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zoom RSS 篤姫 第39話 「薩摩燃ゆ」

<<   作成日時 : 2008/09/28 21:20   >>

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家茂様が江戸を発たれて十数日
大奥の方々はその安否を気遣っていた。


そして公家達は再び
鎖国の時代がやってくると喜んでいた。



昔に戻るなどと無理な事。

和宮は呟く。


私は今の方がいい―――――。





それから京に到着した家茂は
先立って京の情勢を探っていた一橋慶喜の報告を聞いていた。

攘夷派が次々に天誅と称して粛清していると言う。

それでも家茂は朝廷に攘夷は無理である事を
お伝えするつもりであった。


怖れながらそれは最早無理かと。
公方様がこの先、攘夷を行う事
朝廷と約定を交わしております。



なんと?!


ここで攘夷が無理である事を申せば
尊皇攘夷派が益々付け上がりまする。
ここは攘夷をすると約束しておいて
次の手を考えるのが上策かと。



わしに嘘をつけと。


嘘ではございませぬ。
約束はしたけれど果たせなかったという事にすれば―――




それでも家茂はなんとかして御上に
自分の思いを伝えようと試みたが

海千山千の公家達に阻まれ
結局、その思いは届かなかった。




そればかりか江戸に戻る事も許されず
体調を崩されていた。



5月10日に攘夷を行う?!

京の知らせを聞いた天璋院は驚いた。

事態はどんどん悪い方向に進んでいく。


そして、攘夷決行がなるまで家茂は人質同然の扱いを受けているという。


その事を知った天璋院は動く。


それで私に何をせよと。



天璋院は和宮様に公方様がお帰りになられるよう
帝にお伝え頂ければと和宮様に面会していた。



今更何を言わんかと和宮は天璋院の申し出を突っぱねた。


それでも天璋院は食い下がる。


公方様がお病気でも?!


病気にしたのはどなたやと思うておるのですか!!

和宮は大きな目で天璋院を睨みつけた。


天璋院は引き下がるしかなかった。




今度は病にある上様のために
信用出来る誰かを上様の下にお送りしようと考えた。



信用出来る誰か



そこで天璋院が考えた人物





近うよれ。



は。


大阪城の家茂の前に現れたのは勝隣太郎であった。


帝の前では最早徳川家の威光はなきに等しい
この有様、勝はどう見る?


上は諸大名から下々に至るまで
帝が日本国の要だと思うておりまする。


無理な攘夷をせよと申すのか。
異国と戦って勝てると申すか。


いえ、コロリと負けまする。

さりながら、それは日本国が
攘夷は無理だと悟るよい機会ではないかと。

それによって異国を見直し
異国の文化、制度を取り入れるよい機会かと。

物事を悪い方に考えてはいけませぬ。



なるほど。
母上がそちに会うように言われた訳が分かった。


勝は自分を上様にお目通りさせてくれたのが
天璋院だと知り驚いた。

よき御母上をお持ちになられましたな。

それから、勝が以前書いた建白書にあった内容が
上様に認められ、それを行ってよいと言われた。

上様の申し出に勝は喜んだ。

そちに会うて良かった。
身も心も軽うなった気がする。


家茂も笑った。






そして迎えた5月10日――――攘夷決行の日







長州は異国の船を攻撃したものの
その後、異国の報復を受けて武器を悉く奪い去られたと言う。



薩摩はそんな長州を笑い飛ばしていたが

己に待ち構える状況を考えると悠長に構えている暇はなかった。




薩摩にはイギリスが迫ってきていた。



「降りかかる火の粉は払わねばなるまい。」


久光はイギリスとの戦を覚悟していた。


小松帯刀に戦の場合にはその指揮をするように命じた。
「なんとしても勝つのじゃ!」


「はい。」

帯刀はその命に従うしかなかった。







それから家茂は間もなく江戸に帰る事が出来た。

和宮が御上に言上したおかげだと言う。



その夜、家茂は和宮の下へ御渡りがあった。


よくぞ、御無事で。

こうしてここにおれるのはそなたのおかげじゃ。


私は私に出来る事をしたまでの事


初めてそなたが生まれ育った京の都を見て
そなたが一層いとおしく思えてならなかった。



上様がおられない間に色々思いました。
徳川家の事、朝廷の事

でも、改めて強く思いしたのは―――――


思ったのは?

