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zoom RSS 篤姫 第41話 「薩長同盟」

<<   作成日時 : 2008/10/12 23:07   >>

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長州攻めのため
家茂が出陣する日が近付く。


そこで家茂は天璋院に願い事があると申し出た。

江戸を発つ前に世継ぎを決めておきたいと。
あくまで万が一の事を考えた末での事。

家茂が考える次なる将軍に
徳川御三卿のひとつ・田安家のご嫡子である亀之助を考えていると言う。

この時、御年・三歳。



あくまでも形だけの事と言う家茂の言葉を天璋院は受け入れた。



しかし、天璋院は思う。

戦を一刻も早く終わらせなければならないとはいえ
ひとたび降参した相手と何故戦わなければならないのか。





さて、ここでちょっと一服(゚Д゚)y─┛~~






ここで天璋院は「降参」という言葉を使っております。


実は幕府は長州に対して第一次長州征伐のために出兵しております。

その際、長州藩は徹底的に恭順の意を示しています。
すなわち白旗あげて無条件降伏したという事です。


で、幕府は兵を引き揚げたのですが

その長州はというと
降参した事で長州藩の佐幕派が幕政を取り仕切り
攘夷派の志士達を粛清しようとしていたのですが
そんな状況を打開するために高杉晋作がクーデターを行い
長州の佐幕派は一掃され、再び攘夷派が藩の政治の中心になっていった
という次第です。

それに攘夷派の考えの中核にあったのが倒幕ですからね。



まぁ天璋院としては降参した相手に兵を向けることに疑問があったのですが
長州の状況が状況だけに幕府として放置するワケにはいかなかったって事なんでしょう。









さて、話を(つ´∀`)つ戻して








家茂の出陣の日が来た。


家茂の母も妻も
家茂の出陣を止める事は出来なかった。

二人共少しでも早く家茂がお帰りになる事を願っていた。

この点では二人共同じ思いだった。


そうして、天璋院は家茂のために笑顔で送り出した。
別れる悲しみを抑えて。


しかし、和宮は
息子を笑って送り出す天璋院の心情が分からなかった。







その頃、薩摩では小松帯刀が勝の操練所にいた塾生達を連れ帰っていた。

それが必ず日本国のためになると信じて。

その中に坂本龍馬もいた。


そして、薩摩ではある動きを画策していた。



長州と手を組む。


此度の長州征伐はあくまで幕府が己の対面を守るために始めた戦。

それに長州がこの征伐で潰れてしまえば
日本国は危うい方向に進んでしまう。


そのためには長州を潰さなければいい。

そのためには我らが長州と手を結べばいい。


西郷も坂本も小松と同じ考えだった。


しかし、問題は長州はかつて刃を交えた相手。


禁門の変で薩摩は長州を撃退した。


その恨みを長州が忘れるはずがなかった。


ならば、どうやってそんな相手と汲むのか。



それは長州と恩を売る。

相手が求めているものを売る。



長州が欲しいもの―――――武器。


長州は幕府より武器の購入に関して締め出しをくらい、武器を買う事が出来ず
仮に幕府と合戦になったとしても勝てる見込みはなかった。


そこで薩摩がイギリスの商人と渡りをつけて武器を売ってあげれば。


しかし、それだと長州は薩摩に恩を売られてばかりで面白くはない。


で、薩摩は現在、御所の警備の際の兵糧米が足らないので
長州から米を買い付ける


そうすれば五分と五分になれる。



そして小松帯刀らは動き出す。



小松帯刀らは万次郎を通訳にイギリスの商人から最新式の銃を購入。


その足で京に向かった。




そんな帯刀の元に二人の女性が現れた。


一人は坂本龍馬の妻・おりょう

そしてもう一人があのお琴だった。








うち、決めたわ。
ここに帯刀さんとこに置いてもらいます。



そんなヽ(;´Д`)ノ
私には薩摩に妻がいるんです!



どんなに偉くなっても本当の帯刀はこんな感じ(笑)


薩摩の人とうちは別どす。



ヽ(;´Д`)ノ



「よかじゃなきゃですか。」


え(゚Д゚)?


「俺達も安心というものです。」


え(゚Д゚)?


「いいんじゃないですか?」


え(゚Д゚)?


西郷さんも大久保さんもおりょうさんまでもお琴さんに同意した。


みなさん、おおきに。



え(゚Д゚)?



