幕府の直属の軍隊はあまり戦う事はなく
長州との戦いのほとんどを参加した藩に任せていたみたいですからね。



こ〜んな事やってるから幕府軍の士気が上がるはずもありません。








幕府の敗北要因その3・兵の能力

かつて徳川幕府の四天王として戦場を駆け回った井伊家や榊原家も
それは二百数十年前のお話。

平安の世が長く続いたおかげで戦のイロハを忘れてしまったって事なんでしょう。

戦という事で藩の倉庫にある古の兵法の戦術書を引っ張り出して
慌てて勉強する感じなんでしょうし

とりあえず最低限、銃の撃ち方だけはなんとかマスターしましたって感じなんでしょうね。
兎に角大半の藩が急ごしらえって事なんでしょうね。








幕府の敗北要因その4・軍の統制

こちらもすこぶる統制が取れてなかったようです(苦笑)


上記でも話しましたが芸州口ですが
この部隊の総督は紀州藩の徳川茂承なんですが
彼はこの戦に消極的で辞退しようとしてたんですが
幕府は強制的に総督に任命


現地に徳川茂承が行ってみれば
幕府の老中が実際に戦闘を指揮してて、徳川茂承は単なるお飾りのような存在。

その上、老中が独断で長州と和議を謀り
その老中が幕府によって罷免されたりして。

また、広島藩についても
幕府に出兵するように言われていたのですが出兵を拒否します。


こんな状態ですから、幕府が諸藩の統率を取れるはずがございません(苦笑)






大島口については
松山藩・徳島藩・宇和島藩・今治藩が準備はしていたらしいんですが
結局、大島口に向かったのは松山藩

他の藩は出兵を拒否したらしいです(笑)

そして、唯一、この戦場に向かうという貧乏クジを引かされた松山藩


ヤケクソになったのか、松山藩は大島口から長州に上陸すると
その地で略奪とかしてたそうで。

これは幕府の規律がなっていない事を示すと共に
長州の兵や住民の恨みを一気に買ってしまっております。

統率もへったくれもありません(苦笑)






石州口では
長州と隣接する津和野藩は出兵に消極的。



小倉口については
こちらの諸藩も戦には消極的で
大半が出兵を拒否してました。

その上、この地の総督である老中・小笠原長行が
とってもど〜しようもない方らしく

たいした指揮系統能力も戦術能力もなくて

肥後藩は長州と戦い被害も大きかったらしいのですが
それに対して幕府は何をするってワケでもなく

そんな幕府の対応に肥後藩は怒って兵を引き揚げてしまいます。




極めつけは将軍の死を知って
小笠原長行は戦艦に乗って戦線を離脱。

総督がいなくなった戦場で幕府はバラバラになり
それによって諸藩はみな撤退

残されたのは戦場にされた小倉藩だけが
長州藩と戦う羽目になったって事です。

ただ、そういう状況下で小倉藩は長州とゲリラ戦を展開して
必死に戦ったみたいで流石の長州も苦戦したみたいですけど。








幕府の敗北要因その5・長期戦

元々は短期決戦のつもりだった幕府ですが
あまりの長州の強さに防戦一方で長期戦になりました。

これが何故敗北要因かと言えば

戦には兵に対して兵糧が必要
   _||_
   \/

長期戦になればもっと兵糧が必要
   _||_
   \/

米などの物資が長州征討の幕府軍に集中する
   _||_
   \/

米の物価が上昇する
   _||_
   \/

米が買えなくなる
   _||_
   \/

各地で一揆が発生(゚Д゚)コメクレ


こうして藩内で一揆とかが起こると
幕府のみならず一揆を受けた藩はもう戦ドコロではないですからね。

それにこの一揆で戦地にあった松江藩や紀州藩に
敗れたりしてるらしいですからね。

そういう事もあって長州征討に参戦した幕府軍・諸藩は
一揆に対しても対応せねばならず大変だったみたいです。








長州の勝利要因その1・軍の武装

長州は薩摩より武器を購入した事で
当時、最先端の武器であるミニエー銃をメインにした装備を揃えていたようです。

ミニエー銃の性能は火縄銃よりも性能がよいとされるゲベール銃と比べると







ミニエー銃 ゲベール銃
射程距離 800m 300m弱
命中率
(距離:100m)
約7割 約9割


これを見ても分かるように射程距離が格段に違います。

この事からミニエー銃の兵隊はゲベール銃の兵隊の射程距離の範囲外からの
攻撃が可能であるという事になります。

特に幕府はこの武装が各藩でマチマチだったので優位に戦える事が出来ます。








長州の勝利要因その2・軍の士気

この時の長州の軍は大半が農民や下級藩士など様々な方で構成されていました。
その人達は「自分達がこの藩を守るんだ」という意識が強く
そのために戦う士気はとても高かったらしいです。
また、高杉晋作が軍律を定めていて、兵達は規律を守っていたらしいです。