今、心から上様の御子を抱きたいという事にございます。


二人は思いを重ね合う―――――。













翌日、大奥に
イギリスの軍艦から横浜から薩摩に向かったとの知らせがあった。


天璋院はただ遠くから祈る事しか出来なかった。





鹿児島湾に到着したイギリス艦隊。


三日間に及ぶイギリスとの交渉は決裂


7月2日
その日は暴風雨であった。

薩摩の汽船三隻がイギリス軍によって拿捕されたと言う。

最早両軍の衝突は避けられなかった。


帯刀はふと天璋院の言葉を思い出していた。

私の愛する故郷、薩摩を守って下さい。




その日の正午、薩英戦争の火蓋が切って落とされた。




イギリス艦隊の誇るアームストロング砲の威力は凄まじく
鹿児島城下は焦土と化した。


薩摩軍は必死の抵抗を続けた。


そして7月4日

イギリス艦隊は撤退していった。


薩摩軍の予想外の抵抗によりイギリス艦隊は去っていった。




イギリス軍を追い払った事で勝ち戦だと笑う藩士達。

しかし、砲台を全て破壊され
鹿児島の町も焼けてしまった。


「これは負けなのだ。」



私は薩摩を守る事が出来ませんでした。
あの方に約束したというのに――――。



桜島を前に小松帯刀は泣き崩れていた。





そんな薩摩の様子は江戸は大奥の下にも届いた。


今泉家中の者達は怪我ひとつ負ってなく
小松様をはじめ、皆々様無事であると母は文に書き記した。




これで分かったのではないのでしょうか。



何がでしょうか。


長州、薩摩と相次いで異国と戦い攘夷はならぬという事が


そうかもしれませんね。


ある者のウケウリですが。


ある者?

それが勝隣太郎と聞いて天璋院は笑う。

そうですか。勝が。


ただ、勝は最早
徳川家が政の要ではないとも言っておりました。



されどこの徳川将軍家が
日本の太平を守ってきたのです。

この国を変えていくのも徳川家がなすべき事かと。



国を変える?


そうです。
変えるのです。もっとよい国へ。

希望を持ちましょうぞ―――――。







今回はすっさまじく記事が早いですが
なんでこんなに早いのか



A.前日から書いていたので(; ̄ノ∇ ̄)



なんでこんなに前もって準備をしてるのか


A.『柳生一族の陰謀』が見たいから(; ̄ノ∇ ̄)