数の面で帯刀は圧倒的に不利だった。


・・・・・どうしてくれるんですか?


西郷さんも大久保さんも聞こえないフリをする。



大切にしておくれやす。

うち、芸者を辞めてまいりました。
どこにも行くとこはあらしません。



え(゚Д゚)?


本日よりよろしくお頼み致します(≧∇≦)

ここ、寒うおすやわ。



そして当たり前のようにお琴は屋敷に上がりこんでいた。


お琴さんヽ(;´Д`)ノ カンベンシテェ


こうして帯刀とお琴の生活が始まった。





それから数日後
薩摩と長州の同盟が結ばれようとしていたのだが
お互いに腹の探り合いばかりで一向に話が進展しなかった。


そんな両藩の行動に坂本は怒った。



「まずは自分の腹を見せる事じゃ!」



その言葉は帯刀の心を打った。

自分の腹を見せる事
即ち自分の本音をさらけ出す事


それはかつて、ある女性が言っていた言葉と同じだった。



そして小松も西郷も大久保も自分の本音をさらけ出した。


こうして長州と薩摩は同盟を結ぶに至った。




一方、京では慶喜が独断で朝廷から長州を討つ許しを得ていた。
刻一刻と開戦の時が近付ていた。


この時の家茂に和宮の母・観行院が逝去された事を知る由もなかった。













大奥では天璋院はどうにかして公方様を連れ戻す事が出来ないか思案していた。

そこで彼女が思いついたのは勝隣太郎だった。

天璋院は侍女・重野を使って勝隣太郎に接触したのだが
今の勝の役職では軍艦どころか小舟一艘も動かす事が出来ず
天璋院の力にはなれないという。

しかし、勝はその代わりにある情報を重野に教えた。




その情報は天璋院にとって衝撃だった。

しかも、それを謀ったのが家老の小松帯刀だと言う。



分からぬ。
何ゆえ、長州が薩摩の後ろ盾になるのか。



「勝様にも分からぬと申しておりました。」




それは嘘じゃな。


天璋院は目を細めた。


それにしても何故じゃ。
何故、薩摩が長州に。

分からぬ。皆目分からぬ。
此度の出陣は長引くやもしれぬのう。


それにしても、もし万が一
幕府に向かってくるような事があれば―――――。





天璋院のその心配はやがて現実のものになっていく―――――。











とりあえずドラマが主要な話をバッサリバッサリなんで
自分もドラマの余分なとこはバッサリバッサリで進めてます(笑)



とりあえず今後起こる事を簡単にかいつまんでおくと

帯刀の屋敷に上がりこんだお琴さんは帯刀の子を生みます。
一男一女だったそうです。


で、帯刀が亡くなった四年後にお琴も亡くなります。


そしてお近さんはというと
残された御子を養育し、その男の子を小松家の跡取にしていきます。


まぁ、そういう事です。
(゚Д゚)y─┛~~




それから薩長同盟なんですが
その署名には両藩の藩主の名前は記載されてなかったそうです。

というのも万が一
此度の同盟が幕府に知れた場合に
それが藩主への責任になるのを防ぐため

という事があるらしいです。



後は自分の腹を見せるという坂本さんの言葉は
自分の本音をさらけ出す篤姫の行動と似てます。

どうもNHKは篤姫と坂本龍馬を似せたいようです(笑)






そして最後にもうひとネタ

とっても長いですけど(; ̄∀ ̄)ゞ




長州藩の藩主・毛利敬親といえば家臣に対して常に「そーせい」と言って
異論を申さなかったために「そうせい候」という仇名が

水戸藩の藩主・徳川慶篤といえば家臣に対して常に「よかろう」と言って
異議を申さなかったために「よかろう様」という仇名が

それぞれについています。



その理由として長州藩も水戸藩も藩内は

佐幕派と改革派(尊皇攘夷派)に大きく分かれ対立していたようです。





この二人の藩主が家臣達の意見に対して異議を唱えなかったのは
老中・井伊直弼が尊皇攘夷派の志士達によって暗殺された事で
無闇に異議を申し付けると自分の身が危うくなり