特にこの戦で負けたら自分達の守るべきものが壊されていくという危機意識があったでしょうから
それを守るために必死になって戦った事でしょう。








長州の勝利要因その3・兵の能力

異国との戦争、禁門の変で敗戦したとは言え戦の経験を積んだ事で
今度は如何にすれば負けないようになるのか

それによってそれぞれが自分の能力を磨いていったみたいですね。

また、西洋戦術の導入によって様々な専門部隊が出来たみたいですね。



近接戦闘に優れた部隊とか


※イラストはあくまでも私個人のイメージです




長距離射撃に優れた兵士とか


※イラストはあくまでも私個人のイメージです




機動力に優れた部隊とか重火器の扱いに優れた兵士とか


※イラストはあくまでも私個人のイメージです




そして異国との戦い、禁門の変を戦い抜いた歴戦の経験者とか


※イラストはあくまでも私個人のイメージです


そういった優れた兵士を長州は鍛錬していったって事ですね。




MSでイメージするとこんな感じ↓



ツワモノが揃っています(笑)








長州の勝利要因その4・軍の統制

いくら武装では長州の方が優位でも兵力では幕府軍と比べると圧倒的な差があります。
それを埋めてくれたのが軍の統制です。

特に異国との戦争、禁門の変での敗戦を受け
長州は戦の戦法・戦術を改めるようになります。

そして長州の各部隊は日本陸軍の父・大村益次郎によって
戦術のイロハを叩き込まれます。


例えば攻撃に対して通常はこんな感じですね。




まぁ長州藩は武器が優れてはいますが兵力が少ないために
仮に相手を撃ち洩らすと逆に相手にヤラれる恐れがあります。





それを防ぐために考え出されたひとつの戦術が「十字砲火」

まぁ呼んで字の如く




こういう感じで二方向から攻撃すれば
相手に与えるダメージがより甚大になり

また、相手も二方向からという事で軍の統制が乱れたりします。





他にも様々な戦術があり


※この戦術名称はあくまでも私個人の妄想です









そういう戦術に従って長州の兵は
幕府軍を撃退していったみたいですね。

なので、こういう戦術を取り入れた事もまた長州にはかなり大きかったようです。


※イラストはあくまでも私個人のイメージです








長州の勝利要因その5・薩摩藩

おそらく、これが一番大きいですね(笑)

当初の幕府の計画では萩からの戦闘を検討しており

これによって五方向から長州を攻撃する手筈だったようです。

そこに薩摩藩を当てる計画だったそうですが

これを薩摩藩は拒否します。


それに長州は薩摩から武器の購入をする事が出来た訳ですし

また、小倉口で熊本藩が戦場から撤退して藩に帰っていったのは
薩摩藩が熊本藩の周辺で不穏な動きをしていたからというのもあるらしいです。


そして、大島口の幕府海軍が動けなかったのも
一説には薩摩の動きが気になったのではないかとも言われる内容のものがあるそうです。



という事は、幕府は長州と薩摩が手を結んでいるという話を知っていたって事になります。


そうなると、長州と薩摩が手を結んだ事を幕府はどのように知ったのか

という点について自分は長州と薩摩が手を結んだ事を
彼らは意図的に幕府側にその情報を流したのではないかと思います。


もしかして薩摩は敵かもしれないという疑念を抱かせる事で
幕府は薩摩の存在に苦慮する事になり、それによって動きが制限されたのではないかと。



それに幕府内には今の幕府では日本を変えられないという風に考える
方もいたのだと思います。


その人物の一人が勝海舟だとすれば。


1864年に勝海舟と西郷隆盛は会っていますし
薩摩は勝海舟の操練所の塾生を保護していますし
薩摩と長州の同盟はその操練所の塾頭である坂本龍馬が仲介していますし
薩摩からの武器を長州に流す斡旋をしたのも坂本龍馬が作った会社・亀山社中ですし
そして、長州征討での長州の軍艦にはその亀山社中の面々が同乗してますし



そう考えるとバッチシハマってくるんですけどね。






さて、次回はそんな愛しい者を死を「母」と「妻」がどう乗り越えられるのか。
ここがポイントです。



そして頭のアタッチメントを取り替えた帯刀さん。
ここもポイントです( ̄▽ ̄)