さて、こちらでは
薩英戦争についてまとめてみやした。
ほっとんどWikipedia頼りですけど(; ̄∀ ̄)ゞ




薩英戦争が行われた場所は赤く丸をつけたとこになります。




この時のイギリス艦隊の経路はこんな感じ





 6月27日
鹿児島湾沖に到着したイギリス艦隊7隻は
生麦事件の犯人の逮捕と処罰及び償い金2万5000ポンドを要求しています。

この要求を薩摩は拒否します。



同日
イギリス艦隊は鹿児島湾に進入します。


 6月28日
イギリス艦隊は前之浜沖にまで移動します。



一方の薩摩もこのままただ待っている訳ではありません。

 6月29日
薩摩では藩士達がイギリス艦隊に奇襲を計画し
スイカ売りの商人に扮してイギリス艦隊に乗船したそうです。

が、作戦は中止となり藩士達はそのまま退去したそうです。


それから、イギリス艦隊との決戦に備えて
砦を築き陸上砲台を80門でもって待ち構えていたみたいですね。




凸が砦、△が汽船(軍艦)です。


この砲台、汽船製造の中核を担っているのが集成館です。

集成館というのは島津斉彬が推進したもののひとつで
大砲の製造、船の建造などを行っていたみたいです。

斉彬の死後、集成館の事業は一時的に縮小されましたが
それでもその館の役割は健在です。



それから
 7月 1日
薩摩では鹿児島城がイギリス艦隊の砲撃の射程範囲内であると判断し
薩摩藩主と久光、つまり久光親子は本営を千眼寺に移転します。





そして
 7月 2日
イギリス艦隊は薩摩が所有する汽船を3隻拿捕します。


これを受けて同日正午
薩摩は陸上砲台80門によりイギリス艦隊への攻撃を開始します。



同日14時に
イギリス艦隊は100門の艦砲を使用して反撃します。

その際に薩摩の汽船三隻はイギリス艦隊によって撃沈しております。





さて、ここで
正午に薩摩が攻撃を開始してから
イギリス艦隊が反撃するまでに2時間の空きがあります。


つまりイギリス艦隊が反撃をするために
体制を整えるまでに2時間かかったということになります。



その理由のひとつにこの時
薩摩の天候は暴風雨状態だったようです。

そこで海も荒れていた事でしょう。
それに雨が降っていれば日本製の大砲は使う事が出来ない等と
イギリス人は考えていたのかもしれません。

また、イギリス艦隊は横浜からこの鹿児島に来るまで
移動しかしていないので戦闘に関して準備不足だったようです。



一方の薩摩はイギリス艦隊がやってくる事を察知していたので
事前に演習を何度もやっていたらしく

そのため雨天でも対応できるようにしていたし、命中率も高かったみたいですね。


 7月 4日
16時にイギリス艦隊は撤退しますが
この時のイギリス艦隊の被害は

一隻 大破
二隻 中破

そして旗艦(司令官が乗船して各艦に命令を発する船)の艦長・副艦長が戦死
これにより艦隊の命令系統は混乱した事でしょう。

この二人を含めて死傷者は63人もいたそうです。



それだけ薩摩の攻撃は凄かったという事になるのですが
どうもそれだけじゃないみたいですね。


というのもイギリス艦隊が配備していた艦砲100門のうち
21門に当時最強と言われたアームストロング砲が使用されていたようです。




※実際のアームストロング砲とは全く異なります
※あくまでも筆者のイメージです


このアームストロング砲を使用して365発を発射したとこ
28回も発射不能に陥り、また旗艦に配備されていた1門が
爆発してしまい砲術要員が全員死亡するという事故があったようですからね。



さて、こうしてイギリス艦隊の被害状況を書いてみましたが

対する薩摩の被害も甚大だったようです。



死傷者は8名とイギリス側と比べると非常に少ないですが
これはおそらく薩摩が事前に戦になることを見越して
住民達が避難していた事が考えられます。


一方で物的損害は凄まじく

民家  354余戸焼失
藩士屋敷160余戸焼失
藩汽船   3 隻焼失
民間船   5 隻焼失
集成館      大破
砲台     ほぼ全滅


鹿児島城下の約1/10が焼失した事になるらしいですからね。
これはかなりのもんです。




これは序盤は悪天候を利用して薩摩は優位に立っていたのですが
天候が回復するとイギリス艦隊御得意の砲撃により

薩摩の的は動かない訳ですから
一方的な集中放射を浴びてしまった訳ですね。

それに日本の住宅というのは木造建築ですからね。

艦砲による火災被害もあったようです。


それに薩摩がいくら戦闘準備をしていたとはいえ
その装備はこんなもんですからね。



※実際の薩摩の武装とは全く異なります
※あくまでも筆者のイメージです



このイメージを先程の布陣に重ねるとこんな感じ










これでSD対戦やったら確実に敗北です(; ̄∀ ̄)ゞ



しかし、この状況下で
薩摩がイギリス艦隊に被害を与えることが出来たのは
ひとつに薩摩に地の利があった事も考えられます。



それはこの入り組んだ湾のカタチですね。


そこにまんまと移動したイギリス艦隊を取り囲むように
砲台を配置していたようですからね。



この事件以前に長州は下関でフランス・アメリカ両艦隊によって
報復攻撃を受けるのですが、その際両艦隊は

長州軍の砲台の射程外の距離から攻撃したようですからね。


その点、この鹿児島の地形を見るに
薩摩がその射程距離を埋めるように砲台を配置していたと思われますが

一番の失態はイギリス艦隊が
自分達の武装に過信して不用意に湾内に近付きすぎたというとこでしょうか。



何にしても
自分よりも武装の劣っている相手にこれだけの被害を受けた事で
イギリスは薩摩の戦闘能力に対する評価を改めます。

そして薩摩もまたイギリスとの戦いを通じて
攘夷が実行不可能である事を理解して開国派に流れていきます。


また、この時
幕府は生麦事件との交渉でフランスに仲介をしてもらった事で
フランスと交易するようになっていたという経緯があったみたいです。


どうもフランスとイギリスは犬猿の仲だったみたいで(笑)
イギリスはそんなフランスに対抗するために薩摩との関わりを強めていったみたいですからね。


こうして両者の思惑が一致して
薩摩はイギリスから武器を購入し
それを元に薩摩の軍事力は強大となり

倒幕の中核となる基礎をここで薩摩は築いていったという事になるのでしょう。






さて、一方
もうひとつ、倒幕の中核となる長州ですが・・・・・ねぇ。



なんか調べれば調べる程に


「ようここまで来れたな」



と思ってしまうくらい驚かされます(笑)