それはすなわち藩の存続にも関わるという先例があった事で

こういう態度を取らざるを得なかったのではないかと思います。






こんなにも似ていた二つの藩



しかし、長州藩は倒幕の一翼となっていったのに対して
水戸藩は新政府に関わる事すら出来ずに衰退していきます。




この両藩の差はどこにあったのか
それぞれの藩の状況等から比較してみたいと思います。





まず、この話をする前に
藩には大きく本藩と支藩に分けられるそうです。

支藩というのは藩の藩であり
例えば、本家当主が幼い場合の後見役をしたりとか
本藩において藩主が早世したり、後継がなかった場合に
支藩から新たに藩主を養子という形で本藩の藩主にして
断絶の危機を回避したりしていたそうです。


例えば伊達家の場合には
陸奥仙台藩が本藩で伊予宇和島藩が支藩に

前田家の場合には
加賀藩が本藩で越中富山藩と加賀大聖寺藩、下野七日市藩が支藩になります。


ここで支藩には「領内分家」と「領外分家」の2種類があります。
「領内分家」というのは本藩の領内にある支藩
「領外分家」というのは本藩の領内にはない支藩を指すそうです。


ここで再び前田家を例にすると
越中富山藩と加賀大聖寺藩が領内分家
下野七日市藩が領外分家になります。


それから御三家ではこの支藩の事を「御連枝」と言うそうです。






では、話を長州藩に戻します



長州藩の場合には

長門長府藩
周防徳山藩(最初は下松藩)
長府藩の支藩即ち孫藩である清末藩
それから周防岩国領の四つがあります。


               毛
               利
               元
               就
               │
     ┌────┬────┤
     │    │    │
     │    │    │
     穂    吉    毛
     井    川    利
     田    元    隆
     元    春    元
     清    │    │
     │    │    │
     │長   │岩   │長
     毛府   広国   輝州
     利藩   家領   元藩
     秀         │ 
     元         └───┐
     │             │
  ┌──┘             │徳
  │                就山
  │清               隆藩
  元末
  知藩




そして幕末で長州藩が危機の折に
長府藩、徳山藩、清末藩、岩国領の各藩主が
団結して長州藩主・毛利敬親の補佐を行うというワケです。


さて、ここで長州藩の支藩を紹介しましたが
長府・徳山・清末と全て「藩」なのに対して
岩国だけ「領」です。




何故、岩国だけ「領」なのか。

それは本藩である長州藩が岩国を「藩」として認めなかったからです。


では、何故岩国を「藩」として認めなかったのか。


この岩国の初代領主は吉川広家でした。


理由のひとつとして関が原の合戦で
吉川広家が徳川家と内通したために
西軍が敗れ、それによって毛利家の領土が減封された事で

吉川広家が裏切らなければ
毛利家の領土が減封される事はなかったと考える向きはある一方

吉川家はあくまでも毛利の両川として
家臣の位置付けであるという事を本家である毛利家が譲らなかった
というのもあるようです。


ただ、徳川家としては吉川家を外様大名扱いにしたようで
それがために参勤交代の義務とかも課せられていたみたいです。


その理由はともかく
毛利家では家臣扱い
徳川家では大名扱い

このような扱いの差によって
毛利本家と吉川家との仲はすこぶる悪かったみたいです。



そんな岩国領も後に藩となります。



それを成し遂げたのが
岩国領12代当主で岩国藩初代藩主である吉川経幹だったそうです。


彼は聡明な方だったらしく
学校を創設したりすると共に
本家を助けたりもしたそうです。

特に彼の存在が大きかったのは長州第一次征伐で



吉川経幹が幕府との交渉の窓口となり
彼は幕府に対して謝罪し、恭順の立場を取りました。


その結果
幕府が突きつけた長州藩への降伏条件は

●当時、長州藩主・毛利慶親は先々代の将軍・家慶より
「慶」の一字を偏諱したのですが、その「慶」の一字を剥奪
これより敬親と名乗ります。

●敬親の官位・従四位上も剥奪

●敬親、そして彼の息子の蟄居

●長州藩の支藩である長府藩、徳山藩、清末藩の藩主、岩国領の領主の官位も剥奪

●禁門の変の責任者である三家老の切腹

●尊皇攘夷派で京から逃げ延びた公家達を他藩に移転する事

●山口城の破却

等々諸々の降伏条件を長州は全て受け入れたそうです。



これによって長州が焦土と化す事を回避する事が出来ました。
吉川経幹はいわば長州の勝海舟って事になりますかね。

ちなみにこの時、幕府軍の交渉担当が
幕府軍の参謀であった西郷隆盛です。

奇妙な程の偶然です(笑)