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どもです。 ...続きを見る
優しい世界〜我が心に迷いあり(β)
2008/10/20 21:05
篤姫 第42話「息子の死」
 さあ、皆さんいよいよ今日のそのときがやってまいりました。13代将軍亡きあと、全国の女性のココロをわしづかみにしてドラマをひっぱったリトル上様・14代将軍家茂の死です。各々方、ハンカチのご用意はよろしゅうございますね。 …ってな感じでのぞんだ今回。なんかこう、リトル上様のご最期が予想以上のコテコテで、その哀れな境涯に女性の涙を絞った先代様の最期には及ばなかったように思います。というか、これがホントだったら勝海舟が暴露本に書かないわけないって。「公方様は『儂は未だ廿一ぞ、口惜しい口惜しい』と仰言つ... ...続きを見る
遊人庵大河塾
2008/10/20 22:01
篤姫・42話。
・・・日本初の新婚旅行坂本・お龍さん→夫の浮気を知ったお近さん、スマイル0円の熱湯リベンジ(?)・・・、は、見てておかしかったんですが・・・。 (知らない間に、大久保さんが偉くなっていた・・・。どこまでもとぼける大久保さん、不気味。) ...続きを見る
朝凪、夕凪
2008/10/21 22:53
『篤姫』第42回「息子の死」
2008年『篤姫』第42回。。薩長同盟が成立して。。龍馬に危機が。 伏見・薩摩藩邸。 龍馬が襲われたと聞いて帯刀が駆けつける。 で、龍馬とお龍は薩摩へ。 小松帯刀から坂本龍馬へ送られた、日本人初の新婚旅行。 帯刀から、お琴へ。 別れ話と知ってはぐらかすお琴。... ...続きを見る
strの気になるドラマ 気になるコト
2008/10/22 11:36
大河ドラマ:篤姫第42話「息子の死」
色々な意味で面白い回でした。家茂が死去するという重い内容だったのですが、薩摩側がコメディ路線だったこともあり、とてもメリハリが効いていましたね。静の幕府、動の薩摩といった感じでしょうか。薩摩では、何を思ったのか帯刀がいきなり土下座して、お近さんにお琴の... ...続きを見る
山南飛龍の徒然日記
2008/10/22 19:43

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
ikasama4さん、こんばんは。
相変わらず凄いレクチャー本ですね(三省堂には売り込んだんですか?)

>ハッキリ言って完全なる敗北です

ここから幕府は負け続けるワケですね。「鳥羽伏見」「戊辰戦争」・・・
幕府・徳川に「恩義理」がなければ正直「やってらんねえよ」な藩は確かに多かったでしょうね(そう考えると、ホントに会津は特殊ですよね)

>さて、次回はそんな愛しい者を死を「母」と「妻」がどう乗り越えられるのか。
ここがポイントです

「共通の愛する人」を亡くして「婚家に尽くす」というベタベタな展開になだれ込むんですよね?

>そして頭のアタッチメントを取り替えた帯刀さん。
ここもポイントです( ̄▽ ̄)

しかもなんか「シリコン」とかも入っていそうな?(笑)
なおみ
URL
2008/10/19 22:51
お勉強になります。。。
長州征伐どこ行った〜って大河でした。
まぁ、女性が主人公ですからいいんですけど。
肝心の家茂さまの死にも、あまりスポットが当てられず。。。
って言うか、お近さんと帯刀さんのやり取りが面白すぎて(^▽^
来週、泣かせてもらいましょ。。。
くう
URL
2008/10/19 22:51
なおみ様
こんばんはです。
三省堂への売り込みはまだです(; ̄∀ ̄)ゞ

この戦での敗北により
倒幕が一気に加速してしまう事になりますからね。

勝は時代の流れという言葉は使いましたが
彼自身、それがよく分かっていたのだと思います。

会津藩は徳川家光の弟・松平正之を祖としてますし
その会津藩の家訓として
『会津藩は将軍家を守護すべき存在であるので
藩主が裏切るような事があれば家臣は従ってくれない』
ような事が記されており、それは幕末の会津藩主にも
しっかり受け継がれていましたからね。

>「共通の愛する人」を亡くして「婚家に尽くす」というベタベタな展開になだれ込むんですよね?
まぁそれを見せ場にしてるみたいですからね(笑)

>しかもなんか「シリコン」とかも入っていそうな?(笑)
意外に新型の防護ヘルメットかもしれません(; ̄∀ ̄)ゞアハハ
ikasama4
2008/10/19 23:28
くう様
家茂の死とそれに悲しむ女性がメインで
完全に長州征討はどこかへ吹き飛びましたからね。