まず、長州藩は元々は尊王派であり改革派(開国派)だったようです。


しかし、それでは朝廷に受け入れられず
また、同時期に薩摩が攘夷をする事を朝廷に申し出て
それによって朝廷の信任を得た事から


「だったら自分達も攘夷派で行こう」
みたいな感じで攘夷派になります。

そのために開国派であった長井雅楽を
「藩の奸臣」として切腹させ

家中を攘夷論者で占めるようになると
今度は外国船をことごとく砲撃して撃ち払い海上を封鎖します。

そして攘夷をしない幕府は潰すべきだという意見=倒幕論が形成されていきます。
で、倒幕論を主張する方々の大半が
攘夷論者であり改革論者だったようです。






ここから長州はスゴイです

1863年6月
フランス&アメリカ艦隊の砲撃を受け長州軍は壊滅状態


1863年8月
攘夷に対して益々過激になる長州藩に嫌気が差した天皇の意向もあって
薩摩藩と京都守護職にある会津藩が結託してクーデターを起こし
長州藩は京都から撤退
(八月十八日の政変)

1864年6月
池田屋事件で新選組によって主要な長州尊皇攘夷派が戦死


1864年7月中旬
なんとか局面の打開を図るために長州軍は京都に入ろうとするものの
待ち構えていた幕府軍と薩摩藩によって大敗(禁門の変)


1864年7月下旬
イギリス・フランス・アメリカ・オランダ四カ国連合艦隊の攻撃により
長州軍の砲台と悉く占拠&破壊される(下関戦争)
これにより長州藩は保守派(佐幕派)の意見が強まる


1864年8月頃
禁門の変で京都御所に発砲した事で長州藩は朝敵になる
幕府は長州藩の攻撃準備に取り掛かる。

これを受けて長州藩は保守派(佐幕派)が主導権を握り
禁門の変の責任者である藩の三家老を切腹させ、幕府に恭順する
(第一次長州征伐)

更に佐幕派は
改革論者であった家老・周布政之助を切腹させ志士狩りを強化


1864年12月
これに危機感を感じた高杉晋作が藩に対する反乱軍を挙兵
長州藩と戦い、反乱軍が長州藩の正規軍を打ち破り
長州藩は倒幕論で意見が統一される
(元治の内乱とも功山寺挙兵とも)


1865年
孝明天皇が日米通商修好条約に勅許を出した事で攘夷が急激になくなる




ここまでくると
「悲惨」の一言です(; ̄∀ ̄)



これでよう長州は薩摩と共に倒幕の一翼を担えたなと思えます。

まぁ一方でこれ程までに混沌としていたからこそ
この情勢の中で逸材と言われる人材が出てきたのかもしれません。





さて、次回は上様の出陣ですね。

となると上様のご退場も近付きます。

まぁ個人的にはその時期の第二次長州征伐が楽しみなんですけどね(; ̄∀ ̄)ゞ



後、本日11時「サラリーマンNEO」がございます。
本日で最終回という事なんですが

その中のコント「セクスィ部長」に
「セクスィ常務」が登場するようです。

それを演じるのは老中・阿部正弘だそうです。

是非是非見逃すなかれ(  ̄ノ∇ ̄)

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
ひゃ〜。。。。。(◎−◎)
「柳生」を見ていて、「NEO」の最終回を見損ねた〜!
すっかり忘れてましたよ(;>_<;)
そっか、最終回だったのか〜。。。

出ましたね〜。SD対戦(^.^;)
薩摩は量産ザクの頭程度?
薩摩藩は、本当に勝ったつもりでいたんでしょうかね。。。
負けを認めた帯刀は、時勢がちゃんと見れて
賢かったとも言えますね。

でも

>私は薩摩を守る事が出来ませんでした。
あの方に約束したというのに

↑このセリフが〜(^^;)
いつまでも女々しすぎる〜。。。
お近さんが気の毒に思えてなりません〜。
くう
URL
2008/09/29 00:03
ikasama4さん、こんばんは!
すごいですね〜今回のれびゅーはっつ!?(もうレビューの域を超えてると思う)三省堂とかに原稿を売りつけてください!

>アームストロング砲

ワタシは「アームストロング」と聞くとアポロロケットのアームストロング船長とかルイ・アームストロング(サッチモですね)を思い出すんですが・・・センセイの教科書では「ギャンダム」チックなんですね(あるいはセンセイの「分身」?)