ちなみに彼は第二次長州征伐の際には一軍を率いて幕府軍と戦い
これを撃退しているそうです。

こうして見れば吉川経幹は
第一次長州征伐では恭順の立場を取り
第二次長州征伐では戦とスタンスを変えてきたのは
長州の動静を考え、今の長州にとって最善の方向を考えた末での
行動だったのだと思えます。





そして吉川経幹は1867年の3月に死去します。


で、ここで驚きなのは
長州藩主・毛利敬親は吉川経幹の死を隠し
吉川経幹の息子に岩国領の政務をとらせて
朝廷に岩国を藩とする事を願い出たそうです。

そして1868年に経幹は朝廷によって
藩主として認められ、ここに岩国藩初代藩主が誕生します。

・・・・・死んでるんですけどね(笑)

そして、隠居という事で
その岩国藩藩主の座を経幹の息子・吉川経健に譲り
名目上、吉川経健は岩国藩の第二代藩主であり、岩国藩最後の当主になります。



こうした事を毛利敬親が考えたってのが面白いですね。



さて、こうして長州藩と支藩の関係を追ってみました。









さて、一方の水戸藩

水戸藩の御連枝(支藩)は

讃岐高松藩(領外分派)
陸奥守山藩(領外分派)
常陸府中藩(領内分派)
常陸宍戸藩(領内分派)

これら4つになります。


              水
             徳戸
             川藩
             頼
             房
             │
 ┌───┬───┬───┼───┐
 │宍  │府  │   │   │高
 松戸  松中  松   光   松松
 平藩  平藩  平   圀   平藩
 頼   頼   頼       頼
 雄   隆   元       重
         │
         │守
         頼山
         貞藩



これらの御連枝は本藩の影響を強く受け
光圀が作り上げた水戸学の思想=尊皇が御連枝にも浸透し
それによって自然に攘夷派が増える事になります。


そして、この水戸学の思想が
薩摩・長州にも波及していき倒幕の原動力になっていくという点から考えれば
水戸藩は倒幕の総本山になり得たはずなんですがねぇ。



こういう思想が広げる事が出来たのは
水戸藩が徳川御三家という家柄であったために
他藩もそれを見習おうとする動きがあったのだと思います。


しかし、水戸藩が徳川御三家という家柄であったために
藩主が佐幕という動きを外す事が出来なかったというのがあるかと思われます。




その一番の要因は

水戸藩主・慶篤の弟が将軍後見職にあった一橋慶喜であった事でしょう。



彼はどうも早くから攘夷で国を改革する事は不可能だと考えていたみたいですからね。

水戸では天狗党により乱が起きた目的のひとつに
攘夷をはっきりしない藩主・慶篤では藩主は務まらないと考え
それならば慶喜に藩主になってもらおうとする動きがあったとされ

そのため、彼らは慶喜にそういう自分達の思いを綴った嘆願書を差し出すのですが
慶喜はこの嘆願書を見る所か、受け取りさえ拒否しています。


これによって天狗党は慶喜に見捨てられたという事で収束していくのですが

もうひとつの見方として
長州は藩士達が自分達の手で藩を改革しようとしたのに対して
水戸は藩士達がお上(一橋慶喜)の主導によって
幕府を改革しようとしていたという事にあろうかと思います。


トップダウンであった時代ですから
トップが攘夷を主導すれば幕府を改革する事が出来る一番の近道だと思ったのでしょう。


つまり、長州は藩士達が自分達で藩を改革しようとする考え方=倒幕なのに対して
水戸は新たな藩主を迎える事で藩を改革しようとしていた=従来の手法に固執していた

という事なんでしょうね。




水戸藩には御連枝・宍戸藩主・松平頼徳が攘夷派の志士の思いを汲んで
幕府に申し伝えようとしたらしいですが

幕府が彼に下したのは切腹、そして宍戸藩は廃藩になっています。



結局、水戸は自分達で政を変えようとする事が出来なかったのですが
しかし、こういう風な考えになってしまったのも仕方ないのかもしれません。


長州は外様であるが故に新しい考え=倒幕に向くことが出来たのでしょうけど
水戸は徳川御三家であるが故に倒幕という考えはそもそも選択肢にはなかったのでしょうからね。




それから、もうひとつの違いは異国に対する認識です。

長州では攘夷の意見が強い中
敬親はその攘夷派でる志士を5人、イギリスへ留学させています。

その5人というのは後に
日本初代の総理大臣となった伊藤博文
数々の新政府の役職を歴任した井上馨
聾を患う身体障害者の教育に取り組んだ山尾庸三
日本鉄道の発展に貢献した井上勝
新政府の造幣局局長を勤めた遠藤謹助