まぁそれを予想してこんなネタを
自分は作ってたんですけどね(; ̄∀ ̄)ゞ

>お近さんと帯刀さんのやり取りが面白すぎて(^▽^
もう奥さんの顔色をうかがう帯刀を見てると
完全に奥さんには頭が上がらんみたいですからね。

>来週、泣かせてもらいましょ。。。
そういたしまひょ(゚∀゚)
ikasama4
2008/10/19 23:28
直接、お邪魔しました    知らぬこととはいえすいません
庵主様のところで幾度となくお馴染みであったのにikasama4さんが、こんなに充実したブログをされているとは知りませんでした
今度の龍馬 明智説といい 庭田湯婆婆説といい ikasama4さんとは、感ずることが共通して、失礼ながら勝手に近しい気持ちを持っておりました
それで此処に着てさらにびっくり!  東野さんのファンだったんですね! 自分は 東野さんがメジャー(テレビ、映画などに取り上げられる前という意味で)になる前に信者になりました   初体験は「悪意」、、、あの緻密な作風に衝撃を受けました  それと「どちらかが彼女を殺した」、、、あれも凄かったですね   最期まで謎っぽくしてネットで議論させるところも含めて。
taira
2008/10/20 00:14
「QED」は一応、、数冊揃えはしてるんですが 今読んでる「竜馬暗殺」がまだ2冊目で、、まだ高田本に関しては初心者とかわりません
しかしながら初めて読んだ「六歌仙の暗号 」の衝撃は大きかったです
自分も多大に歴史とミステリを絡めてしまうQED思考に影響されてます(笑)
それとつい庵主様のところで能書きをたれてしまうのですが、血のしわざとか300年の仇討ちとか・・・これは完全に横溝の影響 
つまり・・・八つ嘉村の祟りじゃ〜的思考です(爆)   つい先祖の無念とか、血の因縁なんていう思考の傾向があるんですね(笑)
なお「QED」と似た意味で凄かったのは「逆説の日本史」でお馴染みの井沢さん  この人の「猿丸幻視行 」、、これも凄い作品でしたよ
お勧めです  特に暗号解読のあたりなんか・・・
taira
2008/10/20 00:15
でも亀山社中の亀山も明智がらみとは・・・(絶句)   桑原祟じゃないけど完全に光秀意識してますよね  龍馬は・・・
それと個人的に私、、明智びいき  この歴史上 明智ほど不憫なものはないと常々思ってるので明智の縁者が後世で活躍するのを発見するのはとても嬉しいです   春日局にしろ龍馬にしろ・・・

それにしてもikasama4さんの図解解説でのブログ、、、本当に役立ちます   いつも小説読んでいて脱線するのが、図解説明のほしい文だけの記述なので     
  ikasama4さんとは歴史だけでなくミステリでも話し合いそうなので、またよろしくお願いします
taira
2008/10/20 00:16
taira様
こちらではどうも、はじめましてです。
自分が東野さんを最初に知ったのは
実はNHKで「悪意」がドラマになってて
その原作を読んでみたいと思った事からです。

ちなみにこの時、野々口を演じてたのは
佐々木蔵之介さんです。

それからはしばらく東野さんの作品のうち
ドラマ化されたものを中心に読んでたりしてます。

だから、ちょっと作品の読み方にバラつきがあります
(; ̄∀ ̄)ゞ

自分が高田さんを知ったのは
彼の最初のQEDシリーズ「百人一首の呪」でした。
あれを読んだ時、衝撃でした。

何せ歴史の出来事の謎が
殺人事件を解く鍵になるという展開が凄いと共に
この歴史の出来事の謎の解き方が面白くて
それ以来、ずっとシリーズは読んでいます。
ikasama4
2008/10/20 00:46
taira様
「六歌仙」あれもなかなかですね。
「六歌仙」と「七福神」の関係性とか。
自分もあの「七福神」は不思議だったんですよ。

読んでみてもしかしたらそうかもしれないって
思えてしまう説得力がありますからね。

特にこれ以降の作品は更にDEEPで
独創的というか驚くべき論法で歴史の謎を
解いていますから、これは楽しいと思います。

>血のしわざとか300年の仇討ちとか
そういう風に考える気持ち、分からんでもないです。

例えば宇喜多家は関が原の後に島流しにあって
その罪が許されたのは明治時代。

また、そんな宇喜多家と縁のある加賀前田家は
ずっと援助してきたらしいですからね。

300年の思いというのはなかなかなものです(笑)
ikasama4
2008/10/20 00:46
taira様
>「逆説の日本史」
実はまだ読んでないんです(; ̄∀ ̄)ゞ
いずれは読んでみたい作品ですね。
結構QEDとネタがカブるとこが多いですからね。