>ここから長州はスゴイです

そうなんですよね。長州って本当に「不遇」だったんですよね、よく倒幕まで力が温存できたなと思いますよ。
一方で薩摩は幕府とつるみながら、土壇場で寝返って長州と同盟を結ぶじゃないですか?・・・なんつーか「尻馬に乗る」っぽくてあんまり〜(><)
好感度的には〜ねえ?
なおみ
URL
2008/09/29 00:10
くう様
サラリーマンNEOは今週金曜日に
再放送があります。

ただし、深夜3時からなんで
録画は必須ですけど(; ̄∀ ̄)ゞ

>出ましたね〜。SD対戦(^.^;)
雰囲気的にそんな感じです(; ̄∀ ̄)ゞ

町を焼かれて砲台をことごとく破壊された状態で
それで勝ったというのは言えないですね。


>お近さんが気の毒に思えてなりません〜。
たしかに(苦笑)
遠くの人の思いを守るよりも
目の前の人を守って欲しいです。
ikasama4
2008/09/29 07:48
なおみ様
おはようございます。
>三省堂とかに原稿を売りつけてください!

・・・売れますかねぇ(笑)

自分が「アームストロング」と聞くと
『鋼の錬金術師』のアームストロングさんとか
『るろうに剣心』の鯨波さんが思い浮かびます。

>長州って本当に「不遇」だったんですよね、よく倒幕まで力が温存できたなと思いますよ。
ホントにつくづくそう思います。

対する薩摩は鮮やかな程に立ち回りは上手いですからね。
まぁ個人的にはこういうのも嫌いではないですけどね
(; ̄∀ ̄)ゞ
ikasama4
2008/09/29 07:49
アームストロングって月面着陸した人?
じゃなかったでしたっけ?あれ?
ってことでやっぱガンダム?なのですね〜。
ってかなんで黒?ww黒船だから?
やっぱ量産ザクじゃねぇ。〜。「連邦のモビルスーツは
化け物かっ!」って感じですよねぇ〜。

それにしてもここに来ると歴史の勉強できて
たのしいです。長州本当にズタボロですねぇ。
なのになぜ薩長同盟できたのか不思議?
それより、勝さんは本当に家茂さんにあんなこと
言ったんですか?
みのむし
2008/09/29 09:25
こんにちは。
いや〜、「目で見る薩摩決戦図」、わかりやすいです。
ありがとうございます。
日本史の教科書じゃ、生麦事件と薩英戦争は2行くらいしかないから
鹿児島湾が戦争にどう影響したかとか、裏事情はまったくわからず、
「近代的兵器を持ってるはずなのに、勢いに乗じて薩摩に上陸しなかったのかな」
などと疑問に思ってた(思うだけで調べてない・・・)のが解消されました^^

>あの方に約束したというのに――――。

くうさんも書かれてますが・・・。
ほんと、お近さんが気の毒すぎです(ToT)
焼け焦げた城下町に「近!近!」と叫びながら駆けてきたときは
「おお、妻を愛するようになったんだね」とほっこりしたのに。
将来、自分の血のつながった甥に継がせた小松家を、
自分とは血のつながりのない帯刀の息子を育てて継がせる人なのに。

あ、でも、ここまで初恋の人にこだわるのは、いずれお近さんではない
別の女性に恋するよ、お近さんには恋しないよって前ふりでしょうか?
rino
2008/09/29 13:59
薩英戦争図解、ありがとうございます!
文章で読むよりすごくわかりやすい!いやいや、いつもよいお仕事をされてますね〜〜。
なんか、こうして同時代的で並べてくださったので、つくづく見ると、
長州にくらべて薩摩は冷静というか、大人だなあ(笑)と思っちゃいますね。
長州は、ハッキリいって狂ってる。壊れてる。
ただ、そのくらい徹底して狂っていたから、歴史の局面をまわすパワーも湧き出てきたんでしょうけど。

さいきん、とみにメイクが濃くなってセクスィー部長化が激しい帯刀さんですけど、「ビジネスと色恋は一緒になさらぬよう…」って境地には程遠いかんじ(笑)。
セクスィー常務は素晴らしかったです。あの、暖かな微笑み…。阿部老中の最後のころを思い出しました。
遊人庵庵主
URL
2008/09/29 22:13
みのむし様
実在のアームストロングさんが何をしたのか
全く知りません(; ̄∀ ̄)ゞ