と明治時代において活躍されています。
彼らは異国の文明に触れる事で攘夷派から開国派に方針を転換します。


また、一番大きいのは異国と戦った事で
異国の強さを知ったという事ですかね。



異国の力に触れてみた事でその脅威も感じる事が出来る。

長州は下関戦争でこれでもかっていうくらい
異国の率いる艦隊にこれでもかっていうくらいコテンパンに
ヤラれましたからね。


しかし、水戸藩は聞く事でしか異国の力を知る機会がなかった。



知っているという事と知らなかったという事


この差も結構大きかったのではないかと思います。





私は徳川慶篤も毛利敬親も優秀な人物であったとは思います。





毛利敬親は家臣の意見に対して異議を唱える事がなかったために
「そうせい候」と呼ばれた事で、暗愚とか優れた藩主ではないという
イメージがあるのですが

適材適所で人を使う力はかなりあったと思います。


それに自分自身の立場もあったのでしょうけど

自分が出来る仕事、相手に任せる仕事とか
自分が出来る事、自分には出来ない事とかも
よくよくわきまえていたのではないかと思います。


で、東京には「そーせいグループ」なる会社があるそうです。

もちろん、名前の由来は毛利敬親のお言葉です。


まぁそれもこれも
長州が倒幕の一翼を担えたという結果があったからこそ
こういう社名が付いたって事なんでしょう。



そして、自分は徳川慶篤も毛利敬親にもそういう人を使う力は
あったのではないかと思っています。


しかし、慶篤がいる水戸徳川家は徳川御三家

しかも慶篤は将軍後見職にあった一橋慶喜の弟
そういう立場であったために、どうしても幕府に楯突く事が出来なかった


・・・・・のではないかと思います(; ̄∀ ̄)ゞ




だから
もし、毛利敬親と徳川慶篤
二人が入れ替わっていたとしたら


今、この時代に「そーせいグループ」ではなく
「よかろーグループ」って会社があったのかもしれません。









さて、次回は「息子の死」


自分はそんなに悲しいって気分じゃないんですけどね(; ̄∀ ̄)ゞ



とりあえず次回は
長州第二次征伐のマップ作りに奔走しますε≡≡ヘ( ゚∀゚)ノ ゼンハイソゲ

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内 容 ニックネーム/日時
薩長同盟、という幕末維新における大きなターニングポイントにたどりつきましたがドラマでは龍馬と帯刀の働きがクロースアップされ過ぎていて、「あれ?中岡慎太郎は?」と思えてならなかったりしたのですが、これは再来年に期待してという事なのでしょうか。実際のところ薩長同盟の成立には中岡慎太郎の力も大きかったと言われていますが、主役が絡む余地の無い所だけにここは過度にツッコむべきではないのでしょうね。

ここまで来て言うのも何ですが、どうも帯刀はいじられキャラで終わりそうですね。しかしながらお琴さんが帯刀の子供をもうけてそれが小松家の跡取りとなったという事ですが、側室制度が残っていたこの時代においては別におかしいという事ではないと思いますが、帯刀の態度がどうも現代的な感覚に見えて何とも・・・・・。

幕末における長州と水戸の違いは大変勉強になりました。最近幕末の水戸藩の情勢等をネットで調べたのですが、倒幕どころが尊王派と佐幕派が入り混じっての内ゲバの連続で藩主である慶篤ですら口が挟めるような状況ではなかったようですね。
MoTo
2008/10/13 19:16
MoTo様
中岡慎太郎が出てこないのも
桂さんが知らない役者さんなのも(笑)
そこはサラッと流して話を進めたいって
事なんでしょうね。

>ここまで来て言うのも何ですが、どうも帯刀はいじられキャラで終わりそうですね。
それは間違いないですね。
自分も側室制度があったこの時代ならば
問題はなかったとは思うんですが