そのおかげというか
こんな小噺みたいな小ネタまで作ってた時もありました

小噺その1
http://ikasama4.at.webry.info/200803/article_10.html
小噺その2
http://ikasama4.at.webry.info/200803/article_14.html


ここ最近は少々イラスト三昧で
もうすぐ年賀状の時期に差し掛かっているのもあって
なかなか本が読めない状況なんですが
(読み出すと最後まで読むので絶対止めない性格なので)

こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。
ikasama4
2008/10/20 00:47
ハッキリ言って長州戦争は幕末の中でも最高に面白いところなんですけど、やはりバッサリでしたね(笑)。まあ、本筋に関係ない話には違いないけど、コテンパンに敗戦したこととか、将軍の死で小倉城が棄却されて、幕府の敗北に(視覚的には)おわったとかは、一応説明してくれませんと。
まあ、わたしたちはこちらのような詳細なサイトで補完出来るからいいのですけど(笑)。

それにしても長州が短期間でこんなに立ち直ったのは、まさに奇跡。
庶民兵が戦勝の勢いに乗ると、驚くべきパワーを発揮する例は世界に多数の例がありますが、日本の歴史上では空前の出来事だったんではないでしょうか。
小倉口の海戦はもっともドラマチックで、高杉晋作という人には、やっぱりこのとき何かとり憑いていたとしか思えないですよね。このあと、燃え尽きて死んじゃうんですし。

これだけの奇跡を起こした奇兵隊ですから、維新が一段落して明治になってから、解散、農民にもどれとか言われたら、叛乱を起こしたのも無理はない気がします。
遊人庵庵主
URL
2008/10/20 23:04
遊人庵庵主様
そうですねぇ。
ここが一番楽しいとこなんですが
大奥にとっては対岸の火事でしかないという演出なんでしょうね(笑)

とりあえず長州征討はかなりネタに走りましたが
楽しんでもらえたらなによりです。

>それにしても長州が短期間でこんなに立ち直ったのは、まさに奇跡。
ですね。ひとつには敗戦につぐ敗戦で
長州が混乱する最中、おいてけぼり状態の農民が
こんな藩ではいずれ自分もえらい目を見るだろうから
それだったら自分達の手でこの藩を変えようとする意識と

敗戦の中で次はどうすれば勝てるのかという
尊攘派の志士達の意識が上手く結びついたからというのも
あるかもしれませんね。

明治維新後の奇兵隊については
「狡兎死して良狗煮られ」の典型ですね。

でも、一方で奇兵隊は部落民も取り入れたという事で
いち早く部落解放をしていたという事で明治維新後
全国各地で部落による反発運動が起こった中で
唯一、山口県だけはそのような運動が起きなかったらしいです。

その部分においては後々の世において
大きな意味のある部隊だったともいえます。
ikasama4
2008/10/20 23:59
第二次長州征伐に関してのikasama4さんの気合入りまくりの解説、なかなか読み応えがありました。
当記事を読んで自分のウィキペディアをはじめネット等でこの第二次長州征伐について調べたりもしましたが、兵力的に言えば圧倒的な幕府側の装備面はおろか士気の不統一ぶりは壊滅的としか言いようがありませんね。既に甲冑での戦いが過去のものとなってしまっていた事からも幕府による統治も終焉に向かっていた事を現しているようにも見受けられます。
もう単純に長州と幕府の間における戦争というよりも、その後の時代の流れを大きく動かしていった決定的な出来事であったと思われます。長州側からは高杉晋作は言うまでもなく、大村益次郎や井上馨、山縣有朋といった近代日本の原型を作った英傑達を出した事からもそういった事があると思う所があったりします。
MoTo
2008/10/23 01:49
MoTo様
このような拙い記事で楽しんで頂き何よりです。

この状況下から
長州は勝つべくして勝ち
幕府は負けるべくして負けたって感じなんですが

それぞれのもつ危機感の有無が個人的に
これも大きかったかなと思います。

その危機感による必死さが長州にはあって
幕府にはなかったって事でしょうかね。

>もう単純に長州と幕府の間における戦争というよりも、その後の時代の流れを大きく動かしていった決定的な出来事であったと思われます。
それはもう疑いようがないですね。

この戦によって幕府は力のなさを露呈したようなもんですからね。
それで、薩長付近の藩はみな彼らになびいたのでしょうね。

>近代日本の原型を作った英傑達
ですね。後に長閥と呼ばれる派閥が出来たのも
彼らが原型を作ったからこそなんでしょうね。
ikasama4
2008/10/23 22:20

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