>ってかなんで黒?ww黒船だから?
正解です( ̄ー ̄)b

この戦力差を知らなかったとはいえ
奮闘した薩摩軍はある意味、見事だったのかもしれません。

こんなので楽しんでもらえれば何よりです。

>それより、勝さんは本当に家茂さんにあんなこと
>言ったんですか?
どうでしょうねぇ。

まぁあり得たかも知れないという事に
しておくくらいがいいのかも(笑)
ikasama4
2008/09/29 23:14
rino様
こんばんはです。
自分も生麦事件とか薩英戦争とか
あっさり終わって何故これが起きたのかとか
色々疑問だったので自分でも興味があって
調べてみたのですが、なんかここ最近は
ネタに走っている感じがします(; ̄∀ ̄)ゞ

>くうさんも書かれてますが・・・。
>ほんと、お近さんが気の毒すぎです(ToT)
よくよく考えればそうですね。
目の前の奥さんよりも遠くの愛しい人

これはちょっと・・・・ねぇ。

>自分とは血のつながりのない帯刀の息子を育てて継がせる人なのに。
次回、その息子を生んだ女性と帯刀が運命的?な出会いを
するみたいです(; ̄∀ ̄)ゞ
ikasama4
2008/09/29 23:15
遊人庵庵主様
こういうのは図解にすると
どうして薩摩はイギリス艦隊にやられたのか
また、その状況でどのようにしてイギリス艦隊に
被害を与える事が出来たのかが分かるような
気がしたもんですからね。

>長州にくらべて薩摩は冷静というか、大人だなあ(笑)と思っちゃいますね。
そうですね。成熟してる感じがします。
それもこれも藩主の差ってやつでしょうかね(苦笑)

ただ、そういう混沌の中で
長州はその逆境を乗り越えようとする逸材が
生まれてきたのでしょうね。

似たような境遇でありながら衰退していった
水戸藩とはえらい違いです(笑)

帯刀はまだまだセクスィの境地には遠いですね。

>セクスィー常務は素晴らしかったです。あの、暖かな微笑み…。阿部老中の最後のころを思い出しました。
あれはもうサイコーです(≧∇≦)b
ikasama4
2008/09/29 23:15
Wikipedia等を通して薩英戦争がどういう戦いであったかは知ってはいたのですが、ikasama4さんの絵による説明を見て大いに参考になりました。
アームストロング砲は当時においては最先端兵器だったという事は、今でいえばトマホークミサイルのようなものだった訳ですね。
自分も日本史の授業で習った事によれば、薩英戦争で敗北を喫した事で薩摩は攘夷から開国に方針転換したといった感じでしたが、実際はどうもそう単純に片付けられるものではなかったようで・・・・・。
この戦いで薩摩が被った物的損害は甚大だったが、イギリス艦隊側にしてもここまで薩摩が善戦したという事は予想外だったと言えるのでしょうね。一戦交えてみてお互いの実力がどれほどのものであるか認識した事はその後の歴史を動かす大きな一歩となったと感じられる所があります。

しかしながら幕末の長州、改めてみると凄まじすぎでカオスとしか言い様がありません。けれどもそれだけ混沌としていたから長州のみならず明治日本を担う逸材を生む土壌があったと考えられるのでしょうか。
MoTo
2008/09/30 00:55
MoTo様
そうですね、アームストロング砲は当時においては
最新兵器だったのでしょう。

その圧倒的とも言える戦力差で
薩摩がここまで戦えたのはやはり、そういう事を
知らなかった事がひとつの要因にはなるでしょうか。

ともあれ、双方共に被害を出した事で
互いを見直すよい機会にはなったでしょうね。

特に薩摩はイギリス艦隊によって砲台はほとんど
失った訳で

ここでその砲台を破壊した兵器をイギリスから
売ってもらえるという事は薩摩にとって

現時点で喉から手が出る程に欲しいものだったのでしょう。
それが歴史を動かす一歩になったというのは
なんとも面白いとこです。

>けれどもそれだけ混沌としていたから長州のみならず明治日本を担う逸材を生む土壌があったと考えられるのでしょうか。
それはあるかと思います。
ただ一方で水戸も長州と同じ状況だったかと思うのですが

倒幕の一端は担ったものの
こちらは倒幕の波から脱落していった感があります。

この水戸と長州を比べてみてその差を調べるのもまた
面白いかもしれません。
ikasama4
2008/09/30 07:50

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篤姫 第39話 「薩摩燃ゆ」 渡る世間は愚痴ばかり/BIGLOBEウェブリブログ
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