どうもこのドラマでは現代を意識して
帯刀のみならず天璋院を現代人の感覚に
しているとこがありますからね。

各藩においても藩内は
佐幕派と開国派で二分していて各藩主さんは
苦労していたみたいです。

まぁ水戸藩主と長州藩主が似てたんで
比較してみたんですが、水戸は御三家という家柄があって
倒幕という選択肢はそもそもなかったみたいで。

となると結局のとこ、家柄が
足枷になってしまったってとこでしょうかね。
ikasama4
2008/10/13 21:58
そういえば中岡慎太郎出てこない…。暗殺場面では出さないわけにはいかないから、チラ出はするんでしょうね。知らない役者さんで。今週の「三吉慎三」って人みたいに(笑)。
なにげにピンボケ気味の背景で、伊藤博文と井上馨が出たのもちょっとツボでした。

毛利の殿様は名君です。土佐の殿さんとかと比べると、この人の立派さはよくわかりますよね。
水戸との違いというのは面白いですね。両藩の立場を分けたものがよくわかり、深く納得です。
水戸の殿様には、御三家という立場上、毛利の殿様のように過激派を丸抱えに飲み込んで藩ごと心中も辞さないようなわけには行かなかったでしょうが…でも、江戸時代のどの殿様も、長州の殿様のように肝の据わったことはできなかったと思います。
毛利の殿様は過激派の家臣に慕われていて、慶応元年の俗論派討伐のクーデターは、保守勢力が藩主親子に自害を強要し、長州を改易から守ろうと企んだのに、正義派や諸隊の隊士が殿様を守るために立ち上がったという一面もあるようですね。

そういえば山口土産には銘菓「お殿さま」(毛利家家紋入り落雁)、「敬親公」ってお菓子もありました(笑)。
遊人庵庵主
URL
2008/10/13 22:53
遊人庵庵主様
自分もそこはオヤ?と思ったとこなんですが
このドラマでは一切合財スルーみたいで(; ̄∀ ̄)

もし、彼が出るとしたら
それは龍馬さんの最期の時かと(苦笑)

長州と水戸を藩主の立場から比べてみたんですが
その家柄が個人の考えを左右してしまったとこが
意外に一番大きいのかもしれないですね。

徳川御三家であるが故に
どんなに幕府に不満があろうとも

幕府に逆らう事は出来ない
幕府には逆らってはいけない

そして幕府は潰してはいけないという根底が
定着していたがために水戸藩は脱却できなかった
ような気がします。

ちなみに毛利敬親には
11歳も年下の吉田松陰の門下生になったって
エピソードがあるくらいですからね。

そういう話が当時にあれば
だから、吉田松陰を師とする正義派の隊士達が
藩主様を御守りしようとしたのも納得がいきます。
ikasama4
2008/10/13 23:11
ikasama4さん、こんばんは。
今回は「小松帯刀さまさま」っていうくらいの大活躍ぶりでしたが、先々週辺りまで「あの方と約束した〜」とかナントカ言いながら号泣していた人物と、同一人物とは思えませんね。
コレも全て脚本家が「小松帯刀と篤姫は実は友達だった!?なんつー設定はどや?」などとしでかしてくれたお陰で(単なる友人に留めて置けば良かったのに)「あんなに篤姫、篤姫って言ってたくせに『2号』?」という視聴者の突込みを避けるために
「お琴さんヽ(;´Д`)ノ カンベンシテェ」
な「尚五郎、むっつりスケベ?」な展開に(無理やり)なったんでしょうねぇ・・・(どうでもいいけど)
中岡慎太郎をスルーするなら、お琴さんもスルーしても良かったのでは?
・・・って「小松家の血筋が絶えないように」という脚本家の思いやり?・・・なのでしょうか?
なおみ
URL
2008/10/14 22:14
なおみ様
こんばんはです。
この作品は天璋院と小松帯刀が主体ですからね。
なもんですから、小松様の身の回りに起きた事とか
結構掘り下げる感じなんでしょうね。

>コレも全て脚本家が・・・・・
でしょうねぇ(笑)無理矢理仕方なくってとこも
ありますが、お琴のキャラは序盤の於一みたいな
感じですからねぇ。
それもこれも「2号」のツッコミを避けるため(; ̄∀ ̄)ゞ
まぁお近との結婚も元々は藩主の命令ですしね(; ̄∀ ̄)ゞ

とりあえず
明治維新後の天璋院を描くに当たって
明治維新後の小松帯刀とその後の小松家も
外せなかったってとこでしょうね。
ikasama4
2008/10/15 19:26

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篤姫 第41話 「薩長同盟」 渡る世間は愚痴ばかり/BIGLOBEウェブリブログ
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